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2006-04-05 第164回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十八年四月五日(水曜日)    午後一時開会     ─────────────    委員異動  三月一日     辞任         補欠選任      犬塚 直史君     富岡由紀夫君  三月六日     辞任         補欠選任      広田  一君     主濱  了君  四月四日     辞任         補欠選任      広野ただし君     大久保 勉君  四月五日     辞任         補欠選任      主濱  了君     松岡  徹君     ─────────────   出席者は左のとおり。     会 長         西田 吉宏君     理 事                 岸  信夫君                 山東 昭子君                 西銘順志郎君                 大塚 耕平君                 佐藤 雄平君                 澤  雄二君     委 員                 末松 信介君                 田村耕太郎君                 伊達 忠一君                 谷川 秀善君                 中川 雅治君                 二之湯 智君                 水落 敏栄君                 大石 正光君                 大久保 勉君                 工藤堅太郎君                 郡司  彰君                 富岡由紀夫君                 前田 武志君                 松岡  徹君                 浮島とも子君                 加藤 修一君                 大門実紀史君    事務局側        第一特別調査室        長        三田 廣行君    参考人        一橋大学大学院        法学研究科教授  納家 政嗣君        総合研究開発機        構主席研究員   福島安紀子君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○国際問題に関する調査  (「多極化時代における新たな日本外交」のう  ち、国際社会の責任ある一員としての日本の対  応(多様化拡散する脅威への国際社会対応  (国際テロ麻薬組織犯罪大量破壊兵器の  拡散などへの対応))について)     ─────────────
  2. 西田吉宏

    会長西田吉宏君) ただいまから国際問題に関する調査会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  昨日までに、犬塚直史君、広田一君及び広野ただし君が委員辞任をされ、その補欠として富岡由紀夫君、主濱了君及び大久保勉君が選任をされました。  また、本日、主濱了君が委員辞任され、その補欠として松岡徹君が選任をされました。     ─────────────
  3. 西田吉宏

    会長西田吉宏君) 国際問題に関する調査を議題といたします。  本日は、本調査会調査テーマであります「多極化時代における新たな日本外交」のうち、国際社会の責任ある一員としての日本対応に関し、多様化拡散する脅威への国際社会対応、とりわけ国際テロ麻薬組織犯罪大量破壊兵器拡散などへの対応について参考人から御意見をお伺いをした後、質疑を行います。  なお、本日は、一橋大学大学院法学研究科教授納家政嗣参考人及び総合研究開発機構主席研究員福島安紀子参考人に御出席いただいております。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  両参考人におかれましては、御多忙中のところ本調査会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。  本調査会では、国際社会の責任ある一員としての日本対応について重点的かつ多角的な調査を進めておりますが、本日は、多様化拡散する脅威への国際社会対応、とりわけ国際テロ麻薬組織犯罪大量破壊兵器拡散などへの対応についてお二方から忌憚のない御意見を賜りまして、今後の調査参考にしたいと存じます。何とぞよろしくお願いを申し上げる次第であります。  本日の議事の進め方でございますが、まず納家参考人福島参考人の順でお一人三十分程度で御意見をお述べいただいた後、午後四時ごろまでをめどに質疑を行いますので、御協力をよろしくお願いをいたします。  なお、御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、納家参考人から御意見をお述べいただきます。納家参考人
  4. 納家政嗣

