○
参考人(唐亮君) 法政大学の唐亮と申します。よろしくお願いします。
私は、事務局通して
田中会長から五つの大きな宿題いただきまして、一つ目には最近の
中国の政治経済状況、二番目には安保を中心とする
中国の
外交政策、三点目は
中国の対
日政策、四点目は対米
政策と、五点目は対
北朝鮮政策なんですが、三十分という時間の制約がありまして、ポイントだけ述べさせていただいて、後ほどの議論の時間を活用できればと思っています。
また、一つ断っておきたいというのは、三十分の時間を有効に利用するために早口になるかもしれませんので、こういうせっかくな機会で先生
たちに一生懸命語りたいと、そういう熱意として受け止めていただければ有り難いと思います。
それでは早速、
中国の政治経済情勢について述べさせていただきますが、先ほど
興梠先生も既に話しましたように、
中国は一九八〇年代になってから近代化路線を打ち出して経済建設に力を入れて取り組んできまして、それでその実績はある意味では経済の高度成長、
国民の生活向上等々の形で既に表れていると思いますが、しかしそれと同時に、今の
胡錦濤政権は新しい挑戦を受けていることも事実ではないかと。
この新しい挑戦をもたらす要素は、私は二つがあるかと思います。
一つ目は、近代化路線は光の
部分が注目されているんですが、影の
部分も非常に大きかったと。この大きな影というのは、一つ目には三つの大きな経済の格差、貧富の格差があると思います。
地域間の経済格差、都市と農村の格差、それから都市内部の貧富の格差が非常に深刻になっています。それから、経済開発が進むにつれて
環境問題が悪化し、なおかつ資源をどう確保するかが大きな問題として浮上しているし、それから社会保障制度あるいは公共サービス等々の整備がやっぱり社会の要請には後れていることは事実ではないかと。こういう問題をどう克服していくかがこれからの挑戦だと思います。
それからもう一つの挑戦も、既に
興梠先生が述べられたとおりで、どちらかというと
中国国民はやっぱり共産党の強力な権力を前に今までずっとおとなしかったという
部分がありまして、権威主義
政権の下では力によって社会矛盾、対立を抑えてきて、社会を安定を保ってきたという経緯がありますが、しかしグローバル化、市場経済化、それから情報化が進展する中で、
中国の民衆の権利
意識が高まってきて、公正公平に対する要望も高まってきていることも事実ではないかと。
その結果として、やっぱり良い面では政治参加が活発化になりつつあると。しかし、挑戦になるという
部分は、民衆はやっぱり権力の腐敗、あるいは不平等な分配、あるいは
国家権力による権利の侵害に対して昔のようにやっぱり今は我慢しなくなってきて、それがさっき
興梠先生がおっしゃった集団騒ぎ、あるいは暴動、あるいはデモが頻発し、なおかつ大型化してきているという状況ではないかと。
その新しい挑戦を受けて
胡錦濤政権は何をしようとしているか。私は恐らく、この三、四年間の間に二つの緩やかな
政策転換を図ろうとしていると思います。
一つ目は、やっぱり経済発展優先、効率優先という
政策路線から、経済発展、効率優先をしながら、より公正公平の社会を構築していく、そのような
政策転換が見られていると。二番目のその転換というのは、やっぱり力による強引な政治支配というのは
国内でも国際社会でも支持されませんので、やっぱり力を使わなければならないという
部分はまだ結構ありますが、そのできる範囲ではやっぱり合意と民意を重視していく支配をどう確立していくかという転換が求められています。
この二つの転換が図っていくという中で、この
胡錦濤政権が誕生してからこの三、四年間の間に実は新しい
政策、特に新しいスローガンが一杯打ち出されていると。
例えば、私自身が非常に関心を持つのは、一つは社会主義新農村の建設なんですよね。この社会主義という言葉がいいかどうかは別にして、その中身を見てみますと、農業税の廃止とか、あるいは農村義務教育の無料化、あるいは農村への公共サービスの強化等々という、予算の配分を含めてそのような
政策が打ち出されていると。
それからもう一つは、さっき
興梠先生もおっしゃったとおりで、和解社会を構築していこうと。今、やっぱり矛盾が多いですから対立も多いという
国内社会ですので、どうやってそのバランスが取れて、思いやりがあって優しい社会を構築していくかという問題だとは思いますが、その中では弱者保護を強化するとか、それから分配制度を見直して、より貧しい人への配分を増やしたり、あるいは社会保障制度の整備を加速化したりして、そのような
