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浮島とも子君 ありがとうございました。
今も
お話ありましたけれども、私がバレエをやっていたから、バレリーナだったからこの文化芸術がとても重要だとただ言っているわけでは今はございません。
私が阪神・淡路大震災を実はニューヨークの自宅で知りまして、何かさせていただきたい、何ができるだろうという思いで、約十三年半ぶり、十四年ぶりにこの
日本に帰ってまいりました。そして、これこそ本当に
自分の直接体験を通してでございますけれども、帰ってきてすぐに、本当に文化芸術の力というのは、人に勇気、そして希望、夢、生きる力を与えるものだということを体験をさせていただきました。
と申しますのは、ある六歳の少女との出会いがありました。彼女は、私が帰ってきたのが十一月でございましたけれども、彼女は震災で体を悪くして病院に入院をしておりました。十一月の十一日、十二日、きれいなルミナリエが飾られていた門で、このきれいなルミナリエの前でどうかバレエを踊らせていただきたい、そんな思いで、宝塚の方々にも御協力いただき、バレエを踊らせていただきました。
その六歳の少女は、病院からそのバレエを見に来てくれたんです。そして、病院に帰って、ママ、パパ、早く元気になってバレエやるよ、やらせてねと言い続けたそうです。
私は、その一か月後の十二月二十四日、このクリスマスイブ、
子供たちの作品だけを作りたい、歌や踊り、ミュージカルの作品を作りたいと思って募集を掛けました。そのニュースをお父さん、
お母さんが知って、もう一日だけ外出許可をお願いしたい、病院にお願いをされました。しかし、残念ながら、この彼女は体が衰弱し切っておりまして、十二月一杯の命と言われておりました。もう十二月の寒いときですが、劇場に連れていく、暖房がある暖かいところで見るならともかくですけれども、ルミナリエという寒い外で何十分も何時間も、幾ら
子供が歌ったり踊ったり元気な姿を見ても、その場で亡くなってしまうかもしれない。病院からはもちろん許可が下りませんでした。
でも、お父さん、
お母さんは
考えて、ずっと悩んできた。六歳のこの命、もう最後のこのクリスマスイブ、何のクリスマスプレゼントを上げるべきなのか。縫いぐるみなのか、あるいはお花。お花だったら病室じゅうをお花で埋め尽くしてあげよう。あるいは、ケーキだったら、いろんな手作りのケーキを作って喜ばしてあげよう。さんざん悩んでこられたそうです。
でも、十一月のこのバレエを見て以来、彼女はいつになく元気になって、早く元気になる、元気になる。それまで
自分で起き上がる努力もしなかった彼女が、一生懸命座る努力をし始めた。
お父さん、
お母さんは、一生懸命悩んで
考えてきたけど、物ではない、この六歳の命、六年一生懸命頑張ってきたこの命、最後のクリスマスプレゼント、贈るべきものは、同じ年齢の
子供たちが歌って踊って元気に生きている姿、頑張っている姿、この姿を見せてあげることが最後の彼女へのクリスマスプレゼントだよといって、毛布にくるんで病院に内緒で連れてきてくださいました。私はそのとき司会をしていたのではっきり覚えているんですけれども、一番前のパイプいすに座って、お父様にだっこをされて、毛布にくるまれておりました。
私は病気だと知らなかったので、その女の子が、
子供たちが歌うと、知っている歌は大きい声で歌います。そうすると、お父様が慌てて口を押さえます。そして、毛布から手を出して一緒に踊ります。そうすると、お父様が慌てて手を中にしまい込むんです。その状況を見ていて、あっ、寒いんだろうなと思って、最後に彼女に
言葉を掛けました。最後まで見ていてくれてありがとう、寒かったね。声を掛けたら、とっても楽しかった、毎年クリスマスにはここに来るの、そして今度はみんなと一緒にお歌も歌う、踊りも踊るよ、ありがとうと言って、本当にきれいな笑顔で、こんなバレエの手をして、にこにこしながら帰っていかれました。
そして、十二月一杯と言われた命ですけれども、早く元気になる、元気になる、元気になってバレエやる、お歌も歌う、ベッドの上に
自分の力で座れるまでに回復したそうです。約二か月以上命が延びたと。
そして、最後の日、
お母さんがつらかったんで病院の窓から外を見ていたら、ママと呼んだんで、何、上からのぞいたら、ママね、バレエのお姉さんにありがとう言って、今度生まれてきたらバレリーナになる、お歌も歌うの、そしてみんなを幸せにするの、ありがとうと言ったのが最後の
言葉だったそうです。
そのありがとうを、お母様、お父様が、私、そして今でもボランティアの方たくさんいますけれども、その心温まる、心からのありがとうを伝えに来てくださいました。その
言葉を聞いたときに、ああ、文化芸術の力というのはこういうもんなんだな。例えば阪神・淡路大震災の後も、道や橋やビル、そういうのは目に見えて直ります。でも、心の復興、心を元気にといっても人には心は見えるものではありません。でも、文化芸術の果たす力というのは本当に計り知れない力があるんだということをそのとき実感をいたしました。
