○山花
公述人 前
衆議院議員、そしてJPU総合研究所の特別研究員の山花郁夫でございます。
本日は、こうした公述の機会をお与えいただきましたことを感謝申し上げる次第でございます。
また、以前先生方の方の席に身を置いていた者として、こういった
公聴会とかが開かれると、そろそろ採決なのかしらとか、そういうような皮膚感覚があるものですから、今、本田先生からも
お話があったように、これまでいろいろと積み上げられてきたものもございますので、ぜひぜひ一層
議論を深めていただきたいと思う次第でございます。
きょうは主に、これまで議事録も読ませていただきましたけれども、まだちょっとこの点については
議論が詰まっていないのではないかと思われる点を中心に
お話をしてまいりたいと思います。
そして、きょうはJPU総研という肩書で来ておりますけれども、一応この研究所はもろもろのことをやっているわけで、
国民投票法について
専門的にやっているところではございませんので、総研を代表してという立場でもないということも御了解をいただきたいと思います。また、きょうは研究員としての立場でも
お話をさせていただきたいと思いますので、場合によっては、後で挙げる具体例などが民主党の見解とはちょっと違うぞというところがあるかもしれませんけれども、お含みいただければと思います。
ところで、私ごとで恐縮ですけれども、十年ぐらい前までは、
公務員試験の資格の学校がございますけれども、そこで教鞭をとっておりました。もともと研究者志望だったんですけれども、自分としては主観的には研究者の卵ぐらいのつもりでいたんですが、残念ながら羽化することなく、そのままそういった世界で
憲法などについて教えておりました。役所の方で比較的若い期の方ですと、自分も経験があるんですけれども、お会いをしたときに、ああ、先生、先生になったんですよねという、よくわからないようなことを声をかけられて、おかげさまで合格しましたという話を聞くのはうれしいんですけれども、一方で、あいつのせいで受からなかったという人に余り霞が関ではお目にかかりませんので、その点は自戒をしながら
発言をしてまいりたいと思います。
役所出身の先生方もいらっしゃると思いますので御存じの方もたくさんいらっしゃると思いますけれども、例えば試験科目で、公法系の科目でいうと
憲法と
行政法がメーンの科目で、あとは民法だとか、今はちょっと試験
制度が変わりましたけれども、労働法だとか国際法も入ってきましたね、そういった
法律の系列の、当時、その予備校の方では主任研究員をやっておりました。そこでの経験で少し
お話をさせていただきたいと思うんです。
この
委員会の中でも、
国民一般に
憲法改正の
手続について御存じない方が随分いらっしゃるじゃないかという
議論がされていたように記憶をしておりますけれども、いろいろなアンケートのとり方があるんだと思います。
憲法改正の
手続、どういう
手続になるかわかりますかみたいな聞き方をしているようなところもあって、恐らくそんな聞き方をしたら、下手をすると
国会議員の方ですら本当に正確に答えられるかというのはかなり私は疑問があって、設問いかんによっては、広く
一般の方がわかるなんということはちょっと私は無理なのではないかと思っております。
例えば
公務員試験なんかですと、五肢択一で次の記述のうち妥当なのを選べというので、ひっかけの
選択肢が四つぐらいあって、
一つが正しいことを書いているわけです。別にここで試験問題を解いてもらおうという話ではありませんけれども、例えを挙げますと、
憲法改正の
手続というのは、
国会の衆参両院の
出席議員の三分の二で
発議をし、
国民投票で多数を占めたときに
改正されるんだというような
選択肢でいうと、
出席議員のところが違いますよね、総
議員ですよねとか、そういう世界なんですけれども、こういう五肢択一で正しいものを選んでくださいということですら、
憲法について一生懸命勉強している学生ですら、正答率というのは大体七割か八割ぐらいの世界です。五つの中から選びなさいというのですらその程度ですから、およそ、あなたは知っていますかなんという聞き方をしたら、ほとんどの人が答えられないというのはやむを得ないのではないかと思います。
ただ、一方で、
憲法という非常に大事な
規範についての
改正手続ですから、
国会というところで
発議をして、
国民投票ということがあって初めて
憲法が
改正されるんだという、せいぜいその
二つぐらいの要件について知っていますかというような聞き方で聞いてみると、多少は知っていますという方が多くなるのかなというふうに思っております。
さて、本日はそういう形で
お話をさせていただきましたけれども、あと
