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廣瀬参考人 御紹介いただきました
廣瀬でございます。
立教大学の
法務研究科、いわゆるロースクール、
法科大学院で、
刑法、
刑事訴訟法、
少年法などを教えております。このような席にお招きいただきまして、多少なりともお役に立てれば大変光栄に存じます。
私は、ちょっと特徴的なのは、三十年間、
刑事、
少年関係を
中心とした
裁判官をいたしておりました。その中で、
刑事事件はずっと三十年やっておったわけでありますけれども、
少年事件については、半分ぐらい、十数年、
家庭裁判所での
少年審判、それから地方裁判所での
少年刑事事件、それから
高等裁判所でその
抗告審、
不服申し立ての
手続ですね、これを担当してまいりました。その中でいろいろな
少年たちと出会ってまいりましたし、また、
関係機関の
方々ともいろいろおつき合いをさせていただいてまいりました。それから、
司法研究ということで、
英米独仏の
少年司法制度の
調査にも行ってきたことがございます。
少年法の
研究についてはその傍らやっておりまして、それから、大学に行ってからは
刑事関係と
一緒に今
研究しているというところでございます。
そういうことで、きょうは
実務の
観点からの話もさせていただければと思っております。多少なりともお役に立てれば幸いであります。ただ、時間がございませんので、結論だけというようなことにもなるかと思いますが、また御質問いただければ、詳しく御
説明できればと思っております。
まず、
少年の問題というのは総論的なところがやはり大事だろうと思いますので、時間もありませんけれども、ごくかいつまんで総論的なところから
お話をさせていただきたいと思います。
少年法というのは、申し上げるまでもなく、
年少者、
未成年者に対して、成人の場合よりも保護教育的な修正を加えた
手続、あるいは
処分をするという
法制度であります。これは、
刑事手続を少し修正するというようなものから非常に福祉的なものまで、国によっていろいろ
システムは違いますけれども、なぜそういうことになっているかといいますと、責任を追及して制裁するよりはきちっと教育し直した方が
可塑性のある
少年には
改善更生の役に立つということから出発している、これは皆さんよく御存じだと思います。
しかし、同時に、
少年の問題で難しいのは、軽い
事件で、
本人が謝って、親が謝って、
相手も納得しているというようなことであれば、
本人が立ち直るということだけを考えていけばよろしいわけでありますけれども、非常に重大な
犯罪をやったということになりますと、
被害者の問題が出てまいります。
幾ら年少者がやったといっても、例えば
殺人は
殺人ですし、むしろ、
社会一般の受けとめ方も含めて、衝撃は大きいという場合がございます。これは、長崎や佐世保の
事件などでもおわかりだと思いますし、
外国でも、例えば
イギリスの
バルジャー事件などというのは非常に、立法の契機にもなっております。
そういうことで、わかりやすい例を申し上げますと、人を殺してしまったけれども非常に反省しているという場合、二度と問題を起こさないだろうという
子供もいるわけですけれども、だから大した
処分をしなくていいということには恐らくならないだろうと思います。やはりそういう問題を考えていかなきゃいけない。やったことに相応する
処分、贖罪といいますか償いといいますか、そういうことは、やはり
本人自身にとっても必要だろうと思いますし、
被害者や
一般社会の方に受け入れていただくというためにも大事なことだろうと思います。
今回の問題は、
虞犯とか
触法の問題、それも十四歳未満ということが
中心になっておりますので、
刑事裁判の問題は出てこないわけでありますけれども、それでも、やはりそういう
観点は外せないのではないかと私は思っております。
それから、
日本の
法制でいきますと、
刑事裁判の
手続、
少年法の
手続、それから
児童福祉の
手続、
少年関係を扱うものはいわば三本立てになっているわけでございます。この
すみ分けをどうするか、どう使っていくか、これがやはり一番大きな問題だと思います。今回のところでは、
児童福祉手続と
少年保護手続、
少年審判手続をどう使っていくかという問題になっていくかと思います。
今回の
法案の全般的な
印象から申し上げさせていただきますと、
日本の
