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参考人(
陰山英男君) ありがとうございます。失礼します。
中央教育審議会の
義務教育特別部会で
臨時委員をやらせていただいておりました
土堂小学校長の
陰山でございます。
本日はこのような重要な場で
参考人として
意見を述べさせていただくことを大変うれしく思っております。といいますのは、今の
日本の
教師の信頼というのは現状以上に不当に低くなっており、それゆえに
現場の声というのは大変発信しにくい
状況になってきております。しかし、今の
学校現場というのは時に戦場かと思いたくなるほど熾烈を極めることが増えています。それだけに、
現場の声を聞いていただけるこうした場があるということを大変うれしく思うわけであります。
では、本論に入ります。
まず、
結論から申し上げると、
義務教育費の
国庫負担の維持は絶対的に必要なことと考えております。なぜそうなのか。それは、今の
学校には確かにいろいろな問題を抱えているのは事実ですけれ
ども、まだ
学校は、踏ん張っているからまだ持ちこたえているというふうに考えているからです。
意外に思われるかもしれません。といいますのは、
義務教育費の
国庫負担、つまり
日本の
教職員の
給与を安定的に確保するということなどひょっとすると税金の無駄遣いじゃないかというような不信が一方にあるからであります。しかし、繰り返しますが、私は全くそうは思っていません。逆に、
教職員の
給与を不安定にすることによって
日本の
教育は崩壊するかもしれないという強い
危機感を持っています。
その
理由を今最も問題にされている
学力低下問題を
分析を基に説明したいと思います。
制度の問題を
教育実態から語るというのは少し
ニュアンスが違うかもしれませんが、是非ともお聞き届けいただきたいというふうに思っております。
今、
大学入試が一通り終わりましたので、様々な
週刊誌等でその
分析がなされております。その中で、とりわけ最近よく注目されておりますのが、「
ドラゴン桜」から出てきました
東大の
入試の問題であります。
一般的に、今、
大学入試というのは、
経済格差による、家計によって、豊かな
家庭とそうでない
家庭の二極化によって、貧しい
家庭はもう勉強ができない、
公立は教材が三割
削減されているから駄目なんだというような風潮が言われています。しかし、これを事実を基にして考えていくと、若干それとは
ニュアンスの違う傾向が見えてまいります。(
資料映写)
ここに示しておりますのは、
東京大学のホームページにございます、
東京大学の
合格者の
所得階層の
分析のグラフであります。これを見ていきますと、一九八四年から一九九五年にかけて、当初八四年には全体の四分の三を占めていた九百五十万円以下の
家庭、つまり
一般的な
家庭からの
合格者が
大半を占めておりますが、九五年にかけて確かに
高額所得者の
東大合格者が急速に増えてまいります。これは、
中高一貫校、私学が急速に
東大合格者を伸ばした時期と一致をしております。そして、この八四年から九五年にかけては、年収四百五十万円以下の
家庭からの
東大合格者が減ってきています。
ところが、九五年から今日に至るまで、この二極化とは全く正反対と思われる事象が起きてきています。それはどういうことかというと、その四百五十万以下の低
所得者の
階層からの
東大合格者が増えてきているからであります。この低
所得者の
階層というのは、当然のことながら
公立高校に行っていると思われていますから、実は
公立高校からの
出身者は近年増えてきていたということが言えるというわけでありまして、今年はその「
ドラゴン桜」の影響もあって、
週刊誌等を見てみますと
地方の
公立高校からの
東大合格者が増えているという、当初、二〇〇二年の
指導要領の改訂によって
公立からの
合格者が減ると言われたのと全く反対の現象が起きているわけであります。
さらに、重要な問題は、そもそもこの
学力低下問題の発端になりましたのは、この「分数ができない
大学生」という一冊の本であります。この本をお書きになりましたのは、
