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国務大臣(
久間章生君) 今おっしゃられましたように、長年の懸案であったと、よくそういう話が言われます。しかしながら、やっぱりその時代背景、背景でそれが実現するかしないかあるわけでありまして、まず
自衛隊が発足したというそういういきさつ自体が、ああいう戦後の状態の中で戦争放棄をうたった憲法九条の下でどこまでできるのかというようなことから
自衛隊が存在して、やっぱり
日本も専守防衛といいますか、やっぱり自分の国を守るためには何らかの実力
組織を持っておかなきゃならないというのが理解されてできたわけであります。
そのときは、とにかくその
自衛隊がおるということが一つの抑止力になるといいますか、空白をつくっちゃいかぬということでスタートしたわけでございますが、そのときは、だからその
自衛隊を管理する
官庁としての
エージェンシーといいますか庁があればいいと、あるいは必要な装備品を調達するための庁があればいいということで
防衛庁があった。そういうことでスタートしてきたわけでございますけれども、やっぱりその後、災害が発生したときなんかは、やっぱり一番頼れるのは
自衛隊じゃないかということで災害派遣等の回数も非常に増えてまいりました。あるいはまた更に進んで、
国連にも入りました
関係もあって、
国際協力業務という形でもカンボジアに行ったりいろんなところにも出掛けていくことになって、最初はそれについても非常に、
PKOについても
国民のまだ賛成、反対や意見が分かれておりましたけれども、だんだんとそれが理解されてきて、行くことについては拍手で送ってもらえる、帰ってきたらよくやってきたという形で評価していただけるという、そういう形で海外派遣についても理解されてきたと。
それと同時に、一国だけの防衛ということを
考えるんではなくて、これから先の平和は一国が他国とどういうふうに交わっていくか、そのためには
外交だけではなくて軍隊
組織と
自衛隊とのそういう交流も必要だろうと。そして、お互いが疑心暗鬼になって猜疑心を持つんじゃなくて、手のうちも見せながらやるべきだというようなことから防衛交流をやる。それも、幹部だけではなくて若いうちから、こちらからもよその国の国防の大学校に留学させる、あるいは向こうからも防衛研究所とかあるいは防衛大学校にも留学生で来てもらうという形でそれも必要だろうと。さらには、どういった国と密接に防衛問題について手を組んでいったら一番いいのかとかいうようなことで、そういう
政策も必要になってきたと。
そしてまた、現実にはソ連と
アメリカとの対立がなくなって、ロシアがロシア共和国その他になって、しかもそのロシアと
日本とは海難救助協定みたいなやつも結んで一緒に訓練をするようになってきた。
アメリカとロシアもやるようになってきたというようなことで、かなりそういう交流
関係も活発になってきたので、やはりこの辺で、
防衛庁は単なる管理する庁としての
組織ではなくて、もう少しそういう機能面も含めて
国民の
期待にこたえるような、そういうような
自衛隊を所管している
政策官庁として、国の安全問題を担当する
政策官庁として脱皮することが大事じゃないかということで、
防衛庁を省にしようという
動きがだんだんと高まってきて今日に至って、先ほど先生がおっしゃいましたように、ガイドラインもできて、それから
周辺事態法もできて、有事法制もできて、
国民保護法制もできて、そういう法制も
大分整備されてきたので、やはり集大成じゃないですけれども、
防衛庁を省として、きちんと
政策官庁として位置付けたがいいということで今日この
法案が閣法として
政府が出すに至ったと、そしてそれに対して与党としてそれをサポートしてもらうことになったと。そういう背景の中で今日が来ているんじゃないかというふうに思っているわけです。