少年保護の
法制というのは全体的には非常にすぐれているものだというのは、
外国を見てきまして痛感しております。その
基本原則は変えないで、
問題点のある点を手直ししていく、修正していく、そういう
改正だろうと受けとめております。そういうことで、全体的には、私としては賛成いたしたいと思っております。
各論的なことに入っていきますけれども、まず、
虞犯少年あるいは
触法少年に対する
警察の
調査権ということでありますけれども、先ほど申し上げましたように、私も、
少年裁判官、
審判官と言った方がいいかもしれませんが、十数年やりましたが、
虞犯事件や
触法事件というのは、
家裁におりますと、第一
印象は、とにかく記録が薄い、
証拠が薄いということでございます。これはやはり、きちっとした
調査、
捜査、もちろん
触法であれば
捜査はできないわけでありますけれども、
資料が十分そろわずに
家庭裁判所に
事件が来てしまうということが非常に多い。
その結果として、
家庭裁判所の方では、もちろん
調査官はおりますからできる限りの
調査はしてもらうわけでありますけれども、やはりなかなか
警察がやるような
調査というのはできないわけでありまして、実際には非常に苦慮するというような
事件もございます。
これは、既にいろいろ御
指摘がありますように、
証拠物の問題でありますとか、それから
強制捜査はおよそできないわけですから、
資料が足りないという問題はやはり痛感しているところであります。この辺は、急に最近問題になっているということではなくて、
家庭裁判所では昔から、
少年裁判官同士で話をすれば、やはり
触法や
虞犯事件は困るというような話は出ているわけであります。
それから、
調査をどこがやるのが正しいだろうかということも考えるべき問題だろうと思いますけれども、ここで
一つ考えておかなければいけないのは、やはり
すみ分けの問題があると思います。もちろん、全く新しく
制度をつくるのなら別でありますけれども、今ある
システムを前提にしてどこでやっていくかということを考えた場合に、一番
専門性があって、特徴をとらえている、ふさわしいという
機関が
中心になってやるのが正しいやり方でありましょうし、効率もいいだろうと思います。
そういう
意味で考えますと、
家庭裁判所、これは恐らく、
調査をするとすれば
調査官になると思います。それから
児童相談所、
児童福祉の
関係は主として
児童相談所ですが、これは
児童福祉司ということになろうかと思います。もう
一つは
警察あるいは
検察ということになるわけですが、今回は
触法ですと
検察は出てまいりませんけれども、やはり一からきちっと
事件の
証拠を集めていく、あるいは争いのある
事件の
証拠を裏づけ等も含めて集めていくという作業、これはどれが一番
専門家で向いているだろうかということを考えますと、やはり明らかに
警察であろうと思います。
ただ、しかし、いろいろ御
指摘がありますように、大人の場合とは違って、
少年であります、しかも
年少者であります。そうすると、確かにいろいろな、
少年自身の性格的な問題、心理的な問題がございます。ですから、担当するのは
警察の方できちっとやってもらって、しかしそこを性質に応じて修正する
手当てをしていく、やはりこれが基本的な
枠組みとしては正しい
方向性ではないかというふうに私は思っております。
この辺は
イメージ的にも大事でありまして、例えば
家裁調査官というのは、
ケースワークもやりたい、あるいは心理教育的なアプローチもしたい、
信頼関係をつくって、
少年の真意をつかみたいということで活用しております。それから、
児童福祉司も恐らくそうだろうと思います。そうしますと、そういう
人たちが、
調査官や
児童福祉司というから信用したら、
刑事さんと同じようなことをしているのかということにもしなりますと、やはり
イメージダウンというのも非常に問題ではないかと私は思います。
それから、時間がございませんので次の問題に移りますが、
少年院の
年齢の問題ですけれども、これも最近、先ほど言いましたような
重大事件が起きて、それが
児童自立支援施設でよいのかということで問題になっていることは確かでございます。
少年審判実務をやっておりますと、例えば、中学生が、同じ学年で十三、十四歳がおりますね、同級生のクラスで共犯で
事件を起こす、それがたまたま、けんかして、運が悪くて
死亡事件になってしまう、