    参考人納家政嗣君) 一橋大学の納家でございます。どうぞよろしくお願いいたします。  私のレジュメは一枚の紙で「多様化し拡散する脅威への国際社会の対応」という、こちらから与えられた題のとおりの紙が一枚用意してございます。  今日は脅威の多様化ということで、内容的には国際テロ、麻薬、組織犯罪大量破壊兵器の話をするようにということでございました。一口に言えば、これは伝統的な、伝統的なというのはつまり国と国の間で問題が起こって戦争になるといったような、そういうふうな安全保障上の問題ではない問題ということですね。国家間の戦争以外の新しい脅威についてお話しするようにということでございます。  これは皆さんお考えになればすぐ分かることでありますけれども、私の専門は国際政治学ということで、国際というのはつまり国と国の関係ですね。国というのは、つまり長い間の慣行とか制度とか、いろんなルールがあります。その行動もかなり合理的であります。国家間の関係にもある程度パターンがあり法則性があると、つまり研究ができるということなんですね。  ところが、今日お話しする内容というのは、要するにこれは非国家アクターの問題なんですね。国家ではない主体が引き起こす脅威という、そういう問題であります。つまり、そのニュアンスはどういうことかというと、全部逆でありまして、国家のように合理的には行動しないと、それからルールのすき間をついてくるということであります。どこにいるかも分からない。戦っても相手を降伏させるといったようなルール、形式に乗るということはありません。戦争はなっても、対テロ戦争というのはどういう形で終わるのかということが全く分からない、こういう相手ですね。合理的でないということは、こちらから何かを用意すれば相手を抑制させることができるのかどうか、抑止することができるのかどうかということも分からない。自爆しようとしている相手に対して抑止というのは効くのかどうかというのは全く分かりません。  こういう相手でありますから、ある種のやみの世界というんでしょうか、国内でいえば犯罪行為なんですね。これが国境を越えてネットワークを張っているという、そういう問題であります。逆に言うと、言い訳ではありませんけど、ほとんど体系的な研究というのはできないと、こういう世界のことであります。しかし、今日の国際関係の中では非常に重要な課題になっているわけでありますから、一体どういう問題なのかということについて大まかな問題提起をして、三十分ではとても細かいことまでお話しできませんので、あと質疑応答の中で具体的なことをお話ししたいというふうに考えております。  この中に、与えられたテーマに国際テロ、麻薬、組織犯罪大量破壊兵器の拡散というのは、実は四つは全部つながってきているというところが一番大きな問題なんですね。私は、四つ、今日全部お話しすることできませんので、主としてテロ、国際テロ大量破壊兵器の問題についてお話ししたいというふうに思います。  この問題は非常に国際関係の中で注目される、中心的な課題であるというふうに考えられるようになりましたのは、もちろん御承知のように二〇〇一年九月十一日、九・一一大規模テロ事件の後ですね。この事件をきっかけにして、ちょうどそのころにイラク大量破壊兵器の問題、査察の問題でありますとか、あるいは北朝鮮核兵器開発の問題、これが今度はウランの濃縮という問題に移っておりましたけれども、それがだんだん深刻化しておりました。イランの問題も出ておりました。  それで、このテロ事件があった翌年でありますけれども、アメリカ非対称脅威と、アシンメトリカルという言葉をよく使います。非対称ということは、要するに国家じゃない相手と、一方の当事者が国家じゃないという意味ですね。そういう脅威の問題として、その中でも一番厄介なのはこのテロリスト大量破壊兵器が結び付くと、こういう問題であるという、そういう認識を示してくるようになりました。二〇〇二年の国家安全保障戦略、あるいは同じ年の十一月に出ましたけれども、大量破壊兵器に関する国家戦略という文書が出されまして、それ以来、国際社会における最大の脅威というのはテロリスト大量破壊兵器が結び付くことであると、こういう認識が非常に強くなったわけであります。  これがどういう問題かということを次に簡単な事例を挙げながらお話ししたいと思いますけれども、どうしてこういうテロが世界的な広がりを持ってきたのかということでありますが、これは元凶はアフガニスタンの戦争であります。この間のアメリカが戦ったアフガンの戦争の前の、ソ連が一九七九年の初頭にアフガニスタンに侵攻しました。できたばかりの社会主義政権を守りたいという気持ちがありました。で、ソ連が侵攻して、このソ連に対するアフガンの戦いをイスラムの要するに聖戦と見た連中が、世界各国イスラム教徒を集めてアフガニスタンに送り込んだわけですね。後になって分かってきたことでありますけれども、このアフガニスタンに、ソ連と戦った時期から、それからその後の内戦まで含みますけれども、三十五か国から二万五千人の要するにゲリラ戦士というのがこのアフガンに集まってたわけですね。これが現在のネットワークをつくる非常に大きな役割を果たしました。同じかまの飯を食った、要するにゲリラたちが世界に散らばるという大本はここにあったわけであります。  ソ連のアフガニスタンの戦争というのは八九年に終わって、ソ連は撤退していきました。アフガンの政権はできましたけれども、間もなく内戦が始まったわけですね。その後のアフガンの戦争というか、テロに結び付く問題を決定付ける事件というのは、一九九一年に起こった湾岸戦争であります。このときにアメリカは、要するにイラクがクウェートを侵攻しましたけれども、その次はサウジが危ないということで、米軍が初めてサウジアラビアに駐留したわけですね。この駐留に対して反発したのがアフガニスタンの若い人たち、特に宗教的に原理主義的な教育を受けた人たちが非常に反発をした。その中にいたのがオサマ・ビンラディンでありました。彼らはこの米軍の駐留に反対したんですけれども、政府はアメリカとの関係を、サウジの政府ですけれども、絶つことができない。そういうことでこの若者たちを、逆に政権から排除するだけではなくて国からも追放していくわけですね。オサマ・ビンラディンは、一九九四年に一度スーダンに逃れました。そこからパキスタンに渡りました。そして、パキスタンのペシャワルを中心にしてアフガニスタンの戦争に関与していくということになったわけですね。  それで、対ソ連の戦争をやっていたときの仲間たち、中東にもおりました、チェチェンにもおりました、それからフィリピン、後でまた申し上げますけれども、フィリピンインドネシアマレーシアというのは非常に多かったわけですね。この連中をまたアフガンに呼び集めるという形で、アルカイーダというのはだんだんだんだん組織化されていく、ビンラディンもだんだんだんだん頭角を現していくと、こういう状況になったわけであります。  その中で、このゲリラたちの目標というのは内戦そのものではなくて、要するに反米ということになったわけですね。要するに、アメリカ帝国主義の頭目であるアメリカに対抗していくという、そういう形の戦い、そういう目標を掲げた戦争になっていきました。  ですから、冷戦の終結からアフガニスタンの内戦の時期、九〇年代というのは、実はアフガンの内戦と同時に九三年のニューヨークのあの貿易センタービルの地下の爆破事件とか、それから九八年だったでしょうか、タンザニアとケニアのあのアメリカ大使館の爆破事件とか、テロ事件というのはどんどんどんどん頻発していったわけですね。そのテロ事件を起こしつつ、アフガニスタンの内戦の中でゲリラ戦士たちがだんだん反米主義的なそういう結束を固めていくという、そういう状況になりました。  冷戦が終結し、そのゲリラたちは各国に散らばっていって、世界にネットワークを張るという、そういう状況をつくっていたわけであります。その最終的な結果が二〇〇一年の九・一一事件ということになるわけでありますけれども、これは象徴的なお話として、この最終的な九・一一事件の謀議というのは二〇〇一年の一月にマレーシアのクアラルンプールで行われました。アパートの一室で行われて、現在、場所もすべて特定されておりますけれども、そういうところで行われたわけです。アルカイーダの幹部八名がここに出席しておりましたけれども、アジアのジェマ・イスラミアとか、それからアブ・サヤフのメンバーもこの中には入っていたわけであります。  こういう形でソ連のアフガニスタン侵攻が次第次第に、まあもっと大きな背景があると思いますけれども、世界のテロリストネットワークというものを、何というか、つくり上げて、世界にまた散らして、そういう世界的なネットワークをつくり上げてしまったと、こういうことであります。  その九・一一後のアメリカは、直ちに対テロ戦争ということに乗り出しまして、アフガニスタンタリバン政権というのをつぶしてしまったわけであります。アメリカはそれ以来、中東、北アフリカの辺りから朝鮮半島に至る、ちょうどユーラシア大陸の南側の地域ですね、この地域を不安定の弧というふうに見定めて、ここが最もアメリカあるいは世界にとっての脅威、不安定が多い場所であると。それに対して、それをにらむようにアメリカの戦略を整えていくということになりました。  ちょうど冷戦が終わって米軍が再編されている時期でありました。現在も日米の米軍再編をめぐる協議というのは続いているわけでありますけれども、これがちょうど、要するに大きなもう戦争に備えるような体制ではなくて、むしろタイヤの付いた装甲車両というものを中心にした軽い戦力というものを世界じゅうに張り付けてゲリラや何かにも対応していこうという、そういう再編を進めていた時期でありました。このユーラシアの南側に広がる不安定の弧をにらんで、アメリカはそういう対テロ戦争の体制を整えていったわけであります。  アメリカは、もちろんアフガニスタン戦争タリバンの政権というのはすぐに崩壊させることができました。しかしその結果は、このタリバンというのは実は、ソ連と戦っているときにアメリカが一生懸命戦力を供給した、兵器を供給した側であったわけでありますけれども、これがその兵器を持ったままアメリカに刃向かってアメリカにつぶされて、これが再び中東、コーカサスあるいはロシアのチェチェンとか、それから中央アジア、特にタジキスタンとかウズベキスタン、それから東南アジア、それからアフリカですね、こういうところに各国に広がっていったわけであります。  特に、日本に関係がありますのは、近い場所として東南アジアに伸びるネットワーク、これはジェマ・イスラミアインドネシアを中心に活動するジェマ・イスラミアとか、フィリピンアブ・サヤフと、それからモロ、ミンダナオ島のモロ民族解放戦線、世界二百ぐらいの主要な過激派グループがあると言われておりますけれども、現在中心になっておりますのは中東地域とアジア、東南アジアグループなんですね。  どうしてこういうふうな広がりを持っているかというと、基本的には、後でまたちょっと触れたいと思いますけれども、イスラム近代化という非常に厄介な問題があるだろうと思いますね。イスラムの社会というものが近代化していくプロセスで、近代国家の原理というのは御承知のように政治と宗教を分離するということからきているわけですけれども、それが非常に難しい。市場経済を取り入れると、個人主義的な取引関係というのをつくろうとすると、伝統的な宗教的な共同体というのがだんだん緩んでしまうということで、保守派宗教界保守派が反発します。非常に原理主義的に先鋭化していくというところがあります。民主化というのが要求されますと、これもまた宗教界保守派からの反対を受けるということなんですね。しかし、中東のイスラム圏あるいは東南アジアイスラム圏というのもだんだんだんだん産業化というのが進んでまいりますから、市場経済の中で格差が広がってきて、底辺の方の非常に貧困なグループの中に原理主義的な運動というのが非常に浸透していっているわけですね。  そういう中で、非常に大きな背景の中でテロリストグループというのはどういうふうな役割を果たしているのかといいますと、実はテロリストグループというのはいろんな側面を持っておりまして、イスラムの、何というか、格差が大きくなって、貧困層の世界の中では福祉活動に非常に大きな力を注いでいるわけですね。