一つは、午前中も
議論があったと聞いておりますけれども、そういった
手続だとかあるいは
国民投票法について、今こういう
議論があるよということについて広報活動だとかそういうことをもっと頑張ったらいいじゃないかというような話もあったやに聞いておりますけれども、
委員長にも大変申しわけない言い方になるかもしれませんし、
理事の方もいろいろと御労苦があることは承知いたしておりますけれども、例えば、きょうはせっかくこういった
公聴会が午前、午後にわたって開かれる日なんですけれども、十三の知事選が始まるその日にやるということになってしまうと、どうしてもニュースバリューとしてはそっちの方に持っていかれちゃいますから、できれば違う日にセットしていただけたらよかったのかなというふうな感想を持っております。
それでは、きょう用意していた
レジュメのところで、いよいよ本題ということになるんですけれども、
国政の重要問題に関する
一般的
国民投票についてなんですけれども、もう少しこの点についてぜひ
議論をしていただきたいと思っております。
議事録なども拝見をいたしますと、フリーディスカッションのときに少しこの点について
議論があったということと、散発的に
発言があることがあるんですけれども、やるべきだという方もそうですが、いやいや必要ないんだよという方も、どうも入り口のところで話がとまってしまっているような印象を持っております。
これから、1のところは、授業のような言い方になってしまうかもしれませんので、少しかたい話になるかもしれませんが、
国政の重要問題について
一般的な
国民投票を行うということは、あたかも
憲法四十一条に違反するのではないかというような言い方がされることがあります。ただ、民主党案について言うと、これはあくまでも諮問的なものですよということを改めて申し上げたいと思います。
その上で、いや、諮問的なものとはいっても事実上
国会が拘束されちゃうじゃないですか、だからだめなんですよという
議論について申し上げたいと思うんですけれども、やはり事実上拘束力がありますよねという話と法的な拘束力がありますよねということは、全く質的に異なるものであります。例えとして適切かどうかわかりませんけれども、例えば、最高裁判例に先例拘束性があるかという有名な
憲法上の
議論があります。これについては、日本というのは判例法の国ではなくて
制定法の国だから、あくまでも事実上の拘束力があるにすぎず、法的拘束力はないんだと説明をされるのが
一般的な学説です。
つまりは、事実上の拘束力があるからといって、例えば下級裁判所の裁判官に裁判所の独立、司法権の独立は要りませんよねという
議論にならないのと同じように、事実上の拘束力があるからといって、
国民代表たる
国会議員の役割が何かおかしくなっちゃうんじゃないかというような話には私はならないのではないかと思います。また後で述べますように、その事実上の拘束力があるということの中身についても、いま一度具体例を挙げて
検討をしていただきたいと思う次第でございます。
次の点に移ります。
四十一条に反するという言い方をされるときと、もう少し抽象的な言い方で、代表制民主主義に反するではないかというような
議論がされることがあります。参
議院の
委員会では、前文が引用されてこのような
議論がされていたと承知をしております。
私の
意見で申しますと、
一般論として言いますと、何でもかんでも
国民投票にしてしまえという発想には私は極めてネガティブな人間です。つまりは、本当に大事な重要
課題については、時としては、
国民の多くの人が
賛成はしないけれども、それでも政治の責任でしっかりと説得をして、むしろ世論を変えていかなければいけないケースもありますし、何か
判断に困ったときに、まあいいや、
国民投票にしてしまえということになると、そういった
意味では政治が極めて無責任になってしまうからであります。
ただ、
日本国憲法上、代表制民主主義を原則としておりますけれども、例えば、世界の
憲法を見ても極めてユニークな
制度ですけれども、最高裁判所の
国民審査というユニークな
制度がございますけれども、ほかに地方公共団体に関する
住民投票など、直接民主主義の
制度を補完的に組み合わせた
憲法となっております。これを限定列挙とするか例示列挙と解するかというのは、学術的には極めてまずかったかなと思うんですけれども、通説的にはこれは限定列挙であるということでほとんど決着がついている話ではあるんですが、ただ、問題はそういうことではなくて、例えば、諮問的な
国民投票ということに対して、現代の民主主義社会においてそれをどう評価するかということを私は申し上げたいと思います。
