○公述人(牛越充君) よろしく
お願いいたします。
私は、この十月まで信濃
教育会で現場の
先生方と
一緒に講習の企画、それから地域の皆さんとの生涯学習の
推進等々に当たってきました。そういう立場で
幾つかの
教育の課題を、本当に危機感を持って感じていることは
幾つもあるわけですけれども、今回はこの
法案に
関係してという視点で
お話を申し上げたいかなと思っております。
第一点目ですけれども、この経過の問題について、私は
政府にも課題もあるが我々にも課題があると。
ちょっと話の途中になりますけれども、私お配りした資料は、改革というのは共々だよと。
学校や教師ももちろん大きい責任があると、行政も改革しなきゃいかぬ、それから
家庭もそうだよと。今まで、行政が悪い、
学校が悪い、
子供が悪い、地域が悪い、親が悪いというのをみんな言ってきたんじゃないかと。もうずっとそれを言い合ってきた、カエルの合唱みたいに。じゃ、それをやめようじゃないか、そしてまず果たすべき責任を見詰めようじゃないか。しかし、今果たそうと思ってもここに
家庭の問題が出てきて、後で触れますけれども、
家庭に
教育の大きい責任がある、私はそう思います。
しかし、十分に果たそうと思ってもできない面もまたある状況。
学校もそうです。
学校が果たすべき責任はあるんですよ。だけれども、チャレンジャー精神を付けろ、基礎、基本を付けろといっても、明日からまた登校拒否がばあっと増えてしまう、校長の名前だれだというような問題が出てきたり、
いじめが出てくる。そういう中で、もうがんじがらめになっていることを早く気付かなきゃいけない。そのことを強く思って述べさせてもらいます。
一点目ですけれども、この経過の問題。
これは皆さん御存じのように、平成十三年の十一月のときに諮問が出ているわけですね。それで、十八年の四月幾日ですか、二十八日に閣議決定している。かなりの年数があるんですよ。これも私は
政府だけ批判していませんよ。後で生涯学習と結び付けてこの課題を申し上げたいと思うんですけれども、これは
政府自身にも啓発の課題があったということも言えるでしょう。それとともに、私ども国民が、生涯学習
社会が進んでいないんです。
それで、生涯学習って何かというと、悪い意味じゃないんですけれども、個人的な趣味、種目別な生涯学習が進んでいる。何ですか、習字、
パソコン、その他パッチワークだとか。これは非常に進んできて評価するんですけれども、問題別の生涯学習
社会が進むような質の高い
社会の成熟度がそこに高まっていない。そのことが、ここに五か年くらい置かれているんですけれども、なかなか課題になってこなかった。これは
政府ともに、また
教育関係団体ともこれを課題にするような経過を踏んでこなかったということで、共々にこれを反省しなきゃならぬじゃないかという課題が一点であります。
次に、この
教育基本法、できるだけそこに絞って
お話ししたいと思うんですけれども、現在の
社会との
関係で、特に
基本法の問題、この公共性の問題が
指摘されていますから、そこへちょっと焦点を当てて課題を見ていきたいと思いますけれども。
現在の
教育基本法、これは
教育憲法なんて言われているんですけれども、これができた背景というのはファシズム、国家主義の中でずっと突っ走ってきた、だから、あるすばらしい
基本法ですよ、個人の尊厳という点については。しかし、
バランスが欠けていた。現在の
社会を見たときに、もうこれはだれも認めているんですけれども、余りにも、本当の意味の個人主義ならいいんですけれども、民主主義の原理は個人主義です、それはいいんですけれども、そうじゃなくて、他を排するような利己主義がずっと進んできてしまった。要するに、公共性の喪失ということであります。この問題が、私は、
いじめとか不登校、その
教育課題のところへ大きく突き刺さっているというのが一点であります。
それから二点目の問題、これは大きい問題でありますけれども、これも御存じのように、グローバル、グローバルなんて言っておるんですけれども、これは経済競争ですね。そして、この経済競争の元は知の競争です。知の競争に勝てば経済競争に勝つということで、今先進国その他が
