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公述人(渡辺昭夫君) ありがとうございました。
平和・
安全保障研究所の
理事長をしております渡辺昭夫でございます。私、ちょうど、正確には九か月前に脳出血で倒れまして、一時はどうなることかと思って、で、お医者さんにそのときに言われました、二度目は駄目だよと。じゃ、どうしたらいいですかと言ったら、興奮しないようにということでございますのでできるだけ興奮しないようにしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
今の
小川公述人が
予算委員会の正にテーマである
予算との関連でお話しになったんですが、私、不勉強でそのような準備をしておりません。私の理解では、
予算委員会というのは、言わば数ある
委員会の中でも、特定の問題、
専門化するよりは、一般的な、全般的な非常に広い視野から国政の諸問題を
議論する場だというふうに心得ておりますので、そういう
意味で、与えられましたテーマに関して、つまり安全保障と外交という大きなテーマについてお話をするつもりで参りました。
で、短い時間の中でこの大きなテーマについて私の
意見を述べる方法といたしまして、その前に、本
日本委員会で
公述人としての
意見を述べさせていただく機会を与えていただいたことに対して、
委員会に厚くお礼を申し上げます。
そこで、この大きなテーマに含まれます多種多様な問題というものを個々に論じていると切りがないだろうと思いましたので、こういう問題を相互に関連付けて
議論する、
一つの頭の中に収めるというための枠組みとして、次のような問題を手掛かりとしてはどうかというふうに考えました。
すなわち、
日本は東洋における、アジアにおけるイギリスであるという比較といいましょうか、アナロジーというのがしばしばなされます。少し前にアーミテージさんの
名前で出たアーミテージ・レポートというのが、二、三年前ですか、前に出たことがありますが、あの中でもそういう観点から日米同盟と英米同盟を比較している
部分がございます。で、こういうアナロジーは果たして成り立つのであろうかという問題を手掛かりにして
議論してみたいと思います。つまり、イギリスの例を間に置いて見ることによって、
日本が置かれている外交的な立場、あるいは国際的な立場を少し突き放して冷静に見詰め直す手掛かりとしたいからでございます。
イギリスの対外政策については、よくアメリカとの特別の
関係、スペシャルリレーションズというふうに言われます。
日本に当てはめますと、日米
関係が基軸だというのがここ半世紀の間、言い続けられてまいりましたし、今日でもその考えは生きていると思います。問題は、対米
関係、非常に極端に、あえて単純化して言う場合には、対米
関係さえしっかりしていればすべてよろしいと言う人さえいるわけでありますが、しかし、私は多少そこは違います。
問題は、その対米
関係をそれ以外の諸国との
関係とどう調和させることができるかということであります。イギリスの場合でいいますと、英米
関係とそれから欧州諸国との
関係を、その調和をどう図るかという問題になります。
日本の場合は、日米
関係とアジア諸国との
関係をいかに成立させるかと。このところいろんな
意味で
日本のアジア外交ということが問題になっておりますが、日米
関係とアジア諸国との
関係をどういうふうに両立させるかということがそれぞれの国の外交戦略の
工夫のあるべきところであります。
結論的に言いますと、イギリスの場合は、アメリカとの特別な
関係を維持しながら、同時にフランス、ドイツその他の欧州大陸諸国との
関係も良好に保っていると。それと比べて、
日本の場合は安全保障の面でも
経済の面でもアメリカとの
関係が最重要であるということは、だれしも否定できないことであろうと思いますが、それにしても、そのこととアジア諸国との
関係を緊密化させることを矛盾しないような状況に導くためには、なお一段の
工夫と
努力が必要であるというのが現状であろうと言わざるを得ません。
無論、英国の場合も、例えば大西洋、アトランティックオーシャンを挟んだアメリカとの
関係に軸足を置くのか、あるいはヨーロッパ大陸との
関係に軸足を置くのか、この
