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参考人(
家田仁君) 今御紹介いただきました東京大学の
家田でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
私は、大学で交通、都市、国土、そういった分野を担当してございますが、交通
運輸の安全の問題につきましては、五年前の地下鉄日比谷線の脱線
事故、あるいは一昨年の新潟県中越地震におきまして調査や
対策策定などのお手伝いをさせていただいたりしております。また、今回の議案とも関連の深い
鉄道の技術基準
検討委員会の
委員長を仰せ付かっておるところでございます。お求めがございましたので、このたびの
法律改正に関しまして、今申し上げたような経験を踏まえまして
意見を述べさせていただきます。よろしくお願いいたします。
なお、私の今回の
意見陳述の内容に比較的近い内容の書いたものが、比較的最近出た、つい先ごろ出たものがございましたので、御
参考までに配付させていただきました。後ほどごらんいただければ幸いでございます。
それでは、お話し申し上げます。
まず、昨今の
事故の
状況などをかんがみますと、今回の一連の
法律改正は、全般として見ますと極めて時宜にかなっており、早期の成立と施行が望まれると
考えております。
ここでは、
法改正の内容につきまして私が特に着目しております点、これは三点ございますけれ
ども、それについて順に
意見を述べさせていただこうと存じます。
まず、
改正の第一の
ポイントは、
鉄道事業法や道路運送法など
運輸の基本を規定する
法律群の中で、
法律の
目的として輸送の安全の
確保というものがはっきり明記されて、また
運輸業を行う
事業者に対しまして安全
向上努力の責務が明確にうたわれた点でございます。
第二の
改正の
ポイントと私が
考えますものは、
事業者におきまして
安全管理規程を定めるということや、あるいは
経営トップと別個の独立した
安全統括管理者を置いて安全に関する統括的なマネジメントを行う体制、これを取ることが義務付けられた点でございます。
まず後者につきましては、申し上げますと、ISO、国際標準化機構がここまで長年掛けて進めてきました安全管理あるいは環境管理あるいはプロジェクト管理、労働安全衛生管理などで開発さてきた基本的なマネジメントの思想が今回の
改正にも系統的に採用されている点でございます。これは国際的な流れと極めて整合的でありますことはもとより、
運輸交通以外の分野、例えば電力であるとか食料であるとか、その他もろもろの安全にかかわる分野とも連動性が高いつくりとなってございます。
こうした発想は、これまでにも進められてきた技術基準の改定とも軌を一にして、
事業者の自主的な
改善活動を基本に置きつつも、それを国等がサポートやチェックするという総合的な体制が取られているように感じます。
これら二つの
ポイントは極めて重要な
改善点であると認識しておりますけれ
ども、我が国の
運輸交通分野において従来全くなかったものかというと、決してそんなことはございません。我が国の技術文化の中にあります安全第一、これは国際的にも使われる用語ですが、これは、こういうコンセプトはむしろ戦後の
事故多発期を乗り切って、そしてその後の我が国の高度成長期を推進した技術分野が大事にしてきた極めて重要な、しかも不可欠な歯車であったと私は
考えます。
いろんなところにそういうものの痕跡はあるわけですが、例えば現在のJRの前身であります日本国有
鉄道を見ますと、安全綱領と呼ばれる、新入社員がまず初めに覚えて、そしてまた毎日朝職員全員が唱える憲法のようなものが古くから定められておりましたけれ
ども、先にこれを紹介させていただきます。少々細部は違っているかもしれませんけれ
ども、大体次のような内容でございます。
まず第一は、安全は、輸送
業務最大の使命であると。第二は、安全の
確保は、規程の遵守及び
職務の厳正から始まり、不断の
努力によって築き上げられる。第三は、確認の励行と連絡の徹底は、安全
確保の基本である。第四は、安全の
確保のためには、職責を超えて一致協力しなくてはならない。第五は、疑わしいときは、手落ちなく
考えて、最も安全と認められる道を採らねばならないと。こういう五項目でございます。
第一項に挙げられております、安全は輸送
業務最大の使命であるというのは、先ほど申し上げた第一の
ポイントそのものでございます。今回の
法律改定でも、
目的の欄にほとんどその用語で入っているわけでございます。また、第二項以降にある不断の
努力とか確認の励行と連絡の徹底、職責を超えてという辺りは、それぞれ今の用語で言いますと、逐次