教育をみんな国家戦力の中に入れて市場原理を導入して競争している。
日本もその波の中にある。しかし、それに乗らないと国家が成り立たないという大変難しい問題を抱えている。この問題が、勝ち組、負け組なんて嫌な言葉が出てきている、つまりこれがなおさら利己的な
環境をあおってくる状況にあると。だから、私が言いたいのは、公共性という問題を強調しなきゃいかぬよというのが二点目であります。
それから三点目の問題は、これ、
教育の問題は
文明病だということを久しく言われてまいりました。私は今もそのことを思っているんです。だれが悪いかれが悪いというときに、共々にこの問題を
考えていかなきゃいけない。そして、この技術革新を進めてきた、イノベーションなんて最近言われていますけれども、それを極端に進めてきたのはまた消費者でもあるし、そしてそれはまた企業とかそういった
関係でもある。共々の責任であると思うんですが、これがまたどういう問題を持ってきたかというと、これは感性の喪失であります。
これは、今度の
基本法の中でこの問題を、二条の五ですか、取り上げていただいたんです。この問題を解決しない限り、
いじめの問題、これは解決できない。
文科省が命の問題が起きるたんびに担当者を集めて檄を飛ばす、そして担当者が帰ってきてまた檄を飛ばす、これではどうにもなりませんよ。ですから、本当に危機感を持ってこの感性の喪失の問題をどうやって回復していったらいいかということを真剣に
考える時期に来ているかなと。そういう点で、
基本法の中へこの問題が盛り込まれたという点は、文章表現に多少課題はあるけれども、今後深めていく重要な課題かなと。
そして、四点目でありますけれども、今、大田
先生からも
お話がありましたように、生涯学習の問題です。これが今度ここへ入りました。
私は、この
基本法で一番評価する点は生涯学習の
理念の問題を盛り込んだ点、これは非常に高く評価しています。これを盛り込まなければ、私はあとの条文みんな反対です。公共の問題も、それから郷土や国土を愛する心というのはまあ態度に変わりましたね。生涯学習
社会というこの
理念を入れてくれたから、トップダウン、押し付けじゃないよ、愛国心を押し付けたと言うけれども、いや、生涯学習
社会というものを構築していく、そして公共性に参画して云々というような条文が入っていますね。その公共をどうやって創造していくかという、それが生涯学習なんです。生まれてから死ぬまで勉強だというとらえ方は私は余り賛成しないんで。
ですから、生涯学習
社会の
理念を本当に取り入れていく中で、公共性の問題、それから郷土や国を愛するというように、具体的な実践を通してやっていくということで、生涯学習の
理念を取り入れたことを私は高く評価しています。これがなければ、私はほかの条文は全部反対であります。
それから次に、これは一例なんですけれども、今までの現
教育法が非常にいいことがうたわれているよ、だから改正しないでいいよという意見もあります。これはかなり私も傾聴する面があるんですけれども、すばらしい
法律があるにもかかわらず、現状の動きは現在の
基本法と違う
方向へ動いている面が
幾つかあった。例えば、特にこの教員の
関係でいきますと、現法でいけば第六条でございます。今度は十何条か、十条になったんでしょうか、この中で、教員の身分は尊重され、その待遇の適正が期せられなければならないというのがここに入っているわけです。
ところが、現在、実際動いているのは何かというと、教員の給与が高過ぎると、五年間計算したら一万何ぼも高過ぎるから下げましょう、人材
確保法を見直そうじゃないか、そして外部評価、民間人の登用というのが動いているわけです。これ全部私は反対するわけじゃないんですけれども、この教師の使命感、そして今度は崇高なという言葉に変わりましたね、これもう正に賛成なんです。そういう法でうたっていることを確立するためには、単なる外部評価、民間人の登用、こういうことだけでいいのかどうか。むしろ、それは逆の
方向になって、教師や
学校の信頼を低下させる
方向へ動いているというのが現実であります、これは。紛れもない今事実で、その中で
学校や教師がもがいているということがある。
今度の法では十七条に、私はこれに期待しているんですけれども、
