○
参考人(
横山純一君) 北海学園大学の
横山です。よろしくお願いいたします。
私は
地方財政論と
地域経済論を専攻しておりまして、そういう面でいうと、今までの三名の
参考人の
行政学、
地方自治論の専門家とちょっと違った
視点からの
発言が多いんではないかと思いますが、よろしくお願いしたいと思います。
最初に要約をしたいと思います。最初にどういう点を強調してしゃべるのかということを最初に要約したいと思うんですけれども、
一つは、現在、
分権の
推進が求められております。
分権改革というのは、
現行の
地方自治制度を前提にしてもできると思いますけれども、道州制という新しい
地方自治制度をつくっても行うことが可能であろうというふうに思います。
それから二つ目ですが、
全国的な道州制は
課題が多く、一斉に早急に
導入するというのは難しいんではないかと。しかし、北海道では先行実施という形で実施は可能なのではないだろうか。
それから三番目ですけれども、段階的に北海道で
地方分権の取組として実績を積み重ねた上で本格的な道州制の先行実施につなげていくということが必要なのではないだろうか。
それから四番目は
財源の問題なんですけれども、完全歳入
自治論というのは完全に無理であるということですから、
地方財政調整制度が必要だということ。それから、実績を積みながら段階的に進めていくことになりますから、
現実的な
財源として国庫支出金を包括
補助金あるいは一括交付金に切り替えていくということですね。これは丸め方という面で
現実性があるということです。
それから五番目ですが、これは、北海道で先行実施をするということであれば、道州制で北海道の
発展が見えていくということが必要ですし、道民の間でしっかりした
議論がないと難しいんではないだろうかと、こういう趣旨でございます。
では、具体的にお話し申し上げたいんですが、まず最初に、
地方分権の声が非常に高まっているわけですけれども、やはり背景にあるのは集権
行政システムの限界というものが明らかになってきているんではないかということでございます。
つまり、今までですと、国の官僚が発想して
政策化して、
地方へひも付きの国庫補助負担金を交付し、
地方が国の手足のようになって働くといったような
システムが、ある面でいうと高度成長期などはうまく
機能していたんですけれども、もう完全にそれが問題が生じてきてしまったという
感じがいたします。
高度成長期であれば産業基盤形成に公共事業の国庫補助負担金が働いたと、それが高度成長を成し遂げるのに役立ったということはあったと思いますし、その後の福祉だとか教育だとか生活基盤などにおけるナショナルミニマム形成にも国庫支出金の
システムはうまく
機能したというふうには思います。例えば、七〇年代に
全国に
市町村立の保育所が多数造られましたけれども、これは正に国庫支出金のたまものであったというふうにも言えると思います。
しかし、一九八〇年代に入って集権
行政のほころびが見え始めました。国庫補助事業で優れた施策が少なくなり、
地域ニーズと懸け離れた事業も目立つようになってきました。税
財源の有効活用とはほど遠い事業も増えたし、また
地域の
政策を遂行する上で使い勝手が悪いものも増えてきたというふうに思います。そこで、国庫補助負担金を通じた国の関与を少なくし、
地方分権を重視する
必要性が高まったというふうに言えると思います。
ただ、誤解のないように申し上げますと、義務教育費国庫負担金などのように、ナショナルミニマムの
観点で依然として有効な国庫補助負担金も少なくない点も同時に申し上げたいと思います。
続きまして、
地域のニーズに合った事業展開がしやすくなる仕組みづくりの
必要性ということでございますが、そこで、
地域のニーズに合った事業展開や
地域のビッグプロジェクトの展開がしやすい仕組みづくりが求められて、それで
分権的な
改革が必要になっているというふうになると思うんですけれども、
先ほど申し上げましたように、
現行の
地方自治制度を前提にしてもかなりのことはできると思いますが、ただ、道州制という新しい
制度をつくってもそれは行うことが可能だと思います。
ただ、
全国的な道州制ということになりますと、都府県の
区域変更を伴うため、都府県間の合意形成がなかなか難しいという問題もございます。また、実際に
全国的な道州制が実施されれば道州と
市町村という関係になるわけですけれども、実際には道州と旧
都道府県、
市町村という三重
行政が実際的には生じてくることになるんじゃないかというふうに思われます。
その
意味では、早急に道州制を
導入するというのは
現実的ではないし、かえって
課題や問題点が多く浮かび上がることになるのではないかと思います。そういう面でいうと、
全国的な道州制には必ずしも今の段階では
現実性という点で必ずしも賛成できないということでございます。
しかし、北海道の場合は、面積、
人口の点で北欧諸国の一国にも匹敵し、単独で
一つの
ブロックを形成しているため、道州制を採用する条件に恵まれ、道州制を先行実施することが可能であると考えます。段階的に実績を積み重ねていきながら
地方分権のモデル的な取組を進める、そしてそういう中で道州制の北海道における先行実施につなげていく、本格的な道州制の先行実施につなげていくということが必要なのではないかと思っております。
実は、北海道庁はかなり道州制には関心が高くて、実は前の
知事の堀
知事のときに道州制
検討懇話会というのを設置しまして、私がその座長を務めたんですけれども、そのときに報告書を
知事に提出いたしました。その中で、やっぱり
事務権限移譲と
財源の移譲というのは非常に重要である、そして規制緩和なども重要であるということを申し上げたんですが、その中で、
事務権限移譲についてはそのときどういうふうに
答申をしたかといいますと、これについては
検討懇話会では
提言をいたしません。これはむしろ、道庁内部はもちろん、
市町村や
経済界、国の
出先機関、道民の
意見を十分に踏まえながら段階的に決めていくということが必要だろうということであります。
もう
一つ重要なのは
