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本多参考人 新
建築家技術者集団の
本多と申します。
新建という
団体は、
建築士、
建築家だけでなくて、名称にありますように
建築技術者も含んでおります。
設備の
技術者、電気の
技術者な
ども含んでいる
団体です。
団体の性格としては、
建築運動
団体というふうに性格づけております。
建築運動と申しますのは、
建築の在野の、現在の体制に対して批判的に改善をしていく、そういうことを目的としている
団体ですが、発祥としては、大正九年に分離派
建築会、それから大正十二年に創宇社
建築会というような若手の
団体ができまして、その流れが戦後、NAU、新
日本建築家集団という
団体になりまして、さらにその流れとして私
どもの新
建築家技術者集団ができているという、そんな流れでございます。
戦前の
建築士会は、ただいまの
仙田さんの御説明にもあったように、
建築士会自身が
建築運動というような性格を持っておりまして、
建築家の独立、特に
工事施工、あるいは材料、部品の企業からの独立ということを掲げておりました。それは運動としてはずっと掲げてきたんですが、現在は、
設計施工一体というか、一社でやることも合法というふうになっております。この辺に
一つの問題があるというふうに感じております。
私の
意見はこの
資料に大体書いております。揚げ足をとりやすいように全部私の
発言を書いておりますので、その順に
発言いたします。
今回の改正は、いろいろ問題を含んでおります。不十分であるということは多くの人が感じているわけです。
なぜ不十分かということを私なりに考えてみますと、姉歯元
建築士による
建築構造計算書偽装
事件、これから起こったさまざまな不安を取り除くための緊急で臨時的な対策なのか、あるいは、
建築行政、
建築生産、
建築法制全体の、これは長年にわたる問題がいろいろ積み重なっております、その山積した問題を抜本的に解決するための改正なのか、この辺がどうもあやふやなんですね。主語を書いていないんですけれ
ども、私の感じでは、
国交省自身があやふやなんではないかというような感じを持っているわけです。
私は、結論的に言うと、今回の改正を臨時的、応急的なものというふうに位置づけて、割り切ってすべきではないかというふうに思っておりますが、全面的にやる場合はどうやるか、それから臨時的にやる場合はどうやるかということを、私なりに考えたことを申し上げます。
一に、「全面的・抜本的な解決を目指す場合」と書きましたが、従来からさまざまな問題があるものを解決するんであれば、
国交省所管だけでなくて、他の省庁、ここに書きましたように、環境省、厚労省、経産省、文科省、法務省など、全体で取り組むというような構えが必要であります。
その具体的な取り組み方というのはここでは省略しますけれ
ども、基本的に考えるんであれば、まず第一条から書き直さなければいけない。
建築士法の第一条は、ここに書きました、下の方ですが、「
建築物の
設計、
工事監理等を行う
技術者の
資格を定めて、その
業務の適正をはかり、もつて
建築物の質の
向上に寄与させることを目的とする。」これだけ書いてあるわけですね。これだけでは、
建築士がやるべきことがほとんど見えないわけであります。
二ページ目に参りますが、例えば弁護
士法ではこのように書いてあるわけです。これは読み上げませんが、弁護
士法それから医師法を引用しておりますが、簡潔ながら
専門家としての社会的使命、
責任がきちんと掲げられている、そういう第一条を持っているわけです。
それで、
建築士というのは、
国民生活の場の快適性、安全性の確保、それから美しい景観の創出、我が国の伝統文化の維持、深化、再生等々課題を持っているわけです。こういうことがまず最初に掲げられなければならないと思います。
それから、そうした第一条を掲げた上で、その法案の中身には、現在の根本的な問題である
設計監理業務の独立はどうやって保障するのか、今までの歴史上の議論も踏まえてそれの解決の
方向を示す必要があります。それから報酬規程、これはダンピングが横行してそのために粗悪な
設計が多くなっているというのは実情であります。そういうものがどうやったら解決できるのか、そういうことも含めて、全体として問題にしなければならない。そういうことをやるのか、やらないのかですね。
実際には、今回の法案というのは、そういうところまで触れておりませんから臨時的なものだというふうに思うんですけれ
ども、臨時的なものでありながら、ついでにほかのこともやるというようなことを含んでいるというふうに感じます。
それは例えば、二の方に参りますが、今回の問題というのは、基本的には
構造の問題で起こっているわけです。世の中で議論されたのもそこに集中しているわけですから、
構造の部分をきちんとする。それからもう
一つは、六月の国会で行われましたように、確認検査の部分をきちんとする。そこのところに限定したらいいと思うんですが、今回の改正を見ますと、
構造のついでに
設備もというような感じを受けるわけです。
三枚目に参りますが、
設備設計一級建築士というのをつくるというのは、これは机上の論ではないかという感じがします。
一級建築士でこれに該当するというか、これからそういう
資格を取れる人というのはもう非常に限られています。一方、これは
建築士法の二十条の五で決まっていて、しかも施行規則の第二章の三で詳しく規定されている
建築設備士というものがあるわけですね。この
制度が二十年も続いていて、しかも