教育の
振興に当たっての基本計画を作成するとあっていますね。ですから、今度は、現在の
教育法というのは、ただすばらしいことをうたっているだけでなくて、今度は、改正した中で盛り込んだのを具体的に実施されていくかどうか、細案を作って示して国会で
報告しようというわけでしょう。だから、これは一歩前進かなということであり、これに期待しているところが大きいわけであります。
次に、特にこの評価すべきというか、大事にしたいということで、生涯学習のこの第三条のことについて今触れましたけれども、これは
日本が国際
社会の中で生きていくためにも、一九九九年にケルンで首脳者会議が開かれ、小渕さんが行きました。初めて首脳者の中で生涯学習がブレアさんの提案で承認されたんです。これからのグローバルの
時代には、切符とかパスポート、そんなものはどこへでも行けると、本当のパスポートは生涯学習であるというのを宣言したんです。そして、この生涯学習を構築するために最も重要なのは教師だよというのをここでうたったわけであります。これが本当に
世界じゅう動いていけば、
世界の
環境問題も平和の問題も、かなり解決できる
方向へ進んでいくんです。
そういう中で、
日本はこの経済競争のトッパーでなくてリードしていく国になってほしいなということで、この生涯学習の
推進ということは国際的にも
日本がリードしていく、すべき点ではないか、こんなことを思って強調したわけであります。
それから次に、
家庭教育の問題、十条の問題、先ほどからも出ております。
これは、
教育改革国民会議の真っ先のところに、
家庭の
教育、
教育の原点は
家庭であるとうたっていました。その後、
教育改革の中で、先ほどこれは久保さんからも出ておりますように、
学校とか教師だけへ改革が向いているという傾向があったんで、なかなか
家庭に向いて、これは入りにくいという面は分かりますけれども、食い込まないできた。そして、
家庭の問題まで法で
規制するなということが出ていますけれども、しかし今
家庭教育の問題も共々に
考える。これは
家庭教育の問題をピックアップしていけば企業もすべてがかかわってくるんですよ。おやじさんが企業戦士で、おやじさんの背中を見て
子供は育てったって、見る方は、企業戦士でもって、そんな姿見てられない状況もある。そして、朝起きてみればもうおまんまは炊けている。
子供たちが苦労しなんでも、ぞうきん掛けるところもない。そういう
家庭の中で、
家庭教育をしっかりやれよと、やってほしいと言っても酷な面もある。そのことをみんなで理解していかなければならないときに来ているかなということで、十条で取り上げた点は有り難い。
そして、今後この発想は、
家庭教育をどうするかという発想じゃ駄目なんです、これは、もうレベルが低い。
家庭文化をどうやってつくっていくかということです。これは再生会議で家族の日をどうするかなんという話が出ていますけれども、
家庭文化をどう高めていくかということは国民的課題ですよ、これは。親子でもって映画見に行く、親子で音楽を聴く、音楽で詩を読む、所得の低い国でもそこまで行っていますから、こんな所得の高い国は
家庭文化をどうつくるか、これも生涯学習
社会の中でつくっていく。
ですから、十七条で言っている、今後この法を基本的に、具体的にしていくというときは、
家庭教育をどうするか、
家庭文化をどうするかというところへ高めていっていただきたい。そういう中で
子供が育てばこれは立派な
子供が育つ。そして、その
家庭文化をどうするかということで、人ごとじゃなくて、
学校は
学校、地域は地域でもって共々に
考えていく必要がないかなということを強く思ってこの条文を評価するとともに、今後へ期待するところでございます。
それから、十三条で、
学校、
家庭及び地域
社会の相互の連携
協力をうたっております。これはもう学社連携なんというものは何十年、私が教員になるときからもううたわれてきた。じっと、
学校と力を合わせていきたい。しかし、この課題は何だかというと、地域が
学校を手伝う、
学校が地域を手伝うという発想だったんです。そして、みんな忙しくて、いや