傷害致死になりますね。そうすると、十四歳の子は
家庭裁判所に来まして、
相手が死んでいるということもあって、
少年院へ送ろうかどうしようかというような問題になるわけでありますけれども、十三歳の
子供は
児相の方に行って、場合によると、そのまま
児相から
家裁に
事件が来ないということも私のやっていたころなどにはありました。最近は
児童相談所の方もかなり
家庭裁判所に送ってくださるわけでありますけれども。
そうしますと、本当に、
処分の均衡といいますか、やはり十四歳の子の
審判をしていますと、
一緒にやったA君はどうなっているんですかという話が出てまいります。それに対して、我々としては非常に苦慮するわけですね。
もちろん、
本人が納得しないからといって、重大なことをやっている場合に
処分をしないというわけではありませんけれども、しかし、
本人が納得しないで
保護処分をしても、効果は半減します。ですから、そういうところの
手当てというのは、
必要性はかつてからあって、これは、従前から私は物にも書いておりますし、提言しているところであります。
それから、
年少者、十一歳とか十二歳とか、あるいは先ほど申しました
イギリスの
バルジャー事件などというのは十歳の子が二歳の子を殺したというような
事件ですけれども、そういうような
事件が実際に起きてくるわけですね。その場合に、そういった
子供たちを、
児童自立支援施設というのは
イメージ的にはやはり、
非行性はそれほどないけれども
保護環境に恵まれない
子供たちを
親がわりで育て直すというような
イメージですね、
中心的なものは。
そうすると、例えば、
家出少年と人を殺したりしたという
少年が同じところで、処遇の内容は
強制措置とか
いろいろ違いは出るにしましても、
一緒に扱われるということが果たしていいのだろうか、特に
被害者や
一般社会の
方々が見られて納得がいくのだろうかという問題があるだろうと思います。
それからもう
一つは、
児童自立支援施設の
イメージも、さっきの
調査官や
児童福祉司と同じように、
福祉施設だと思ったけれどもそういう
人たちも入っているのか、まるで
少年院と同じではないかということになったのでは非常にまずいのではないか、そういうこともやはり考えていく必要があるのではないかと私は思っております。
ですから、
すみ分けの問題を考える場合に、もちろん
児童自立支援施設の方でも
大変努力をされておりまして、うまくできないと私は申し上げるつもりはありませんけれども、逆に
少年院の方でも
努力すればできないことはないだろうと思います。そうしますと、
すみ分けとして考えたらどちらがよりふさわしいのだろうかという
枠組み的なことをお考えいただきますと、あるいは
イメージの問題も含めて考えていただきますと、これはやはり
少年院の方がいいのではないか。
それから、
厳罰化ということも言われておりますけれども、例えば医療的な
措置でいきますと、やはり
少年院の方が充実しているだろうと思います。
それから、
少年というのは先が長いわけですから、予後が大事なわけですね。要するに、
施設に入れましても、出てきてから
社会復帰していく、そのプロセスが非常に大事なわけですけれども、これが
少年院ですと、例えば、期間が足りなければ
収容継続というのもできます。それから、仮
退院をして、その後、
保護観察で
環境調整をしたり、いろいろな
ケアをしていくということができます。それに対して、
児童自立支援施設の方はその後の
ケアができない、こういう問題もあります。
ですから、そういう
意味でいきますと、これは
本人にとっても不利益というばかりではないという気が私はいたします。その辺もお考えいただければと思います。
それから、
下限の問題ですが、これは、先ほど申し上げましたように、十四歳で機械的に切るというのは非常に困るわけでありますけれども、といって余り低い子はどうだろうかという御
心配があると思うんですけれども、例えば
イギリスなどは十歳あるいはアメリカやカナダでは七歳とか、そういう
下限がありますけれども、そういう国でも、
あと犯罪意思、
故意の問題ですね、
故意とか過失とかそういうところの問題でまた絞りをかけるわけですね。
ですから、
日本でも、
下限を外したからといって、本当にめちゃくちゃに
年齢の低い子が送られることになるかというと、それは当然、
家庭裁判所で絞りをかけるわけであります。
それから、
家庭裁判所が
