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新崎参考人 新崎です。
私は、
沖縄から見た
米軍再編の問題について話をさせていただきたいと思います。
米軍再編それ
自体は、繰り返されていますように、
アメリカの
世界的
戦略の一環ですし、
日米同盟あるいは
日米の軍事的
協力を目指すものですけれども、
沖縄の地位というのは、既に
日米再編協議の
合意文書あるいはこの
法案の中においても、特に
沖縄県とか
沖縄住民、あるいはその
負担軽減というような文言が登場していることからも明らかなように、
日米同盟の中で極めて重要な
位置を占めていると考えます。
その重要な地位というのは今急に起こったことではなくて、ある
意味では、
沖縄、
日本、
世界を貫く戦後の歴史、現代史の中で一貫して続いてきたことであると私は思っております。そういうことを、限られた時間の中ですので、簡単なメモを皆さんにお配りしてありますけれども、このメモに沿ってお話をさせていただきたいと思います。
まず、
日米関係の中の
沖縄ということを考える場合に、まず最初に、現代の歴史の出発点として、
沖縄戦というものがあります。
日米両軍はここを地上戦の戦場としました。そして、その戦場での
米軍の勝利に引き続く軍事占領がその後続けられました。
日本は、ポツダム宣言を受諾して敗戦を受け入れ、そして連合国軍の支配下に置かれましたけれども、
沖縄では名実ともに軍事占領が継続されます。これは、
アメリカの占領
政策の上で、
日本を非武装化するという
政策の裏側で
沖縄を分離、軍事支配し、要塞化するという
政策がある
意味では貫徹されたわけです。
そして、
日本がいわゆる主権を回復した対日平和条約の第三条によって、
沖縄は
日本から分離され、主権国家の規制を受けることなく、
国内法的な制約を受けることなく
基地が
建設でき、
基地が使用できる
状況に置かれたわけです。いわば、
沖縄は
日米同盟、
日米安保体制を外側から
強化する
役割を割り振られてきました。
しかし、これに対する、
アメリカの軍事支配に対する民衆運動の高揚とかベトナム戦争への介入による
アメリカの
政策破綻の中で、
沖縄の排他的支配が維持できなくなった段階で、
アメリカは
基地維持の責任を
日本に転嫁するという形で
沖縄返還というものが実現していくわけであります。
こうした戦後の歴史をるる述べている時間はありませんので、話は飛ばして、九〇年代の中ごろ、つまり九五年の
沖縄における米兵犯罪をきっかけとする
沖縄の民衆運動が起こって以降の話を次にさせていただきたいと思います。
この背景には、東西冷戦の終えん、そして東西冷戦を前提とした
日米安保の再定義、そしてそれを
沖縄に適用する形でのいわゆるSACO
合意というものがこの中期、九五年、九六年、九七年という段階で進んでくるわけです。
このSACO
合意というのは、ある
意味では、
沖縄の民衆への、これまでの東西冷戦の軍事的拠点であったこと、東西冷戦が崩壊したことに対する平和への配当として、
米軍基地の整理、縮小、撤去、そして
日米地位協定の見直しを求めるというものに対する回答がこのSACO
合意でした。
しかし、このSACO
合意は、
基本的には、いわゆる七五%
在日米軍基地が
沖縄に集中しているという
状況を七〇%に切り下げる。
沖縄の
基地を二〇%少なくする。
基地そのものは
沖縄に、拠点は封じ込めておく。そして、老朽化した
基地を
日本の資金でコンパクトな最新鋭
基地につくりかえるということが根幹でした。したがって、九七年十二月の名護市民投票を初めとする民衆の抵抗によって、ほとんど進展しない
状況が続きます。
ただ、この間、北部振興策とかSACO関連交付金とか、それから軍用地所在市町村活性化事業等によって、
地域社会に大きな亀裂が生じたことは言うまでもありません。
地域に生じた亀裂というのは、
反対で一色だった
地域が
基地容認派との間で亀裂を起こしていくということです。それは
地域社会に亀裂を生じさせただけではなくて、
家族とか兄弟とかも賛成派と
反対派に引き裂いていくという、ある
意味では社会の破壊という結果を生んできました。
そういう中で、いわゆる
米軍再編というものが次の段階として、安保再定義の次のステップとして進んでくるわけです。そして、その中で、少なくとも
