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参考人(
野川忍君) 本来ならば、これはパワーポイントと白板を使って一時間ほどいただいて講義をさせていただきたいところでございますが、簡単に話させていただきますと、
労働契約
法案とそれから改正
労働基準法案、これ私は、言わばこれができれば未熟児の
法律にならざるを得ないだろうというふうに思っております。
その
理由を幾つか述べますが、まず
労働契約法でございますが、実は御承知のとおり、二〇〇五年に、将来の
労働契約法に、
労働契約に係る
検討が厚労省の中の研究会で行われ、その
報告書が出ております。それは七十三ページにわたる大変膨大なものでして、研究者と実務家が非常に精力、エネルギーを割いて二十八回も議論をして出したものでございますが、でき上がってここに
法律案として閣
議決定されたものを見ますと、本則で十七条、しかもそのうちの大
部分は既に最高裁等の判例法理で確立をしていて、だれも疑わないというようなものがほとんど、あるいは民法や
労働基準法に記載されていたものを移行するというものになっております。あれだけのエネルギーを費やされた議論は何だったのかということをまず
考えます。
具体的に三点ほど申し上げますが、恐らくこの
法律が施行されて大きく問題になるのは、
一つは、この
法律案では第七条にあります、「使用者が合理的な
労働条件が定められている就業規則を
労働者に周知させた場合には、
労働契約の
内容は、その就業規則で定める
労働条件によるものとする。」という
部分であろうと思います。
これは、就業規則の
内容が合理的であれば
労働契約の
内容になり得るという最高裁の判例法理、それと、周知手続が取られていれば就業規則に記載された懲戒規定は適用になり得るという、全部で三つ最高裁の
判決があるわけですが、その
内容をまとめたものになっております。
しかし、実は、この就業規則の
内容が合理的であれば
労働契約の
内容になり得るというのは、これはいずれも
業務命令に関する規定についてだけ
判断した最高裁
判決であり、かつ、この周知手続が取られていれば
労働者もそれに拘束され得るというのは懲戒規定に関するもの。要するに、賃金や
労働事件など本体的な、本体である
労働条件そのものについて、それが合理的であれば
労働契約の
内容になるとか、周知手続があれば
労働契約になるとはっきり言った最高裁
判決はまだない。つまり、この点はまだ議論の俎上にあるわけです。
就業規則の機能は、本来、労基法九十三条にございましたように、今度、
労働契約法に移るようですが、
職場における最低
労働条件を規律するというものであって、
労働契約の
内容になるかどうかについて法は何も言っておりません。
実は、このような制度の基となったドイツにおきましても、普通契約約款として
労働条件を定めた場合、それが
労働契約に取り入れられるにはどのような要件が必要かという点について現在非常に精緻な議論が展開されております。
したがって、その
内容が合理的であり、あるいは周知手続があれば
労働契約の
内容になるというようなもちろん簡単なものではございません。そのような段階でこのような規定を法文に設けてしまうことは法的安定性を害するおそれなしとしませんし、労使対等決定という労基法の原則との整合性も問題になりますし、合理性の中身の
判断も非常に困難で、結局、多くの解釈例規、通達、
指針といった
行政の
対応をまたざるを得なくなるというように思います。
また、第二に、
労働条件の不利益
変更を認めた、
労働条件の
変更は合意によってなし得るという八条と、不利益
変更が一方的になし得るという十条との整合性も問題になると思います。
この第十条に記載されることが予定されております不利益
変更後の就業規則規定が合理的であると認められる要件というのは幾つかこの
法案の中には記載されておりますが、いずれもこれまでの最高裁で示されたものでありますが、具体的な
事案への当てはめは非常に詳細な
検討を必要とします。例えば、企業がこれらの要件を私たちは満たしたからこれで不利益
変更が安心してできるということが予見できるでしょうか。恐らく、それは大変なコストを必要とするだろうというふうに思います。
最高裁は他方で、不利益であっても、
労働者の多数が十分な
検討を経て納得していれば一応合理性は推測され、しかし、一部の
労働者に殊更に大きな不利益を負わせるような、そのような場合はそれらの
労働者に対しては適用ができないという、そういった法理も示しておりますが、こちらの方がよほど明確で予見可能性が高いように思います。もちろん、これには一方で従業員代表に関する制度の整備も必要ではな
いかと思います。
三番目に、私としては、結局、この
雇用関係を規律する契約法というものを
労働行政の枠内だけで行うことには若干無理があるのではな
いかと思います。現在、民法の債権法の
部分の大改正が既に実質的には作業が始まっております。将来的には民法の
雇用契約の
部分を改正して、契約法の名にふさわしい、未熟児ではない
雇用契約法ができることを望んでおります。
労基法改正につきましては、割増し率の引上げ、大変議論になっておりますが、これは私は当然のことだと思っております。というのは、先進諸国の中で、幾ら時間外
労働をしても二五%に割増し率がとどまっているというような国はほかにはほとんどないので、ある意味ではこれでようやく日本もグローバルスタンダードに近づいたというふうに思いますからこの点は評価できますが、ただ、これが時間外
労働の削減に直結するかどうかというのは不明だというふうに思います。
そして、労基法改正についてもあれだけ大きな議論があって、ホワイトカラーエグゼンプション等についてもそうですが、それがこのような限られたテーマについてのみの改正になってしまった。これも、労基法改正もやはりこのままであれば未熟児と言わざるを得ないように思います。
これらの
法案が
成立した場合には、従業員の立場は就業規則への従属性がかなり高まってしまうというおそれを私は持っております。
雇用関係の個別化、契約
社会への道程という観点からすると不安が残ります。
また、これらの
法案が
成立すれば、世の中の動きですが、それはやはり幾つかの可能性があると思います。
一つは、曲がりなりにも
労働契約法ができて、
雇用関係は対等、平等な契約
関係なのだという意識が高まり、これを大きく育てて適正な
雇用ルールを形成していこうという
方向、また労基法改正を通して
労働時間と私的時間の配分、ひいてはワーク・ライフ・バランスを確立しようという機運が高まるといった
方向ももちろん
考えられますが、しかし、先ほど申し上げたように、就業規則への従属、ひいては企業への従属度が高まって、
労働者の自主独立の精神や連帯という価値観も失われていくことや、割増し賃金額の引上げだけに目が行って、
職場に不毛な対立を起こし、肝心のワーク・ライフ・バランスの議論が衰退していくと、こういう
方向も
考えられるのであって、それは恐らくこれからの国民的な議論の中身によっていくだろうというふうに思います。