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大串委員 ありがとうございます。
今回、リスク
調整の重要性について改めて認識されたということでございますし、今、
日銀総裁がおっしゃいましたように、このリスク
調整、
財務大臣にもお願いしたいんですけれ
ども、
金融市場の一方的な
動きに関するリスク評価のあり方はぜひ強く気にとめていただいて、今後の
政策運営あるいは国際
会議の中では、その点に関して、留意し、発言していただければというふうに思います。
さて、ここで、
日銀の独立性というものに関して
議論を進めさせていただきたいと思います。
先ほど
近藤委員の方からも
議論がありました、ことしの一月、二月にかけて
政策決定
会合での
動き。一月に
利上げが行われると思われていたものが、一月には行われないで二月に行われることになった、その間に政治的な
影響力の行使があったのではないかという論点でございます。
特に今回難しかったなと私思えるのは、政治の
影響力が
金融政策にあってはいけない、これは国際的な合意といいますか常識でございます。
日本の議院
内閣制を前提とすると、政治の圧力というのは、もちろん
政府からも来得るし、あと与党というものからも来得る、このことを今回痛感したわけでございます。ただ、与党というものをいわゆる
日銀法という仕組みの中に反映していくのは非常に難しいなという感じがします。
日銀法を改正されました。
日銀法を改正されていわゆる
政策決定
会合というものをつくられ、透明性が
向上されて、実はこの新しい
日銀法は、世界の中央銀行法を参照されてつくられたと言われていまして、透明性あるいは独立性などの点においては非常に高い水準になっているというふうに言われています。しかし、それを、議院
内閣制、与党のあり方、野党のあり方、この
日本の政治制度の中において考えると、本当にこれだけで十分なのかという論点はあろうかと思います。
私は、法律で決められることと決められないことがあるんじゃないかと思います。法律で決められることは、世界水準からして独立性、透明性に関してはこれだけ。それ以外の、例えば、もし
日本の政治制度の中でもっと透明性や独立性を高めていくために法律以外で何かあるかということも考えていかなければならぬということもあるんじゃないかと思うんですね。
その点で私が非常に重視するのは、法律がそういうふうに独立性、透明性が非常に高い法律になっているのであれば、さらに一歩進めて、
日本の場合には、実践面、つまり、
総裁も含めて
日本銀行の
方々の日ごろの言動、行動、そういうところで独立性やあるいは透明性が非常に高いという信認を受けることが非常に大切なんだろうと思うんです。
そういう点から、
一つ一つ、きょう
委員会の中で確認させていただきたいということがあります。
こういうふうに
政府と
日銀が独立しているということから考えると、私、いつも前から非常に違和感を覚えていたものがあります。
政府のいろいろなステートメントの中にこういう文章が出てくるんですね。これは、ことしの一月二十五日に策定されました「
経済見通しと
経済財政
運営の基本的態度」というものですけれ
ども、これは皆さんお読みになっていることだと思いますので御存じだと思いますけれ
ども、その中に、「
政府・
日本銀行は、
マクロ経済運営に関する基本的視点を共有し、
物価安定の下での
民間主導の持続的な
成長のため、一体となった取組を行う。」こういうふうに書かれています。これは「
政府・
日本銀行は、」が主語になっていて、「一体となった取組を行う。」と、行動の面まで含めた書き方になっているんですね。
ところが、その次のページを見ると、
金融政策運営に関して、「
政府は、
日本銀行に対して、
政府と
マクロ経済運営に関する基本的視点を共有し、
政府の
政策取組や
経済の展望と整合的なものとなるよう、
市場の動向にも配慮し、実効性のある
金融政策運営に努め、引き続き
金融面から確実に
経済を支えることを
期待する。」と書かれているんです。
ここは、やはり
日本銀行法の四条の読み方が非常に大きいのではないかと思います。
日本銀行法四条で
政府との関係というのが書かれていて、「
日本銀行は、その行う
通貨及び
金融の
調節が
経済政策の一環をなすものであることを踏まえ、それが
政府の
経済政策の
基本方針と整合的なものとなるよう、常に
政府と連絡を密にし、十分な意思疎通を図らなければならない。」こう書かれています。
財務大臣と
日銀総裁、両方にお尋ねしたいんですけれ
ども、私は、この四条の読み方、何を求められているかというと、
日本銀行の方に求められているものは、
政府と十分な意思疎通を図る、これが求められているんじゃないかと思うんです。その結果として、
経済政策の
基本方針が
政府、
日銀で整合的になっていく。これは結果としてそうなっていくであろうということが
期待されている。だから、書き方として「整合的なものとなるよう、」「十分な意思疎通を図らなければならない。」求められていることは十分な意思疎通なんですね。
福井総裁、いかがでしょうか。ここで求められているのは、行為といいますか、
政策の具体的なあり方まで一体的でなければならないというふうに求められているのではなくて、最終的に一体的になっていくように、意思疎通さえ十分にしていれば、
経済状況に関する認識さえ一致していればおのずと一体になるであろうという見込みのもとに、十分な意思疎通を図ることだけ、これだけが求められているんだと私は思いますけれ
ども、
日銀総裁はどういう思いでしょうか。