沖縄から見たときに、いわゆるSACO
合意の積み残しを、その部分的修正を含めて、一挙に加速し解決しようとしているというぐあいにこの
米軍再編というのは見えます。
そして、この
米軍再編というのは、従来の東西冷戦
対応型の
沖縄の
基地の
役割というのを大きく変化させ、これは
沖縄基地だけではなくて、こういう東西冷戦
対応型の重厚長大な
基地を、もっとさまざまな種類の
基地を組み合わせたネットワーク型の
基地網で、いわゆる
アメリカの言う対
テロ戦争等にも
対応できるような形に組みかえようというのが
米軍再編です。
その
意味では、特に
海兵隊基地としての
沖縄の
基地の軍事的
役割は、相対的には低下していると思います。しかし、にもかかわらず、
日米両
政府にとってその政治的
価値はむしろ
増大しているということがこの間立証されているように思います。
そういうことを踏まえて、この
米軍再編円滑化
法案というものを見てみたいと思います。
これに対しては新聞、ジャーナリズム等も、
余りにも露骨に、目先にニンジンをぶら下げて、例えば
基地建設のためのしりをたたいていく、あめとむちの
政策であるというような言われ方をしています。そういう
側面があることも間違いないように思います。
ただ、私は、それよりも危険な
要素というか、そういうものもここには含まれているように思います。
参考人としてここに
出席するということになってから、こちらから送られてきた資料があります。こちらの
安全保障室の資料に書かれているところによると、この
再編交付金の従来の
基地関連交付金等との違い、国庫補助金等との違いはどこにあるかというと、いわゆるソフト事業も対象にしているところに特徴があると指摘しています。
従来は、
基地関連市町村等に配賦される補助金その他はいわゆる箱物をつくる、そういうことでさまざまな計画がなされ、お金が出される。しかし、できることはできるけれども、その運用の
経費は全然見られないので、そういう面で行き詰まりを生じている。そういう地方
自治体等から、もっと自由に使える金をということでソフト事業も対象にしているということのようですが、この
法案だけでその詳細がわかるわけではありませんけれども、今、この資料で、いわゆるソフト事業を対象としているのはなぜかという理由づけの中でそういう
説明がなされております。
ただ、では、自由な金ができていいのかというと、これはあくまで時限立法です。十年たったらなくなります。そうしたら、その次はどうなるんだ。つまり、安易に予算規模が膨らんで、そしてそれがぱったりなくなるという段階で、どのような
対応を地方
自治体はとらなければいけないのか。
他力依存、ある
意味では
基地依存のこの
政策は、あめとむちというより、場合によっては麻薬とむちになりかねない、
地域社会の腐敗を深めてしまうおそれがあるというぐあいに、私は、現地でこれまで、
基地周辺整備事業、あるいは
基地所在市町村活性化事業、いわゆる島田懇事業等の具体的ケースを目にしながら痛感しているところであります。
この
米軍再編円滑化
法案のもう
一つの柱は、
グアムとは明記していなかったと思いますけれども、
アメリカ合衆国における
基地の
建設に対してお金を出す、そういういわば新たな段階に
日本が踏み込もうとしている。そして、その必要性は、
沖縄県の
住民の
負担軽減の
観点からということがしきりに強調されております。ここに、私は、先ほど言った
沖縄に対する軍事的利用だけではなくて、政治的な利用が非常に浮き彫りにされているというふうに認識せざるを得ません。
海兵隊の
グアム移転というのは、
アメリカの
世界的な、軍事的な
再編の一環として行われるのであって、
沖縄の
負担軽減の
目的として行われるものではないということは、ローレス等
アメリカ側の交渉の当事者たちが繰り返し言っていることです。結果として
負担軽減になるかもしれない、しかしあくまで
抑止力の維持
強化が
目的なのだということは、強調されているとおりだと私は思っています。
目的とするものでもないにもかかわらず
沖縄の
負担軽減というのが非常に大きくクローズアップされているというのが問題だと思います。
それから、ここで、例えば
海兵隊の要員八千名とか
家族九千名が