つまり、例えばドイツという国では、私が聞いて知っている限りでは、直接民主制というのは絶対にやっちゃいけないことだ、間接民主制こそが本当の民主主義だ、ドイツの人たちはそういった考え方でコンセンサスがあると聞いております。
なぜかというと、やはり歴史的な背景があって、あのナチス・ドイツというのは、直接民主制の中からああいう経験を我々ドイツ人はしてしまったんだ、だから絶対にああいうことはやっちゃいけないんだという、そういったコンセンサスがあると聞いておりますけれども、同じような認識を例えば我が国での代表民主制に対して持つのか。そうではなくて、いやいや、直接民主制的なやり方、手法というのも
一定の間接民主制を補完するやり方ですよねという、むしろそういうことを積極的に評価するのか、これは極めて政治的な決断を必要とするテーマではないかと思います。私は後者の立場に立ちたいと考えているわけであります。
また、我が国の各種
世論調査においても、大事なことはやはり直接決めたいというふうに答えている方がたくさんいらっしゃいます。少なくとも日本においては、ドイツ的な、つまりは間接民主制こそが本当の民主主義なんだというようなコンセンサスは我が国ではないのだろう、むしろ直接民主制に対するアフェクションのようなものが
国民一般にはあるのではないかというふうに私は認識をしております。
もっと言うと、およそ
選挙で人を選ぶというときも、例えば経済政策についてはだれだれ先生を、安全
保障についてはだれだれ先生の言うことを信じてついていきます、ただ、生命倫理については私は考え方が違いますよという、恐らく
選挙を経験されている方は、
支援者の方からそういうふうなことを、個別のテーマはともかくとして、言われたことがある方がほとんどではないかと思います。つまりは、幾ら間接民主制だといっても、すべからくすべてのことについて任期中丸投げをしますという
有権者の意識があるかというと、やはりちょっと留保したいよねという
部分があるのだろう。そこをどのようにつないでいくかということは私は大事なことだと思いますし、ましてや、ここは参
議院ではなくて
衆議院の場ですのであえて言いますが、
衆議院というのは、少なくとも
現行法を前提にする限り、小
選挙区制で選ばれております、多数代表制です。つまりは、少数
意見は特に当
委員会は尊重されているなと思っておりますけれども、そういった少数
意見よりも多数の方の意を体して皆様議席を持っているわけですから、留保された条項についてあなたにすべて丸投げで白紙委任したわけじゃありませんよという、その
有権者のことについては何らかの対応をとる、直接民主制的なことで声を聞くという仕組みについてぜひ御
検討をいただきたいと強く思う次第でございます。
さて、先ほど
一般的な
国民投票といっても事実上拘束力があるじゃないかという
議論でとまっちゃっていますよね、という言い方をあえてさせていただきますが、その中身についてもうちょっとよく
検討してほしいと思うんです。
つまりは、例えとして適切かどうかはさておき、義務教育を高校までにしようという政策があったとします。これは義務教育を例えば高校まで無償化するという話ではありません、義務教育を高校までにしますというテーマがあったとします。
形式的な理屈をいえば、これは
法律で変えればいいことですから
法律事項なんでしょう。しかし、一方で、戦後六十年間にわたって、
国民の中では義務教育というのは中学までというのは、ほぼ準
憲法的な、
憲法習律と言ってもいいような形になっていると思います。また、
憲法上の対立利益もあります。義務教育を終わった子、子と言っては失礼かもしれませんけれども、終わった段階で、例えばおそば屋さんを継がなきゃいけないとか仕事をしなきゃいけないという、職業
選択の自由に対して
一定の制約を課すという話にもなりますから、例えばこういうことについて、もしそういうことであるとすると、
一般的な
国民投票になじむ話ではないかと私は思います。違うという
意見もあるかもしれませんが。
もし仮にそういうようなことについて
国民投票をやったとしましょう。そして、本当の僅差で否決をされたけれども例えば
世論調査では圧倒的に未成年者層は
賛成していたとか、逆に、
一般的な
国民投票で僅差で可決したけれども圧倒的に
世論調査では未成年者は反対していた、つまりは当事者がこうだったというようなときに、本当に事実上の拘束力があって、僅差でともかく可決したんだからということで
国会がそれに従って動かなきゃいけないだろうか。あくまでも諮問的なということは、そこに法的な拘束力がないという妙があって、その上で、子供たち、当事者がこう言うというのであれば、大人でいらっしゃる先生方がもう一回考え直そうとかそういうこともあり得るかもしれない。