今度パレスチナで政権を握りましたハマスも、あるいはレバノンのヒズボラも、それからオサマ・ビンラディンもそうでありましたけれども、学校の経営とか保育園とか病院の経営とか、こういうことに非常に力を注いでいるわけですね。それをやりながら、その中でテロリストの育成も同時にやっていると、こういうふうな状況でありました。  ですから、非常に一般民衆の中に、テロリストの活動というのはテロリストという側面ではない形で非常に深く浸透していくということがあるわけです。こういう活動に対しては、イスラムの世界には喜捨というのがあって、要するに、何というんでしょうか、寄附行為ですね、慈善活動。これが大体まあ年間で自分の財産の、資産の五%を寄附するのは義務であるというふうな教えになっていますから、要するに産油国の大金持ちというのはもう大変な寄附をするわけですね。これが要するに、一部はもちろん福祉活動に流れますけれども、その一部は、三割ぐらいと言われていますが、テロ活動にも流れていくということです。これを原資にして企業活動もしますし、それから犯罪行為にももちろん手を出しますね。  とりわけ、犯罪行為で厄介なのは麻薬の問題とそれからマネーロンダリングの問題でありますけれども、これが要するに、このテロリストネットワークにはまず麻薬、それからマネーロンダリング、それから、お金をそのまま持っていると危ないのでダイヤモンドとか金塊に換えながら保管しているということがありまして、これのネットワークがセットになってくっ付いているわけであります。こういうふうなネットワークの中で、半分はイスラム社会の行政が面倒を見てくれない部分にこういう活動というのは浸透し、その半面としてテロリストの活動もやっていると、こういう状況があるわけですね。  ですから、世界に非常に何でああいうふうなテロリストが支持されるのかなと。イスラムの大半は穏健派だと言われます。なぜ広がっていくのかというと、やっぱりそれぞれの国の行政活動とか福祉活動が、福祉が弱いために、そこを、すき間を埋める形でこれが浸透すると、それが背景になってテロリストの活動も起こってくると、こういう状況だろうというふうに思います。  次に、時間がありませんのでちょっと大量破壊兵器の拡散の問題に移りたいと思いますが、大量破壊兵器の拡散というのは、もちろんその大量破壊兵器というのは生物兵器化学兵器核兵器、最近は特にミサイル、これを運搬する弾道ミサイルというものを含めて議論することが多いわけでありますけれども、冷戦が終わった後、この核拡散あるいは大量破壊兵器の拡散の問題というのは性格が大きく変わってしまいました。この点だけ一点だけお話し申し上げたいと思います。  冷戦期というのは、この大量破壊兵器を持っているというのは、基本的に抑止、相手に使わせないということが主要な目的でありました。しかし、冷戦が終わった後の核の拡散の問題というのは、例えば北朝鮮にしてもイランにしても、この現在の国際社会の中ではそれぞれの国というのは大体市場経済であって、まあ形だけでも民主化しているということが最低の基準ですねというふうな了解がだんだんできてくる中で、それにとても対応できない、適応できないような社会というのは幾つかあるわけですね。世襲の社会主義とか、あるいは政教一致体制というもので国を運営しているとか、そういう国があるわけですね。こういう国々がその体制を、この現在の国際社会の標準に合わないそういう国々が、この中で、この社会の中で生きていくために駆け引き材料として一発でも二発でも数発でもいいから持ちたいという、そういう駆け引き材料として大量破壊兵器に手を出すという、そういう流れができてきているわけであります。  このことが分かりましたきっかけは、これも湾岸戦争でありました。イラクは元々疑われたわけでありますけれども、九一年、戦争が終わって査察を掛けてみたら、すべての大量破壊兵器に手を出していたわけですね。これがブローバックです。イランと戦争をやっているときには、西ドイツもアメリカも中心になって西側がイラクに一生懸命援助していたわけですね。その中で核開発を進めていた、大量破壊兵器の開発を進めていたわけであります。  ちょうど同じころに北朝鮮核兵器開発の問題も浮かび上がってまいりました。その後はイランか、リビアか、スーダンかという形で、このままほうっておくと大量破壊兵器というのは非常に国際社会にとって危ない問題だということで、九〇年代にいろんな制度的な対応が出てきました。核不拡散の体制というのは強化されていったわけであります。最終的には、二〇〇三年のイラクの戦争も、アメリカは理由としては大量破壊兵器の開発について疑惑が否定できないという理由で戦争になったわけであります。  実はその翌年に、二〇〇四年の二月でありますけれども、突然のことですが、パキスタンのアブドル・カディル・カーンというパキスタンの原爆の父と言われている人でありますけれども、彼が、実は核に関する情報を金のために世界に売ったということを告白したわけですね。カーン・コネクションというふうに言われますけれども、これは国際原子力機関エルバラダイが発表した報告書を見ますと、このカーン・コネクションというのにはヨーロッパのスイス、イギリス、ドイツ、それからアフリカのチャドとかコンゴとか南アフリカとか、全体で二十数か国が関係していて、これもやみの世界のネットワークを張っていたわけですね。しかも、それは氷山の一角だというふうにエルバラダイは表現をいたしました。  で、この実はカーン・コネクションというか、その大量破壊兵器のやみの世界と、やみの市場というものと、先ほど申し上げましたテロリストの裏の世界というのか、その地下の国際関係といったようなものは、実は重なり合っている部分がかなりあるわけですね。それは、具体的にどういうふうにつながっているのかということは確認できたものはほぼありませんけれども、例えばチェチェンとか、それから南アフリカの、あそこはもう核兵器を造ったけれども廃棄したということになっているんですけれども、実際には小型の核兵器を数十発造っていたという話もあるわけですね。それがどこへ行ったのかは全く今のところ分からないという状況であります。それからコンゴコンゴというのはウランの産地でありますけれども、ウランが密輸で流れているというふうな問題もあるわけです。  で、先ほど言いましたイスラム社会あるいは世界に広がっている破綻している国家の広がりと、この大量破壊兵器のカーン・コネクションというのは微妙に重なっているわけですね。ですから、アメリカが言っているように、まあアメリカの言っているのは少し、まあ攻撃されたので大げさになっているような気もいたしますけれども、九・一一の後のアメリカの最大の脅威と感じているテロリスト大量破壊兵器が重なるという状況は必ずしも否定し難いところに来ていると、こういうことであります。  私は、実際には、例えば核兵器が世界にどんどん広がっていくというふうな状況があるのかというと、必ずしもそういうふうには思っておりません。湾岸戦争の後、これはまあ二つの教訓があって、リビアのように完全にやめるという国も出てきたわけですね。他方で、核兵器を持っていないから攻撃されたと思う国は、核を何としても手に入れるという考え方を強めている、そういう状況だと思います。そういう国は今のところ多くはありません。北朝鮮イランといったところが主要な国で、この北朝鮮イランに対する対応がどうなるかによって、この後の続く国が出るか出ないかということが多分決まってくるだろうと思いますね。  それは国家の核拡散の問題でありますけれども、その裏の世界の問題というのは、実際にはテロリストに核を扱う、あるいは製造することはもちろんそうですけれども、運んで歩いたり保管したりという、そういう能力があるというふうには私にはちょっと思えないんですね。ですから、アメリカが言っているような、テロリストが核を使ってアメリカを攻撃すると、そういうふうなことはなかなか起こらないだろうとは思うんですけれども、つまり使用済みの核燃料であるとか、それから、まあいろんな形のものがありますけれども、ダーティーボムと、放射性の物質を爆弾の中に詰め込んで汚い爆弾というのを造る可能性というのは、これはかなりあるんですね。実際に、それはモスクワで、チェチェンゲリラの司令官が連絡をしてきて、モスクワの公園の中にどこにあるぞというふうな連絡をしたと、実際にそれを探査してみたら見付かったというケースがありました。ですから、何らかの形でテロリストとこの大量破壊兵器あるいはウラン、まあ低濃縮のウランでしょうけれども、そういうふうなものがつながっているということはどうもあるようであります。  どうしてこういうふうな非国家の厄介な問題が出てくるようになったのかということでありますけれども、私はまあ二つあるように思うんですね。一つは、現在の国際社会というのは、例えば、ちょっと長い時間になりますけれども、国連ができたときは原加盟国五十一か国でした。今百九十一あるわけですね。この大半は植民地からの独立国です。で、冷戦の間、我々はこれに援助をしまして、開発問題という形でずっととらえていたわけですけれども、ほとんどの国で、大半の国で、東南アジアは除きますけれども、それ以外の国ではほとんど国内の統治というものができていなかったという問題があります。  六〇年代、七〇年代過ぎから、例えばアフリカでは四十か国近くで一党独裁、単一の指導者の独裁という状況が生まれておりました。こういう国々が、一九八〇年代からの世界、アメリカが中心になった市場化要求の中で経済はいよいよ疲弊していくということになりました。冷戦が終わって民主化だということになると、独裁者はいなくなりましたけれども、選挙をやって二回目の選挙ができない、内戦が起こるという状況が次々と起こってきたわけですね。これがすべてテロリストを生むということではありません。しかし、非常に絶望的な状況になった社会が、途上国の壊れてしまった社会というものが非常に冷戦後広がっていて、それが、何というんですか、テロリストを英雄視するというふうな、何か否定し難いような、そういう状況を世界に生み出しているということがあるだろうと思います。  それからもう一つは、このアメリカのこういうふうな問題に対する対応でありますけれども、アメリカはこういう国家が破綻していくという状況に対応するという気持ちはもうほとんど九〇年代の後半失いました。アメリカはどちらかというと人道介入とか大量破壊兵器の拡散ということについては武力を使うと。それは体制を転換する、民主化するというふうな目的を掲げて武力を行使するというふうなことをやる、それがアメリカの仕事だという方向へだんだん政策を移してしまったわけですね。ところが、これはアフガンでもイラクでも、戦争には簡単に勝ちますけれども、勝った後の状況の始末というのはほとんどできない。これが、例えばイラクの場合を見ても、アフガニスタンの場合を見ても、テロリストとかこういうふうなものを呼び寄せているわけですね。巣窟になっていくという、そういう状況があるわけであります。  世界の途上国に広がっているこの社会が破綻していく状況というのが一つ大きな背景になって、それに対するアプローチとしての、対応としてのアメリカのこの強制措置というものが逆にまた新しい脅威を生み出す場をつくり出していると、そういう状況が多分あるのだろうというふうに考えております。  国際社会はこれにもちろん、そこに書いてありますように、いろんな対応をいたしました。後でまた御議論があればこれについてお話ししたいと思いますけれども、一つだけ申し上げれば、国際社会の国家間の制度はたくさんあります。テロが起こった後も制度は強化されております。しかし、それが機能するかどうかは、それぞれの国の中の統治とか治安がしっかりしていなければこの制度は機能しないんです。一番問題なのは、国際社会が国連で決議するかとか制度をつくるかという問題ではなくて、それぞれの個別の国の統治をどうするか、治安をどうするかという、その問題なんですね。これは内政不干渉原則に立った国際関係ルールの中ではほとんど対処のしようがない問題、国際社会が非常に苦労しているのは、今そこなんです。どういう制度をつくれば国内問題にまで対応できるだろうかと、そのことを我々は今一番考えているわけであります。  私に与えられた時間はもう三十四分までということなので、日本のことについてはまた後で、御質問があればお話し申し上げたいと思います。  どうもありがとうございました。
  5. 西田吉宏