政策が打ち出されていると思います。
ただ、一点付け加えておきますと、このような
政策転換を行っているんですが、しかしそのプロセスが非常に緩やかなものになるのではないかと。要するに、
中国が抱えている問題が解決していくには、やっぱり条件の成熟、あるいは全体の経済力の増大というのが
前提条件になっているので、その意味では転換の完成が長いプロセスになるんではないかと思います。これからの
中国は、恐らく今までと同じように矛盾、困難を抱えながら緩やかに変わっていくではないかというのが私の考えです。
それから次に、
中国の対外
戦略について少し触れたいと思いますが。私は、恐らく近代化が
中国ではすべて圧倒する
国家目標、
国家課題である以上、
中国の
外交の原点、出発点を確認しますと、やっぱりさっき
興梠先生がおっしゃったとおりで、近代化のために
外交の目標を立てていくというのはまずそもそもの原点ではないかと。
その原点に併せて、私は、恐らく大きく三つほどの目標が立てられているではないかと。一つは、
安全保障に関連して、やっぱり安定的な
国際環境をどう構築していくかと。
外交摩擦、対立はエネルギーを消耗するものですから、やっぱりそこがポイントだと思います。二番目は、やっぱり経済建設に有利な
環境を整えていくことがもう一つの大きな目標ではないかと。外資を導入し、あるいは国外市場を積極的に利用していくにはやっぱりポイントではないかと。三点目は、これも
安全保障にかかわる問題なんですが、
台湾の独立を阻止し、平和的な統一の
環境を整えていくと。その三つの目標が大きな目標と考えてよろしいではないかと。
その目標がどういう特徴を持つかというと、私はここであえて内向きの対外
戦略という言葉を使いたいと思います。
日本では、
中国は
外交の大人の国だと、
世界戦略を持ってしたたかな
外交を展開しているではないかと、そういう評価が時々聞こえてくるんですが、しかし私に言わせてみれば、それは隣の芝生が青いというパーセプションではないかと、現実の
外交は実は内向きだと。理由は非常に単純なものなんですが、外向きの
世界戦略を立てていく場合、その国のキャパシティーというか
力量みたいなものが必要だと。今の
中国のサイズ、規模は大きいですが、しかし途上国の周囲の国は到底そのような
力量を持たないではないかということは私の印象なんですよね。
しかし、それと同時に、
中国が高度成長によって国力が伸ばしてきていると。その中では、
大国化する中では今までの内向きの
外交をこれから徐々に
積極外交に展開していく可能性はだんだん高まってくるではないかというのも同時に私は思っています。さっき
興梠先生がレジュメでもやることはやるということを使っているんですが、正にそのところだと思います。
次に、そのような
外交戦略を持ちまして、対
日政策、どのような対
日政策を
中国の方が進めてきているか。ここで私はまず第一点目申し上げたいのは、
中国にとって、
中国外交にとっては
日本は非常に大切な国だと。これはさっき
興梠先生も既に説明しましたが、私は、理由を少し補足しておきますと、恐らく大切、
外交上大切というのは、まず一点目は、
世界第二の経済
大国としての魅力。これは
日本は
中国が持っていない資金力、
技術力あるいは経営力、あるいは
世界第二規模の市場が
中国にとっては非常に魅力なものだと。
二点目は、
安全保障に
関係してくると、
日本は非常に大切な隣国だと。平和建設に必要な
東アジアの
国際環境の安定化を実現するためには
日本との
協力がなければまずあり得ないということは非常に分かりやすいことと。
三点目は、強調したいのは、今の
中国はある意味で経済発展に自信を持ち始めたんですが、しかしすべての面においてはやっぱり
日本は
中国より進んでいると。
中国は、近代化の過程では
日本は良い手本という
認識が
中国のエリートの間には私はかなり共通
認識を持っていることではないかと思います。
この大切な
日本が、ですので、
中国の国益から考えてもやっぱり対日の重視
政策を進めざるを得ないと、というのは私の
認識なんですが、ここで、よく私、
日本の友人あるいは
専門家から、じゃ
中国は
日本重視の
利益はどこにあるかと聞かれるんですが、細かい言うと切りがありませんが、私なりの言葉で表現していれば、対立による不
利益と
協力による