二つの間の緊張がございますし、それからドイツ、フランス両国を核とした欧州の地域主義の高まりということを前にして、英国外交の長年の問題というのが絶えず、そして今また新たな状況の下で再定義、再検討に迫られているというのは事実であります。しかし、ここはイギリスの外交について論じる場所ではございませんので、それ以上この点を追求する必要はないと存じます。
日本の場合は、様々な理由で、一方におけるアメリカとの
関係と他方におけるアジアとの
関係を同時に満足させる二元方程式といいましょうか、の解を求めることはイギリスの例に比べるともっと難しく、したがってもっと真剣に頭と心を使う必要があるということを認識するのが当面必要なことであろうと思います。
今、様々な理由からと申しましたが、そのうちで特に重要と思われるものについて、残った時間で、少し駆け足になりますが簡単に触れてみたいと存じます。
第一は、
日本人の対米観についてであります。
日米
関係について問われたときに、我々
日本人の一般的な感覚では、これは特別な
関係であるとか、あるいは自然な同盟であるとか言い切れないという問題があろうかと思います。
振り返ってみますと、二十世紀とは、その前半は、次第に増していく緊張
関係、その末に大戦争へと突入していく
対立と戦争の局面でございました。その後半は、戦勝国と敗戦国という正反対のところから出発しながら、冷戦期をともに戦う同盟国としての
関係を着実につくり上げていった協調と共栄の局面という
二つの対照的な局面を経験いたしました。そしてまた、そのようにして、初めは太平洋の覇権を争うライバルとして、次には太平洋における平和の構造をつくり上げるパートナーとして、アジア太平洋の国際
関係の歴史を日米両国が主導してきた百年でありました。
したがって、こうした歴史の共有を通じて形付けられてきた日米
関係というものは自然な同盟と言うに近いものになったと言えそうであります。それでもなお、意識的な
努力と慎重な取扱いを忘れるならば溝が深まりかねないという危うさを内に抱えた
関係であろうかと思います。
二〇〇一年の例の九・一一事件後の不安と危機をともに経験し、そしてアフガン戦争やイラク戦争で同盟
関係を深めてまいりましたが、果たしてどこまで信念と価値観の共有という裏付けのある強靱な同盟
関係となっているのかは疑問であろうかと思います。防衛や外交の
専門家の間では日米基軸論は定着しておりますが、
国民心理の深部にどこまでそれが深く根を張っているのかは問題が残っているのではないでしょうか。
例えば、在日米軍基地は、同盟の基盤、共有の資産としてではなくて、外国軍の基地として、あたかも体内に入り込んだ異物のようなものとして見る態度が根強いようであります。日米同盟のため、そして
日本の安全保障のために一定の負担、例えば騒音公害とかリスクというのは必要であるという総論に対して正面から反対こそはいたしませんが、我が家の庭先には御免であると。アメリカではNIMBYと、ノット・イン・マイ・バックヤードと、結構なものだと、しかし私の裏庭にはそれを持ってきてくれるなという言い方がアメリカにもありますから、これは言わばどこの国のどこの人間でもそういう気持ちはある
意味で自然だと思いますが、そういう自然な気持ちをあえて超えてこの犠牲を引き受けようというふうに思うか思わないかというところが
ポイントだろうと思いますが。で、日米同盟に関するこのような
国民一般と外交・防衛
専門家との間の意識のずれを大幅に縮めることができたとき、日米
関係は英米
関係になぞらえることができるところまで成熟したと言えるでしょう。
ただし、公平のために言っておかなきゃいけないのは、イギリスにはそれほど深刻な大きな基地問題というものはそもそも存在しないという点はございます。日米同盟が英米
関係になぞらえ難いということは、むしろちょっともっと別の面で表れています。つまり、イギリスの軍隊と違って、自衛隊は最近の国際平和協力への深まりつつある関与にもかかわらず、国際平和のためのスクラムにまだ十分に参画できる態勢ができていないというところにそれが表れていると思います。
簡単に言えば、平和は不可分であるということはよく言われます。自衛も不可分であると。つまり、私の平和、私の自衛はあなたの平和、あなたの自衛と分けることができないという精神、政治的意思の表明があってこそ同盟
関係になるかと思います。今のところ、
日本の国際平和協力活動に関する立場は原則はノーであると、条件次第ではイエスというものでありまして、原則イエスであると、条件次第ではノーというふうになったときに初めて日米
関係は英米
関係に近づくでありましょう。安全保障基本法というものが