    会長西田吉宏君) どうもありがとうございました。  次に、福島参考人から御意見をお述べいただきたいと思います。福島参考人
  6. 福島安紀子

    参考人福島安紀子君) ありがとうございます。福島でございます。よろしくお願いいたします。  私は、国際政治と安全保障を専門にいたしておりまして、モダリティーとしては多国間協力を研究しております。今日は、二十一世紀における新たな日本外交脅威への日本対応と戦略ということを中心にお話し申し上げるという御依頼をいただきましたので、次に申し上げる四点を申し述べさせていただきたいと思います。  一番最初に、既に納家先生から脅威についてお話がございましたが、日本にとっての脅威、潜在的脅威とは何かということをまず最初に申し上げたいと思います。二番目に、そういう潜在的な脅威に対して日本がどのように対応し、どのような戦略を持つべきであるかということを申し上げます。三番目に、そのような日本対応と戦略において日本の外交に求められているものは何かということを申し上げまして、最後に、二十一世紀におけるこういう脅威に直面する日本がどういう新しい外交を展開していけるかということを個人的な意見として申し上げたいと思います。  すべてを申し上げることは時間内には無理でございますので、幾つかのものについては問題提起をさせていただいて、御関心があれば、質疑応答のところで更に申し添えることにさせていただきたいと思います。  まず最初に、日本にとっての潜在的脅威でございますが、納家先生のお話の中にもありましたとおり、伝統的な脅威と非伝統的な脅威の両方に直面しているという複雑な安全保障環境にあるというのが今の最大のチャレンジ、課題だと思います。すなわち、アジアの場合には冷戦構造がまだ残っていまして、朝鮮半島で戦争が起きる可能性もあれば、台湾海峡を挟んで有事というか戦争が起きる可能性もあります。分析をする人の中には、もし世界で第三次世界大戦が発生することがあったとすれば、最初の砲声は北東アジアに響くという予測をする人もあります。  そういう意味で、戦争の蓋然性を伝統的脅威と言えば、その戦争脅威が危機になった場合にその被害を重篤にするのがやはり大量破壊兵器拡散であり、通常兵器拡散であると思います。それが私の呼ぶところの伝統的脅威です。  これに対して、非伝統的脅威というのは、何も冷戦後生まれたものではなく、また九・一一以降生まれたものでもないと思いますが、むしろ九・一一以降、人の目に非常に付くようになったのが非伝統的脅威ではないかと思います。  その中で、例えば納家先生からテロのお話がございましたが、先生のお話の中にもございましたように、テロというのは何も九・一一以降生まれた新たな脅威ではありません。ただ、新たに顕在化した、目立つようになった脅威だと私は考えています。例えば、国際連盟の時代に、これはほとんど暗殺が主体でしたけれども、国際テロに対してどういう条約をつくるかという協議が行われたという記録がアーカイブに載っています。  このように、テロ、あるいは海賊、難民、感染症、地震などを含む災害、麻薬組織犯罪といった、今まではそれほど目立たなかったけれども、非常に脅威の度合い、潜在的な脅威の度合いが増している問題があります。  しかしながら、戦争脅威、伝統的な脅威と非伝統的な脅威というのはどこかで境界線が引けるというものではないというのが現在の脅威の複雑さの第二の点でもあると思います。  例えば、朝鮮半島の有事、戦争が起きた場合に北朝鮮から大量の難民が日本に押し寄せてくるということも考えられるわけです。したがって、難民という非伝統的な脅威、あるいは国内避難民という非伝統的な脅威も伝統的な脅威とつながっている部分があります。あるいは、海賊による行為でも、今までは船舶を乗っ取るとか乗組員を人質に取る、あるいはその船舶の中の荷物を転売して利益を得るというところにとどまっていますけれども、これがもし例えばマラッカ海峡でオイルタンカーを襲撃するということになりますと、あの狭い海峡でタンカーが座礁するようなことがあれば、これは先ほど不安定の弧というお話がございましたが、中東からの原油の、北東アジア、無論、日本を含む輸入のルートが途絶することになりますので、これもまた脅威の度合いは非常に高いものがあると思います。また、テロも、先ほど納家先生のお話にございましたように、大量破壊兵器を何らかの形で利用したテロが行われれば、その被害の規模は計り知れないものがあります。  私は、二〇〇〇年から実はテロ研究アメリカと一緒にやっておりまして、二〇〇二年のときに、生物兵器として例えば肺炎のウイルスがテロリストによってばらまかれた場合に日本アメリカでどういう影響が出るかということを、アメリカの場合にはクリスマスイブに、日本の場合にはお正月休み明けに新幹線で、アメリカの場合はニューヨークの郊外の電車にまかれた場合にどうなるかという机上の演習をいたしました。  その中で一番難しいと思いましたのは、例えば核兵器であれば使われたときにすぐ分かります。あるいは化学兵器、サリンの地下鉄の事件などを思い出してみますと、ああいうものがまかれると、多少時間は掛かっても恐らくその日のうちに、それは化学兵器という大量破壊兵器によって起こされた事件だということが分かります。ところが、生物兵器で例えばウイルスをまかれた場合に、それが単なる流行として発生した肺炎か、風邪なのか、インフルエンザなのか、あるいはテロ行為なのかということを見極めることに相当の時間が掛かると。そのウイルスがどういう抗体に対して弱いかということを見極めるにも難しいという問題があることが分かりました。  私たちは、SARSや鳥インフルエンザで既に感染症の怖さは経験をしております。私が安全保障の問題を勉強し始めたときには、こういう非伝統的な脅威と呼ばれる感染症などまで安全保障として考えることは、何でもかんでも安全保障だといって警鐘を鳴らすことになって良くないということが言われましたけれども、今や非伝統的脅威がいかに脅威であるかということは理解されてきていると思います。したがって、第一点のポイントとしましては、伝統的脅威と非伝統的脅威の両方が存在し、これが混在していてつながりがあると、それに対する有効な対策を立てなければいけないということであろうと思います。  二番目に、それに対してどういう対応と戦略を日本は立てたらいいかということでございますが、スペクトラムの片方に戦争という伝統的な脅威があると考えますと、それに対してはやはり国家としての防衛、それから日本の場合には、日米同盟を使って抑止をすると同時に、脅威が危機に転じたときにそれに対応するということが必要であることは言うまでもありません。しかしながら、そういう伝統的な脅威を低減するという努力を外交によってなさなければならないことは申し上げるまでもないと思います。  その外交は、それぞれの国との二国間の外交の部分と、それから複数の国である多国間の外交の両方があろうかと思います。すなわち、地域での安全保障あるいは国際安全保障と、この中には国連も入りますが、そういうところで日本に迫ってくる脅威を低減するという努力が必要であります。また、逆のスペクトラムから申し上げると、非伝統的脅威を低減するためには、この非伝統的脅威国家主体に縛られないものであること、感染症などは別に国境で止まってくれるわけではありませんので、そういうものに対しては地域安全保障あるいは国際安全保障のフレームワークで考えていかなければならないと思います。  三番目に、それではこれに対して日本外交はどういう対応と戦略を持つべきかということについて、三点申し上げたいと思います。  一つは、第二次世界大戦後の日本の外交というのは二つの変数を持った方程式を解こうという努力をしてきたというのが第一点。第二点は、アジアにおける日本の相対的な影響力あるいはステータスというものが変わってきているのではないか、それにこたえた対応策が必要なのではないか。三番目が、バイとマルチの相関関係とバランシングについて申し上げたいと思います。  第一点の「対米関係と対アジア関係の二元方程式の解」と書きましたのは、第二次世界大戦が終わった後の日本がこれから世界で生きていく変数として、一つは対米関係の改善と維持ということがあったと思います。それは何かというと、太平洋戦争に突入したときの最大の原因はアメリカとの関係であったわけで、戦争が終わった後はアメリカとの関係の是正と戦争が残したものを解決するということが重要な命題であって、私は第二次世界大戦後再び戦争の戦火にまみえることのないように対米関係を重視したという部分の変数はかなりの部分、解決をされてきたと思います。  ただ、今後の米軍の再配備に向けては新たな問題の萌芽もございますし、日米関係はもう良好だからコンスタント、定数、常数になったと考えてしまうことはできないと思いますけれども、二元方程式の、もしそれがXプラスYイコールZであるとすれば、Xの部分はかなり解決されたと思います。しかし、プラスYの方、もう一つが対アジア関係だと思います。特に、対アジアとの和解の問題であると思いますが、これは二国間関係においても多国間関係においても、まだ上下変動する変数の状態のままではないかと思います。  今の第一の方、つまりX、対米関係が良いということから、日本は脱亜入米だというそしりを私は海外の会議に行くときに受けることが少なからずございます。また、あわせて、昨年二〇〇五年を取り上げて、日中関係、日韓関係の悪化を指摘されております。この状況を見てみますと、戦争が終わって六十年、世代も交代し、月日もたっているにもかかわらず、冷戦構造というある意味で安定していた構造を脱却し、冷戦という氷河が解けた段階で歴史問題が再び先鋭化しているように思います。  その見るデータをこのレジュメの三ページ目に持ってきておりますけれども、図1は日本、中国、韓国、ASEANの関係について示した図でございまして、これはヨーロッパにユーロバロメーターというのがあるのを御案内かと思いますけれども、これは欧州委員会の統計局がやっているデータでございますが、それを参考にしてアジアバロメーターというのが二〇〇三年から日本の学者を中心調査されております。まだ二〇〇三年からでございますから時系列で申し上げることもできませんし、また各国のサンプルが八百人ということですので統計的に有意なデータというわけにはまいりませんけれども、ちょうど二〇〇四年がASEANプラス3、日中韓を対象に意識調査が行われておりましたので、その中の設問で、あなたは○○という国から自分の国が良い影響を受けていると思いますか、悪い影響を受けていると思いますかという設問がございましたので、そこから良い影響マイナス悪い影響のネットの影響を取ってみました。  これを見ますと、日本の場合には韓国に対しては比較的良い影響、中国に対してはややマイナス、米国に対してはややマイナスと。これはちょうどイラク戦争が終わった後の平和構築がなかなかうまくいっていない、戦争に勝つ戦略は良かったけれども、平和を構築する戦略が不十分だという認識が広がっていた時期であったこともあり、こういう結果になっています。これ二〇〇四年の十月に行った調査でございますので、竹島、独島問題が発生する前のデータでございます。  中国については、韓国についてはかなり良い影響と、日本に対してはこの段階でもマイナスの影響、アメリカに対しては辛うじてプラス。韓国は日本に対してやや良いと、中国に対してまあまあ良いと、アメリカに対してもまあある程度は良いという結果が出ております。これに対してASEANは、韓国、日本、中国、米国のいずれに対しても良い影響が上回るという結果が出ておりまして、特に日本に対する影響が良いという結果が出ております。  これは、正に日中韓とASEANの間のFTAの交渉の状況を反映していることが大変興味深く思いました。また、この日中韓の関係の難しさを表していると思いますが、私の同僚の中には、東南アジア人たちはどちらかというと明るい性格なので、こういう調査のときにはポジティブな結果が出ると。北東アジアの人はどうもしかめっ面をして難しいことを考えるからこういう結果は仕方がないのだと半分混ぜっ返されたことがございます。このデータそのもので何かが言えるわけではありませんが、やはり日中韓の間の信頼の回復ということが必要だということが示唆されているのではないかと思います。  図二は、中国に対する日本の人の親近感を内閣府調査から見たもので、これで申し上げたいのは、別に対中関係、対中親近感というのがずっと悪いわけではなくて、日中国交回復が行われたときにはかなり親しみを感ずるという数字が高かったと。その後、変遷があって、現在は六割が親しみを感じない、三割が親しみを感じるという結果になっていると。  図三に、同じ人たちに現在の日中関係についてどう思うかということを問うてみた結果を引用しておきましたけれども、これは親近感の乖離よりも二国間関係の良い悪いのデータの乖離が広いということが注目されます。  また、図の四と図五は韓国に対する同じデータを取ったもので、韓国の場合には、親しみを感じるという割合が減ってはおりますけれども、まだ親しみを感じないという割合を上回っていることを指摘しておきたいと思います。  日韓関係については、しかしながら良好ではないというのが良好だというのを上回っておりますが、これは「冬のソナタ」やペ・ヨンジュンブームだけではなくて、やっぱり韓流を通じて市民の間の交流が出てきたことで、そういう市民のレベルの日韓関係、交流関係というのは、政治の関係にある程度影響はされるけれども、反転するまでには行っていないということは今後考えるべき材料を提供しているのではないかと思います。  したがって、こういう面を見ますと、日本外交においては、アジアの中の日本をどうするかと、どういうふうにしていくかということと、バイに対してマルチの巧妙なバランシングが必要であるということが言えると思います。  それでは、アジアにおける戦後の日本の相対的ポジションの変化とそれへの対応について時間がございませんので簡単に申し上げますと、日本は戦後ゼロから復興をしてきて、ある意味で中国、韓国を上回って相対的な影響力が高まったわけでございますけれども、そのときには、マルチの枠組みの中で日本はただ乗りをしていると、フリーライダーだと、もっと貢献せよということを言われて、ODAを中心に黒字還流、貢献をしてきたわけでございますが、冷戦終結後は湾岸戦争で人的な貢献をしなかったことを批判をされて、今や日本はPKOを派遣するようになっているわけであります。  一方、中国は、なかなか難しい時期を経ながらも、平和的な台頭と自ら名付けるような成長を遂げてきております。  私が外で参加するプロジェクトの中で言われますのは、日本に対してアジアのリーダーであることを八〇年代そして九〇年代の初めまで期待したんだけれども、思うようなリーダーシップを発揮してくれなかったと。それにはがっかりした。その空隙を埋めてきたのが中国で、中国に対しては、恐怖感も残るけれども中国自身がリーダーシップを発揮するので、それを受け入れようとしているというふうに言われます。  その中で、韓国は、アジア、特に北東アジアのバランサーを目指すという一つの行き方を選んでいるということが言えます。中国を頂点とするユニポーラー、単極構造への警戒感というのはもちろんございますし、アメリカもそれを警戒しているということが、例えば昨年の東アジア・サミットに向けてのプロセスの中でも出てきたのではないでしょうか。  したがって、雁行形態のトップにいる日本というところから、実際のGDPなどではまだまだアジアのトップにいるわけではありますけれども、相対的な影響力の変化ということをきちっと見据えながら、どういう対応と戦略を展開していくかを考えないと、脅威に対して有効な反応ができないのではないかと思います。  それを痛感させられたのがEUによる対中武器禁輸措置解除の議論でございます。  これは、御案内のとおり、三年ぐらい前から、シラクさんあるいはドイツの前のシュレーダーさんを中心に、中国はもうこれだけ成長してきたし平和も大切にしているんだから我々と同じような国になったんで、天安門事件のときに導入をした対中武器禁輸措置というのはもう解除するべきときが来たという議論があって、それに対して、日本アメリカが今の戦略環境においてそれを解除することの影響というのを説いたわけですが、なかなか納得できない中で、中国における対日デモの状況それから反国家分裂法の成立をもって、いったんはこの解除論が収まってはおります。  しかし、このヨーロッパの動きというのは、ヨーロッパにあるチャイナ・フィーバーというものを如実に表したと思います。そして、研究者の間でジャパン・パッシングというか、日本よりは中国を勉強した方が自分のキャリアの将来につながるという傾向が出てきております。そういうことをよく肝に銘じた上で、日本の対アジア戦略というものを考えていかなければならないのではないかと思います。日本とすれば、悪化した二国間関係を改善して戦争の記憶をする世代が少なくなっているのに、歴史問題が先鋭化しているということについてはよく考えて対応をしていかなければならないと思います。  もちろん、中国は国内問題のスケープゴートとして日本を使っている、靖国カードを使っている、使い過ぎたという気持ちも出てきておりますが、日本の方も謝罪疲れというところもあります。ここを、突破口を模索して、私は謝罪するというよりは、中国、韓国と和解するということが大切だと思っております。歴史問題は解決をするというのは、少なくとも私が生きている間にそれを実現するのは非常に難しいように思います。日中、日韓あるいは三か国間の歴史問題は、マネージしていくという知恵を出していかなければいけない段階ではないかと思います。そのためには勇気と努力が必要だと思います。日中韓ともに極端なナショナリズムを助長してプラスになることはないのではないかと思っております。  そういう意味で、私は、日本はソフトパワーとして、これはジョセフ・ナイの言うソフトパワーと少し違うんですけれども、軍事力も戦争のためではなく、自分の防衛と地域の安定、国際の平和と安定のためには使うという軍事力を持ち、あとは経済力、技術力、情報力、文化力を総合したソフトパワーとして志を同じくする国々と連立をして問題に取り組むということが必要なのではないかと思っております。この二元方程式のうちに欠けていた対アジア戦略の部分を埋めて、矛盾にゆがんでいる方程式を機能する方程式に変貌させることが大切だと思っております。  時間がございませんので急いで。  バイとマルチというのは、私はこれは相関関係があって、どっちか一つを選ぶということではないと思います。少なくとも朝鮮半島問題と台湾問題が解決するまでは、日本にとってアメリカとの同盟関係は極めて重要であります。それをある意味で地域化していくような方向性も重要でありましょう。また、アメリカの良き同盟国として必要な場合には発言をしていくということも必要だと思います。今、日本を取り巻いている伝統的な脅威に対して対応していくために、この二国間関係なしということは考えられないと思います。しかしながら、台湾問題、北朝鮮問題が解決した先に何をやるかということについてはマルチで、アジアで何ができるかということを考えていく必要があると思っております。  例えば、東アジア共同体構想でございますが、経済については実際に貿易でも投資でも地域化が進んでいて域内の活動が非常に増えておりますから、これは自然に経済共同体の方に発展していくでしょうし、発展させていかなければならないと思います。  では、その先に東アジア共同体というものがつくれるかと言われると、これは大変な課題だと思います。いわゆる共同体という、私が学生時代に学んだ共同体というのは、価値観を同じくして同じビジョンを共有してこその共同体でございました。今、アジアで考えられる共同体というのは、そこまで行くのには相当の時間が掛かりますので、むしろ実践的な分野で利害を共有できるところから協力していく、いわゆる機能的協力を積み重ねていくというのが必要だと思いますし、そこは正に非伝統的な脅威について機能的な協力を重ねていくということが重要だと思います。それをしていくということはアメリカにとってもマイナスではありませんで、アジアがそういう協力を重ねていくことで平和で安定すれば、これはアメリカにとってもプラスであり、アジアにとってのピースキーパーの役割を果たすものだろうと思っております。  また、アメリカとの同盟関係においては、韓国や豪州といった同じ同盟国との協力も必要ですし、アメリカがうまくいってない、例えば中央アジアとかアフガニスタンで、日本日本らしい能力を発揮して相乗効果を果たすというようなマルチの方向性も考えていかなければならないと思います。日本のマルチ、多国間協力についての姿勢というのは一貫して協力的であるんですけれども、外から見ると、必ずしも日本は多国間協力に積極的ではないということを少なくとも私は言われます。それはなぜかなと考えるときに、日本からマルチに関して発信するメッセージが時に混乱しているという面があるのではないかと。もう一つは、日本は大変謙虚な国民性ですので、余り自分が、自分がリーダーシップを発揮してと言わないで、謙虚に背後からしっかり支えてるというところがあって、そこが理解されないのではないかと思います。日本らしい謙虚さは保ちつつも、必要なときにははっきりと自分の考えを述べてマルチを推進し、バイとのバランスを取っていくということが必要だと思います。  第四点の二十一世紀における新たな日本外交については、私の時間は二時四分までということでございますので、あと二分でポイントだけ申し上げますと、第一点としては、先ほど申し上げましたソフトパワーとしての安心して一緒にやれる国日本というのを目指したいと考えます。中国が台頭してきておりますけれども、一定の危惧あるいは恐怖感というものがASEANの中にも見られます。そういうのを念頭に置きつつ、日本日本らしい魅力のあるソフトパワーとなっていくことが重要だと思います。  二番目は、そこにすき間外交と書いておきましたけれども、軍備管理、不拡散すき間かと言われると、これはすき間ではないんですけれども、日本は不拡散については大変な努力を重ねてきています。これは恥じることはなくて、むしろこれだけやってるんだということを主張をして、日本らしい不拡散の努力をしていくべきだと思います。中央アジアについても地域的に申しますと、オリジナルシン、原罪のない地域で、日本の協力というのはまだまだ可能性があると思います。これは中央アジアと言うのがいいのか中央ユーラシアと言うのがいいのか、表現についてはまだ考える必要があると思っております。  最後に、私は海洋アジア協力、海の協力というのを是非推進したいと思っております。  私の資料の一番最後に地図を付けておきましたけれども、これは通常の地図が北が上であるのに対してこれは東が上になっておりますけれども、不安定の弧と言われている三日月が、この東アジアの海をなぞってみますとやはり三日月でありまして、この三日月を豊饒の海というか、競争の海ではなくて協力の海にしていくという発想が必要だと思います。これに対して、東西文明の方は言わば草原の道ということになろうかと思います。  これにつきましては、一年間、東アジア諸国のハイスクールの教科書の歴史、国語、地理の本で、それぞれの国が海を、そしてアジアを子供たちにどう教えているかという分析をいたしました。その中から、やはり教科書というのはナショナルアイデンティティーを教えるものですから、極めてナショナリスティックな部分もございましたけれども、海というものの広がりを教える可能性というものも見いだすことができました。何らかの形での海の協力というのを今後考えていきたいと思います。  時間でございますので、これで終わらせていただきます。  ありがとうございました。
  7. 西田吉宏

