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白取参考人 北海道大学の
白取でございます。
今、
岡村先生の
お話を間近でお聞きいたしましたが、私自身、これまで
刑事訴訟法の教師あるいは
研究者としてやってまいりましたが、
被害者の問題について従来の法
制度あるいは
研究者として十分配慮してきたか、よく考えていたかということについて、反省すべきことはいろいろございます。
そして、今
お話がございましたけれども、
被害者の方
たちの
発言の重みというのも十分踏まえているつもりでございます。ただ、法
制度として一たんできてしまった場合には、その
制度というのは平等にどんな人にでも適用されるわけですので、
制度の設計にはやはり限りなく慎重であってほしいというふうに思うわけです。
ある場合には、
制度のつくり方が十分うまくいっていなかったために、かえって
被害者の方を、今ちょっと
岡村先生も言われましたけれども、傷つけてしまう
可能性もなくはない。それから、
刑事裁判はやはり公のものですから、
被疑者、
被告人の
人権というものもあわせて考慮しなければいけない。その調和、バランスがうまくいっていない場合、
日本の
刑事司法というのは、非常にゆがんだ、あるいはうまく機能しないものになってしまうというふうに思うわけです。
そういった
意味で、
被害者保護、それからさらに進んで
被害者参加へのいろいろな立法、運用の流れそのものに私は
賛成するものでありますけれども、今回の
法案については、その幾つかの点でいろいろ心配な点がある、慎重にもっと考えてみる必要があるのではないかという
立場で
お話ししたいと
思います。
法案自体は、読ませていただきましたけれども、いろいろな事柄が定められております。
刑事裁判に
被害者が
参加する
制度のほかに、
損害賠償請求について
刑事手続の成果を利用する
制度、そのほか、
刑事手続において
犯罪被害者等の氏名等の
情報を
保護するための
制度、
刑事訴訟における
訴訟記録の
閲覧及び謄写の
範囲拡大、民事
訴訟におけるビデオリンク等の導入。これらの中には、当然今までに立法化すべきだったこともたくさん含まれておりますが、ここで私が特に慎重に考えるべきであると
思いますのは、
刑事裁判に
被害者が
参加する
制度の、この
法案の中身についてであります。
法案を見たときに、諸外国の
制度と比べて、まず私が気がついて首をかしげたところは、
被害者参加制度と
損害賠償命令制度が分離しているということです。そういう法
制度もありますが、それが一体化している
制度というのもございます。
分離しているということは、
損害賠償を求める
被害者の方は、
刑事裁判が終わるまで待っていなければならない、
刑事裁判の途中ではおよそかかわることができない。それに対して、
被害者参加人の方は、その
立場に立って、
公判廷、バーの中に入って
証人尋問をしたり、
被告人質問をしたり、いわゆる論告求刑のようなことを
検察官と並んですることができるというふうになったわけです。
この
制度というのは、よく考えてみると、
被害者はどういう
立場で
手続に
参加しているのか、やや専門的に聞こえるかもしれませんけれども、どうもちょっとはっきりしないところがあります。
簡単に言うと、フランスのように
訴訟の民事
当事者として
参加するというわけでもない。
被害者の方は、
当事者ではなくて、幾つかの権限を付与されて、その権限を行使するために
検察官の近くに席を占める。言ってみれば、
検察官の補助者的なのかというと、必ずしもそういうふうにも読み取れないところもございます。そういう形で、いわば据わりの悪い状態で
被害者の方が
法廷の中にいるという状態を強いられることになります。
では、
被害者参加人の方は、
検察官がいろいろ主張、立証した後で何をするのか。これは、いろいろ
心情を訴えたり、
被告人に対する
質問をするということでありますが、
検察官が本来の役目を果たして、主張すべき点、立証すべき点、情状も含めて、職責を果たし、やるべきことをやった後で、
被害者がやるべきことというのはどこまで残されているんだろうか。そのことは、
被害者が、プラスアルファの、
検察官のもしかしたらやり残したかもしれないことを負担するということになると、それは
被害者にとってむしろ大きな負担にならないか。
確かに、今回の
法案は、この場合には
弁護人とは言いませんけれども、
弁護士が
被害者につくことが
制度的には可能になっています。ただ、すべてつくことになっているわけではない。
弁護士が
法律の専門家として
被害者にかわって
質問することもできる、そういうふうになっています。しかし、
弁護士がもしそういうふうにするのであれば、それは
法律家としてやるわけで、
検察官が本来すべきことではなかったのか。そういった点で、今回の
制度は、どうも趣旨がいま一つはっきりしていないところがございます。
被害者といいましても、いろいろな
事件、いろいろな
