○逢坂
委員 このふるさと納税というのは、一見、ちょっと聞くと、非常によい、ああ、そういうものがあるといいねと、多くの方がそういうふうに言う性質のものだというふうに思うんですが、税制でありますとかあるいは日本の都市と地方の
関係でありますとか、そういうことをいろいろ考えてみますと、やはり相当
課題も多いのではないかというふうに私は思っております。
まず一点目ですが、先ほど大臣、ライフスタイルの変化に今の税制がついていかなくなったという話をされましたが、それは、ライフスタイルの変化に今の税制がついていかないのであれば、税制
そのものを、例えば
交付税というものをどうしたらいいのかということをもっと真剣に
議論しなければいけないし、あるいは、例えば介護保険の財源なんかを見ても、あれは保険者の範囲の中だけのお金でやっているわけではございませんよね、国の税金も入っている。それはまさに、田舎から都市へ出てきた人
たちの税も介護保険の財源の中に入っているわけですから、要するに、所得、富を再配分していくという機能は、本来的にはやはり税制で担うべきものだろうというふうに私は考えるんですけれ
ども、この点いかがかということが
一つ。
それから、恩返しをしたいという言葉が、大臣の言葉の中から出ました。田舎でおれは育って今都市へ出てきている、育てられた田舎、あそこに
自分の人格の原点があるんだ、あの田舎に恩返しをしたいなと。でも、恩返しをしたい、したくないというものを税でやるべきものかということについては、私は極めて疑問であります。というのは、恩返しをしたいのであれば、それは寄附でありますとか、そういう
自分のまさに恣意性、自主的な判断が大きく及ぶものによってやるべきでありまして、税制でやるのは税の根幹を揺るがすのではないかというふうに思っているんです。
実は、税を納める人
たちのことを納税権利者とは言いませんよね、納税
義務者というふうに言うんです。
義務なんですね。それで、しかも、これは本来、
国民の
皆さんに聞いたら、税は納めたくない、あるいは税は少しでも安い方がいいというふうに多くの方は多分おっしゃると思います。すなわち、税というのは最小限のサイズで行ってもらいたいというのが多くの
国民の思いだと思うんです。なぜ最小限であるかというと、
一般に使うお金と税というのは性質が違うからですね。
大臣の財布の中には一万円札が入っているかもしれません、私の手元には千円札しかないんですが、千円札持ってコンビニに行って六百円のものを買ったら、六百円の物品と四百円のおつりが来る。これが日常のお金であります。ところが、税にはこの性格はないんですね。どんなに大臣が百万円納税しても、大臣のところへは役所から直接的に百万円分のサービスは来ないんです。私が、ちょっと余り縁起でもないことは言いたくないんですが、次の選挙で落選をして、無職、無収入になって全く生活に困るというふうになると、当然納税はしないわけです。納税はしないけれ
ども私のところにサービスが来るわけでありますね、生活保護の形で来る
可能性があるわけです。すなわち、
一般の市場のお金というのは、みんなが合理的に納得できる、払ったお金と受ける対価が一致しているから合理性がありますねというふうに言えるわけです。
ところが、税というのはそうではないわけですね。払ったお金と受けるサービスとの間に一致の
関係がないわけですから、市場の目線で見ると税というのは極めて不公平なものなわけです。だからみんなは、税の
必要性は
理解しつつも、税で
実現する価値というのは少ない方がよいのではないかというふうにベクトルは向くわけです。だからそこに、
個人の判断で自由に納められるというような自主性というものをなるべくそぎ落として、小さくしていっているのが税制だというふうに思うんですね。
そういう
観点から考えますと、思いを
実現したいというところに税制を使うのはいかがかという気がするんですが、二点について。今の税制がたえられるかということは、それは本来の税制の中で考えるべきだろうという
質問と、恩返しの思いを
実現したいということであるならば、税制ではない、例えば寄附などでやるべきではないかということについて、いかがでしょうか。