そして、その後に何ができるかと思って、また震災で御両親を亡くした
子供たち、そして何かの都合で御両親と住めない養護施設の
子供たち、また一般のお子様を加えて劇団を立ち上げましたけれども、その劇団の中でも、本当に小さな
子供からそしておじいちゃん、おばあちゃん、見に来てくれたおじいちゃん、おばあちゃん、そしてリストラに遭い会社を辞めようとして本当に
自分の命を絶とうとした五十代の
男性、また中には、中学二年生の男の子は、本当に震災で、目の前で御両親を焼死させてしまいました。
自分はある程度力があったのに助けられなかった。ずっと責めていた彼も、十年掛かりましたけれども、十年たったときに、
先生、ごめんね、僕には両親の命は救えなかった。でも、一人でも多くの人の命を救う立派な医者になると言って、今お医者様に向けてすごく一生懸命勉強をしているところでございます。
この文化芸術の体験、そして人と人との触れ合い、これが本当に重要であるということをこの十年間、私が体験をもって、直接体験として感じさせていただいたところでございます。
今本当にIT化が進んでいく中で、
子供たちに夏休みが終わった後に何して遊んでいたと聞くと、ゲームで遊んでいた、あるいはパソコンでいろんなことを調べて遊んでいたという声が非常に多くございますけれども、このバーチャル化がどんどん進んでいく中で、
言葉にも温度があるということを
子供たちに教えていかなければいけない、伝えていかなければいけない、これが私
たち大人の責務だと私は
考えております。
私がアメリカ、ニューヨークにいたときも、「ミス・サイゴン」というミュージカルを見に行ったときのことでございますけれども、これも直接体験、小
学校三年生ぐらいの男の子が作品を見ていまして、休憩に、お父さん、
お母さんにその年齢で感じたこと、戦争はしちゃいけないね、戦争をしたら大変なことになるんだ。するとお父さん、
お母さんが最後まで見てみようと言って最後まで見る。最後に、見た後にお父さん、
お母さんがどうだったと聞くと、ああいう国には
学校はあるの、教科書はあるのかな、
学校の
先生はたくさんいるんだろうか、病気になったときに治してくれるお医者さんはいるんだろうか、困ったときに相談できる人はいるの、きれいなお水はあるの。その小
学校三年生、四年生なりに
自分の心で感じた、教科書や本当に本で学ぶことも大切ですけれども、心で感じたことをお父さん、
お母さんに訴えて聞いております。お父さん、
お母さんが、まだないかもしれない、なぜと聞くと、僕にはお父さん、
お母さんもいる、そして
学校もある、そして教科書もある、もっと教科書を大切に、そして一生懸命勉強して大人になったときには人の役に立つ
仕事に就けるように頑張る。だから、明日からもっと勉強を頑張るよという姿を数々見てまいりました。
でも、
日本に帰ってきて、実際、
日本の
子供たちがそういう状況の下にあるかといったら、なかなか厳しいのが今の
日本の現状でございます。フランスの方では三人に一人が文化芸術を趣味にしている。そして、ニューヨークでは週末にはいろんな劇場に家族、そして恋人同士でいろんなものを見に行くのを習慣としていると言われておりますけれども、まだまだ
日本にはそういう習慣は残念ながらございません。
私は、そんな観点から、この文化芸術が
教育に果たす
役割の大きさ、先ほど御
答弁いただきましたけれども、
学校で今約八百校ぐらいやられているということでございましたけれども、本当にいろいろ文化庁さんの方にも御努力をしていただいているところでございますけれども、まだまだ本当に量的には足りておりません。
例えば、小中
学校が約三万四千校あると言われておりますけれども、今のペースで
学校、私は最低年に一回は
子供たちが本物の文化芸術に触れるようにということで、初当選して以来この二年四か月訴えさせていただいてまいりましたけれども、本当にこの最低
子供たちが年に一回触れるためにしていくためには、このままのスピードですと約五十年以上掛かってしまうというのが現状でございます。そんな中から、今後何年、何十年のうちにだんだん増やしていくというのではなくて、ここで思い切った改革が必要であると私は
考えております。
この体験活動にはお金が掛かるものでございます。必要だ、すばらしいと口で言っているだけではなくて、思い切った予算の
確保、そして人も必要になってまいります。また、後で
質問をさせていただきますけれども、
学校では今でも事務処理などに追われて
現場にある大切な
子供と接する機会が少なくなってきている中、しっかりとした対策を取ってほしいと思いますけれども、
学校教育におけるこの文化芸術の果たす
役割についての御見解、そして、ここで思い切った予算
確保への決意を
大臣にお伺いさせていただきたいと思います。