○前田武志君 議論をしながらどうも釈然としないんですね。なかなかうまく表現できないです。
例えば
建物、
建物はもう我々
自分のマイホームであれば、施主である私
どもがもう本当にいいものを、安全ないいものを、しかし幾らでも金を注ぐというわけにいかないから、
信頼できる建築家であったり棟梁であったり、
自分の利益を専門家が代表して安くいいものを造ってくれるわけです。先ほど来問題になっている
マンションであったりあるいは公営のアパートであったり、これはエンドユーザーは一般の
国民であるわけですね、市民でありますけれど、建築主はこれはディベロッパーであったりするわけですね。
この法体系の中で、そういうディベロッパー自身が本来想定しているのは、建築主というのは自らを傷付けるようなことはしませんから、いいものをちゃんと安くという、そういうインセンティブが働くだろうという前提ですが、今やその集合
住宅、
マンションなんというのは、これはエンドユーザーと建築主が違うわけですから、このディベロッパー、業者、建築主の方に何らかのやっぱり法的な枠組みというものも必要になるのではないのかなというふうな感じを持ってたんですね、今お聞きしながら。
今はこの
指定確認
検査機関の話をしているわけですが、さて、そこで、どんどん規制を強め、立入
検査をやり、罰則を強くし、今
住宅公団の
技術の方は帰られたようですが、情けない話ですよね、建築家が。我々、建築家を
信頼しているんですよ。今でも私は、
自分が発注する建築家は
信頼しますよ、またそういう人でないとお任せしませんから。しかし、どうもあの事件を契機に、建築家も性悪説みたいな感じで規制、取締りの対象になってきたような感じがするんですね。
そこには、
行政の
制度の仕組み
自体にも
欠陥があるからこういうところに追い込んでいっているのは、これはいろんな
方々がいろんな断面で言っておられることで、私もその面は随分あると思うんです。ところがなかなか、そこは
行政の無謬というか、とにかくまずは罰則を強化だとか規制を強化の
方向に行ってしまっている。第二弾、第三弾と抜本的な改正をされるわけですから、ここで申し上げておきたいのは、ここはもう拙速でもしようがないということなら、それはそれで今やるにしても、是非その辺のところを根本的な議論をしていただきたいなと、こういうふうに思うんです。
さて、この
建築基準法改正については、我が民主党の方も、拙速ではありましたが政府がこうやって出してきたのに対して独自の
法案を用意したわけですね、まあ衆議院の方では実らなかったわけでございますが。その中のかなりのところは基本的に政府案と一緒のようですが、
住宅、
建築物については、こういう社会経済の変化の中で、特に集合
住宅なんか中心に街区が形成されるとなれば、そこは建築主事、むしろ
特定行政庁の方が責任を持ってすべて建築確認業務をやるべしという、そういう
法案になっていると私は理解をしているわけですが、それは
一つの考え方としてあるんですよね。これだけ罰則強化し、もう責任をある
意味では持とうとするなら、その
方向に行かざるを得ない。しかし、現実にはこれはまあとてもとてもやれるものじゃない、およそ現実的じゃないということも分かるんですね。私自身はそう思うんですね。そこが中途半端になっていると思うんですよ。
更に言えば、この建築の安全というものは一体この建築確認
検査で保証をしているものかどうかということにもつながっていくわけですね。本来は、持家なんというのは
自分でしっかり安全なんというのはそうやって
確保してきたものなんですよね。専門化してきていますから、だから本当に
信頼できる建築家に頼んでというようなことだったんですが、今申し上げたような、とても、そのエンドユーザーとこの建築主が違ってきたものですから、なかなかそうはいかなくなってきた。
そこで、ここにあるのは、一連のこの建築
偽装の問題に関して緊急調査
委員会を開かれましたね。そして、
住宅局がこの質問事項に答えておられるわけですが、その中の二十六番目、建築確認について、
国民の間には、確認が下りたことにより、人命の安全だけではなしに財産の保全も保証されるという誤解がある、このような建築確認への
国民の過大な期待という誤解を解くためにはどのように
努力をしてきたのか、またこれからするつもりなのかという問いに対して、
住宅局の方は、この
建築基準法は最低基準を定めているものだと、そして
建築物の安全の
確保に関する直接的な義務は
設計者が負うものであると、こう明確に答えておられるわけですね。
確かに、最近のこの一連の騒動の中で、何かこの
耐震基準さえクリアすればもう安全というふうに誤解をされかねない風潮にあるのを非常に私は危険に感ずるわけなんです。あくまでも
建築物の安全というものは施主の利益であって、いいものを造り、更に安全度を高めれば、それだけ値打ちが上がっていくんですね。そしてまた、そういう
建物で構成される町というのは非常に安全な町になっていって、そしてまた、そこに安全プラス、安全だけではなしにいろんな、住生活基本法でも議論したように、いろんな付加価値、景観であったり伝統であったり、コミュニティーのこの良さといいますか、お付き合いのしやすさだとか、そんなことも全部含めていい町ができて構成されるようになれば、それが良好な町になっていく。これはすべてお上のやることじゃないんですよ。自らがしっかりやっていく、それをどれだけ支援し応援し、それでもどうしてもやれない、これだけ複雑になってきた、そこを
行政がしっかりとチェックし誘導していくと、支援していくというのが本来なんだろうと思うんですね。
私なんかは古い大和の出身ですから、
自分の町や村や田舎に行くと、もう本当にそんなもの、お上なんか入ってきたら、もう途端に駄目になるんですよね。むしろ、自ら一生懸命つくってきたところが風格のあるいい町になっていますし、家もそうです。大和では、
局長いつか宣伝してくださった、大和の建て倒れと、こう言っていただいたが、大和棟、田舎建てと、こう言いますが、今でも旧村の、旧村といいますか、元々の奈良に住んでおられる
方々は
住宅地の
団地の中でも好んでそういう家を建てるんですね。
話がちょっとそれてしまいましたが、そういうことで、この
住宅基本法の中での思想というと、やはり安全については最終的にどこが責任を持つべきだと、どういう思想でこの
建築基準法は組み立てられているんですか、
局長。