また、これも例として適切かどうかわかりませんけれども、皇室典範を
改正して女性天皇を認めよう、あるいは女系天皇を認めようという
議論があったとします。これも釈迦に説法ですけれども、皇室典範というのは、法形式上は
法律の形をとっていますから、
国会で決めたとして
憲法違反だという
議論にはならないんだと思います。
一部学説には、天皇というのは世襲と
憲法上
規定しているので、世襲というのは血の承継である、世襲というのは、つまりは男系男子でなきゃ事実上いけないんだという学説もあることはあります。その説に従うと、女性天皇、女性はいいのかな、女系天皇を認めるというのは
憲法改正が必要だということになるわけです。ただ、私は学説として説得力のある話だと思いますけれども、確信も持っていませんので、そこのところについて
憲法改正手続が必要だとは思っていないんですけれども、むしろこういったことについては、これは私見ですけれども、ちゃんと
国民投票でやるべきではないかと思っております。
つまりは、
憲法典に
規定されていることは、本当にささいなと言っては怒られるかもしれませんけれども、極めて技術的なことからいろいろな種々雑多なものが入っています。また、本来であれば
憲法に
規定すべきことが
法律に落ちているケースもあります。私は、皇室典範の点についてはその一例だと思いますけれども。
さて、その上で、例えば女性天皇あるいは女系天皇をつくりましょう、容認しましょうということについて
国民投票をやったとして、僅差の過半数でゴーサインが出た、ゴーサインというか
賛成が多かったというときに、私は、それは本当にその結果を受けて皇室典範を
改正していいんですかねと申し上げたいと思います。日本
国民統合の象徴たる天皇をどうするかということについて、やはりそれは、どの程度が適切かということはわかりませんけれども、
国民投票をやるんだとすれば、七割、八割ぐらいの
賛成がなければやるべきではないと思います。これをもし
憲法改正の正規のルートでやるとすると、一票でも多ければ、もう発案されているんですから、それで
憲法改正しますという話になってしまいますが、諮問的な
国民投票だからこそ、その
投票結果を見た上でどうしましょうかねという
判断ができるのではないか。
つまりは、事実上拘束力があるからだめよねという極めて抽象化したレベルで話をされると、うん、そうかなと思っちゃうんですけれども、こうやって具体的なケースを
想定して、本当に事実上の拘束力というのがどの程度のものなのかということについては、これまでこの
委員会の中でも余り
議論をされていなかったように見受けられます。
ちょっと先を急ぎますけれども、そういった
課題について、ではどういうテーマがなじむのということについては、これはあらかじめ類型化してこういうテーマ、こういうテーマという話にはなりにくいのであって、その時々の具体的な状況に応じて
判断をしていく。そして、例えば各会派で
国民投票をすることについて認識が一致をすれば、我が党はこれについては反対だけれども
国民の皆さんに聞いてくれ、多分
国民投票をやれば反対が多数を占めるからとか、そういうことで
手続についても工夫をしたりとか、先ほど申し上げましたように、過半数だから自動的にゴーサインという話じゃないんですよというコンセンサスを得ながらやっていくということも考えられるのではないかと思うわけであります。
最後の方になりますけれども、こういった
一般的な
国民投票は認められないと主張されている見解を読ませていただくと、大きく分けると二とおりあるんだと思います。
そもそも認められませんという話なんですけれども、先ほど申し上げましたように、そもそも認められないという
規範は私は存在していないと思いますし、いろいろな工夫のしようがあるということを申し上げたいと思います。
また、それは
憲法改正の
国民投票とは区別すべきでしょうという話、これは理解できるのですけれども、では、どうして今一緒に
議論することがだめよという話になるのかは、ちょっと私には理解がしづらいところであります。あくまでも、どういう人たちに
投票権を与えるのかとか
投票方法をどうするかという技術的な面ですから、ほとんどかぶるところがあるわけでありまして、一体、今
議論をしないでいつするのだというような思いでございます。
ほかにもいろいろと申し上げたいことがあるんですけれども、時間でございますので、こういった点なども引き続き御
議論をいただいて、しっかりと合意のもとに進められることを望む次第でございます。
以上です。(拍手)