犯罪の
被害者があるわけですが、今回の
制度はかなり
罪種に絞りがかかっております。この例はどうも余り外国にはなくて、例えば自宅に放火された
被害者については、この
被害者参加制度は使えない。かなり絞られた
罪種にしかこの
制度が使えない理由は何なのか、これもどうもはっきりしない。
先ほどフランスの
制度を少しだけ申し上げましたが、フランスの
制度というのは、これはあすの会の先生方も
調査されたところでありますけれども、
被害者が
刑事手続を開始させることまで認められている。多分、欧米諸国の中では最も
被害者の
権利の強い国であります。
検察官の近くに席を占めている。私訴原告、民事の
損害賠償を請求する
当事者として
立場が認められている。そういう点では、
被害者の
権利というのは今回の
法案よりはよほど強い。
ただ、この
制度は、他方で、いろいろこの私訴原告に対する責任というのもございます。それから、この私訴というのは非常に公的な性格を持っておりまして、例えば薬害エイズの
事件のときには、この私訴
制度によって
関係機関の責任が追及されたというようなこともございました。
この私訴あるいは
附帯私訴的なもの、いわば
被害者が
刑事手続に
参加するというのはヨーロッパのものであって、アメリカなどにはないものです。ヨーロッパの
制度の特徴というのは、
裁判長の権限が非常に強い、職権主義の国なんです。
職権主義というのは専門用語ですけれども、実際の
法廷をごらんになったらわかるんですが、専ら
裁判長が
訴訟をリードし、
被告人質問、
証人尋問もすべて
裁判長がやります。ですから、そこに
被害者の方あるいは
被害者の
弁護士がついていても、実際に
当事者として
質問したり、
被告人とやり合う場面は基本的にはないんですね。もちろん、
裁判長を介して
質問などもできますし、
一定の
権利が手厚く認められていますけれども、すべて
裁判長を介して、かなりソフトな、ワンクッション置いたやり方での
制度設計になっている。
制度設計というよりは、フランスの私訴
制度はナポレオンの時代から二百年の歴史があって、国の
制度として定着しているものです。
日本は、戦後、アメリカの影響もあって、
当事者主義がとられ、
弁護士も、どちらかというと、アメリカ的なという言葉はちょっと変ですけれども、
被疑者、
被告人の
権利を重視して、いわば
検察官と闘う
弁護士です。もし
弁護士の付き添いもなくて
被害者がそこの席を占めたときに、本当に
被害者は自分自身を守れるんだろうか。もちろん、ケース・バイ・ケースですから、強い
被告人もいれば弱い
被告人もいるかもしれない。
しかし、いずれにしても、
当事者同士が
法廷の場で直接やり合う、歯どめのない形でやり合う。もちろん、
検察官もおります、
被告人の
弁護人もおります、それから
裁判長もおりますから、そういう激しい大変な事態になるということは普通は考えにくいとは
思いますけれども、そこで本来なされるべき適正な
裁判、真相解明にブレーキがかけられないか、ゆがまないかという心配があります。
すなわち、
当事者主義をとる
検察官と
弁護人、
被告人との間の攻撃、防御、やりとりが
裁判の進行の中心になる、そういう中に
被害者参加人が入るというのは、外国と比べてもかなり特異な、慎重に検討すべき、そういう
制度を我々は今考えているんだということであります。
レジュメの最後に死刑の話をちょっと載せましたけれども、これは死刑だけに特有のことではありませんけれども、シンボリックなこととしてちょっとだけ申し上げます。
刑事裁判は、
日本の場合には死刑
制度があります。ヨーロッパにはもちろんありませんけれども、死刑
制度があり、そして二〇〇九年までに
裁判員
制度が始まる。一般市民が
被告人を裁くという
制度があり、そこで死刑まで場合によっては言い渡される
可能性があります。
今回の
被害者参加法案が適用される
事件と
裁判員裁判が行われる
事件というのはほとんど重なっています。そうすると、
裁判員裁判の
公判審理の中に
被害者が登場し、かつ、場合によっては、論告求刑の中で死刑も求刑する。そういう形で、
被害者の
心情を語る場としてこれまでは
意見陳述の場があったわけですが、さらに進んで、
当事者ではないにしても、限りなく
当事者に近いような形でそのようなことを主張するということが
刑事手続として果たしていいのかが問われると
思います。
事件によりますけれども、
加害者ではない
被告人もいるかもしれない。無罪の推定という原則がありますが、
被害者参加によって、千に一つ、万に一つでも、間違っても冤罪を生むというようなことがあってはならないというふうに思う次第です。適正な
手続というのは、なお
日本の
刑事裁判では守らなければいけないことであり、来年、
日本の
刑事訴訟法は公布から六十年、還暦を迎えますけれども、これまでの歴史、蓄積を大事にしていく必要はやはりある。その
意味で、私は、
法案について慎重に検討していただきたいというふうに思う次第です。
以上です。(拍手)