改善あるいはスパイラルアップという
考え方やプラン・ドゥー・チェック・アクションの発想、あるいは組織を超えた連携の必要などを述べているものでありますし、また最後にありました、最も安全と認められる道という辺りはリスク対応への基本姿勢を述べているもので、現在もなお安全マネジメントの要諦をついていると思います。つまり、第二の
ポイントとして申し上げたISOのマネジメント思想を先取りしたものになっているわけです。
では、今回、法を
改正するということはどういう意義を持つのかについて申し述べたいと思います。それは、こうした基本思想を
法律にきちんと明記するという点にあると
考えます。
と申しますのは、このような
安全性改善の発想が何も
法律に書いていなくとも、従来の日本経済と日本の人口が拡張基調、拡大基調にあった時代には、安全に対する必要な費用やあるいは投資を拡大する経営の中で十分に吸収することができたわけであります。しかしながら、その後の低成長、それから今後予想される人口減少という中では
状況は大幅に変化しつつあるように思います。そういう
状況下では、
運輸事業者においても財務的な
意味での経費節減が最重視されて、短期的な会計的視点からの狭義の経営マネジメントに偏重する懸念がないとは言えません。さらにまた、我が国の官民の組織においては、少々理工系の人材を軽視する
傾向もあります。そういったことも考慮しますと、今後必要な維持更新や
安全性改善投資が後回しにされて、長期的に見て思いもよらぬ事態が引き起こされる懸念も皆無とは言えません。
実際、一九八〇年代のアメリカ合衆国を見ますと、短期的な経営のみに目が行って、維持更新などが看過された結果、あちこちで橋梁が落ちるというような重大な安全上の問題が生じました。後にアメリカ・イン・ルーイン、すなわち荒廃するアメリカと言われたこの苦い経験からアメリカが回復するためには、その後非常に大きな
努力を払わなければならなかったことは御存じのとおりでございます。
というような実例を
考えますと、
運輸交通事業におきましては、我が国で従来からはぐくまれてきた安全第一という思想を堅持し、今後の社会情勢の中でも科学的かつ正直な技術的態度に立って、毅然とした安全管理が行われる経営体制を確実に担保するために、今回のような
法改正が極めて重要なものと
考えるところであります。
今回の
意見陳述で私が最も強調させていただきたいのは、これから申し上げます
法改正の第三の重要な
ポイントでございます。これは、安全にかかわる
情報を
運輸事業者や政府が整理して一般に公表するという点でございます。この点につきましては、第一、第二の点と比べますと、我が国は少々遅れていると言わざるを得ません。
先ほどお示しした日本国有
鉄道の安全綱領についても、その中には、利用者とか国民が
安全性の維持
向上に関して果たす役割というような発想は全く見当たらないわけです。
しかし、
運輸交通の安全問題や地震、津波、洪水などの防災問題におきましては、利用者や国民の果たす役割は極めて大きいものです。
安全性に対する利用者の
意識が常に高い状態に維持されているならば、利用者はより
安全性の高い選択肢を選ぶことによってその意思を
事業者に伝えることができますし、利用者の声が束になって形成されたところの社会的な圧力が
事業者などに作用して、CSR活動、すなわち
事業者の社会的責任を介して
安全性の
向上に資することもできます。また、利用者や国民の安全
意識が高ければ、その支払意思を通じて安全投資を促進することもできます。
より広い視野に立ちますと、安全や技術、あるいは自然力と人間の行為との関係につきまして、利用者や国民一般がどのような見識を持つかによって、その国の技術社会システムのありようも大きく異なったものとなるわけであります。
ところが、現実はというと、利用者も国民も、そしてマスコミも、何か
事故や
トラブルが起こった直後こそ安全に関して大きな関心を払いますが、その後徐々に関心が薄れてしまい、ともすると安全なんかにお金掛ける必要はないだろうというふうな風潮に短絡的に
考えがちです。実際、御巣鷹山で墜落して五百人以上の方が亡くなったジャンボ機の
事故のケースでも、そのしばらく後は
航空利用率が低下しましたが、すぐに回復してしまいました。阪神大震災でも同じようなことが起こりました。
水に流すという言葉に代表される我が国の国民性もあってか、頻度の低い
鉄道事故や
航空事故、あるいは大規模災害に対する国民の
意識を高い水準に保つことは決して簡単ではありません。そして、それが十分に維持できない限り、真っ当な
