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渡辺秀央君 おはようございます。御苦労さまでございます。
まず冒頭に、この法案について私どもは賛成の意を表して、
質疑をさしていただきたいと
思います。
しかし、こういう
機会でもあるし、また、先ほど来の同僚議員の
質疑にありましたように、
発電所その他の
大臣の御下命で総点検が行われたことでもありますし、来々、話のように、
東洋町の問題等もこれあり、なかなかこの
原子力発電をめぐる環境条件等々を考えてみますと、やっぱり一つの節目といいましょうか、そういう段階に来ているように
思いますね。
そういう意味で、私のいろんな
思いを申し上げながら、この場でひとつ
大臣の御意見も、そして役所の考え方も聞いておきたい。同時に、与党の皆さんにも聞いていただいて、私が今の時点ではすぐにやれない不可能な問題提起も若干承知をしていたしてみたいと思っていることがございます。是非、時間内に同僚議員の次の
質問にバトンを渡したいと思っておりますので、どうぞひとつ、今まで
衆議院で
議論されたことも大体私は記録で読みましたので、もうそこは承知の上で
質問していると、こう思っていただきますようにお願いをいたしたいと思うのであります。
それにいたしましても、
原子力エネルギーという、あるいは
原子力の平和利用ということを考えたときに、やっぱり何人かの今までの先輩たちのことを
思い出すわけでありますが、去る五月二十二日に、最も
原子力発電に当時先見性、そしてまた政治に対する協力の姿勢、あるいはまた大変な、ある意味における公益事業としての決断のいろんな場面での大きな存在として御尽力された、東電会長、そして電事連の会長、さらには経団連会長など数多くの役職を歴任された平岩外四さんが亡くなられました。私は、経営者としての優れたバランス感覚を持ち合わせるとともに、
企業の社会的責任やいわゆる
企業倫理などについて深い御見識を持っておられ、説得力のある的確な判断を下されて、かつ非常に静かなる強力なリーダーシップとでもいいましょうか、私自身もすばらしいこの経済指導者、財界の指導者に巡り合えることができたり、御指導いただく
機会を多々いただいたなというふうに
思いながら、尊敬する偉大な経済人の一人であったというふうに
思い起こされるわけであります。恐らく
甘利大臣も同じ
思いであろうというふうに思うのであります。
平岩さんは、
企業経営者としてのみならず、国の
原子力、先ほど申し上げたこの政策にも大変な貢献をされた。私も、政治家になり始めたころから、本当にいろんな御指導、そしてまた御助言をいただいたのでありますが、今なお本当に追惜の、本当に心からの誠を尽くしたいという気持ち一杯であります。
この平岩さんの死を迎えて中曽根総理は、御一緒に当時おやりになられた
思いを込めながら、
原子力平和利用や
原子力発電の推進を図っていたころ、当時盛んであった原発反対の世論を物ともせずに勇敢に協力してくださったと。これはどっちが協力したのか、政治の場における議員立法を制定していこうということに対する
理解者の一人ということだったのか分かりませんが、恐らく平岩さんからすると、逆に政治家の一人であった青年将校時代の中曽根政治家に対する、むしろいろんな意味で協力をしてくださったお互いの相関
関係だったんだろうと思うのですが、戦後
日本の発展を支えた数少ない文化的財界人であった、こういうふうに追惜、追悼をしておられるわけであります。
言うまでもなく、昭和三十年に、政治家中曽根康弘、そして社会党の
委員長となられた当時の青年政治家成田知巳
先生などが超党派で
原子力憲法ともいうべき
原子力基本法を制定された。やっぱり、こういう
思いを私どもはこういう段階で決して見過ごすのではなくて振り返って、そしてその基本的な、
日本における
原子力政策がどういう経過でなされてきたのか、当時の
思いをしっかり踏み締めながら、かみしめながら
議論をしたりあるいはまた政策遂行していかないと、どうも場当たりと、そしてまたそのときの時間が経過するのを待っているということに陥ってしまう。
そういう意味で、私は個人的にも御指導いただいた平岩さんをしのびながら、とにかくこの段階で
原子力発電の開発に一層努力をしていかなければならないということを肝に銘じておる昨今なのでございますが、それにしても、もう一つは、先ほど来の
議論のとおりで、やっぱりこの
