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下田敦子君 まず第一に、非常にお忙しい中からお四方の
先生方、お出まし賜りまして本当にありがとうございました。
それでは、経緯も経過も含めまして、お一方ずつ
先生方にお尋ねさしていただきます。掛けさせていただきます。
まず、大変古い話になるかもしれませんが、
昭和六十一年、
東京で開催されました国際
社会福祉会議、この席で、まず、今まで保育士が
介護の
現場も
高齢者のお世話もみんなしてきた
日本の
状況を見て、非常に
施設、運営その他は立派であるけれ
ども、そこに働く
人材が必ずしも
福祉マンパワー
専門職としては十分でないということを異口同音に指摘されました。そこにいらっしゃいました斎藤十朗厚生大臣が、これは大変だという
意味から、その肝いりでこのたびの
介護福祉士あるいは
社会福祉士という
資格の
創設を一生懸命なさいまして、第百八回通常
国会で全会一致で新しい
福祉専門職の法制化ということでありましたが、すぐさまこれらのことに
養成施設あるいは
国家試験等々、官報登載されたのが十二月十五日、非常に
関係者の間でも何やら唐突な感じが実際ありまして、戸惑いの声も聞かれるほどの急激な展開を見せた新
国家資格でありました。当時
思いましたことは、非常に国は、
厚生労働省、当時
厚生省ですが、高いものを設定しておったという印象がございます。
それで、全国で
養成施設が二十五校でスタートしたものが現在四百二十五校になりました。ですが、二〇〇七年問題を前にしながら、
介護福祉士、あるいは
介護の
現場、あるいは
社会福祉の
状況、これらを見まして、非常に混然一体として、このままではいけないという
思いがずっとございました。五年ぐらい前からそういう考えが個人的にもありました。
そこで、まず
京極高宣先生に、
参考人と申し上げるべきかもしれませんが、先生にお尋ねを申し上げたいと
思います。
先生はこの
法案の生みの親でいらっしゃいます。当時、この
資格制定をなさるときに大変、反対の団体もあって御苦労されたというお話を漏れ承っておりますが、例えばこのたび老人
介護法を作ったドイツでは、これアルテンプフレーゲリンという
専門介護福祉士、これは
看護師さんのごく一部の
方々が
介護というものの
専門性を考えて、そして
専門介護福祉士というものを
創設されていったと。すべからく
介護にかかわる
資格者は決して別建てで、看護協会さんとか家政婦協会さんとかと別建てでできたものではなくて、そういう
状況の中で生まれた、スタートしたという話を聞いたことがあります。この辺についてのもの。
それから二つ目は、今、
法案一部
改正に目の当たりにいたしまして非常に不思議に思うことが
一つございます。まず第一に、このたびの
法案の法的な拘束力、あるいはまた前進させることは、
養成施設である、あるいは
福祉系の高等学校。これは後ほどまた申し上げますけれ
ども、一、二校ならいいだろうという
状況、当時あったように聞いています。これがツルの一声で、規制緩和の時代だからいいんだろうというようなことが、現在何とその二、三校が実に二百二十五校に増えました。
大変中身が違います。
養成校とされているカリキュラム、設備、それから教授陣、全く違います。しかも、最も驚くことは、
厚生労働省から発した
資格であるにもかかわらず、これが文科省の傘下にあって、ただひたすらそこの指導監督といいましょうか、その中身で今まで来ているということであります。これは時限
措置で、時間数が非常に少ない、千百九十時間とか、これをすべからく千八百時間にする。それから、教授陣の要件、それからカリキュラムも、
社会科というものを
社会学に読み替えているとか、実にちょっとびっくりするような
内容があります。
最後なんですが、実務経験三年で来た
方々に対しても、今は
厚生省にそれぞれ協力しながら、たった四日間という
研修を持っているわけでして、その
方々が
試験を受けるということになっているわけなんですが、これでは基礎的な学習が不十分だという考え方の
意見もあって、それで六百時間の時間をということで、これですべて横並びで、
国家試験を目指す者はおおむね千八百時間をこなすということが
一つの
規定にありました。
ところが、ここの、
京極先生にお尋ねを申し上げたいことは、
一つ、同じ
介護に携わる
人材でありながら、
資格者でありながら、片やホームヘルパー、訪問
介護員という
資格がございます。この
人たちは、数としては非常に多いわけでございまして、このことから、大変な活動もされていることもよく分かりますが、大変、基礎