京都大学の
西村和雄先生が中心になられた
方々です。すると、ここの、
西村先生の対談の冒頭にこう書かれています。
「今から二〇年前に共通一次
試験が始まって、それが
センター試験へと変わってきたわけですけれ
ども、次第に
大学生の
学力低下が問題となって、最近はそれが加速したような気がします。
東京大学や
京都大学でも
学生の
基礎学力がかなり落ちている、それも
理科系の
学生でも落ちているという報告がなされていますし、その他の
国立大学でも
学生の
基礎学力の
低下は非常に深刻な問題となっています。」というように、本来その
最高学府と言われているところの
学力が落ちている。
実は、そもそもこのところに、
東大や京大に行っている
学生たちというのは、今はそういう、小さいころからお
受験をして、
小学校のころから勉強して
中高一貫校へ行って、恐らく
日本の
教育史上最も長く最も難しい問題をしてきた
子供たちなんですけれ
ども、その彼らの
学力が
低下しているという指摘があるわけであります。実はここに
日本の
教育問題の本質的な課題があり、なおかつそのことが語られていない、つまり
分析の錯誤があるというところが
日本の
教育の私は最も深刻なところであろうというふうに考えています。
もう
一つ、不
登校から見る
教育政策の功罪について考えてみたいというふうに思っております。
今、
ゆとり教育がいろいろ
批判をされていますけれ
ども、実は十数年前には同じような形で
詰め込み教育批判というものがなされていました。
画一教育というものも
批判されていました。
実は私は、
昭和五十六年、
日本の
教育は大きな転機を迎えていたというふうに思います。この
昭和五十六年というのは爆発的な
校内暴力が発生した時期であります。そして、全国の中
学生が荒れて
先生をぼこぼこにしてしまうというようなことがあって、これを静めるために
管理教育というものが入ってきました。今となってはもう昔話になりますけれ
ども、
頭髪検査、
持ち物検査、
服装検査、
学校の
先生が朝校門に立って物差しを持って女性のスカートの長さを測るという、今から考えると
本当ばかみたいなことがまじめになされていたわけですね。その結果、
日本の
公立学校は非常に息苦しいものになりました。それに符合するかのように、年間五十日以上の不
登校児は急速な勢いで増えてまいりました。これではいけないということで、この
詰め込み教育、
管理教育が
批判され、
平成元年に
ゆとり教育というものが、
ゆとりというものが概念されて新しい
学力観が出てきて、確かにこの時期、不
登校というものの増加というものが一時期抑えられるわけなんですね。
ところが、ここでもう
一つ大きな
分析ミスが起きました。といいますのは、
受験競争批判というものは確かにそのとおりだったろうと思うんですけれ
ども、これと同時に、
画一教育批判の中で
読み書き計算といった基礎的な
学力を
形成するところまでが
批判されるようになったことであります。私は百升
計算というようなものを指導してきましたけれ
ども、
子供たちの
計算力をタイムで計るというのは
子供たちをいじめるものだというふうなことで大変厳しい
批判を浴びたのもこの時期であります。しかし、その結果、
小学校の段階での
基礎学力の
低下というものが著しく、当然
中学校で方程式を解くようなことはかなり難しくなるだろうというふうに予測をしておりました。まさしく、その新しい
学力観で育った
子供たちが
中学へ行き始めたころから、今度は再び
中学校での不
登校というものが急増していった。私はすべての根源はこの
分析の間違いにあるというふうに考えているわけですけれ
ども、その
理由はここにあるわけであります。
一つ不思議だったことがあります。それは、
校内暴力の発生とか、それから当時新しい荒れというものが出てきました。それは、新しい荒れというのは
平成の初期ごろから言われ始めたころなんですけれ
ども、
子供たちがとにかくがちゃがちゃがちゃがちゃ落ち着かない、勉強しろと言っても
先生の言うことを聞かない、
