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参考人(
福井俊彦君) グリーンスパン議長が議長として就任されましたのは一九八七年、いわゆるブラックマンデーが起こる直前でございます。ブラックマンデーが起こりましたときは、私は
日本銀行の営業局長をしておりまして、ちょうどそのとき以来グリーンスパン議長と仕事の上でいろいろなお付き合いをさせていただきました。
私の第一印象は、相手は連銀の議長、私は一介の局長でありまして、そういう身分の分け隔てなく、本当にざっくばらんに
意見交換をさせていただける大先輩というのが私の
基本的なグリーンスパン議長に対する思い出でございます。
で、まあ大変な功績を上げられましたものですから、多くの人がグリーンスパン議長を偶像視してごらんになっていると。それも当然だと私は思いますけれ
ども、十八年間私がいろんなポジションで、一貫して先方は議長であられたわけですけれ
ども、お付き合いさせていただきました印象は、非常に気さくで分け隔てなく
意見交換させていただける十年年上の先輩ということであります。ぼそぼそと物をおっしゃる、なぜコミュニケーションポリシーがお上手なのかというのはぴんとこないぐらいぼそぼそおっしゃるんですけ
ども、コミュニケーションポリシーが非常にお上手だし、
市場も納得していると。非常にそういう
意味で優れた能力を持っておられると思いますし、
経済を見る目が、
経済と
物価とそして
マーケットと、これをいつも一体的に分析する目を持っておられたというふうに思います。
実体経済はこうだ、
物価はどうだとか
市場はどうだとかいうふうに別々の分析というよりは、常に一体感を持って分析しておられたと。したがって、先を見る目というのが自然に鋭くグリーンスパン議長は持っておられたというふうに思います。
一つの例は、一九九〇年代、ITの大変な
投資ブームがアメリカで起こって、まあドットコムブームですかね、ひところは、九〇年代、アメリカは大変なIT関連の
投資ブームが起こったけ
ども、アメリカ
経済全体として、これがなかなか生産性の
上昇に結び付かないと、プロダクティビティーパラドックスと言われた時期が随分長い間あったわけですけ
ども、既にその時期から、これはいずれ、IT産業そのものでなくても、アメリカの広い産業にわたって生産性
上昇に結び付く
可能性が強いんだということを見抜いておられました。これなどはやっぱり部分的な分析の成果としての彼の鑑識眼を養ったというよりは、常にやっぱり
経済と
マーケット、技術というふうなことを一体となって物を見る癖を自ら持っておられたことによる炯眼であったんではないかというふうに思います。
もう
一つは、様々なショックが起こったときに果断に対処される勇気というものをやっぱりしっかり持っておられた。何がしかのショックが起こりましたときに果断な対応を取れるかどうかというのは、これは正に、連銀も
日本銀行と同じように政策
委員会を持っておりますけれ
ども、みんなが迷うときに議長がリーダーシップを発揮するということが大変大切でありまして、その決断力は非常に優れておられたというふうに思っています。
バーナンキさんは学者として大変な業績があり、私は学者でありませんので、そういう
意味では随分距離感のある人ですが、しかしお人柄からいって、これまでも私はある程度親しくお付き合いをさせていただいております。既に連銀の理事会のメンバーであられたわけですし、大統領
経済諮問
委員会の
委員長もなさったということで、実務、
経済政策の実務の面でも既にある程度実績を示しておられる方ですし、先般の米国の議会証言を見ましても、非常に現実的な証言をしておられるということで、非常にいいスタートを切られたんじゃないかと私思っています。
三月の国際決済
銀行の中央
銀行総裁会議、バーゼルで定例のものが開かれますが、初めてバーナンキ議長、バーゼルに来られますので、私も是非行って、最初に会話をしたいと、こういうふうに思っています。