原子力、核というと、学校で教えることは広島、長崎なんですね。要するに、
原子力ということが平和利用ということでなくて、その前に悪である、あるいは大変なこの
日本に災いをもたらしたものであるというような恐ろしいものである、さっきの
ビラの話じゃありませんが、そういう教育がなされている。そこを根幹的に考えないと、
我が国は永久にこの
原子力エネルギーに対するアレルギー反応というのは取り除けないのではないかというふうに危惧するのであります。
是非、安倍内閣は
日本の政治のもう一度原点を見直そうという戦後政治の見直しをやっておられるわけですが、有力なこの
経済産業、そしてまた、それにまつわるすべての重大なこの時期に所管を担当していかれる
甘利大臣の、しかも今までの長い間のこの分野において培ってきた見識と、そしてまた、一つの政治家としての御見識を何とかこういう場面で、根本から一回、
日本国
国務大臣としての立場で文部
大臣やあるいは総理や、こういう人たちともやっぱり話合いをする、そういう基本的な
日本人が
日本人たろうという教育基本法のあるべき姿と同時に、こういう将来に持ち越していく根本的なところの解決のメスが入っていないというところも是非見逃すことなく、閣僚懇談会等でも話し合っていただく
機会を是非お持ちいただきたい、また期待をいたしたいと思っておるのでございます。
期待を込めながら意見を申し上げましたが、後ほどもし御意見がありましたらお聞かせをいただきたいと
思います。
次に、先ほども触れておられましたが、四月二十日に公表された
原子力安全・
保安院のこの発電
施設の総点検に関する
評価、この
評価について私なりのまた意見も述べさせていただきたいと思うんです。
この
報告書のポイントは、
原子力に関して
行政処分として、重大
事故を経営責任者に直ちに
報告する
体制の整備を第一点として、第二点は原子炉主任技術者の保安、監督責任の
強化、第三は想定外の
制御棒引き抜けを異常発生扱いにすること、また特別な対応として一定期検査時に二ないし三週間掛けて特別な検査を実施する、あるいは第二点として
原子力安全・
保安院の特別
原子力施設監督官が監視、監督を実施することなどであったと思うんです。
しかし、この
原子力安全・
保安院の
報告に対してマスコミ各社は非常に厳しい
評価をしている。これは私も切り抜き全部ここへ持ってきておるんですが、何ともオーバーだなという感じもいたしますけれども、これは前のことと比べてみて、例の東電の問題と比べての比較としてその
処分が甘いとか、
評価として、この福島一号原発の運転停止が課せられているけど、これは何でしないんだとか、そういったことが言われているわけであります。私はしかし
評価をしているんですよ。私は
評価をしているんですが、この検査の結果のことについては、しかしそういうことが言われているのであります。
これに対して、今回はまた北陸
電力の志賀原発の一号機、東京
電力の福島第一原発三号機の臨界
事故隠しなどの原子炉等規制法に対する法令違反があったわけであるけれども、放射能漏れという大
事故につながらなかったわけであって、
甘利大臣も記者会見で述べているように、その後の定期検査で安全が確保されていることなどを勘案すると、
電気事業者、原子炉メーカー、
原子力安全・
保安院など、それぞれの緊張感が欠けていたというところではないかと思う。このことも私は正しい御見解だと思うんですね。
であるとするならば、マスコミが書いてくれないということで終わっちゃわずに、いわゆるそういうエネルギー庁あるいは
経済産業省あるいは政府のこの問題に対する見解は、もう一つ
大臣の記者会見と同時に、これほどの国策の中でこれほどの大
規模に、私は首をかしげたぐらいでしたが、しかしやり遂げられた、立派だったと
思います。これは正直言って、お世辞でないが、やっぱり今までずっと培ってきた自信だと
思いますね。だから、一つには、不安感は、その設置
地域住民に与えていること、それによって全部払拭ということは不可能であっても、正に払拭できるスタートだろうと。
同時に、内閣としてこのことに対してのもう一つの突っ込みが私はどうも足りていない感じがするんです。是非そういう点も考えてみて、私も反省しているんですよ、長い間この問題に携わってきて大変反省をしているんですが、今までの私が申し述べた一つの考え方に対してもし御意見があったら、次の
質問に入らしていただきたいと思うんです。