グアムに移る、それだけ
負担軽減になるということがしきりに強調されています。
沖縄タイムスの昨年五月十九日の紙面に載りましたけれども、
沖縄タイムス社が在沖
米軍にこの問題について照会をした。
沖縄には一応一万六千だか八千だかの
米軍がいることになっていて、そのうちの半分が
グアムに行くということになっているそうですけれども、この去年の五月の時点で、
沖縄にいる
海兵隊の数は一万二千五百三十人だそうです。これから八千人引いて四千人になるのか、そうではないのか。つまり、軍事
基地の実態というのは机上の数字とは決して符合するものではないという
側面があるように思います。
それから、
家族九千名の問題ですけれども、このとき、この時点での
家族の数は七千九百十名だそうです。
沖縄タイムスの記事でも、九千を引いたらマイナスになるという皮肉っぽい表現が出ていました。こういう数字をとらえて
負担軽減というようなことが言えるのだろうか。
それから、
負担軽減とは一体何なんだろうか。
基地の面積なんだろうか、そこにいる米兵が引き起こす犯罪のようなものだろうか、あるいは騒音のようなものだろうか。一体そのどれをとって
基地負担と言われているのか、その辺は非常に不明確です。あちらがふえればこちらが減る、その総体としてどうなのかという問題です。
そして、この中で繰り返されているのがパッケージ論です。例えば、
海兵隊がいなくなる、それは
負担軽減になる、では、なぜ辺野古にV字形滑走路を持つ新しい空港が
海兵隊基地として必要なのか、そのことに関する十分な
説明は全くなされていないと思います。
住民側の要求を入れて、騒音が及ばないように滑走路の方角を変えるとか二本にするとか、そういう
説明はありますけれども。
一方では、これは宜野湾市の伊波市長なども指摘していることですけれども、普天間の
海兵隊の
施設等はほぼ
グアムに移るようですが、では、なぜ普天間代替
施設として辺野古に
基地が必要になるのか。
これは
アメリカの総領事などが言うことですけれども、普天間
基地の
周辺には八万人人がいる、辺野古には八千人しかいない、だから
負担軽減だと彼は堂々と言っていますが、そういうものでしょうか。それだったら、
沖縄には百三十万しか人口がいない、
日本には一億三千万いるから、
沖縄に集中させれば
日本全体としては
負担軽減になる、そういう論理が通用しないと同じように、普天間から辺野古に持っていけば
負担が
軽減されるということにはならないように私は思っています。
そのほか、この
負担軽減等の議論の中で触れられていないのは、
自衛隊による
米軍基地の共同使用です。キャンプ・ハンセンで
陸上自衛隊が
共同訓練をするとか、嘉手納飛行場の共同使用の問題が出てきています。
御承知のように、今
沖縄にある
自衛隊の
基地というのは
米軍基地の三十分の一ぐらいだと思いますけれども、ある
意味では、
米軍から返還された点に存在するような形だろうと思います。そのため、
軍隊としての
訓練には支障を来していて、そういうときには
本土の
基地を使わざるを得ないというような
事態がこれまで起こっていたと思います。ところが、キャンプ・ハンセン等が使えればそういうことがなくなって、しかし、それは
住民の
負担の
増大にはつながらないのかということです。
それから、嘉手納
基地の共同使用の問題、そして、嘉手納
基地にはF22等が、ある
意味では当然のごとく今配備されたりしています。この間新聞をにぎわしているオスプリの問題とか機種の変更とかそういうものをトータルで、果たしてどこをとれば
負担の
軽減だろうか。プラス・マイナス、いろいろなところのマイナス部分だけをつまみ出して
負担軽減といっても、しかし、一方ではパッケージ論が強調されている。
全体がまとまらなければ一歩も譲らない、つまみ食いは許さないという
アメリカ側の姿勢ですから、そういう中でどういうぐあいにこれを
理解すべきなのか、そう考えたときに、私はやはり、この
米軍再編あるいはこれまでの
基地活性化事業とか北部振興策とか、そういうものの
経験に即して最も効率的につくり上げられたであろうこの円滑化
法案の問題点が逆に浮き彫りにされてくるような気がします。
これが、私が
沖縄から眺めた
基地の実感です。
もう時間が過ぎるそうですから、これで終わらせていただきます。(拍手)