建築設備士は三万人以上が活動しているわけです。この
人たちが問題を起こしたという
事件が起こっているわけではないわけです。なぜその
人たちではいけないのか。ここは非常に説明不足ですし、むしろ
設備設計一級建築士というのをつくるというのは、実際にはなかなかつくれませんから、現場で混乱することは必至であります。そういうものを一緒にやろうとしているんですね。
構造のことが臨時に問題になったにもかかわらず、ついでに
設備のことを持ち込む、こういうことをやっております。
それからほかにも、これもちょっと気になったんですが、指定
登録機関をつくって、従来は
国土交通大臣や
都道府県知事に
登録していたのを、全部その指定
登録機関を
民間にするということであります。さして問題がないようにも見えますが、一方で言うと、
建築確認を
民間に開放したのと同じような問題を含んでいるかもしれません。少なくともこの問題は
建築諸
団体の中でも十分に議論されていないわけですが、そういうことが、今回、相当な条文数で載っております。
こういうさまざまなことを一緒にやろうとしている、しかしこれは問題ではないかというのが私の
意見です。
三番に参ります。
「三、
建築基準法等もあらためて抜本的検討を」といいますのは、去年から
民間確認機関のことが問題になりまして、この六月の議会で、
民間確認機関の指定要件の強化とか、特定行政庁による指導監督の強化、その他の
業務の適正化ということが決まったわけです。これはこれでいいんですが、これで全面的に解決したのではなくて、むしろ確認はきちんと公的に地方自治体が行うべきなのでありますが、しかし、今それをすぐ言っても、その
能力がないわけです。人的
能力も含めて、今すぐ
民間確認機関をなくすというわけにいかない。したがって、緊急の問題としては、六月に決めたような
業務の適正化でやむを得ないかと思うんですが、本格的にやるとすれば、そこは再検討が必要なわけです。
四枚目に参りますが、
建築の確認というのは、結局、
国民の生活、活動の場の安全を確保するということだけでなくて、地域空間の活力を
向上する、美しい町並み景観の持続的な創出、その中には伝統文化的な景観の保存という問題も含みます。それらすべてを含めて、都市計画法、景観法を含めて適合しているかどうか、この場所にこういう
建物が建つということは地域の活性化のマイナスにならないか、そういうことまで判断すべきものです。
ですから、姉歯
事件以来、これは
構造が安全かどうかというのを見るのが確認だというような誤解も一部にありますけれ
ども、本来の確認
業務をやるとすれば、首相が言っている美しい国をつくるというのは、ここでやらなければならないわけですね。
そうだとすれば、確認というのは、基本的には
民間企業でできるものではありません。例えばやったとしても、それが公平であるという保証がない。
建設会社や住宅メーカーが出資している株式会社が、そんな公平な判断ができるはずがない。あるいは公平な判断をしたとしても、
国民から見て公平な判断というふうに信頼ができない。本来、確認は、基本的に国家的な
業務としてやらなければいけないと私は考えます。
百歩譲って、単体規定、
建物一つ一つの安全性などについては
民間確認機関ができるとしても、集団規定ですね、その地域にとってその
建物は将来にわたって問題がないかどうかというような検討は、これはやはり地方自治体でやるべきだろうと思いますし、これから陣容を整えてそのようにしていくべきではないかというふうに思います。
最後に四番のところですが、四番、一括下請禁止ですね。例外をつくるべきではないと思います。
今回、そこのところは強化されているとは思うんですけれ
ども、多少抜け道がつくってあるわけですね。三行目に書きましたが、何々以外の建設
工事で、
発注者の書面による承認を得たときは、一括下請を禁止しないものとすること、こういうふうになっています。これは例外ですね。こういうのをやりますと、これは抜け穴に使われる可能性があります。
ここのところで、私は、特にこれは基本的な問題を含むなと思いましたのは、考え方の中に、
発注者の書面による承認を得ればいいという、
発注者の承認ということだけでは困るわけです。つまり、
建築というのは
発注者がお金を出してつくるので、
発注者に非常に決定権限はあります。決定権限はあるんですけれ
ども、実際には、多くの人がその
建物を使ったり、その
建物に出入りしたり、その
建物を見たりするわけですが、その
人たちは
発注者とは別な人なんですね。ですから、その
人たちの利益をどう守るか、ここのところに
建築士の仕事というのは非常に重点を置かなければならない。
したがって、
発注者、
建築主、あるいはオーナーとも言いますが、その
人たちが勝手にやってはいけないんだということを、これは最後のページに参りますが、前に出た社会資本整備審議会の答申にもこんな文章があったので、ちょっと引用したんですが、
建築士の行う
業務は、
法令を守りつつ、
建築主の利益を保護するために行わなければならない云々とあるんですが、ここは当然書きかえて、
建築主の利益及び
建築物の実際の使い手の生命、生活を保護するため、また、町並み景観を創出するため云々、こういうふうに書くべきなわけです。こういうことをきちんとやるには、教育も含めて、
国民全体の課題にしていかなきゃならないわけですね。
そういうことを考えますと、今回の法案については、やはり全体として臨時的、緊急の対処なんであって、今後、
建築行政をめぐっては、根本的に検討する必要があるのだということをぜひ御確認願いたいというふうに思います。
以上です。(拍手)