小学校一年生から教室の外へ逃げ出す、かつては考えられないようなことが起きてきました。現在は、それが
学級崩壊でありますとか小一プロブレムだとかいう形で、問題が解消されないまま一層ひどくなってきています。ただ、当時
受験競争批判ということがなされていたわけですけれ
ども、不思議なことに、山奥でも、山間のところでもこういう問題は起きてきたわけであります。そして、現在はもうごく
一般的にすらなってきております。
一体その
理由は何なのか。私は、様々な
データを調べていくうちに、
生活習慣の崩れだということに思い至りました。
いろんな
データを調べていくうちに、幾つか貴重な
データが出てきました。見ていただいておりますのは
食育の
重要性を論ずるものであります。
これは一食当たりの
摂取食品数と
学習成績の
相関関係を取ったものなんですけれ
ども、要は、一食に使われるその食材の数と
学習成績等の
相関関係を取るという、まあ今どきの
人権感覚からするとちょっと信じられないような
人権無視の
調査なんですけれ
ども、そこから出てきた
データというのは非常に面白いといいますか深刻なものがあります。つまり、食事が貧しいと
成績も貧しいということであります。いろんなものを食べさせると
成績が上がってくるという、そういうふうなことがはっきり見て取れるわけであります。
それからもう
一つ、
睡眠の問題です。
上側にありますのは
東京都の
調査結果なんですけれ
ども、青い
部分が夜十時までに寝る子、黄色い
部分が十時から十二時、それから赤い
部分は十二時以降まで起きている
子供なんですけれ
ども、一九七九年と二〇〇二年の
子供たちを比べて、
小学校四年生から
中学校三年生まで調べてあります。
これを見ていきますと、
小学校四年生、ほとんどの
子供は、七九年、十時までに寝ていましたが、〇二年にはそれが半分近くまで減り、十二時以降まで起きている
子供たちが登場してまいります。そして、
中学校三年生を見ていただくと、
東京はもう七九年でも十二時以降も起きている
子供たちが
大半以上で私はちょっとびっくりしたんですけれ
ども、しかし、それでもわずかに
中学校三年生でも十時までに寝る
子供がいましたが、〇二年にはそういう子は全くいなくなり、そしてほとんどの
子供が十二時以降も起きているというふうになっています。つまり、すべての
子供たちの
睡眠時間が減っているということが明らかになっているわけであります。
そうなってきますと、このことが私は学習に影響しないはずはないというふうに考えました。ただ、大規模な
睡眠と
学力との
相関関係を調べた
調査データがありませんでした。なぜならば、
子供が寝るというのは当たり前だったからだと思われます。
そして、
広島県の基礎・
基本調査、これは
学力テストなんですけれ
ども、この集計結果が出てまいりまして、やはりということが分かりました。下にあります表です。これは
広島県の
小学校五年生、二万七千人を集めた
調査の結果であります。上にあります横軸は
睡眠時間です。中にあります数値は
学力テストの平均点であります。そうすると、
小学校五年生で
睡眠時間が五時間未満、ここでは四時間と書いていますけれ
ども、それ自体ちょっと、五時間も寝てない
小学校四年生がいるということ自体異常なんですけれ
ども、やっぱり平均点が五十点ぐらいしか取れません。それが五時間になると六十点、六時間になると六十六点というふうになって、七時間から九時間だと大体平均点が七十点ぐらいで安定をしてくるということです。ただ、笑えますのは、それ以上寝るとまた落ちてくるという、寝過ぎも良くないよなという落ちのある
データなんですけれ
ども。
ですから、この
睡眠と食事の問題が
子供たちの頭脳に物すごい大きな消耗を与える危険性をはらんでいるということを私は考えるわけであります。
そこで、
子供たちの生活実態を考えますと、お
受験をしている
子供たちは夜遅くまで勉強しているのが当たり前になっています。私は尼崎という町で教員を始めましたけれ
ども、当時、私立
中学校を
受験する
子供たちで十二時よりも早く寝る子は一人もいませんでした。しかし、一生懸命勉強している彼らには申し訳ないんですけれ
