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松本(大)
委員 大臣、お聞きになりましたか。こういうことなんですよ。
だから、感性って、何か、いじめと未履修の話でもこれはさんざん出ましたけれ
ども、全く同じなんですね。感性をはぐくむ教育というのは、実は文部科学省内でこそ最も大事なんじゃな
いかと思わざるを得ないですね。
この問題について、出版はしたけれ
ども、国立
国会図書館にすら納品しない。つまり、研究者の人すら目にする機会はほとんどなかったわけですね、奪われていたわけですよね。
しかも、では、対外的に、劣化しているという事実を、
認識は昭和五十六年一月にあると
答弁しておきながら、やってきたのかといえば、全くやっていない。
お手元の資料四ページですけれ
ども、資料四の一、二十五周年のときに、担当の
調査官が「これまでのところは異常はない。」というふうに記者団に答えている。めくっていただいて、これが三十周年のときですけれ
ども、同じ
調査官が「自分の見た限り、目立った変化はない」と
お答えになられているんですよ。(
伊吹国務大臣「どれ」と呼ぶ)
資料の四の一ですね、四の一。これが二十五周年のときの
文化庁の担当
調査官のコメントなんですけれ
ども、傍線を引いているところ、下の段ですね。「これまでのところは異常はない。」と
お答えになられている。めくっていただくと、今度は資料四の二というのが出てきます。上から五段目ですね。同じく、同じ担当者、
調査官のコメントとして「自分の見た限り、目立った変化はない」と。周囲は、発見時よりも全体に色がくすんだんじゃないのというふうに突っ込んでいるんですが、いやいや、自分の見た限り、目立った変化はないんです、こう否定しているわけです。
つまり、さっき
大臣がごらんになられて一目瞭然、もう既に昭和六十二年の段階で明らかに黒ずんでいるし退色もしていたのに、五十六年から
文化庁自身も気づいていたと文書で
答弁をしているにもかかわらず、当時は、実際には、二十五周年のときも三十周年のときも、問題ありません、異常ありませんと答えているわけですね。やはり、こういう体質、隠ぺい体質がずっと連綿と続いてきたことが結果として今日の
解体というリスクを余儀なくされている。とんでもない話だと思います。
直近の、これは二〇〇四年だったと思いますが、「
国宝 高松塚古墳壁画」というものに、序言、つまり巻頭言として
文化庁長官がコメントを寄せています。「幸い、三十年を経ても
壁画は大きな損傷あるいは褪色もなく
保存されております」というふうにコメントされていますね。
五十六年一月には退色を
認識しておきながら、もう線が薄れていると
認識しておきながら、しかも、今
大臣がごらんになられてもわかるように、だれが見ても明らかなのに、ずっと否定をし続けてきた。これは、結果として、
国民に対して長年にわたってうそをつき続けてきたということにはなりませんか。
大臣、
いかがですか。