安全対策を進めることは極めて困難なのであります。
また逆に、
事業者におきましても、利用者や国民一般に対して安全やサービスなどにかかわる
情報を平常時からも積極的に提供するということに対してはちゅうちょする
傾向があることも否めません。これは、他社との
競争関係、対抗関係の中で、なぜうちが率先してやらなければならないのかという
考えによるものと思われます。
法において
事故や遅延などの
トラブルの
発生状況、施設や設備の
改善状況などといった安全にかかわる
情報を路線や区間などの別に極力具体的に示すべきであるという思想をきちんと定めておくことは、以上のような視点からも極めて重要なものと
考えます。
さらに、より積極的には、次のような視点も重要なものと
考えます。
一例を挙げますと、九州では、九州道守会議という一般利用者や住民の活動があります。道守は道を守るというふうに書きますが、一般の人たちが主体となって道路管理者と協力し、道路の不具合を発見したり、その
改善に貢献するとともに、社会基盤である道路に関する啓発活動や、あるいは人々の関心を道路に向ける活動などを行っております。
このように、利用者や国民が
運輸交通の安全に対して、単なるユーザーとしてのみならず、主体的、積極的に貢献することは、世界的に見ても注目すべき運動と言えます。また、まだまだ未熟な段階にはありますが、東急電鉄の世田谷線におきましては、このような発想に立った活動がなされつつあるところでございます。この点も付け加えておきます。
尼崎の脱線
事故でも見られましたように、周辺の住民などが
事故後の救援などの活動に極めて大きく貢献しております。こうした非常時の対応をより充実したものにするためにも、利用者や住民一般と
運輸事業者が平常時からこのような密接な協働、この場合の協働は協力して働くという
意味ですが、協働活動を
業務の中に組み込むことが有効な方策となっていくものと
考えます。
つまり、今後は、従来のように
運輸サービスの供給サイドのみにおいて
安全性の
向上活動を行うのではなく、利用者や国民と協働的な、広い
意味でのリスクコミュニケーションを充実させることが不可欠になるものと
考えます。そして、このような調和的なマネジメントこそが、我が国を含めてアジア的な文化が長い歴史の中ではぐくんできた知恵に富んだ発想であることも
指摘しておきたいと思います。
今回の
法改正にはここまでのことはもちろん述べられておりませんが、今後このような方向を目指していく上でも、利用者と国民との関係に着目したこの第三の
ポイントは、これからの第一歩として今後の我が国の交通
運輸史の中でも極めて重要な
意味を持つものと確信しております。
最後になりますが、
運輸交通分野における安全問題をとらえる基本的な視点につきまして幾つか私見を述べさせていただきます。
第一は、人間社会においてつくられる技術システムには必ず限界というものがあるという点であります。
例えば、地震や津波につきましても、何らかの規模の外力を想定し、その想定シナリオに対応できるようにシステムをコントロールする、こういう発想が取られております。これはこれでよろしいのですが、国民が忘れてならないのは、そうした想定シナリオは外れる場合もあると。すなわち、システムには必ず限界があるということであります。特に、大きな自然に取り囲まれて成立している交通施設のような社会基盤ではこの点が極めて重要です。このことは、冷静に
考えればだれにでも分かる当然のことなのですが、社会一般に共感、理解されているかといいますと、そうとも言い切れません。
二〇〇四年の中越地震では、大きな地震力の下に上越新幹線が脱線しました。これは、どんなシステムも限界というものがあるということを一般に如実に知らしめた
事故であったと言えましょう。しかも、脱線しても大きな被害をもたらすことなく、言わばソフトランディングすることができた点も大きな示唆に富んだものでした。
今後は、単に想定シナリオに対して、
事故を
発生させないという発想の枠を超え、想定外の事態においてたとえ
事故が
発生したとしても、
発生する被害を最小化できるようなシステムを指向することが重要と
考えます。そうした
意味から、今回の
改正で
事故調査
委員会の調査対象が
事故の
発生のみならず被害の
発生にも拡大された点は
評価できると
考えております。
最後に、安全に関しまして私が常日ごろから使っておりますフレーズを申し上げ、私の
意見陳述を終えさせていただきます。
それは、お配りした資料にもタイトルになっておりますけれ
ども、安全には、絶対も、神話も、そしてゴールもないというものでございます。
以上です。どうも御清聴ありがとうございました。