    会長西田吉宏君) ありがとうございました。  これより質疑を行います。  まず、大会派順に各会派一人一巡するよう指名をいたしたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。  できるだけ多くの委員の方々が質疑を行うことができますよう、委員の一回の発言時間は五分程度でお願いをいたします。  また、質疑及び答弁とも御発言は着席のままで結構でございます。  伊達忠一君。
  8. 伊達忠一

    ○伊達忠一君 自由民主党の伊達忠一でございます。  今日は、まず納家先生、福島先生におかれましては、大変お忙しいところをこの調査会にお越しをいただきましたことをお礼申し上げたいと存じます。先生のお話をお聞きしたり論文を読まさせていただいて、その中から何点かちょっとお聞かせをいただきたいと、こう思っております。  まず最初に、核拡散問題についてお聞きしたいと、こう思うんですが、先月、アメリカのブッシュ大統領がインドに行かれて首脳会談をされました。そのときに、軍事と民生の分離を前提に米印、原子力協力推進に合意、要するにアメリカとインドの原子力推進に協力をしたということが報道されたわけでございますが、これは私なりに思うことは、アメリカの一つの外交戦略であると思いますし、中国が軍事増強をどんどんどんどんしているということから、結局、中国に対しての抑えとしてインドを重要なアメリカのパートナーとしたいという思いでないかなと、こういうふうに実は思っているんですが、しかし、NPTというんですか、私もちょっと読まさせていただいたんですが、核不拡散条約というような、このものにインドが加入してない、未加入というようなことがあるんですが、それでも核兵器を事実上認めたものであると、私はこう思うんです。そうすると、NPT体制の実効性について改めて考えざるを得ないというか、矛盾が生じるといいますか、ここまではならないのかもしれませんが、NPTが壊れてしまうんでないかなというふうな気が、これは条件付の認め方だったというふうには聞いてるんですが、こう思う懸念さえするわけでございます。  ところで、アメリカは、インドや核保有が指摘されているイスラエルなどに対しては黙認をしてるというか認めてると、しかしイラン北朝鮮は悪の枢軸として批判をして保有は認めないというのを一貫して貫いているわけでございますが、インド、イスラエル、こういう友好国では、これまでの経緯からいって核拡散の懸念というのは私はないと思いますけど、しかしイラン北朝鮮、信用できないというのは、これは両者を区別して扱うというのは私はこれは当然だと、こう思っております。しかし、現実問題として、アメリカのこのような対応というのは、北朝鮮イランに付け入るすきを結局与えてしまうんでないか、持った者が勝ちだというような判断をされるおそれは私は否定できないだろうと、こう思うんです。  また、アメリカの基準によって核兵器を持てるとか持てないとかということが左右される状況は、反米的な国にかえって核開発の動機を与えかねないかなということを心配するんですが、先ほど納家先生もおっしゃったように、そこからテロリストなどへの流出するリスクが高まると、こう考えますが、両先生の意見をお聞かせをいただきたいと、こう思っております。  それから次に、北朝鮮問題についてちょっとお聞きをしたいんですが、先ほど両先生もお話をされておりましたように、大量破壊兵器拡散は我が国への最高の脅威と考えた場合、最大の私は敵が北朝鮮であるというふうに思っております。  二〇〇二年の小泉総理が訪朝されたときに出された日朝平壌宣言において、北朝鮮は一九九九年からミサイルの発射の一時停止というものをこのまま継続していくということを表明されたんですが、しかし防衛庁の防衛研究所が出している二〇〇六年の東アジア戦略概観によりますと、北朝鮮は潜水艦発射弾道ミサイルを基にした射程二千五百キロメートルを超えるミサイル開発していると。また、ロシアから射程推定三千キロメートルの空中発射巡航ミサイルですか、を入手した可能性があると、こうしています。  北朝鮮は、既にもう数個の核兵器を保有しているということはいろんな情報、調査から明らかなんですが、それに核弾頭が含まれているかどうかということはいまだかつてまだはっきりしないというのが現状だろうと、こう思っております。しかし、近い将来、北朝鮮が核弾頭を搭載する中で中長距離的な弾道ミサイルを保有すれば、我が国の安全に重大な脅威となることはもうこれはだれしもが私は否定できないと、こう思うんですが、そうならないために、北朝鮮の核問題は早期解決を正にこれはしなきゃならないということなんだろうと、こう思います。  これまで行われてきた六者協議を見ても、北朝鮮は、要するに、何というんですか、我々が見て聞いていても腹立たしいというか、もう本当に引き延ばすだけが向こうの戦略的な考えに見えてならないし、私はまあ実際そうだろうと、こう思っているんですが、中国やアメリカなどの協調、協力をしながら問題解決に全力で取り組んでいかなきゃならぬと思っております。  その北朝鮮の動きは、六者協議での取組を踏まえて、北朝鮮の核問題を解決して、そして拉致問題などの日朝にいろんな存在する問題を解決するには我が国がどのような取組をすべきなのか、まあこれはいろんなところで言われて、いろんな議論をされているんですが、素朴な質問なんですけど、専門家としてこれからどうしたらいいのかということをお聞かせをいただきたいと、こう思っております。  それからもう一つは、最後ですが、我が国のこの事態の打開のためには、まあよく言われることに経済制裁、昨日、おととい、昨日かな、おとといの新聞に、安倍官房長官の写真入りでいろんな問題が、意見が出ておりましたが、私もとにかく次から次にこれはやるべきだという気持ちを持っている、思いを持っている一人なんですが、しかし、この意思決定能力の欠けている国に対して経済制裁がどの効果があるのかというようなことを考えてみた場合に、実際どうなのかな、得策なのかなということを考えるんですが、この点についても御両人の御意見をお聞かせをいただきたいと、こう思います。  以上です。
  9. 西田吉宏

    会長西田吉宏君) どうもありがとうございました。  それでは、納家参考人
  10. 納家政嗣

    参考人納家政嗣君) 伊達先生、御質問ありがとうございました。  最初のインドの問題ですけれども、これは現在の核不拡散体制をめぐる問題の中で一番厄介な問題ですね。NPT、その核不拡散条約というのは、持つ国、持っていい国が五か国で、あとの国は持ってはいけないというふうに線が一本引かれていたわけですね。現在のところは、インドとパキスタン、イスラエルというのは核兵器を持っているわけですけれども、イスラエルだけは実験しておりませんが、持っていることはもう確実、ほかの国はもう爆発させたわけであります。これは、現在のNPT体制というふうなものに入っておりませんから、この枠の中で抑えていくということはもうこれはできない問題ですね。  ただ、私は、状況がNPT体制をつくった時期とはもう、全然もう時代が違っているというふうに思っております。NPT体制をつくったときのことを考えていただけば分かると思うんですけれども、この不拡散の問題というのはどこに線を引くかと、どの国は持ってよくて、どの国は持っちゃいかぬということを決める、そういう条約なんですね。NPTを作ったときにも、一九六七年の一月一日までに実験した国は持っていいと、それ以外は駄目と、根拠はないんです、これ。  そうすると、今はその線の引き直しの時代に入っているんですね。今までのNPT体制を維持してそれで管理していくという時代はある程度終わっていて、新しい、要するに国際情勢に合わせて線の引き直しをしなきゃいけない時代に入っているということだろうというふうに私は思っております。ですから、そういう意味でいうと、NPT体制の実効性というのは、まあ私は壊れてしまうというふうには思いません、低下していくだろうというふうに思います。  私が申し上げたいのは二点ありまして、一つは、インドをどういうふうに扱うかと。これは、NPT体制の中で核兵器国と認定することはできません。ですから、事実上の核兵器国という非常にあいまいな立場のままで時間を掛けてそのままやっていくというしかないんです。で、これと、現在の持ったら使うかもしれない危ない国々というのは、そこにはとにかく線を引いて、これが定着するまで時間を掛けるしかないことなんですね。  それじゃ、インドをどう、最後までずっとあいまいなままにしておくのかというと、これはNPT体制に入ってくるということには、インドにもメンツがありますから入ってこないです。しかし、例えばCT、カットオフ条約という、核分裂性物質の生産停止条約というのを作ろうという話があります。これを作った場合にはインドは入ってくる可能性があります。  それから、アメリカが調印したのを撤回してしまったので、今は未発効のままでめどはたっていないんですけれども、これは、アメリカ政権が変わった場合にはまた動きが出てくる可能性があるのが核実験の包括的禁止という条約なんです。これには加盟する可能性があるんです。  そうすると、NPTには入っていないけれども、事実上核兵器国として責任を果たし、それ以上は増やさないという、そういう国になる可能性は長期的にはあるわけですね。時間を掛けてそこに線を引いて、しかしそのほかの国には許さないよと。で、NPT体制は、これは百八十九も加盟しているもう国際社会の制度的な非常に重要な財産なんですから崩さない方がいいと思いますね。これを崩さないでその上にもう一段積み重ねるということが現在の長期的な戦略になるのではないか。ブッシュはそれに動き出したんではないかというふうに考えております。  それから、北朝鮮の問題でありますけれども、北が核兵器開発をやめるということはないというふうに私は思いますね。どういうふうな譲歩をしようとしても、引き延ばす、それ以上、何というのかな、全部手を挙げてやめるということは多分考えられない。それは、北朝鮮の生存そのものがこの問題に懸かっているからであります。  しかし、北朝鮮が持っているミサイルで意味を持っているのは、まず韓国に撃ち込む短距離のミサイルと、それと、あと日本米軍基地をねらうノドン、テポドンという辺りのミサイルですね。しかし、アメリカに届くICBMだとか核兵器を搭載したミサイルを使うという可能性は、私は、これは核と同じで取引材料だというふうに思います。使うつもりはない。使ってしまったらもう国がなくなるということは分かっていますから、そうなると元々の要するに体制保証も何ももう意味がなくなるわけですね。  そうなりますと、私は、要するに北朝鮮に対しては圧力を掛け続けて、要するに危機管理を続けるという以外ないんですね。攻撃するぞといって交渉を打ち切ってしまった場合には、彼らは、要するにプルトニウムの抽出をやめた後に濃縮をやったように、次から次と、要するにこちらがもう何か言わざるを得ない状態をつくってくるのは間違いないんですね。ですから、交渉を続けて、要するに今の状態で査察を掛けておく状態を保っていく、で、危機管理をしていくと、これ以外の手は私はないというふうに考えております。  最初の一九九四年のあのKEDOをつくったときの合意見てもお分かりのように、要するに合意するということにはほとんど多分意味がないのではないかというのが私の考えであります。  それからもう一つ、同じことかもしれません、経済制裁、北に対する経済制裁、圧力は多分利かないですね。日本がやっても利かないと思いますね。それはなぜかというと、やっぱり中国があり、それからロシアもあるからです。  特に中国の場合というのは、まあいろんな関係がある、背景があるでしょうけれども、多分、制裁破りという意味ではなくて、日本が止めたからといって中国が経済制裁に同調してくる可能性はほとんどありませんから、効果はないというふうに考えます。
  11. 西田吉宏