利益だと。この対立による不
利益というのは、
日本とけんかをして
中国は何を得を得られるかという問題なんですが、まあ得を得られるというものか、建設に、経済建設に集中すべき政治、
外交、あるいは
安全保障のエネルギーを無駄に消耗されてしまうと。対立が激しければ激しいほどその消耗が大きくなるというのを、そのものは対立による不
利益なんですよね。しかし、
協力関係をしっかり結べていれば、もちろん
日本も国益になるんですが、
中国は大きな国益を得られると。
で、よく言われるのは例えば経済
協力、金融、
環境、エネルギー等々の分野でその経済の相互補完
関係をつくっていれば両国の国益になると、それはよく議論されているんですが、私はここであえて
安全保障の例を挙げますと、この隣り合わせしている
大国が、もし
安全保障の分野において信頼
関係が、信頼
関係と
協力関係を築くことができれば、やっぱり両国の
国民が自国の安全に対して絶大の安心感を得て、軍事に使うそのエネルギー、資源というものをより国際貢献あるいは
国民の福祉ですね、活用することができるではないかと思います。
しかし、ここでの問題になるのは、日中両国は相手国を大切な国と思いながらも、この近年においては日中
関係が激しく対立してきたことも事実だと思います。それから、
日本の
国内では果たして
中国は本当に対
日重視政策を取っているかと、そういう思いをしている
日本人の方々が、恐らく先生方を含めて、いるかと思いますが、その問題に対して私は対立の原因を二つに分けて考えていきたいと思います。
一つ目の原因は、
日本と
中国は違う国のわけですから、
立場と国益が当然違ってくると思います。で、国益がぶつかり合う、対立するということも当然避けられないと。これは日
米関係が幾ら同盟国、あるいは近年においては良好な
関係を保ちながらもやっぱり牛肉やら基地の移転問題等々、そういう対立があり得るんですよね。その問題に、対立に関しては今日、先生方の前で私、二つの解決のアプローチを、まあよく言われることなんですが、強調したいと。
一つは、やっぱりフィフティー・フィフティーの妥協精神を持って交渉によって克服していこうではないかと。そのフィフティー・フィフティーの精神のアプローチが
環境、条件の未成熟でできないという場合は棚上げ方式の方がお勧めしたいと思います。今度、条件、
環境が成熟するときはもう一度話し合おうと、そのような形でやっていれば、避けられない国益の対立も大きなけんかにならないで済むではないかと思います。
しかし、今日、私はあえてここで強調したいのは、実は私は来日十九年目になりますが、この四、五年の間に日中のけんかを息苦しく思っている
部分があります。で、なぜそういうふうに言うかというと、互いに持ってなくてもいい不信感あるいは誤解みたいなものが対立を必要以上に激化させたではないかと。言ってみれば、この
部分のけんかというのは、子供っぽいのけんかというものが入ってくるではないかと思います。
話すにはたくさんの時間が掛かりますが、恐らく、まず断っておきたいのは、
中国も
日本に対してたくさんの誤解あるいは不信感を持っていると。逆に言うと、私から見ると
日本人も、あるいは
日本の
メディアが
中国に対しても、もうたくさんの誤解を持っているではないかと。そういう誤解がなくなっていれば、日中
関係が、国益の対立を抱えながらも、そこまでのけんかしなくてもいいではないかというのは率直に言って私の気持ちなんですよね。
二つの事例を挙げてその誤解を説明しようと思いますが、一つ目は、歴史問題から見る日中の誤解なんですが、私、ここで一つの逆説を立てたいと思いますが、最近の日中の対立というのは、やっぱり歴史問題、特に首相による靖国神社参拝問題をめぐって激しく展開されているんですが、実際は
日本側が、
中国ですね、いつでも歴史問題を持ち出して、
外交カードに使って
日本に謝罪を求めてくるかという考え方が、実は大勢の方が持っていらっしゃると思いますが、私はここが誤解だと。実は、激しく対立している歴史問題あるいは靖国神社の問題に関して、
中国の対応から見ていて実は誤解ではないかと。細かいことは述べる時間がないんですが、レジュメにある程度まとめていますが、理由は三点ほどの誤解があると思います。
一つ目は、実は
日本は、あるいは小泉前首相が靖国神社に参拝して論議、ここでは立ち入りませんが、
中国側はやっぱり