学校が駄目、地域が駄目だと。この発想は駄目です。だから、私はむしろこの十三条の問題は、まあこの国民的なコンセンサスを得るためには現状はこういう言葉で仕方がないがということで肯定しますけれども、
学校にやってやるとか、
学校が地域にやってやるじゃなくて、地域の生涯学習もすべて、公民館とか
図書館活動とか、あるいは生涯学習グループ、町づくり、これをどんどん、まあ
社会教育もどんどん減っちゃっているんですけれども、進めていけば、
学校教育と重なる点が山ほどあるんです。
だから、やってやるんじゃないですよ。地域の生涯学習の
推進で習うねらいと
学校教育で習うねらいと、それを重ねればこんな効率的なことはない。お金は掛からない、そして両方が生きる力をもらっている。これは一部で今、学社融合って言っていますが、これが実はあの信濃
教育会、私が参画したときにつくったあの共々という、そういう形でお互いに課題や責任を押し付けないでやっていきましょうということなんです。そして、こちらがあっちをやってやる、こちらが、まあそのボランティアの精神はいいんですけれども、それぞれの目的が幾重にも重なる、
学校目標と
社会教育の重なる点は山ほどあるわけです。それを重ねてやれば
学校のねらいも地域のねらいも分かると。それなりに総合的学習というものを、いいものをつくってくれたんじゃありませんか。それがまた時間をつぶして学力低下だなんというのも、ちょっと
文科省もぶら付いていますけれどもね、そういう点で十三条を評価しつつ、今後へ期待したいということであります。
それから次に、この感性の問題で、感性、自然や
環境とのかかわりの新しい
内容というのを二条へやはり繰り入れていました。これは、慈しみの問題、命の問題、大事な点であります。これはどうしても具体的な活動を通さないとできない。感性が大事だよと幾らお説教しても駄目なんです。ですから、この
教育、今度の
基本法のこれを受けて、これを具体的に進めていくためにどうするか、教科書をどうつくるか、生活科というのができております。生活科の中で、
子供たちがまだ理屈が分からない
世界で、この畏敬の念とか、種をまけば芽が出る、ドングリが芽が出てきている、いろいろの動物もこんな命を持ちながら生きることに一生懸命であるということを具体的に理屈抜きで体験する場をつくりながら、この第二条の五へ迫っていくような具体案を今後に期待したいわけであります。そのやることが、命の問題が起きるたびに、過去にもそうでしょう、あの小六の事件が起きたときも集めて檄を飛ばす、その前も檄を飛ばすじゃ、うまくこれはいきっこない。
もう時間が来てしまいましたけれども、あと課題の、現場の大きい課題だけちょっと申し上げますと、これは改革の問題が本当に矢継ぎ早なんです。改革は現場も反対じゃないんです。私は今、内から、教師
たちが自らこういうふうに
自分たちでお金を掛けて、
自分たちでお金を出して研修します、
自分たちでイギリスの改革を勉強して、勉強します、先取りします、これをやってまいりました。そういう内発的な改革へ支援することなんです。そうしない限り絶対できません。これはイギリスのブレアさんがやって、それを反省して十数年たってそう変えてきたんですよ。それを今もって今度は再生会議も外部からこうやるというだけでいけば、これは必ず失敗しますよ。
これは、一九九七年にユネスコが二十一世紀の
教育をどうしたらいいかというときに、二十一世紀の扉を開くかぎは生涯学習であると。そして、
教育改革を成功するためにはどうしたらいいかという先進国を分析した
報告があります。この中には、矢継ぎ早の改革は改革をつぶしてきた、余裕を持って参画する時間を持たなきゃ駄目ですよ、そして改革の当事者を入れない限り改革は成功しません、失敗した国はみんなそうなっていますよというあの
報告がございますので、そのことも肝に銘じていかなければいけないかなというふうに思っております。
それから、この不当な支配に屈することなくというのを今度入れていただきました。私は非常にこれにもこだわっている。これを入れてくれたから、国を愛するとか公共性の問題を主張してもいいよということで、もうちょっと補足したいんですけれども、時間が来てしまい、途中でございます。失礼いたしました。