ども、彼らが伸びているというふうには私には感じられませんでした。ですから、そこのところが物すごく気になっていたんですけれ
ども、一方、そうでない
子供たちが普通に勉強して伸びていれば、ああ、そんなことをやっても駄目だよねということになるわけなんですけれ
ども。
ちょうど
昭和五十六年、七年当時に、もう
一つ子供たちの生活に大きな影響を与えるものが出てきます。テレビゲームです。
昭和六十三年にもうほとんどの
家庭にテレビゲームが入ったということが分かるような、ドラゴンクエストⅢの発売というのがあったわけなんですけれ
ども、その結果、
子供たちはテレビであるとかゲームであるとかというものによって夜更かしというものが続いてくると。つまり、すべての
子供たちのその夜更かしというもの、あるいは食事の不足というものが見えてきた。ここに、バブルのいわゆる隆盛と崩壊に至る経済の破綻から、
日本の
社会が夜遅くまで働くことによってこの経済の苦境を乗り切ろうとしましたから、
社会全体の夜型化が進んだわけであります。
十数年前に始まったニュースステーションは、当時はあんな遅い時間帯にあんなニュースを見るやつがいるのかと言われたわけでありますけれ
ども、今は我々ですらあの十一時からのニュース23ぐらいでちょうどいいなぐらいに夜型になってきておりますし、あの七九年に始まった金八
先生は夜八時スタートでした。最終回は、昨年あったわけなんですけれ
ども、夜十時スタートです。中
学生が見るべきであろう番組が二時間遅くなっているわけですね。
こうした
社会の夜型化が
子供たちの消耗を生んだ、これが私の
結論であります。
そうなってきますと、土堂
小学校ではその逆をやることによって
子供たちの
学力を
向上させ、これを
社会にアピールすることによってこの誤解を解こうというのが私に与えられたミッションであったというふうに理解をしておりました。
土堂
小学校三年目の成果として申し上げたいと思います。
一月に漢字検定に挑戦をいたしました。それぞれの担当学年の級に挑戦をしまして、合格率九七%であります。この数値は
公立、私立を含めて全国一位であります。それから、標準
学力検査、これは
日本標準という会社のものを使っておりますけれ
ども、正答率八〇%以上のAランクの
子供、全国平均は五五%に対して、土堂
小学校の
子供たちは九二%という圧倒的な数値を出しております。
では、なぜこの選抜された私学の
子供たちとも対等に渡り合えるほどの
学力を
子供たちは身に付けることができたか。その秘密が三番にあります知能検査の結果に出ております。早寝早起き朝御飯を
子供たちにやってもらって、そして
学校においては
読み書き計算によって脳力のトレーニングを行う。このことによって
子供たちの脳は大変力強いものに成長していきます。それが知能指数という形で現れるわけであります。
平成十六年、IQの平均は一一三でしたけれ
ども、
平成十七年には一一五とまた上がりました。さらにすごいのは、文句なく賢いと言われるIQ一二〇以上の
子供たちが、
平成十六年には二八%だったものが、今年度は四二%というふうに増えております。そして、標準以下の
子供というのは、もはや土堂
小学校では一割少々しかいません。こうなると、
子供たちは勉強が楽になります。
先生方も指導が楽になります。保護者は
成績が上がりますから喜びます。みんなハッピーになるという話なんですね。
しかし、長くその
読み書き計算の反復学習は
子供の心をゆがめるというようなことがありましたので、ここに持ってきておりますけれ
ども、百升
計算はこんなにも駄目なんだってこんな分厚い本が発行されるぐらい
批判にさらされてきたわけであります。
土堂
小学校の
子供たち、何と六時前に二割の
子供が起きております。そして、
学校へ行って、するのは勉強ではありません。
学校の掃除と運動であります。心と体を鍛えることによって勉強もできるようになる。そして、そのためには、朝早ければ、当然ですけれ
ども夜も早い。今どきの六年生、土堂
小学校の
子供たちは半数の
子供が九時半までに寝ています。勉強時間も一時間から一時間半の
