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参考人(
池尾和人君)
慶應義塾大学の
池尾と申します。
本日は、こうした場で
意見を述べる機会を与えていただきまして有り難く光栄に存ずるとともに、感謝いたしたいというふうに思っております。
それで、私は
経済学者で
法律学者ではありませんので、御
審議中の
法律の詳細について言及するというよりは、こうした
法律を通じた
ルール整備が現在の
日本経済にとって必須の
課題になっているというふうな点について
意見を述べさせていただきたいというふうに思っております。
それで、お手元に
意見陳述のための
メモと
参考のための
論考を配付していただいていると思いますので、
メモの方に沿って
意見を述べさせていただきたいと思います。
それで、
冒頭からそもそも論になって大変申し訳ないんですが、
金融取引というのは、まあ言ってみれば
約束を売り買いしているわけでありまして、約定した将来時点において特定の
条件に従って
お金を払うという
約束と今の
お金を交換しているというのが
金融取引でありますから、
金融取引に当たりましては、
取引に先立ちましてはその
約束の内容がどの程度確からしいものであるかということを確かめる必要がありますし、それから
取引をした後におきましては、その
約束をちゃんと守ってもらわなければいけない、
履行を確保しなければいけないということが
金融取引にとって
条件になるかというふうに思います。
したがって、
取引に先立った面については
情報開示の点ですね、それから、その
取引後の
約束、契約の
履行確保という点におきましては法的な
保護というふうな面におきます
制度整備が十分になされていない限り、いわゆる
市場型の
金融取引というのは
成り立ちようがないということが言えます。
情報開示と
法的保護についての
制度整備がなければ
市場型の
金融取引は実行不可能でありまして、そうした場合には、いわゆる当事者間の間で
関係を取り結んで、その
関係を通じて
情報を得たり
約束の
履行を強いたりするような形の、
相対取引というふうに称しておりますが、
制度整備が不備な状況の下においては
相対型の
金融取引しか実行可能ではないというのがまず申し上げたい点であります。
それで、
我が国におきましては、従来圧倒的に
相対型の
金融取引が支配的な傾向であったわけですが、その背景には様々な
条件があると思いますが、一つは
制度面での
整備というのが不十分であったということが大きく影響しているのではないかというふうに考えております。
ところが、現
段階の
日本経済を考えますと、
市場型の
金融を
拡大する必要が非常に、近々の
課題というよりは、もう十年とか二十年前から
市場型の
金融をもっと
拡大すべき
段階に
日本経済というのは至っているんだというふうに思います。
その
市場型の
金融を
拡大すべき
理由に関しては、主なものとしてだけでも三つほど挙げられると思いますが、ここでは余り時間もありませんので、その点については立ち入って説明することは省略させていただきたいと思いますが、御
参考に、配付しました私の
論考の六ページ以下のところでそうした
理由について改めて記載しておりますので、後でごらんいただければというふうに思います。とにかく、現在の
日本経済におきましては
市場型の
金融を
拡大する必要に迫られているということです。
しかしながら、
市場型の
金融が
拡大するためには、先ほど申しました二面におきます
制度整備というのが不可欠であるということで、単なる
規制緩和とか
自由化を進めるだけではなかなか
市場型金融の
拡大は望めないということが言えると思います。
もちろん、
規制緩和、
自由化というのは必要なことでありまして、
時代に合わなくなったあるいはもう不必要になった
規制等を撤廃するということは
是非どんどんやっていただきたいというふうに思いますが、しかしながら、そうした
規制の撤廃というのは、言ってみますと言わば
スクラップ化でありまして、
時代に合わなくなったものは
スクラップ化すればいいわけですが、
スクラップだけでは物事はなかなか良くならないという面はもちろんありまして、やはり
スクラップ・アンド・ビルドをしなければいけなくて、ビルドの面での
制度整備ということがやや全体として立ち後れていたんではないかという
印象を持っております。
一九九六年から進められましたいわゆる
金融ビッグバンの結果といたしまして、
自由化、
規制緩和という点に関しましては
かなりの前進が
実現されたというふうに思っておりますが、御
案内のように、その際、
日本版の
金融サービス法を制定するというふうな
動きもあったわけですが、そのこと自体はそのままの形では
実現せず、
金融商品販売法というふうな形の
法律が成立するにとどまったというふうなことからも、
制度整備という点では不十分なところが残ったんではないかというふうに考えております。
現在御
審議中の
法律、
金融商品取引法、俗に
投資サービス法と呼んでおります
法律に関しましては、言わば
日本版ビックバンのときに未
実現に終わった
金融サービス法制定への再挑戦というふうな位置付けで
理解できるかというふうに考えておりますが、今回に関しましては、
是非法案の成立を図っていただいて、大きな成果が上がることを期待したいというふうに思っております。
最後にですが、
ルールを制定するということは、立派な
ルールをつくるということは大切なことなわけですが、その
ルールについてはやはりしっかりと遵守していただく
体制を併せてつくることが必要であるというふうに思っております、それは当然のことですが。そうした