    会長西田吉宏君) ありがとうございます。  福島参考人
  12. 福島安紀子

    参考人福島安紀子君) ありがとうございます。  インドの問題でございますけれども、私は米印合意を見ましたときにまず最初は大変驚きました。つまり、ほかの国に適用している規範というかスタンダードと違うものをインドに適用するというのは、もちろんアメリカのインドという国に対する戦略的な政策から来たものだというふうに理解いたしましたが、びっくりいたしました。  これの今後についてですが、まず第一点として、私はNPTというのは不公平な条約であり、かつ核保有国が約束した核軍縮を達成していないという問題はあると思っています。しかしながら、NPTが発足してから現在まで、核不拡散の上では、なかった場合とあった場合を比較できないから分かりませんけれども、私は一定の効果があったというふうに評価をしています。  ただ、こういう米印合意が出てきたことも一つの契機として、NPTの再検討会議の、前回がたしか二〇〇五年だったと思いますが、あそこでは、こういう言い方は失礼かもしれませんが、実質的な成果が上がらなかったというふうに思います。  したがって、二〇一〇年の再検討会議に向けて周りの環境が変わったNPTで今の体制にプラスどういうシステムを導入することが不拡散に有効かと。NPTをつぶすということではなくて、NPTは維持しつつもその実効性を高めるためにどうするかという議論を非核保有国、核保有国が事前にして、再検討会議がただ会議のための会議になるのではなくて、本当に今の実情をある程度反映したものにするような努力をしていかなければ、間違ったメッセージがいろいろな国に行くということになるのではないかということを懸念しています。その一つとして、非核保有国に対する平和利用のための燃料供給について、核保有国を含めて一定の新たな合意をするということが有効ではないかというふうに思っております。  それからもう一つ、北朝鮮の件につきましては、先ほど先生が御指摘になられました分析は私も同じくするところでございます。北朝鮮とは共同研究をしておりまして、これは核ではなくて社会問題の共同研究をいたしましたが、そのときに、ピョンヤンに九九年、二〇〇〇年と続けて参りましたときに、核問題についてもその前のKEDOの段階での議論をいたしましたときに受けた私の印象は、北朝鮮冷戦が終わったときに、いわゆる東側諸国がその体制の崩壊を経験しなければならなかったのは核兵器を持たなかったからだというふうに繰り返し言われました。また、その後もお話を聞いておりますと、やはり核がないとイラクのようになるというようなことも聞かされておりますので、北朝鮮関係者は世界の情勢を非常によく見ながら自らをどうするかということを考えているのだろうと思います。  したがって、納家先生がおっしゃいましたように、北朝鮮の核問題については、やはり忍耐強くこの開発を止めるような努力を重ねていく必要もありますし、査察の再開をしてそれを担保していくということが必要だと思います。したがって、六者協議については、隔靴掻痒と思いますけれども、やはりこれを忍耐強く続けていくと、しかも有効な形でやっていくと。余り間にインターバルを置かないという努力が必要だと思っています。  ただ、それを続けるに当たっても、北朝鮮が、六者協議に参加をする、あるいはしないということを大変強力な交渉カードに使っているように見受けられます。そこで、それに加えて私は、六者協議は今核問題だけですけれども、それ以外の、例えばさっき話の出た非伝統的脅威も含めて議論するような場をつくってはどうかと思っております。それは最初は五者協議で始めて、北朝鮮の席は設けておいて、核問題についてのコミットメントを満たしたときに北朝鮮も含めて議論をするというようなカードがつくれないかなというふうに思います。  特に気になるのは、北東アジア地域協力の議論をするときに北朝鮮がブラックホールのように抜けてしまっているので、そうではなくて、入れた議論もする用意があるんだというポジションを見せつつ北朝鮮に対して核問題での譲歩を促していくという、よく言われる圧力と対話の両方が必要だというふうに思っております。  経済制裁については、無論これに効果があればやるべきだと思いますが、私も納家先生と同じで、日本が経済制裁を発動したときにどれだけの効果があるかということは、先生も御指摘になっておられたと思いますが、制裁を発動するというのは、発動することによってどれだけの効果があるかという計算をした上で発動すべきだと思いますので、今、日本が発動することがどれだけの効果を持つかという点から考えて決断しなければいけないのではないかと思います。  以上でございます。
  13. 西田吉宏

    会長西田吉宏君) どうもありがとうございます。  それでは、次に大久保勉君。
  14. 大久保勉

    大久保勉君 民主党・新緑風会の大久保勉です。  本日は、納家先生、福島先生、本当に明瞭で、かつ奥の深い話を聞きまして本当に参考になりました。特に、脅威多様化という言葉若しくは非伝統的な脅威、こういったことに対して、二十一世紀の日本若しくは世界が直面するリスクということが十分に分かりました。  まず、最初に二点、納家先生に質問します。  冷戦が終了いたしまして、九・一一事件、またその背景に関して説明をしてもらいました。本当に複雑な問題で、脅威多様化しているということは、逆に言ったら解決方法は一つではないと。つまり、様々なアプローチが必要であって、非常に困難であるというような印象を受けました。  これまでの二十世紀型の解決方法としましては、米国等の軍事力的なアプローチであったり、若しくは国連の枠組み、こういったものが使えないという状況に関して実は無力感も感じました。また、テロリストがいわゆる貧困政策をし、その中でテロリスト教育をしていると。つまり、学校若しくは病院に援助して、そのことによって新たなテロリストを生むと。本来、国家が行うべき社会保障に対してテロリストがやっているということに関して、非常に脅威であるという感じがしたわけでございます。そういった状況に関して、じゃ、解決策に関してもう少し具体的なことを教えてもらいたいなと思っております。  いわゆるソフトパワー的なアプローチとしまして、じゃ、貧困問題があるんでしたら、例えば日本のODA若しくは経済の均衡的な発展を目指すことによりまして貧困を撲滅し、更に民主主義的な教育をしていくと。こういった長期的なアプローチが必要じゃないかと思いまして、このことに関して先生の御意見を聞きたいと思っております。  また、二点目に関しましては、こういった貧困若しくは新たな脅威といいますのは、決して発展途上国だけではなくて、やはり先進国にも大きな問題かなという気もしておりまして、具体的には、最近ヨーロッパ社会、ヨーロッパの方で発生しております移民の暴動若しくはフランス等でのスト、こういったものといいますのは、いわゆる市場経済化及び競争、グローバライゼーションによりまして国内においても格差が生じていると。そのことがヨーロッパ社会の安定に対して脅威を与え、新たな脅威になっていると。こういったことに関して先生はどう思われているか。  以上二点に関して、納家先生に質問したいと思います。  三点目は福島先生に対しまして、福島先生に関しましては、東アジア経済共同体というのが一つの日本における解決策であるというようなことを承りまして、じゃ具体的に、ヨーロッパ共同体に対しまして東アジア共同体を考えた場合に、日本ができることということでしたら、軍事力に関しては非常に難しいということで、経済力、情報力、技術力、文化力、こういったことを使って東アジア共同体の発展に寄与していくと。じゃ、その過程で起こることは、恐らくは人と人の行き来が増えていくと。場合によっては日本に移民が来ると。  じゃ、その場合、日本に外国人が来た場合に新たな脅威が発生しないのか、テロリストが入ってこないのか。また、テロリスト自身が日本国内に入ってきた場合にどうやって、分断することが非常に難しくなりますから、今ヨーロッパで起こっているような脅威日本にも輸入されるんじゃないかと。こういったことに対してどのような政策が望ましいのか、場合によってはもう移民政策はすべきじゃない、若しくはすべきである、こういったことに関して聞きたく思います。  以上です。
  15. 納家政嗣

    参考人納家政嗣君) 御質問ありがとうございました。  解決が困難で、非常にこの非対称的な脅威をどういうふうに減らしていくかということについては、現在の国際社会のいろんな制度がありますけれども、対応ができていないというのが実情だろうと思いますね。  それの一番大きな原因というのは、経済が発展しないというのは、基本的には政治的な枠組みがしっかりできてこないという背景があるわけですね。で、その国内の統治というものをそれじゃ何とかしろということなんですけれども、これは、外からは幾ら援助をしても、何というか、その国の中の政治制度というものをきちんとつくるということはほとんど不可能ですね。国の制度という以前の国民意識とか国家意識とか、そのレベルの話なんですよ。  植民地から独立した国が非常に多いということを先ほど申し上げましたけれども、その中では、例えばアフリカなんか、あるいは中東もそうですけれども、部族とか宗派とかにみんなこう分かれたような社会で、国民意識というのは、ないことはないんですけれども、ワン・オブ・ゼムなんですね、自分たちのアイデンティティーの中の。それをどういうふうにつくり出すかということ自体が非常に難しい問題になっております。  ですから、貧困とかそういうふうな問題を解決するというのは、それ以前にまず国家の体裁を整えてあげて、それに対して援助をしてもちゃんと受皿として受け取ってもらえて、国民にその金が回るような、そのシステムづくりから始めないといけないという、そういう状況に今来ているわけですね。  それから、民主化の問題もありますけれども、民主化というのは相当に個人主義あるいは自由主義的な物の考え方というのが浸透した社会で初めて成り立つ政治システムでありまして、非常に伝統的な人間関係、パトロン・クライアント関係といったようなものが強い社会では民主化というのは逆に社会の人間のきずなを全部壊してしまいますから、社会を破壊してしまうんですね。それで、壊された人間たちがどこへ行くかというと、非常に伝統的な部族であるとか宗派であるとかというところへ頼っていって、これが内戦になるという状況が非常に多くなるわけであります。  ですから、民主主義というのはいろんな定義ありますけれども、少なくともアメリカ的な自由主義的な民主主義というものを伝統的な社会に持ち込むということについては、私は非常に問題を感じております。基本的には、今までは開発援助ということを中心にして、豊かになれば何とかなるだろう、政治もだんだん制度もできてくるだろうという考え方でしたけれども、私は、現在のところは逆で、取りあえず国家形成、そのためには治安、これをまず最初に考えて、それに援助をつなげていくと、そういう考え方に転換していかなければいけない。  現在、つくることでもめておりますけれども、国連の平和構築委員会、これはこの考え方に立っていますね。シームレスに、要するに武装解除それから治安問題を解決して経済発展へという、そういう流れを何とか一連のものとして取り上げていこうという、そういう方向へ来ていますね。これがうまくできればいいんですけれども、この制度づくりで今物すごくもめていますから、うまくいくかどうかはちょっとまだ分からないという状態であります。  それから、先進国の問題はおっしゃるとおりで、要するにグローバライゼーションで、ヨーロッパでは移民を受け入れた時期があるわけですね。ドイツであればトルコとか、フランスであればアラブからたくさんの。それぞれが二十一世紀の、何というんですか、多民族国家になると言われるくらい、五百万からの要するに移民を抱えているわけですね。最初は労働力の不足として受け入れたものが二世、経済不況になれば帰るんだろうと思っていたら帰らない、家族を呼び寄せるという状態になりました。で、今は二世、三世の時代になりました。  この二世、三世は、学校に入っている時代というのはフランス人、ドイツ人と同じ扱いをされていますね。ところが、就職という段階、それからもっと上級の学校へ進むという段階になると差別が、目に見えないような差別がこう出てくると。で、これは何なんだということで、自分の故国、お父さん、お母さんの国に帰ってみると言葉は通じない、そちらの社会にも入れないということで浮き上がってしまうわけですね。これは何だということで出てくるのがこの遠隔地ナショナリズムというやつで、移民した人たちがその別の社会において物すごい強いナショナリズムを抱くという、そういう問題が出てくるわけです。    〔会長退席、理事岸信夫君着席〕  これは、私は、フランスとかドイツでその多民族社会、多文化社会というものをつくろうという方向へ、まあそちらに、寛容な社会をつくらなきゃいけないんだというふうな考え方を取る傾向が強いように思いますけれども、これでは多分なかなかうまくいかないだろうと。私は、解決法として今思い付くことがちょっとないのでありますけれども、多文化主義でごちゃ混ぜにして同じような扱いをすれば問題が解決できるという、そんな簡単な問題ではないということだけ申し上げられると思います。  ありがとうございました。
  16. 福島安紀子