子供がほとんどです。ですから、決してがり勉をしたわけではありません。
このように、私は、この
家庭との連携ということが今最も重要になってくる中で、ここにありますのは先ほどの国際
学力調査の中で表された結果なんですけれ
ども、現在、中
学生の宿題をする時間は大変短くなっております。参加各国の中で最低であります。ところが、テレビを見る時間は二・七時間と世界で最高であります。これは、一日二・七時間見るということは、全学習時間をはるかに上回る時間テレビを見ているということになります。つまり、
日本の
子供たちは
日本テレビ学院
小学校通信
教育部に入学しているようなものであるということになるわけであります。
さらに、
教育費の問題であります。
ここが重要なんですけれ
ども、これもよく話題にされていることでありますけれ
ども、GDPの三・五%しか拠出をされておりません。しかし、この三・五%のほとんどは
教職員の
給与であります。だから、考えてみると話は合うわけですね。少ない
教育費を
教職員に集中的に投資をし、
先生方が頑張ってどうにかこうにかその崩れた
状況の中の
子供たちを持ちこたえさせているんだということを私は申し上げたいわけであります。
この
教職員の
給与を不安定化させるということ、あるいは
子供がこのごろ減っているからということで
教職員の数を減らしていくということは、何といっても
教育改革の
主体は
教師でありますから、その
教師のマンパワーを下げるということは
学力崩壊につながり、そして家計への
教育費の負担を増加させ、そして少子化を加速させることになり、ひいては
日本の
社会全体の不安定要因になるのではないか、私はそのことを憂えるものであります。
これは、先ほど、行きました中国の
学校の教卓であります。北京のすべての
学校にこのようにコンピューターと実物投影機が配備をされております。しかし、
日本の
学校で毎年コンピューターを使える
教職員の数はという
調査が行われますけれ
ども、実は
教職員に一人一人にパソコンが配られたことはございません。つまり、
日本の
教職員はパソコン操作をすべて自前で習得をしております。ですから、
教職員の
給与というのは
教職員の研修費でもあるわけであります。是非ともそこのところを御理解いただけたらと思います。
さらに、最後、もう一点、
競争原理の問題でありますけれ
ども、これは五十メートル走の結果であります。横軸に年齢、縦軸に記録がありますけれ
ども、赤いのが二十年前、緑が十年前、現在が青い線でありますけれ
ども、十三、十四という具合に年齢とともに
子供たちはタイムを上げていきますが、十年前や現在の
子供たちは十五歳でタイムを一度下げます。そして、十八歳では決定的に下げます。最後に十九歳のとき、そうはいっても十年前は二十年前に追い付くんですが、現在の
子供たちは追い付くことができません。この十五歳と十八歳のこのタイムの
低下、そしてそのまま成人していくという事実を考えたときに、
日本の
教職員が
受験というものに対して及び腰であるというのは、決して日教組が取ったイデオロギーのためではなく、
現場に接している
教師たちの勘といいましょうか、そういうものではないかというふうに私は理解しております。
そして、
教育の
状況調査によって実は既に
学力は上昇基調に転じておりますけれ
ども、それと同時に、小
学生の
校内暴力が増え、それに対応するために
日本の
教職員が、精神疾患によって
学校に来れなくなる
教職員が三倍に増えております。
子供たちの元気を回復しないままの
学力向上策というのは非常に危険なものであるということを示しているというふうに私は考えております。
そういう点で、
文部科学省が今回提起をされております早寝早起き朝御飯を国民運動にするというのは、また
指導要領で
読み書き計算のいわゆる復権を果たすということは、私は
教育改革の大本命であるというふうに考えております。
私自身も、今後は、中教審の
教育課程部会にもいてその責を負ったわけですから、今後はいろんな
現場を回りながら、直接その責任を果たしていきたいというふうに考えております。
どうもありがとうございました。