研修時間も少のうございます。五百時間ということでありまして、実務経験も二年しかないと。こういうことで、所管が第一に老健局の所管でございます。振興課であります。片や、この
法律の一部
改正をしようというのが
社会・援護局の所管でございます。
福祉基盤課。どうしてこんなに、同じ
介護に当たるこの
職業の
人たちがばらばらの条件の中で今もなおかつ続いている。
実は、この経緯は、もう本当に釈迦に説法で申し上げることで大変失礼なんですが、御案内のとおり、
平成十六年、
社会保障審議会の
介護保険
部会では、このホームヘルパーという
資格は将来的に
介護福祉士の
資格を基本とするということを
審議会の方ではおっしゃいました。ところが、これを
厚生労働省が受け入れませんでした。今日まで続いているということであります。ホームヘルパーのコースは今回もなくしないと理解してほしいというコメントを逆にいただきまして、非常に混乱を招いていることが
改善され難いなというふうに今思っております。ですから、このことをまずお尋ねを申し上げたいと
思います。
それから、
福祉系の高等学校は、先ほど申し上げましたように、大変、同じ免許を目指すものでありながら、時間数も足りなければ、教員の
資格要件も全然違うものであったり、それから免許が第一に違います。教科の
内容も違います。ですから、こういうことで混然一体となっているということであります。
それから、次にお尋ねを申し上げたいのは、
介護福祉士の
養成では通信
教育は認められておりません。これが総務省の関係で、当時の、まあいろいろな事情があったやに伺っておりますが、
介護福祉士の
養成をNHKがやっていると、通信
教育で。このことについて先生はどういう御所見をお持ちでありますか、お尋ねをいたしたいと
思います。
それから、先ほど来ずっと話題になっておりますが、
介護福祉士及び
社会福祉士の
任用、
活用拡大、配置基準の明確化、このことについて御示唆をいただければ大変有り難いことであります。
それから、
板山賢治先生にお尋ねを申し上げたいと
思います。
質問に入ります前に、かつて明治学院
大学で教鞭を執っておられました三好教授が忘れ難いお話をしてくださいました。先生は晩年、次のようなことをおっしゃいました。
社会学とか
福祉という言葉を発するだけで、戦前あるいは戦中は、あれはアカだと言われたものだということを述懐されておられました。そのお話から、我が国の
社会福祉の歴史の浅さを今も覚えております。
そこで、
板山先生にお伺いいたしますが、先生は我が国の
社会福祉の歴史の生き字引でいらっしゃいます。現在なお、八十年の歴史を有していらっしゃいます
社会福祉施設、
医療施設まで備えている
社会福祉法人浴風会を運営されまして、先ほどのお話のように、人を支えるのは人であるという大変含みの大きいお話をちょうだいいたしましたが、どうも
日本のこの、特に
国会に関係のあるこの場所は、
政府にもしっかり申し上げているわけなんですが、人が人に世話をすることに対する
評価が極めて低い。これに対して、毎年二千二百億、
社会保障費を減らしているこの現状がございます。
そういうことですので、
是非この
観点から将来の
介護福祉士の
任用拡大、あるいはまた、現在どうしても免許を持っていながらこの仕事に就いていない不就労者数が二十万人おります。この早急な対策をどうするべきかをまずお尋ねを申し上げたいと
思います。
一問一答だそうですが、大変恐縮ですけれ
ども、時間の調節が余り上手じゃないので、次に
小島局長にお尋ねを申し上げます。
准介護福祉士ということを私
ども三月の初めに知らされまして、非常に困惑いたしました。せんだってこのことについても代表質問でさせていただきましたが、実は、局長にお尋ね申し上げたいことは、最近、
介護の大手会社数が、大変不法な行動があって、一々今申し上げる時間がありませんが、とんでもない結果が今出ているわけです。
私は、こういう
意味から考えると、今回の法
改正において、言ってみればホームヘルパーを窓口に人を募集し講習していながら、その人を即自分の営利追求の会社に使っていると。三Kであって非常に定着率も悪い。しかも、本社、本校を
東京に置きながら全国展開している。その展開している全国のそれぞれの先には、全く、基準に合った
施設もなければそういう
人材も不十分でございまして、法的にも非常に不十分な、法の網をついてというか、そういう展開がなされていることについてどういうふうにお
思いでいらっしゃいますか。
介護保険というものは性善説に立っての今日なんですが、裏切られたという感がしないでもありません。
それから最後に、時間がちょうど四分しかなくなりましたが、
石橋真二会長にお尋ねを申し上げます。
介護サポーター……