日本の首相、指導者が被害者の感情をどう考えているか、あるいは歴史のモラルをどう考えるかというところから出発して、強い反発を持ってきて、また抗議をして批判していることは事実です。それでも、私は対応が割に抑制的ではないかといって、を皆さんに私の
意見を述べたいと思いますが。
例えば、首脳
外交が、相互訪問ができなくなりましたが、しかし第三国での首脳会談が随時行われました。それから、日中双方の
外交当局、それから当事者、
関係者の努力によって首相の靖国参拝による対立ができるだけほかの分野に影響をしないように、そのリスクのコントロールはずっとしてきたと思います。恐らく
反日デモがなければ、私は小泉前首相が任期を終えるまで第三国で
中国の首脳とずっと会談ができたではないかと思いますが、幾ら権威主義
政権であっても、民意がああいう形で怒り出すと、やっぱり
中国はそこが、その
立場は表明しないと難しくなって、去年の九月以降、第三国の首脳会談ができなくなったということが事実ではないかと。
それから二点目は、実は私は、私は
中国の歴史教育の人間の一人として、実は
中国側のその歴史問題に対する公式の見解というのは、
戦争の責任は一部の
軍国主義者にあると、
日本の
国民も被害者だと。そこが実は一九七二年の日中の間の歴史問題に関する基本合意だと思います。
皆さんに是非考えていただきたいということは、恐らく歴史の
認識が、個人の
価値観、心によって多分違う歴史
認識を持ち合うことが非常に当たり前のことなんですが、問題は、前向きの
外交を進めていく過程でやっぱり歴史
認識に関して政府と政府の間にそういう妥協というものが非常に重要で、そこが、一九七二年の合意というのは私は基本合意という言葉で表現しているんですが、そのぐらいの合意ですか、その表現というのは、恐らく
戦争の被害を受けた
中国としては、
日本に対して過大な要求はしていませんと、そういう気持ちは多分あると思います。
三点目、
最後に三点目の歴史問題なんですが、
中国は繰り返して
日本に謝罪を求めているではないかということなんですが、私は不勉強なんですが、一生懸命資料などを調べて、
外交議題の中で歴史問題が議題になることが七二年、九二年の天皇訪中と九八年の江沢民前
国家主席の訪日ではないかと。で、
最後の一回が
中国側が謝罪という言葉を共同声明に入れてほしいと、これは
中国側が進んで持ち出した謝罪だと思うんですが。しかしそれ以外に、恐らく皆さんが、まあ皆さんというよりは多くの方が抱いている
イメージは、私は恐らく日中が歴史問題で対立が表面化して、そのパターンというのは靖国神社問題、教科書問題と政治家の失言なんですよね。それが問題起きている場合が、まあ売り言葉があれば買い言葉があると。そこが恐らく、一般論として何も受けなく謝罪求めるということと違うではないかと。そういうふうに考えていれば、実は私が表現したいことは、歴史問題の対立の中でも、
中国の対
日重視という
姿勢が見れるではないかと。
最後に、もう一つの誤解というのは
中国の軍拡の問題なんですが、この軍拡の問題について私の考えというのは、軍拡はよくないと。それから、日中両国はやっぱり責任感が大きいですから、互いの軍事動向に対してはやっぱり監視し続けるべきだと、監視し合うべきだという
立場を私は取っております。
それからもう一つは、
中国はこの十七年間、対前年度比、軍事費の予算が二けたの増加率を保ち続けてきたと、これも事実だと。軍備の近代化が進んでいることも事実だと。その事実に対して、
日本国内ではかなり不安感が高まっていることは事実です。ただ、ここで私が言いたいというのは、特に
専門家、特に責任の
立場にある方々、先頭に立ってこの事実をどう解釈するかという問題は考えていくべきではないかと思います。
というのは、何かの野心があって必要以上に軍拡を進めているか、あるいは通常の軍の近代化を進めているか、この解釈によって大分不安感が違ってくるわけですよね。私が思うには、実は、私の結論から言うと、実は通常の軍の近代化ではないかと。というのは、経済近代化が進む中で、恐らく経済力、
技術力向上する中で軍の近代化も同時に進むというのはどこの国も見られる現象ではないかと。
実は、私は
日本の防衛白書を調べた結果としては、
日本は高度成長期、特に六〇年代、七〇年代、対前年度比の防衛予算の増加率は二けたの増加が二十年近くずっと続けていたというのも分かりやすいことではないかと思います。
さらに、
最後一言、この軍事力についてもう一言言いますと、