ルールの遵守を図る
体制、いわゆるエンフォースメントの
体制について
最後少しお話をさせていただきたいというふうに思います。
それで、ちょっと
印象論のような形になって誠に申し訳ないんですが、私は従来、
我が国におきましては、
金融資本市場のために金を掛けるという
発想が乏しかったのではないかというふうに思っておりまして、
金融資本市場のために金を掛けるというふうな形の
発想は余りなくて、結果的に、
金融資本市場のために
日本経済として割り当ててきた
資源の量というのは極めて限定的、限られたものであったと。
その結果として、俗っぽい言い方で恐縮ですが、どうも
日本の
資本市場は安普請な
資本市場という感じがいたしておりまして、やはり、何というんですか、節約できる費用はもちろん節約すればいいわけですけれども、惜しんではならないものまで惜しんでしまうとやはりそれなりの貧弱なものしかできないというところがありまして、やはり現時点において、
金融資本市場のためにもっと金を掛けるといいますか
資源を割り当てるということがまず大切ではないかというふうに考えております。
したがって、
金融資本市場に関する
ルールをエンフォースメントする
体制についても、まず当面する
課題は、まず
人員と
予算を
増強するということだというふうに思っております。
組織の
体制をいじる以前に、まず
人員、
予算を
増強すべきであるというふうに思っています。
霞が関の常識の範囲からいえば、
金融庁に関して最近異例の
人員増強が図られているということになるのかもしれません。それで、
行政改革の中で公務員を減らしていくという大きな
方向性からいえば、それに反する形で
金融関係については
人員増強が図られているということなのかもしれませんが、やはり
日本の
資本市場にとってどれだけの
人員が必要かという
観点からすると、まだまだ不十分な
人員、
予算しか
金融行政には付けられていないんではないかというふうな気がいたしております。
したがって、まずはそうした面での
増強を図るというのが当面の
課題であると。で、やや中長期的には、横断的な
ルールにふさわしい形の
規制監督体制を
省庁の再編成というふうなことも展望するような形でじっくりと考えていく必要があるだろうというふうに思っております。
ただ、
横断的ルールにふさわしい
規制監督体制というふうに口で言うのは簡単なんですが、どういう
体制が本当にふさわしいのかということにつきましては、経済理論的にもなかなか難しい問題であって、今後もっと考えていかなければいけないというふうに正直なところ思っております。
というのは、大西洋の両側で違う
体制を取っているわけですね。
イギリスと
アメリカという二つの
国際金融センターを抱えた国々において、同じアングロサクソンの
イギリス、
アメリカにおいて、
金融規制監督の
体制は
かなり対照的なものに現状なっているということが事実の問題としてあります。
御
案内のように、
イギリスにおきましては、巨大な
FSAというふうな官庁にその
規制体系が一元化されているということがあるわけです。それに対しまして、
米国におきましては、
歴史的経緯等々があるわけですが、
資本市場に関するだけでもSECとCFTCというふうな形で現物と先物で
規制監督機関が分かれておりますし、それから
銀行に関しては、
預金保険公社とか
財務省の下の
通貨監督局とそれから
連邦準備制度というふうな形で、
連邦機関だけでも三つありますし、それから、
アメリカは
連邦と州の間での
権限というふうな形でも分かれておりまして、非常に分立した
構造にあるわけです。
アメリカにおけるそうした分立した
構造という、
規制監督機関が分立しているという
構造は、当然
重複とかの無駄を招いているという批判も受けているわけですが、他方で
相互に
規制監督機関の間で
牽制が働いて、その結果のプラスの効果というのも観察されるわけです。
例えば
連邦機関が、何というんですか、
動きが鈍かったときに、
州当局が自らの
権限を使って行動することによって
連邦機関の行動を促すというふうなことも実際のケースとしてあるわけでありまして、分立していると申し上げましても、
我が国とちょっと違うところがあると思うんですね。
我が国の場合の
省庁間の
縦割りという場合は、
重複を認めないといいますか、
権限の
かなり切り分けを完全にやって、テリトリーを完全に分けてしまったような形の
縦割り構造になっているわけですが、
アメリカの
機関は、まあ悪く言えば互いに
権限争いをしているところもあるわけですが、
重複をしている面がありまして、それが無駄につながるという悪い面もあるんですが、一面では
相互牽制、
競争になるというふうな面もありまして、したがって、
イギリス型の
単一組織がいいのか、
米国のようにある程度分立をして
規制監督機関の中にも
競争を持ち込んで
牽制を持ち込むというふうな在り方がいいのかというのは、簡単に経済理論的に考えて結論が出るというふうな話でもありませんので、この点についてはより時間を掛けて十分に
検討をしていくということが必要ではないかというふうに思います。
だから、そのためにも、まずはある程度リソースがそこに割り当てられるという保証がないと、
人員がいない中でそういう議論をしてもほとんど余り実際
意味がないということになりかねないかと思いますので、我々もっと
日本の
金融資本市場のために金を掛けていくというふうなことを決めることが必要ではないかというふうに思っております。
大変雑駁になりましたが、以上で私の
意見とさせていただきます。どうもありがとうございました。