議論されておりますが、そのような立場の表明手段になるかどうかということが今問題であると思います。
ついでに申し上げますと、例えば、一番最近の二〇〇一年の大綱で、国土防衛に加えて国際平和協力活動というこの
二つの役割が
日本の自衛隊にはあるのだと、
日本の防衛力にあるのだと言っております。これはある
意味、いわゆるほかの先進国、例えばイギリスの例にも非常に似ているところであります。
ただし、イギリスの場合は、一九九五年のイギリス国防省のある文書によりますと、ディフェンス、防衛力の役割は三つあると。第一は、本土とその属領の保護と安全保障である、これは
日本の場合の国土防衛というのに相当しますね。で、第三に、国際平和と安定を図ることによってイギリスにとってのより広い
意味での安全保障上の利益を促進するというのは、これは
日本の国際安全保障協力というのと相当する。ところが、真ん中にもう
一つ重要なことがあるんです、この中に。それは何かというと、イギリスとその周辺国に対する大
規模な脅威に対する備え。国連憲章五十一条の定める自衛の権利並びに義務の遂行というのがありますね。これは、我が
日本の場合はいわゆる集団的自衛権云々との関連で、これは
日本の自衛隊の役割の中には入っていないと、これが非常に一番大きな重要な違いであります。それが英米
関係と日米
関係が比べられないということの最も端的な例であろうかと思います。
もっと大事なことは、時間がだんだんなくなってまいりましたが、私の今日の一番申し上げたいことは次の一点ですね。日米同盟がいまだ強靱性を欠くと言わざるを得ない第二のといいますか、その理由は、それがアジア太平洋地域というより広い国際
関係の中に十分に根を下ろしていない、十分に定着していないからであります。この点でも、ヨーロッパの国際
関係の中における英米同盟との比較が
参考になります。
ドイツ、フランスなどのヨーロッパ諸国とアメリカとの間には、例えばイラク戦争の例を思い出すまでもなく、これはまだ記憶に新しいところだと思いますが、安全保障問題をめぐって意識のずれや温度差があることは確かであります。そして、米国との特別な
関係を誇るイギリスに対して距離を置く、独仏はですね、ところがありますので、それはあくまで大西洋同盟、NATOの地域外の問題への対応に対しての違いが原因でありまして、英米
関係そのものが直接例えば独仏などに悪影響を及ぼすものと見られているからではありません。つまりは、かつてはソ連の脅威に対して、今ではテロの脅威に対して、英米だけでなくて独仏等も含めて、基本的には共通の利害で結ばれた
関係がそこにあるわけであります。
翻ってアジア太平洋を見れば、日米同盟というのは、韓国や東南アジア諸国から見てもプラスの資産、つまり公共財としての
意味を持っておりますけれども、中国や北朝鮮はそのようには見ておりません。ここで中国の台頭というものが、北京の指導者が我々にそう思ってほしいと考えているような平和的台頭という、中国では和平崛起という言葉を使うようでありますが、英語ではピースフルライズと言っていますが、こういう平和的な台頭なんだと盛んに北京は今メッセージを投げ掛けていますが、そういうものとして終わるのかどうかについて
日本を含めたアジア太平洋諸国はまだ確信を持てないということが、日米中のこの三か国の間に不協和音をもたらしているという現実から目をそらすことはできません。
その点で、米中
関係と日中国交正常化が相前後して実現した三十年前の状況と、一九七〇年代の話ですね、と今日のそれとは大きく違っております。当時は、ソ連の覇権に対抗するという点で戦略的利害を共通にした日米中三国間に、擬似同盟とあえて書きましたが、的な
関係で少なくともある種の調和的な
関係が成立しておりました。
御記憶の方は、当時、
日本の外交当局、
日本の
政府は、日中、この新しい条約が決してソ連の覇権に対抗するものではないということをいかにソ連に信じてもらいたかったかということがあるんですけれども、客観的に見ればそれは中国、逆に中国側は、これはソ連の覇権に対抗するというものであるということを色濃く出したい、
日本側はそれは薄墨色にしたい、こういうことがあったのを御記憶だと思いますが、しかし客観的に見れば、大きな観点から見れば、今申し上げたように、やはりソ連というものを念頭に置いて、ソ連の影響力がこの地域で拡大するということを抑えたいという共通の利害関心をアメリカと中国が持ったからこそ米中接近が成り、そして