    参考人福島安紀子君) ありがとうございます。  私は、大久保先生の御質問の後段の部分のその移民の問題についてお答えをしたいと思いますが、この移民問題というのは本当に難しい問題だと思います。  実は、日本の人口減少問題をプロジェクトとして研究いたしましたときに、移民問題についても調べました。ただ、日本の人口減少のペースが速いので、移民でそれを全部埋めようと思えば年間数百万人の移民を受け入れなければいけないということで、これは有効な政策にはならないのではないかというふうに私はその研究のときに感じました。しかし、では移民なり出稼ぎ労働者に対してすべて門戸を閉じていいかといえば、そうでもないように思います。  ヨーロッパの地域統合あるいは共同体状況と、東アジア共同体へのプロセスの状況というのは、余りにも歴史も違いますし、置かれている環境も違うので比較することはできませんし、またヨーロッパをモデルにすることもできないと考えていますが、ヨーロッパが経験してきたことを参考にすることはできるように思っております。  で、ヨーロッパを調べておりますと、やはり言葉がヒューマントラフィキングというんですが、日本語にすると何か人身売買とか人身密輸とかという、何ですか、すごい表現になってしまうんですけれども、実際に西バルカンや中央アジアからかなりの非合法の出稼ぎの人が入ってきていて、この人たちの人権が守られていない。あるいは遠くは中国からも出稼ぎの人が来ていて、これが人権も守られていない状況で、社会の中でいろいろな問題も、先ほど先生が御指摘になられましたように、起こしているという実態があって、余り表面的には言われないかもしれませんけれども、私どもが見ているとかなり深刻な問題が出てきているなと思ったところに去年の十月のフランスでの暴動が起きたという状況であろうかと思います。  特に、その欧州の場合には、大久保先生の御指摘にも入っていたと思いますけれども、シェンゲン条約でEUの加盟国のどっかにいったん入ればあとはもう自由に動けるわけですから、出稼ぎに行くにとってはこんなに良い環境はないということで、逆にコントロールすることが非常に難しいという問題は抱えているように思います。  で、フランスの暴動のときに、ちょっと調べましたときに、この暴動はきっかけがあって起きたものであって、根は前からあったと。例えば、ブラジル人とイギリス人のハーフのオックスフォードを出た人が、両親がフランスに住んでいるからといってフランスで就職をしようと思ったら、名前がブラジル系の名前なので、それだけで面接にも至らないと。だから、フランスで就職するときには名前をフランス人的な名前にしないと就職ができないということすらあると。それが事実かどうか、インタビュー形式で聞いたものですから立証することはできませんけれども、そういう感じを、もうフランス国籍を持って流暢なフランス語を話している人たちも持っているというところに、日本にとっての今後の問題の深刻さというものを感じました。    〔理事岸信夫君退席、会長着席〕  で、日本での移民問題についてどうしたらいいかというのは非常に難しい問題で、私は今答えを持ち合わせていませんけれども、実際にこれは、まあ非合法というのでしょうか、入ってきている出稼ぎのアジア諸国の人たちはいますし、やはりその各国日本の賃金格差がある限り、出稼ぎをしたいという流れがあることは止められないだろうと思います。  もし仮にそれが止められないのであれば、蛇頭のようなブローカーがもうけるというよりは、一定のルールをつくって、こういう出稼ぎの人たちを受け入れるということもオプションとして考えていかざるを得ないのではないかというふうに思っておりますけれど、じゃ、どういうものが良いのかというのは、まだ考えがそこまで煮詰まっておりません。
  17. 西田吉宏

    会長西田吉宏君) どうもありがとうございます。  次に、浮島とも子君。
  18. 浮島とも子

    浮島とも子君 公明党の浮島とも子です。  本日は、納家参考人、そして福島参考人に大変貴重な御意見、そしてお話をありがとうございました。  私の方からは、東アジアにおける脅威への対処の在り方について、二問ほどお伺いをさせていただきたいと思っております。  まず一問目は、テロなど非伝統的な安全保障脅威への対処の在り方についてお伺いをさせていただきたいと思います。欧州などほかの地域と異なって、東アジアでは地域的な協力の枠組みが十分に構築されておらず、また、各国政治、経済体制、国益や安全保障観も千差万別でございます。こうした地域テロを始めとする様々な脅威関係各国が一致協力して取り組むことは決して容易なことではないと考えております。アメリカは、圧倒的な軍事力を背景に東アジアでも大きな影響力を持っておりますけれども、だからといって、こうした問題の解決に地域自らが取り組まずにアメリカを当てにすることは必ずしも適当ではなく、各国の人々もそれを歓迎していないと思っております。  初めに、こうした東アジアに存在する脅威に対する上で、最も有効な枠組みや方策は何だとお考えでしょうか。両参考人にお伺いをさせていただきたいと思います。  また二問目は、非伝統的な安全保障脅威への対処における日本役割についてお伺いをさせていただきます。日本は長年、長い間、ODA等の経済協力を通じて東アジア諸国の経済発展に寄与をしてまいりました。近年は、日本のODAの額自体は減少傾向にありますけれども、一方で、九一年の湾岸戦争以降、日本は国連PKOや紛争で疲弊した地域に自衛隊を派遣するなど、安全保障分野での国際貢献を行ってきております。ところが、本年一月のスイスのダボス会議で明らかになったとおり、日本は経済成長の著しい中国やインドの陰に隠れてしまい、その存在感は非常に低下しているように思えてなりません。  しかし、現在でも日本の経済力が東アジアで大きなウエートを持っていることは、占めていることは確かな事実でございます。日本のみならず、東アジア各国を脅かす様々な脅威に対処するため、もっと日本はイニシアティブを持つべきですし、実際に取ることができる分野もあると私は考えております。例えば、そのイニシアティブを取るべき分野の一つとして、先ほども福島参考人の方からもありましたけれども、ソフトパワー、例えば教育や文化といったソフト面での働き掛けもできるのではないかと思いますけれども、この点について、両参考人がどのようにお考えになられるか、お伺いをさせていただきたいと思います。
  19. 納家政嗣

    参考人納家政嗣君) 御質問ありがとうございました。  まあ、アジアにおいてはテロ問題や何かについてもその地域的な協力は弱いということでありますけれども、これはまだ始まったばっかりなんですよね。で、もう既に東南アジアテロ対策センターといいましたでしょうか、あれがもう既に発足しておりまして、徐々に、何ていうのか、二国間とか、あるいはマラッカ海峡の海賊対策とか、そういう個別の案件については国際的な協力がもう始まっている段階です。これを強化していくということが多分一番重要ではないかというふうに思いますね。  で、考え方としては、おっしゃったように、アメリカは大きな役割を果たしていると言うんですけれども、アメリカの軍事力というのは、テロとかあるいはテロ対策をやった後の社会の再建とか、こういう問題には余り役に立たないと、あるいは逆効果であるということは、非常に何か明確に認識しておく方がいいだろうというふうに思いますね。  ライス国務長官は、アメリカの空挺部隊を使って幼稚園の児童の送り迎えをするのかというふうなことを言いました。あの軍隊は、アメリカの強力な軍隊というのは、イラクのあれで、私は友人が撮ってきたフィルムを見せていただいたんですけど、みんな要するに敵だというふうに軍隊というのは見えますから、周りの者。近づいてくる者に対しては鉄砲を向けて、一般の市民であっても何でも道路へばっとはいつくばらせて、それで体を検査するわけですね。これをやられた側の屈辱感というのは物すごいもので、反米意識がどんどん出てくると。テロ対策以上に、要するに現地の敵をつくり出してしまうという可能性が非常に大きいですね。  ですから、ヨーロッパがやっているような、人間の安全保障対応部隊といったようなソフトな、軍隊と警察の中間ぐらいのものを相当大きく用意して、これで国家間の協力をやっていくということが重要だというふうに思います。  で、これは日本にはできます。東南アジアのほかの国々にはできません。今JICAがやっているのは警察協力ですね。警察とか司法についてJICAが専門家を送り、例えばポリスボックスとか、いろんな形のそのノウハウを提供するという活動をやっています。これは、私は、多分ODAをばらまくよりもはるかに効果があるというふうに考えております。  それから、日本役割ということなんですけれども、これは福島先生からお答えいただいた方がいいんだろうと思うんですが、日本はとにかく私は人が足りないと思いますね。協力するお金は持っていますけれども、現地へ行って、現地に必要なお金を落としてくる、そのノウハウとか人とか、そういうものが極端に少ないというふうに考えております。  で、日本の中でNGOを養成することも大切ですけれども、海外のNGOとの連携。それから、私は、やっぱり東南アジアで成功したという実績がありますから、南南協力というふうな形を通じてお金を落としていくと、そういうやり方をこれからもっともっと開発して、日本自身が発展させていったらいいというふうに思います。しかし、その場合も、私はやっぱり、これは私の考え方がそっちにちょっと偏っているんだと思いますけれども、お金ではなくて、やっぱり治安、それから警察的な協力というものとセットにして進めていただきたいというふうなのが私の考えです。
  20. 福島安紀子

    参考人福島安紀子君) 浮島先生、どうも御質問ありがとうございました。  私も納家先生と考えを同じくするところが多いんですが、少し私自身の視点を申し上げさせていただきますと、このテロに対する防衛というか対策というのは、テロを起こす人の方がぐっと楽でございまして、これを食い止める、予防するというのは非常に難しいと思います。これは、やはりアメリカの軍のプレゼンスということも必要だし、併せて地域としての努力、日本としての努力と、この三つは、三者択一ではなくてすべてが組み合わされなければいけないと、私がよく言うのは、バランスを取って組み合わせる必要があると思います。  と申しますのは、もう浮島先生御案内のとおり、サウジアラビアでイスラムの教育を施して、やや過激な人たちが、例えばタイの南部であるとかフィリピンの南部、場合によってはインドネシアに勉強した後戻ってきていて、この人たちテロリストグループ、あるいは極端なイスラムグループの中に取り込まれていっていることが脅威になっているということを東南アジアの友人たちは言います。  で、この人たちがバリのテロ事件などを起こしているわけですが、そこで収まっているのはやはりアメリカの軍のプレゼンスがあるからだと、アジア人たちが言っている点は一つ頭の中に入れておく必要があると思いますが、じゃ、日本が何ができるかというと、私は、やはりアメリカ戦争に勝つ戦略は持っているけれども、平和をかち取る戦略を持っていないと思います。その平和をかち取る戦略のところこそ、ソフトパワーとしての日本の能力が発揮できるところだと思います。  人間の安全保障部隊の言及がございましたが、私は、ヒューマンセキュリティーというのをはっきりと前面に出して、日本がこういうテロに対する予防のためのそれぞれの地域の能力を付ける、エンパワーをするという努力を是非やっていきたいものだと思っております。  その中の一つには、文民警察というシビリアンポリスの役割、それから現地の法律を作ってあげる役割というのは、納家先生もおっしゃったとおり、大変重要だと思います。単にODAのお金を渡し切るのではなくて、そこの人たちがそのODAの協力を通じて自分たちで自分たちを守る能力をつくっていく。つまり、井戸を掘ってあげるのではなくて、たとえ時間が掛かっても井戸の掘り方を教えてあげて、かつ、その井戸を維持する能力を付けてあげるというような協力を日本はこれからどんどんやっていく必要があるのではないかと思います。  例えば、東ティモールの復興状況を見に行かせていただいたときに、これは日本の自衛隊が撤退された後に行ったんですけれども、日本の自衛隊の評判が大変よろしくて、文句は唯一、一つだけ、イセエビの値段が上がったと、自衛隊の人がたくさん買ったからというだけが文句でございました。あとは皆さん大変評価をされたと。その評価をされた内容というのは、もちろん自衛隊としていろんな復興活動をされたわけですが、週末にそれぞれのコミュニティーの人たちとの交流をされたと。それを子供たちがすごくよく覚えていて、帰ってから自衛隊の方に伺ったら、自衛隊は日本でもそういうことをやっていると、それを単に東ティモールでやっただけだと言われましたが、そういう、社会が復興していく力を付けてあげるような協力。また、自衛隊の方は撤退された後に、機材を全部東ティモールに置いてこられたんですが、ブルドーザーとかダンプカーというのを運転する能力が現地の人にないので、自衛隊のOBの人がつくったNGOが行って、自衛隊の機材を使って教えてあげるというようなきめの細かい協力をしておられました。  東ティモールからテロリストが発生するということでは決してございませんけれども、平和をかち取るための戦略としてそういう協力を積み重ねていくと、日本というのは平和をかち取るための協力をしてくれるところだと、だからここを信頼できるし、それを期待しようというふうになっていくのではないかと思います。  それから、日本役割のもう一つとして、海賊問題については日本はもうかなり旗振りをやっていまして、これは大いに自慢をしていいのではないかと思います。  一九九九年十一月のASEANプラス3に参加された、亡くなった小渕総理が海賊対策国際会議をアジアで開催することを提案されました。海賊というのは、その海賊が属している国と、取り締まる国と、それから事件が起きた国、これが協力しないと決して取締りもできなければ逮捕もできないという、もうどうしても協力しなければならないような性格の脅威でございますから、それで累次、会議が開催されて、二〇〇四年にアジア海賊対策地域協力協定というのが採択をされて、今批准段階にあります。  多分、納家先生、このことをおっしゃられたのかなと思うんですけれども、シンガポールに海賊に関する情報共有センターというのができていまして、これは実はシンガポールとインドネシアの間でどっちに呼ぶかということでいささかの交渉があったようでございますけれども、こういう海賊の面では日本が大変イニシアティブを取ったということが認識されていますので、ここはメッセージが混乱しないように、ずうっとこの海賊問題については日本がリーダーシップを発揮していきたいものだというふうに思います。  以上でございます。
  21. 西田吉宏

