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大島(敦)
委員 民主党の
大島です。
雇用に関する議論というのは非常に地味な議論でして、私も七年間、一番最初が
労働委員会という極めて地味な
委員会に所属をしておりまして、なかなか希望者が少ない
委員会だったことを思い出しながら当
委員会に所属をしておりまして、今御
出席いただいている
委員の方には心より敬意を表させていただきます。
やはり今の
労働行政に対する議員の興味のあり方というのが意外と少ないなと思いまして、極めて地味な議論を積み重ねていくのが
雇用の施策だと思っておりまして、その中で、何点か、一時間にわたり、柳澤
大臣初め皆様と議論をさせていただきます。
今回、私たちの政党としては、
雇用基本法として、
雇用対策法にかわる
雇用基本法を
提出させていただいております。これは、やはり
雇用というのは非常に大切だと思うからでございます。
したがいまして、まず過去を振り返って、一九八五年のプラザ合意に始まり、一九九五年以降の景気が後退した時期、そして二〇〇〇年以降、ある程度景気がよくなった時期、それぞれ
雇用の対策というのは変わってきた。恐らく極めて激動の二十年あるいは十年だったと自分は考えております。これは、柳澤
大臣も御専門が金融経済だと思いますので、八五年のプラザ合意以降の日本経済のあり方について、経済と、あともう
一つは団塊の
世代、よく言われている団塊の
世代の皆さんの
処遇の問題だったかと思うんです。
ですから、一九八一年に自分が学校を卒業して民間の会社に入ったとき、そのときには、団塊の
世代の態様として、まずは皆さんが役職につけなかったわけですよ。団塊の
世代よりも上の方たちは人数がそんなに多くなかったものですから、係長になって、課長になって、部長になって、大体
一つの組織の段階を上っていけたんですけれども、団塊の
世代の方たちは皆さんが課長になれなかったものですから、会社によっては主任部員制度という、給与は同じなんだけれども役職につかないという、創意工夫をしながらしのいできたのが一番最初の団塊の
世代の皆さんなのかなと。
特に、前回も御
指摘させていただいたんですけれども、やはり一九九五年以降の景気の後退期と団塊の
世代が日本の
雇用のあり方を大きく変えたのかなと思っていまして、自分が会社をやめたのも一九九五年なものですから、極めて、九五年以降の
雇用のあり方、そして二〇〇〇年以降本当に深刻になってきて、二〇〇二年か三年ごろから徐々によくなってきたということだと思います。
その中で、
雇用で、団塊の
世代ですから、働く
立場の
人たちは大分譲ってきたわけですよ。譲ってきたというのは、例えば、今、坂口元
厚労大臣がいらっしゃいますけれども、効き目があったかどうかはともかくとして、ワークシェアリングというのも
労働側としては受け入れたり、あるいは、
労働組合に入っていらっしゃらない方も、自分の会社を守るためにボーナス返上なり基本給を下げるなり、さまざまな
努力をする過程というのが一九九〇年代に行われたのかなと思っていまして、大分
立場を譲ってきた割には、今の経営者の皆さんはその思いを理解されていないと私は率直な感想を持っていまして、ちょっと悪乗りし過ぎているのではないかなと、下品な言葉を使えば。やはり今まで日本のサラリーマンが、ある程度自分の家族なり自分の所得を犠牲にしながら会社を守ってきたという、その気持ちを理解されていない経営者の方がふえたのかなというのが自分の今の実感なんです。
ですから、これまで、例えばこれから議論させていただく派遣法の
改正にしても、
有期契約の
改正にしても、団塊の
世代の皆さんのミスマッチ、アンマッチを解消するために大分譲ってきたところがあるわけですよ。ですから、その譲ってきた上に、今それをさらに、これはもう譲ったんだから当然だということで、経営者の皆さんが、人件費というコストは国際競争力には極めて悪
影響、大きなファクターになるからできるだけ抑えてくれよというのは、ちょっと私の価値観、私の現状の理解からすると無理があるのかなと思っております。
それで、今回、
雇用のあり方について、もう
一つまた
冒頭に述べるとすれば、この間、高校の先生の方、四十代の方とお話ししまして、一九九〇年代に子供たちがどういう気持ちのあり方を持ったのかというのがありまして、お父さんがちょうど今言った団塊の
世代ですから、リストラに遭っているわけですよ。会社をやめなくちゃいけないお父さんたちが非常に多くて、それまでは、自信を持って自分の子供に、おまえら勉強しろ、勉強すれば報われる、そういうことを言えた
時代があったわけですよ。多くのお父さんたちが九〇年代にリストラをされると、自信を失って、子供たちに勉強しないと将来大変だぞということを自信を持って言えなくなったということを伺いまして、これが、今の
若年者の
雇用に対して、家庭の中でなかなか自信を持ってお父さんたちが言えないところがあるのかなと私は思っているんです。
ですから、これからの
雇用政策を考えるときには、新しいモデルをつくらなければいけないなと自分は思っているんです。これまでのモデルというのは、自分はちょうど今五十になりまして、自分が二十四のときに、一九八一年、昭和五十六年に会社に入ったときには、別に給与明細なんて見なくても、大体課長なり部長なりの後ろ姿を見ていれば、自分の人生はこんなものなのかなというのが想像できたいい
時代だったんですよ。その
時代が今消えているわけですね、モデルがなくなっている
時代。その中で、
若年者、
若者たちに働けと言っても、なかなかモデルが見つからないと思うんです。
この間、学校の先生、今結構有名な経済評論家の先生とお話しして、学校で教えていらっしゃいまして、ちょうど偏差値が五〇ぐらいの学校なんですって。ゼミが二十六人いて、その二十六人のゼミ生に、どういう
社会がいいかと聞いたわけですよ。まじめにこつこつ働けばある程度成功できる
社会がいいのか、あるいは一発逆転の
社会がいいのか、手を挙げろと言ったら、二十六人みんなが一発逆転の世の中がいいと手を挙げるわけですよ。
今、私は、
仕事というのは、まじめにこつこつ働けばしっかり報われるというモデルを私たちの
社会が提供しないと、我が
社会はもたないなと思っているわけなんです。あるCMで、普通の人が普通に働けば家を買えるなんというCMがありまして、これは非常にいい表現だと私は思っているんです。普通の人が普通に働いて家を買える。今は、大学を出ていても、三十代で普通の人が普通に働いても結婚できない
社会になっているんです、契約社員とか派遣社員ですと。これは改善しないと、今多くの
委員の方が御質問されたように、ちょっとこの我が
社会が、難しい言葉で言うと持続可能性、もたなくなっているのかなと思っているんです。
ですから、その点につきまして、私ばかりがしゃべってもしようがないものですから、まず、
大臣の方から現状認識、特に、一九八五年のプラザ合意のときに日本の産業界はすべて合理化というアクセルを踏んだんですけれども、私はたまたまヨーロッパで海外駐在をしていて、自分は逆に、合理化というアクセルを踏むな、できるだけ残業をするのはやめてサボった方がよかったのかなと思っておりまして、多分当時から、今でも、世界が求めている内需の拡大というのは、君たち、一生懸命合理化するのも大切なんだけれどももっと内需を拡大してくれというのがいまだに世界の要求かなと思っています。
その点について、柳澤
大臣が経済に携わっていらっしゃいまして、特に九〇年代のあり方についてどうお考えなのか、それとあと、
雇用の問題についてどういう認識を持たれているのかについて、まずは
冒頭お聞かせいただければ幸いです。