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政府参考人(
藤本貴也君) 非常に幅広い
お話を冒頭い
ただきまして、私も
地理院の経験はそう深くないものですから付け焼き刃でございまして、
先生の方がお詳しいかもしれませんが、明治以降の沿革ということでございましたので概略申し上げたいと思います。
先ほど先生、伊能忠敬の
お話ございました。江戸
時代の伊能忠敬というのは御承知のとおり非常に精密な
地図を作ったわけでございますけれ
ども、全国を網羅的にある一定の水準の
地図を作ったという
意味では伊能忠敬が一番最初と、日本では最初ということのようでございます。当時、ヨーロッパ、イギリスからも非常に高い評価を得て、明治
時代、幕末の日本が救われたというふうな逸話も幾つか残っておりますけれ
ども、
技術的にはそれは必ずしも十分伝承されておりませんで、明治に入りまして、明治維新の後すぐに
国土地理院の前身になります民部省のところに戸籍
地図掛というのが設置をされております。当時はフランスからの
技術を中心に導入いたしまして、
測量体系の構築をしたというふうに聞いております。
その後、内務省地理局というふうに組織が変わりましたが、明治の十七年でございますけれ
ども、参謀本部の中に
測量局、これができまして、この中に
地図が一元的に統一をされるということで、
先ほど言いました内務省地理局もこの中に合併をされる、こういうことになっております。その明治十七年以降、終戦直後まで陸軍の中に組織があると、こういう形で
測量を担ったわけでございますけれ
ども、そういう中で大正
時代にあるいは明治
時代に三角点の設置をする、あるいは五万分の一の
地形図を、これは大正十三年に完了をしております。
三角点の設置の中で、
先ほど先生おっしゃいました剣岳の上の三角点、この設置につきまして柴崎芳太郎さんが当時の山岳会のメンバーと競ってその山の上に登るという、日本で一番登山では難しい山だそうでございますけれ
ども、当時言わばプロの山登り士である
測量の技師が一番乗りを果たしたというふうな、そういう話が
先ほどの剣岳の話だと承知しております。
今申しましたように、戦前は
地図は軍が全部コントロールをするということでございまして、終戦が御承知の二十年八月十五日でありますけれ
ども、九月一日付けで内務省の方に移管をする。わずか二週間でございますけれ
ども、GHQに当時の
地図、これを接収をされるのを避けたいというふうな当時のメンバーの思いもありまして、わずか二週間で内務省の方に切り替えるという離れ業をやったそうでございます。内務省の地理調査所ということで戦後の復興あるいは高度成長を
測量で支えるというふうになってきたということでございます。
今回の改定を
お願いしています昭和二十四年に制定をさせてい
ただいた
測量法、これが内務省の地理調査所の中で新たな
測量体系ということで
法律ができたわけでございます。この
測量地図は
もちろん軍から離れましたものですから、
測量の重複を排除する、言わば効率的に
測量をみんなでやっていかなきゃいけないということ、そして正確な
測量をやらないといけない、この二つを二本柱にいたしましてこの
測量法が制定をされまして、
国土地理院はその中の一番基本的な部分、いわゆる
基本測量と言っておりますけれ
ども、これを担うということで、それ以外の
公共団体等が行います
公共測量だとか、あるいは民間がやりますその他の
測量、こういうものをきちっとやるための
技術的な基準を作る、あるいは基準点のきちっと整備をする、あるいはそういうものに対する指導をさせてい
ただく、こういうようなことをやることになったわけでございます。
昭和三十六年でありますが、
測量法、
改正い
ただきまして、
測量業の発展ということで、
測量業に関する規定を追加をさせてい
ただいております。これを契機に多くの民間
測量会社、これが誕生し、その後育ってきたということでございまして、公共的な
測量につきましては民間の
測量会社が担うというふうな形がこれで定着をしてきたということでございます。ちなみに、ヨーロッパの中でもイギリスなんかを見ると、国家が直接
測量をする、国の機関が直接
測量をするというのが非常に多いような国も今でも存在をしているわけでございます。
こんなようなことで、現在では、この
測量法に基づきまして、
地方あるいは民間、これを十分に活用しながら効率的に正確な
地図を
測量をさせてい
ただくということで現在に至っているということでございまして、今回、
先ほど先生お話ありましたように、
デジタル化という非常に大きな流れ、これに、まあ遅まきながらといいますか、
先生の御指摘をかりればそういうことかもしれませんが、その
デジタル化にできるだけ早く対応し、そしてそれをまたエンジン役、引っ張るエンジン役になっていきたいということで今回の
改正をさせてい
ただこうということになったわけでございます。