日本もその中に加わるということになったというように私は考えております。
ところが、ソ連の脅威が消滅いたしました。それから、当時はなかった中国の自力というものがここにはっきり付いているという
二つの条件が三十年前と全く異なる安全保障環境をつくり出しております。そうすると、日米中の間の安定的な
関係というものはどうしてつくったらいいかと。この安定的な
関係ができれば三者ともプラスになりますけれども、それにはやはり共通のターゲットが必要であります。
やや刺激的な言葉ですが、共通の敵は何であるかということですね。かつて米中接近の際、中国の周恩来首相は、ニクソン、キッシンジャーを相手に、単なる友情の上に永続的な安定した協力
関係は築けない、国益の一致、利害の一致があってこそ安定的な米中友好
関係が築けるという
議論をしております。で、ソ連の覇権阻止がその場合の共通の国益でございます。時は移って今、アジア太平洋においてともに事を成す相手としての中国を見出すことができれば、日米との間に持続的、安定的な調和的な
関係を築くことができるでありましょう。
今後の四半世紀先のアジア太平洋地域の秩序に関して、先ほど言ったニクソン、キッシンジャーと周恩来、毛沢東は、これから二十五年後のアジア太平洋はこうあるべきだということを二十五年先を見て
議論をしていますね。で、その二十五年先がたって今ここに我々はいるわけですね。そうすると、今から二十五年先を考えてどういう
議論を我々はすることができるのかということですね。その点で、
日本が、日米が中国と共通するイメージを持って行動できるかどうかという観点から、
日本は対米政策を、そして対中政策、対アジア政策を確立すべきその時期になっているのではないでしょうか。
この点で、最近発表された米国の四年ごとの国防計画の見直し、QDR二〇〇六という文書があります。これは
意味深長な文書でありまして、そこでは戦略的な岐路に立っている国々がどういう選択をするかということに関して我々は影響を与えるべきであるというふうに言っておりますが、そこで念頭にある国々の代表的な例が中国であるということは容易に推測できるわけでありますね。
分かりやすく言えば、その対話路線を選ぶか軍事力の建設を含む強硬路線を選ぶのか、戦略的基礎に立っているのが今の中国であるという認識の上に立って対話路線を促すメッセージを送り続ける一方で、強硬路線を志向しようとする勢力がもしあったとしたら、それに対しては日米ががっちりとスクラムを組んで、その道の前にはこういう越え難い壁があるということを示してみせるということによって初めて中国を対話路線の方向に導くことができると、こういうのが今のアメリカの考え方であろうと思います。私はそれを二枚腰の対中政策、ヘッジングストラテジーと英語では言っていますが、それは最近の日米の間のいわゆる2プラス2の共同発表文書でもそのような考え方を言っているのではないかと私は考えます。
時間の制約で他の問題に触れる余裕がなくなりましたが、あと三十秒ほどお許しください。
日米中という大国間の
関係だけに注意を払っていればよいという
意味では決してありません。アジア太平洋にはASEAN、東南アジア諸国とか、あるいはPIFと、太平洋島嶼国という小さな島々の国ということで、多数の中小国がこの地域を我々と共有しているわけですね。地域の大国、中でも日米両国は、こういった多数の中小国の健全な国づくりを様々な方法で支援していくという役割を持っております。この点が英米同盟あるいは米欧
関係と私は違う特徴だと思っておりますね。
ASEANについては比較的知られていますので、一言だけ最後に申し上げたいのは、太平洋の島々は、ともすれば見分けられない細かいたくさんの国々があります。それがPIF諸国といいますが、それで、五月に沖縄で開催が予定されている
日本・PIF、太平洋諸島フォーラム首脳
会議です。通称島サミットというものについて簡単に言及しておきます。
実はここでも、ここでも中国、台湾、韓国などの国々が新規参入者として役割を拡大しつつあるという状況をにらみながら、
日本としてここで、この太平洋島嶼国地域の秩序形成においていかなる仕方でリーダーシップを発揮すべきかということが問われていると。これが五月の那覇における、沖縄における島サミットのテーマであると私は考えていますね。そのことに
皆様方の御注意を喚起して、私の
意見陳述を終わらせていただきたいと思います。
どうも御清聴ありがとうございました。