○
赤松(正)
委員 公明党の
赤松正雄でございます。
私の方からも、先ほどの
近藤小
委員長からの御
報告に若干補足的な
意見表明をしたいと思います。
先般の小
委員会の各
委員の
発言の中で、私は、当たり前のことでありますけれ
ども、
中山委員長が
発言されたことに再確認をしたといいますか、当然の事実に改めて思いをいたしました。
それは、
委員長はこう
発言をされております。「
調査会の結論として、各党参加の上で
意見を求めましたところ、
憲法は
改正すべきであるというのが過半数の
議員の
意見でございました。これは本
会議でも
報告をしております。」と。
つまり、五年間の
憲法調査会の結論として、
憲法は
改正すべきだ、当初の、スタートの思いは別にして、あえて問わずとも結論は
改正すべきであるというのが多数を占めた、このように
中山委員長がおっしゃったということの
意味を改めて私は感じるわけでございます。
実は、平成十七年、去年の四月に、
憲法調査会がそのような結論を出した。実は、それからもう既に一年七カ月がたっているわけですけれ
ども、ある
意味で、この一年七カ月の間に、
憲法を
改正すべきだという多数の
意見の上において、どこをどのように変えるべきか、あるいは変えなくていいのかというふうな、現行一九四六年
憲法というものをありとあらゆる角度から
憲法改正すべし、じゃ、どうするのかという細かい
議論を実際はやっていなければならない。
しかし、それが、
国会の仕組み上といいますか、さまざまな
問題点もあって、それはある
意味で棚上げにされた上で、
現状ここでこうやって行われているような、
憲法調査特別
委員会という場において
憲法改正のための
国民投票法という、もちろん関連はしているわけですけれ
ども、ある
意味で違った角度の話に我々
国会議員が時間を費やしている。つまり、きょうの時点で言えば一年七カ月空白
期間があって、
憲法改正について
国民に提示する
論点整理というものがある
意味で詰めた
議論がされないでいるということは、いささか残念な気がするわけであります。つまり、恒常的にそういった
議論をどこかの場でしっかりする必要があるなということを痛切に、この間
中山委員長の話を聞きながら思ったわけであります。
今、
船田委員また
園田委員からも
お話がございましたように、私
どもは、今
議論をいたしております
与党案そして
民主党案、この
憲法改正のための
国民投票法が成立いたしましたら、やはり急ぎ、先ほど言った、今空白になっている、どこをどう変えるのか、変えなくていいのか、
法律で対応できるのかというふうな論点をしっかり
国民に提示するための
議論をしていかなくちゃいけない。それは、この新しい
法律が実際に動き出すための
期間の単なる消費時間、時間がたっていく、
周知期間の間に合わせ的な過ごし方ではなくて、しっかりと積極的な
意味合いを持った
調査、
議論というものをしていかなければならない。そんなふうに考えまして、現在行われているこの臨時
国会冒頭の
調査特別
委員会の
議論でも、私は、そういう場の必要性、そして時間の必要性ということを強調させていただいたわけでございます。
でき得べくんば、この
憲法審査会という名前のもとにおいて、要するに、新たなる
憲法を
発議してということと、それからその前
段階としての、先ほど来申し上げております
現行憲法の課題というものを、同じ
審査会という名において二つに仕切るというよりも、何か違う名称のもとに
議論をする場を設けるのが筋ではないのかなという気はいたしておりますが、これは皆さんいろいろな御
意見があろうかと思いますので、
議論にゆだねたいと思います。
いずれにしても、先ほど
船田委員から
意見がございましたように、二年というのは短いのではないか、やはり事の重大性にかんがみて、二年と三年にどれだけ違いがあるのかという
お話もあろうかと思いますけれ
ども、より慎重に、より着実に
議論をする
期間というものを設けるべきではないか、そんなふうに思う次第でございます。
それからもう一点、先般の
参考人の中の
小林参考人からの
お話があった、今お二人からも
お話がございましたけれ
ども、
国会による
有権的世論調査ともいうべき予備的な
国民投票は
一考に値するという
発言がございました。
これは、もともと私が
発言をしたことに端を発しているのではないのかということを
小林参考人もおっしゃっておりましたけれ
ども、私も、明確な、固定的な考えがあって言ったわけではなくて、ある種、若干イメージに左右された
部分が強いわけでありますけれ
ども、それは先ほど
船田委員がなかなか悩ましいと言われたこととも関連するわけでありますが、やはり一発勝負で、
国会が
発議したものを
国民に
国民投票という格好で
判断を迫っていくというのは少し無理があるのではないかというふうな思いが強くするわけでございます。
ある
憲法学者が家と設計図の
関係に例えて言っております。つまり、新しく家を建てる、それは新築か、あるいは、私
どもが言っておるようなのは恐らく増築ということになろうかと思いますが、家に例えれば増築あるいは改築、そして全く家を建てない考え方をお持ちの方もいらっしゃるわけですけれ
ども。
そういう家を建てるのと設計図という
関係に立った場合に、施主が、施工主があらかじめどういうふうな格好の家にするのかという設計図を提示し得ないでいて、いきなりでき上がっちゃった家を見せられたら、我々の考えていたものと違うじゃないかという話になる。この場合、家を建てる、発注する施工主というのは
国民でありますから、
国民の側から見て、大筋こういうふうな家を建てたい、それは新築かあるいは増改築か、その辺のことも含めて、
国民の大きな
一つの方向性というものは我々
国会議員の方は事前にしっかり
認識をしておく必要がある、そういうふうなことをある
憲法学者は言っておりますが、私もそれには非常な共感を覚えるわけでございます。
そういう
意味で、この予備的な
国民投票ということについてはなかなか難しい側面もあろうかと思いますけれ
ども、工夫をいたしまして、例えば、自由
民主党の皆さんがおっしゃっているような全面
改正でいくのか。あるいは、私
どもの言っているような
部分的な加憲、先ほど言いました、家で言えば増築あるいは改築、こういったことで、既存のものをしっかり生かした上で新たなものをつけ加えていくのか、あるいは全く変えないのか。
この全く変えないということについては、先ほど冒頭で申し上げました
中山委員長の
発言にもありますように、私
どもが五年かけた
一つの結論としての、
改正すべきであるという者が多数を占めたということからすれば、全く変えないというのは問いかける材料としては不適切なのかなという気もいたしますけれ
ども、いずれにしても大筋の方向性というものを
国民にあらかじめ諮るというふうなことが何らかの形で工夫されて
実施されることは考えられていいのではないか、そんなふうなことを考えている次第でございます。
以上です。