少年院へ送っているということ
自体も、
統計でおわかりだと思いますけれども、
保護観察に比べれば、八対一とかいうような非常に絞り込んだ
運用をしております。そういうことから考えても、それほど御
心配になることはないのではないかと思っております。
それからもう
一つ、
保護観察の問題ですけれども、
遵守事項違反に対して
少年院に送る、あるいは
児童自立支援施設に送るという
改正については、私も理論的な
研究もいたしておりますけれども、理論的にはなかなか難しいものがあるというのは確かであります。しかし、
現行法上あるいは
法改正でできないことかというと、理論は何とかクリアできるだろうと思っております。
必要性がないかといいますと、非常に
必要性はある。これも、
少年審判官をやっておりますと、やはり
保護観察中の再犯というのは非常に多いわけでありまして、もっと
保護観察でしっかりやってもらいたいというのはずっとあるわけでありますね。しかし、その次の
処分というと、
少年院、
収容処分しかないわけですね。これは物すごいギャップがあるわけです。ですから、
家庭裁判所としては、できる限り頑張って、
社会の中で立ち直れるのであれば立ち直らせてあげたいということで、ぎりぎりのところを
保護観察にしているというのはたくさんあるわけです。そうしますと、
保護観察の現場では恐らく大変な御苦労をされているだろう。
お話も伺っております。
ある
意味で、今回の
法案が非常に変わったものになってくる原因の
一つは、
少年法の
保護観察というのは非常に特殊な
処分なんですね。諸
外国でも
保護観察はございますけれども、これは必ず、厳しいサンクションといいますか、問題があれば
処分を変更して
施設に入れるとか、あるいは制裁的な
対応ができるというのが普通の
枠組みです。それを使ってうまくやっているというのが大半のところだろうと思います。
日本の場合はそれがなくてやってきたわけでありまして、
虞犯通告というのがありますけれども、これは、
虞犯の要件が変わっているわけではありませんから、普通の
虞犯少年の場合と同じことでありますので、ですから、そこを緩めるという考え方もあるかもしれませんけれども、
虞犯を緩めてしまうと
虞犯少年一般に影響が及んできて、これも大問題になってしまうだろう。
そうしますと、やはり
保護観察を充実強化するという
意味で、こういった今回のような、
違反をして、まともに受けない、従わないというので非常に重大だという場合、そして将来的に非常に
心配だという子に限って、絞り込んで
対応するというのは、
一つの知恵ではないかと思っております。
ですから、本質的に
担保規定がないというのが、ある
意味では非常に変わっていたところでありまして、それを
運用上の
努力で今まで指導、説得して何とかやってきた。しかし、もうそろそろ限界に来ている。
保護者に対する指示の
規定なども
家庭裁判所でもつくったわけでありますけれども、要するに、今までだったら素直に聞くところが、何の
根拠があるんだということで聞いてくれない
人たちがふえているという世の中で、やはり
担保するものが必要になってきているという面は間違いなくあるだろうと思います。
それからまた、
運用の見通しでありますけれども、実際に
取り消し条件がついている仮
退院ですとか仮出獄の例を見ましても、
違反した場合に取り消して収容できるということになったからといって、それが多用されるということは余り考えられないんですね。
違反自体が重いという縛りもありますし、そこから警告をして、さらに
申請をして、その
申請に対して
家庭裁判所の方でも
調査をします。当然、
調査官は働きかけます。さらに、
審判段階での働きかけもあります。さらに言えば、その
審判で
試験観察にしてさらにチャンスを与えるということもできるわけであります。それをすべてやってだめな場合に
少年院に送られる場合が出てくるということになりますから、これで
少年院に行くのが非常にふえて大問題になるということはないだろうと私は思います。それぐらいの伝家の宝刀といいますか
担保の
規定は、やはりあった方がいいのではないかと思っております。
それから、
国選付添人の
選任の拡大につきましては、これも私も前から提言していたところでありまして、全面的に賛成でございます。
時間を超過して申しわけございません。御質問があればまたお答えしたいと思います。
どうもありがとうございました。(拍手)