財源の問題でして、この点については相当踏み込んでかなりシミュレーションなどもしまして、その上に立って道州制についてはやはり
地方財政調整が引き続いて重要であるということを指摘して、包括
補助金、一括交付金という国庫支出金の弾力化も同時に必要であるということをそこで主張いたしました。
道州制の
推進の論者の中には、道州制を、今現在ですけれども、
全国的な道州制をやっていこうという方の中には、道州制をしくことによって
事務権限の大
部分を道州に移譲する代わりに、
財源についてはそのすべて若しくはその大
部分をその
地域内で調達するという、これを完全歳入
自治論というふうに言うんですけれども、完全歳入
自治論も見られます。しかし、現在の北海道の場合、
地方税収入が歳入の一八%しかないので、道州制になっても引き続いて
地方財政調整が必要でありますし、仮に
全国で道州制が行われるというような場合になったとしても、この
地方財政調整はもちろん相当に必要なものであるというふうに思います。
それから、
現実的な裁量的な
財源といたしまして、包括
補助金と一括交付金を提起いたしました。
これにつきましては、包括
補助金というのは、経常的経費を対象にして、教育、福祉、保健など各々の分野ごとにまとめて計算ベースで国から交付すると。そして、使途は限定、細分化されている
現行の国庫補助負担金に対し、包括
補助金はその分野であればどんな支出にも
自治体は充てることができるという、そういう裁量のある国庫支出金、まあ国庫支出金の弾力化を図っていくということが必要なんじゃないかと。そうすれば、ナショナルミニマムとしての
全国的な基準は一定の幅を持たせて定め、確保すればよく、
自治体は
地域の個別ニーズに応じて自律的に
政策を選択でき、福祉・保健
政策や教育
政策の
地域の
決定権は包括
補助金によって格段に高まるのではないかというふうに考えました。
さらに、一括交付金は公共事業の
分権化を
意味します。国から各
自治体に対して一定の枠により一括交付されて、各
自治体は自己の
政策判断と裁量の下で事業展開ができます。
現行の国庫補助負担金は
省庁縦割りで事業ごとに細かく使途が限定され、
地域で
重点化したり横断的な施策がしにくかった面があります。また、事業の
必要性よりも、補助
制度があるから事業を実施した面もあり、時に無駄な公共事業との批判を招くことにつながりました。一括交付金になれば
自治体の
自己責任は重くなりますが、
自治体の
権限と裁量は拡大し、
住民ニーズの高い事業、
地域に必要な大型プロジェクトの
推進に
財源を振り向けることも可能になります。
そのとき私たちは、一括交付金というものを、北海道で先行実施する、道州制を先行実施していく中でも、事業、
財源の特例措置は一定期間維持すべきであるということを
提言いたしました。
じゃ、なぜ包括
補助金や一括交付金が
現実的かといいますと、これは丸め方が大くくりにしていくことによって
地方に裁量を拡大することになるわけですけれども、徐々に弾力化することが可能なんですね。丸め方も、一挙に大きく丸めちゃうやり方もありますし、小さく丸めていくということもできるわけであります。今回の道州制特区でも、最初は道庁が特区
推進交付金みたいなことでいっていたわけですが、最終的に目的別交付金になるというような形で、丸め方の違いということになるわけですが、そういう
現実的な対処やあるいは
事務権限の移譲なども段階的に行いながらやっていくということになれば、そういうものが非常に有効に活用できるのではないだろうかというふうに考えたわけであります。
いずれにいたしましても、道州制というのは、北海道で先行実施をしていくとなれば、各
経済圏域の
発展や、北海道におけるですけれども、各
経済圏域の
発展や道民生活向上に結び付けられるかどうかが大切なわけであります。逆に、北海道で道州制を先行実施して一極
集中を招く、札幌市に一極
集中を招くというようなやり方であれば、それはまずいわけでありますから、そういう面でいえば、道州制を実施するということは、そこの
地域の中でどういうふうにグランドデザインを描いていくのかということが大事になります。
私は北海道でというふうに言いましたけれども、仮に
全国的にも道州制をやるとしたら、常に危険が伴うのは、道州制の中の中心地に一極
集中する
可能性がありますから、そういう面でいえば、その
地域の中がどういうふうにグランドデザインを描いていくのか、その
地域は将来どのようになっていくのか、それを、またどのようになることが望ましいのか、これも抽象的な話ではなくて、具体的にピクチャーしていくということが重要になってくるんではないだろうかと思います。そういう面では、
制度論中心の
議論だけでは
発展の展望は見えてこないんじゃないかというふうに思います。
例えば、今までの公共事業の
在り方をどうしていくか、どうするべきなのかとか、道州政府と
市町村はどのような
役割を担えばいいのかとか、道州政府と
市町村は適切な
役割分担の下でどのように相互に連携をしていけばよいのか、あるいはどういう産業を基軸にそこの
地域のやっぱり
発展性のシナリオを描いていくのか、それからどのような規制緩和というものが求められて、その
地域の中では求められるのか、あるいは
少子高齢化というのはもう迫っているわけですから、そういう
少子高齢化が進む中で
地域特性を生かした取組ができるんだろうか、こういった
議論の延長上に本格的な道州制があるというふうに考えます。
そういう面でいえば、本当に一部の担当部署と国とのキャッチボールというのではなくて、正に国民的な
議論が必要だというふうに思います。今の道州制特区の問題でも同じでありまして、道庁の一部担当部署と国とのやり取りではない話なんですね。やはり道民的な
議論が必要であるというふうに思っております。
そういう
意味でいいますと、やはり道州制を考えていく場合も、やはり
改革には夢やパッションが必要であるということですね。そして、新しい
自治の形をつくるわけですから、そのためにグランドデザインをどう描いていくかということが非常に大切であるということを申し上げまして、私の話とさせていただきたいと思います。