○中井
委員 幾つか申し上げますので、参考までにお聞きをいただきたいと思いますが、僕は、満州の残留孤児の方々が引き揚げてこられた、この後の厚労省援護局、いろいろなことをおやりになったことは承知していますが、全く冷たかった。ここの失敗であった、こういうのを率直に認めて新しい施策を打ってほしい、こう思います。
私自身も、昭和二十一年の九月、一家そろって満州から引き揚げてまいりました。一年間中国に、満州におったわけであります。私ども引揚者の大半は、やはり国に捨てられたと思っています。この方々は、
日本へようやく帰ってきて、また捨てられている、こうお感じになっている。
満州という国は、いろいろまだ研究も進んでおりませんが、あの満州国の予算というのはほとんど
日本の予算でやってきたわけですね。そういうことが
一つ。
それから、奥地へ行かれた方、開拓で行かれた方は、本当に
日本国内でも非常に苦しい環境を打ち破るために行かれた。まだ私のように新京におった者はよかったんです。大連、奉天、まだよかったんですね。それから台湾、これもよかったんです。だが、奥地は大変だった。
そして、苦労して、引き揚げという過程の中で、本当に死ぬ思いで子供を捨てる。別れる。中国人が欲しい欲しいと言ったもんだから渡す。だけれども、国へ無事たどり着いて、
日本へ帰ってきて、
自分の子供、もう二人おったんだけれども、中国人に渡したとは言えないので、みんな田舎で葬式をしておるんですね、死んだということで。だから、国交回復したって
自分は捜しに行けなかった。孤児の方が
日本へ親を捜して訪ねに来られても名乗れなかったという事情もあります。
あるいはまた、毛沢東の文化大革命のときに、中国の養い親あるいは夫たちは、
日本人だと言うたら迫害されるというので、いろいろな写真からお守りから、親が渡したものを全部焼いちゃったんです。だから、
日本の縁戚というのがなかなかわかりにくいとか、いろいろな事情があります。
そして、あの満州孤児や残留邦人の方々の中に軍人や軍人の家族というのはいらっしゃらない。軍人の家族は、昭和十九年にはみんな本土へ引き揚げておるんですよ。民間人だけは置いてきぼりにされた。シベリアに抑留された軍人軍属の方もおられます。しかし、家族の方々は先に
国内へ戻っておられる。だから、民間人は捨てられたんだとみんな思っていますよ。やはり、これをきちっと国として、いや、そんなことはないんだという温かい配慮をする。
いや、働かぬのが悪いんだ、生活保護で喜んでいるじゃないかとかいう誹謗中傷も聞こえますが、僕は、そんなことはない、やはり、
日本人だ、よく帰ってきたということでやっていただきたい。これは、党派とかそんなことは抜きに、引揚者の一人として申し上げておきます。よろしく。
柳澤さん、それだけですから、帰ってください。本当はずっと座っていてもらわないかぬのですが。
もう
一つ、次に、久間さんにお尋ねをいたします。
僕は一度面と向かって申し上げたことがあるけれども、あなたも本当に頭のいい方なんですよね。それで、
柳澤さんとはまた違う頭のよさだ。これは敬服してきました。過般からあなたがおっしゃっていることは、僕は、そのとおりだ、何で訂正したりするんだと。何で訂正したりするんだ。
それは、僕は、あの開戦のころは、やはり核兵器を持っておるんだと思っていました、イラクが。だけれども、持っていなかった。あなたはそれを、持っていなかったと思っていた、こう言うんですから立派なもので、情報も確かなものだ。
その後、イギリスも、ブレアさんなんかは、テロとの
関係もアルカイダとの
関係も、イラクはどうも違う、情報が違う情報だった、悪意はなかったけれどもという形で、大量破壊兵器とテロということと、
二つの面で率直に謝っておられる。
アメリカも、もう既にそういう形で謝っておられる。戦争をあの当時
支持した、しないということじゃなしに、そういったことについて
国民にきちっと謝った方がいい、私はこう思うんですね。
だから、あなたはあの閣議決定を知らなくて、あれをきちっと閣僚として守ります、こうおっしゃっているけれども、僕はそれは違うと思うんですが、いかがでしょうか。