日本が軍事力、まあ経済の近代化も防衛の近代化も恐らく終えたと思います。
中国は、軍事の実力から考えると、
専門家の間によく言われるのは、
日米と比べれば二十年、十五年後れているのもよく指摘されていると。その意味では、
中国の経済近代化も軍事近代化もまだ終わっていませんので、これからしばらくはまた増えていくことはあるではないかと、そこがやっぱり警戒しながら平常心で見ていくことがこれからの日中
関係を考えていく上で大事ではないかと思います。
この日中
関係について、
最後に私から、二十一世紀を迎えてどのような日中
関係を構築すべきかのことについて、一人の在日の
中国人、一人の日中友好論者として政治の現場に立っている先生方に、細かいことよりは、政治家の先生
たちは大所高所から問題を見ていますので、私もそれに合わせて日中に必要な
外交の理念と哲学を三点ほど言いたいと思います。
第一点目は、やっぱり
ナショナリズムを、いかに節度のあっての健全な
ナショナリズムを育てていくかということなんですが、やっぱり国益、
外交は国益のための
外交とよく言われています。しかし、それを余り言い過ぎると場合によって極端な
ナショナリズムをあおってしまうということにもなりかねません。二十一世紀の
外交のあるべき姿というのは、恐らく自国の国益を主張しながら相手国の
立場、それから国際社会の協調というものを大事にしていかなければならないではないかと。実は、二十一世紀の真の
外交力は、大衆迎合主義みたいに内向きの論理を述べて拍手を受けるというよりは、私は、恐らく問われている
外交力というのは、
自分の主張は相手国、それから国際社会にどこまで通用するか、どのような論理力、説得力を持つかというのは問われるのではないかと。だから、そういう点では両国の
メディア、それから政治家、政治指導者、それからやっぱり
外交当局、
専門家が重い責任を持つではないかと思います。私の体験からいうと、
中国の
国民も
日本の
国民もやっぱり責任にある
立場の方々の話、あるいは
メディア、伝わった情報を聞いて判断するわけですから、そこがやっぱり、発言というのは責任の重さに応じてやっぱりやるべきではないかなというのが一点目ですね。
二点目は、国の品格という、
大国の風格という言葉を使いたいと思いますが、やっぱり尊敬される国というのは品格と風格がある国だと思います。確かに今年はベストセラーになっている、国の品格という本があるんですが、私は、ああ、
自分が言いたいことかなと思って買ってしまったら趣旨は若干違いまして、趣旨若干違いまして、私が主張したい
大国の風格、国の品格というのは、やっぱり他国、特に貧しい国に対して寛容の精神、
理解の精神を持って、なおかつ自己反省と独善の自戒の精神を持ち合わせている国だと。ここを強調したいというのは、実は、
大国の場合は大体ほかの国よりは優れたものをより多く持っている、こそ
大国になれたわけですよね。しかし、政治は、
外交はどうせ人間がやるものですから、あのブッシュ大統領が過ちを起こしたように、やっぱりそういうことを考えて、あるいは途上国の事情、あるいはよその国の事情を考えて、押し付けあるいはその反省の精神は常に求められるのではないかと。
最後に、日中
関係に関しては大人の二国
関係になれないかとよく議論されています。私が思うには、
日本も
中国も名誉のある国際地位を得たいと、尊敬される国になりたいと、そういう向上心と競争心を持っている国々だと思います。その向上心、競争心自身は非常にすばらしいものだとは思いますが、問題は、どこに使うかと。あと二分で終わります。その競争心が私は文明への貢献を競い合うべきではないかと、そういうことを強烈に主張したいと思います。
というのは、恐らく、
自分の国はすばらしいんだと、美しいんだと、偉いんだと、立派だといって、もうこれは非常に大事なことだと思います。それと同時に、他者の評価も非常に重要ですから、そうすると、恐らく二十一世紀の国際地位は、その文明に対して、国際社会に対してどれほどの貢献できるかによっておのずと決められるものではないかと。そういう意味では、
日本と
中国はこれから是非文明への貢献や国際社会への貢献を競い合って、なおかつライバルへ敬意を持って、
協力精神を持ってやっていけば良きライバルになるではないかと思います。
私のレジュメは、対米
政策と対
北朝鮮政策も用意されてきましたが、時間が超えてきましたので、あと議論の時間ができればと思います。
ありがとうございます。終わります。