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国務大臣(
麻生太郎君) 何となくこの
委員会に来るとぼろかすに言われるもんだと思って来てますんで、今のように
田村委員のように言われると、ちょっと正直、今言葉がないんですが、デリーメトロを見られたという話だったんで、私もこの一月の三日の日にこのデリーメトロに乗りました。
公団総裁みたいな技術屋の方がいらっしゃるんですけれ
ども、その方に、乗っていったら、入口のところにまずもうどでかい看板で
日本との
ODAでできたんですって書いてあって、下に降りていったら改札口のところにまた円グラフが書いてあって、何ですか、七五%はこれ全部
日本のお金、ほかの国の金はこれだけよというようなことも書いてあって、これ、だれが見たって、ほかの国じゃだれが造ったか分からぬようなことにしている国もありますから、ここはもう丸々分かるように造ってある。
そして、総裁と地下鉄に乗って、いや、本当にこれだけ宣伝をしていただきましてありがとうございましたと言ったら、いや、このデリーメトロのすばらしさはこれだけじゃないんだ、我々はこれをベストアンバサダーと呼んでいるんだと言うから、どういう
意味ですって聞きましたら、自分は何とか大学、MITとか何とか出て技術屋なんだけど、このプロジェクトに最初から参加をしたと。一番最初の日に
日本の技術屋のが来て、第一回の打合せがあるんで、八時だというんで八時に行ったら、全員作業服に、着て並んでいたのは
日本人。我々は背広を着ていったら、八時というのは集合時間じゃない、作業開始時間だと。それに今ごろ、八時に来て何だといって満座の前でもう面罵されたと。分かったと思って、次の日、七時四十五分に行ったらほとんどみんないたと。これはまずいと思って七時半に行ったら、そうしたら、いや、みんな着替えていたと。
以後、でき上がるまでの何年間かの間、とにかく納期、先ほど言われたように納期、納期、納期って、一日、二日いいじゃないかと言ったら、駄目だと。絶対に納期を守らせるということを徹底してやられて、結果として我々は習ったことは二つ。
一つは、金というものの後ろ側には働くとい文化が
一緒にくっ付いて、
ODAというものはそういうものだと。金だけじゃないと。後ろに勤労という文化が付いているんだということを習った。二つ目は、この納期というのにやたらやかましいのがとにかく信じられないほどだったけれ
ども、結果としてインドでこれだけ大きなプロジェクトを期日前三か月半かな、何か前にできたなどということはいまだかつて過去に例がないと。そういった
意味で、働くというのをこのニューデリーの真っただ中で我々は習った、これは最も大きい、いわゆる文化の移入みたいなもので、我々はこれをベストアンバサダーと呼んでいるのはその理由だと言われたんですが。
私
どもはやっぱり、
日本人というのはやっぱり働くというのは美徳なんだと思うんですね。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教というのは旧約聖書を基にしていますんで、あれはアダムに対して神が与えた罰が労働ですから、労働は罰なんですよ。
日本はその点は労働は罰ではなくて、高天原を眺むれば神々は野に出て働いていたんですから。いや、そういう具合に書いてあるんだから、古事記に。だから、したがって、これは神々がやるんだからこれは罰なわけありませんから、そういった発想からいきますと、これはとても、椿大社の宮司に聞いていただければよくお分かりだと思いますけれ
ども、そういった働く方々の典型があなたの後ろに座っておられるんだと、私
どもはそう思っております。
やっぱり労働というのは美徳であるという習慣、労働は善という、こういった我々の持っている道徳観というのは、この
ODAをやっていくに当たって
日本がリーダーシップを取る非常に大きな哲学になり得ると私自身はそう思って、あの種の講演をさせていただいたというのが背景です。