    会長西田吉宏君) どうもありがとうございます。  大門実紀史君。
  22. 大門実紀史

    大門実紀史君 今日はどうも御苦労さまでございます。  納家参考人には二つお聞きしたいと思います。  一つ、レジュメの中の①に九・一一事件の謀議というのがございましたけれども、これは飛ばされたのか聞き漏らしたのか分かりませんが、ちょっとどういう内容か教えてもらいたいというふうに思います。私、実はビンラディン・ブッシュ・コネクション、カーライルというのをずっと調べておりまして、そういうことに関連するのかどうかというのありますので、お聞きしたいと思います。  二つ目には、これはもう素朴な疑問なんですけれども、アルカイーダはそもそもアメリカが支援してきたというのは周知のところでございますが、元々イスラムというのは特に反米だったという記憶が余りないんですけれども、特にブッシュ戦略との関係でかなり反米色を強めたんではないかというふうなふうに思うんですが、アルカイーダが決定的に反米というスタンスを取ったその、何といいますか、根拠といいますか、そういうものを詳しく、お分かりの範囲で教えてもらいたいと思います。  福島先生には一点だけ。大変分かりやすいお話をありがとうございました。いろいろもっとお聞きしたいんですけれども、東アジア共同体との関係で一点だけお伺いしたいと思います。  この調査会でももう二年にわたり様々な質疑がございまして、共同体なのかパートナーシップなのか、緩やかなものなのか、いろんな議論もございましたし、経済協力に絞るのか、あるいは安全保障も含むのかというところでも議論がありますし、ただ私は、少なくとも経済協力に絞っても相当まだまだ困難があるというふうに思っておりまして、それもアメリカ抜きなのか、アメリカを入れてなのかというんで、そこら辺もまた議論があるところでございます。  アメリカ抜きというのは、九七年のアジア通貨危機で相対的にASEANがもうアメリカとちょっと距離を置きたいというところからこれ始まっていますんで、無理もないところもあるわけですけれども、日本なんかはアメリカの顔色をうかがって、どうしてもアメリカを入れてというふうなところもあるようです。アメリカアメリカで、ドルを、ドルから相対的に自立してもらっちゃ困るというところで、経済協力だけに絞っても難色を示していると、こういう議論があったわけですけれども、それを踏まえてですけれども、私は、少なくとも現実的に考えますと、安全保障と経済協力とアメリカと、この三つは少なくとも北東アジアでのパートナーシップといいますか、共同体までいくかどうか分かりませんが、それ考えたときには現実的には否定できない部分だと思います。  それで、六者、六か国協議がありますけれども、その中のメンバーというのは、この東アジアの一番難しいものを抱えているメンバーがすべてそろっておりますですね。ここで共同の方向が出れば東アジア共同体全体にも明るい方向が出てくるんではないかと思います。もちろん、北朝鮮については、とんでもない国でございますから、そう簡単にいかないし、あんな六者協議役に立つのかと、やめてしまえという声もあるわけですが、違う側面から見ますと、東アジア共同体という側面から見ると、大事にして発展していけばと思いますが、こういう提案については、積極的にやるべきだと言う学者、研究者の方と、荒唐無稽だと言う方と真っ二つに研究者の方も分かれるんですが、福島参考人の御意見を聞かせていただければと思います。  以上です。
  23. 納家政嗣

    参考人納家政嗣君) 九・一一謀議というのは、二〇〇一年の一月にクアラルンプールのアパートで、その場所までアメリカから出た報告書の中に書いてありまして、中身で何を話し合われたかということまでは書いてなかったので、私も要するに知りません。  私はこれを挙げたのは、要するにテロリストネットワークというのがアジアに根を張っていて、要するにそのネットワークの中で活動しているんだと。ここで要するに決めた、つまり、だれがどこで何を起こすかということを決めて、お金をどういうふうに回すかというふうなことを全部最終的にここで決めて、半年後の、半年間の準備をして実行をしたと、こういう形になっているわけですね。  実は、一九九四年にほとんど同じような計画を作っているんですね。これもクアラルンプールだったかどうかちょっと覚えていないんですけれども、東南アジアアルカイーダのメンバーと、この二〇〇一年のときにはアルカイーダの幹部が八人やってきて、それにハンバリが入っていたんです、ジェマ・イスラミアの。ですから、そのネットワークの中で活動した。九四年のときにも、アメリカの航空機を十二機だとか一斉に同時にハイジャックして爆破するというふうな計画を作ってて、二〇〇一年のこのテロ事件の原型というのはもうそれ以来何回も作られているということなんですね。  それの実験のために一九九四年に、何月だったかちょっと覚えていないんですけれども、フィリピン航空、セブ島へ行って、観光地のセブ島から成田へ直行するという便があるんですけれども、あれで一回何か、何というか、試しをやっているんですね。あのときは死者が一人で、航空機の中で爆発したものですから、そのまま緊急着陸で那覇に降りたという事件がありました。あれは要するに、アルカイーダのコンタクトレンズのケースの中に強力な爆弾を詰めて、それを、ファーストクラス取るんですね、必ず。それの座席の下に張り付けて、降りたところ、後で爆破したという、そういう事件でありました。そのときにも、要するに動きはネットワークの中で動いていました。金から人から何も全部、それを最終的な計画を作ったということだろうと思います。  それから、アルカイーダは、必ずしもイスラムは反米ではなかったのではないかということなんですけれども、そうですね。これは元々は要するに反植民地ということで、イギリスに対する抵抗、フランスに対する抵抗というのはありましたけれども、アメリカについてはありませんでした。直接的な大きなきっかけを言えば、先ほども申し上げましたけれども、やっぱり九一年の湾岸戦争サウジアラビアに米軍が入ったということですね。これが反米のきっかけ、大きなきっかけになっております。  だけど、これは本当の反米かというと、そうではないだろうというのが私の考えですね。基本的に、この中東イスラム圏の中での反米意識というのは反政府ですね。要するに、国内の失業率は高い、非常に貧困化が進んでいく、格差も大きくなっていくという状況に対して国内での政権に対する不満が非常に強いわけですね。それを支えるアメリカというのが敵になっていく。で、大悪魔というふうに呼ばれて、だんだんだんだんそのテロリストの間で敵としてイメージが形成されていくという、そういう流れではないかと思います。それが典型的に出たのがサウジアラビアですね。オサマ・ビンラディンと。あれはもう全く国内の私は権力闘争が反米闘争に転化したものだというふうに考えております。  ありがとうございました。
  24. 福島安紀子

    参考人福島安紀子君) ありがとうございます。  先ほどの大門先生からの東アジア共同体に関する御質問でございますが、私は、東アジア共同体というのはそんなに容易にできるとは思っていません。しかし、中国が存在するからといって東アジア共同体構想、あるいは共同体に向かって、これは先生のおっしゃっている連携パートナーシップかもしれませんけれども、それに向かってのプロセスをこの段階で日本が拒否するというものではないと思っています。  その理由は、東アジア共同体構想というまだこれから構想をつくろうというような段階のものでも、東アジアがビジョンとして共有をするために意見を交換する場を持つということは私は日本にとって極めて大切だと思っています。つまり、その東アジアがまとまろうとするプロセスの中で、日本が何を考えているのか、日本がこれからいろいろな政策を変えていくときに、その政策を変える目的が何なのか、日本は何のためにこういう政策を打ち出すのかということを東アジア国々がそろっている場で説明をする、あるいは日本が東アジアというところのために何をしたいかと思っているかということを説明するには、やはりこういうプロセスは大事だと思っています。だからといって、中国や日本あるいはほかの国々がすぐに共通の価値観を持てるとは思っていませんが、それを持つような努力をお互いにする場にできるのではないかと思っています。  アメリカとの関係ですが、実はこれは、今本を書いているところでございまして、悩みが深くて一番困っている問題なんですが、私は、当面、東アジアというのはそれぞれの分野で最も利害があり、関心がある国が一緒に協力をするということをまずは積み重ねていく段階だと思います。  そういう意味で、安全保障についてアメリカを抜きにして議論をして果たして本当に実効的な話ができるのか、あるいは将来的にアジアで集団的な安全保障体制というものをつくろうと議論するときにアメリカ抜きで本当にできるのか、あるいは、今一番問題になっております、不足している、逼迫していると言われるエネルギーについても、メジャーオイルを持っているアメリカを抜いて議論をして本当に意味のある議論ができるかというふうに思います。  したがって、東アジアでの協力を積み重ねていくプロセスにおいては、それぞれの目的にかなったメンバーが協力をしていくというところから始めていくべきではないかと思っております。経済についての協力も決して容易ではありませんし、こんなにたくさんFTAをつくった以上、これをまとめるというのは、バグワティ先生ではありませんが、無秩序のスパゲッティボールというかヌードルボールをつくってしまったんで、これをまとめるのも容易ではないというふうに思っておりますけれども、それをやっていくプロセス自体は重要だと思い、経済で東アジアがまとまって、安全保障ではアメリカを入れた体制にしても私は構わないと思っています。  というのは、ヨーロッパを例に引くのはいささかのちゅうちょがございますが、ヨーロッパはNATOという枠組みを持ちつつも、EUという枠組みの中で経済、さらには外交、そして最近では先ほど話題に出ました文民警察の展開、兵力、平和の構築のための兵力の展開も西バルカンにしているわけでございまして、アメリカが一緒になっている枠組みとアメリカとは別の枠組みの両方が共存できるようなバランシング能力を持っていきたいものだというふうに思っております。  で、その中で、東アジアの地図を考えてみますと、東南アジアにはASEANというものが一つございますが、北東アジアには、先生御指摘のとおり、六者はございますけれども、いわゆる協力の枠組みと言えるようなものがまだございません。これについては、やはり北東アジアにも何らかのフレームワークをつくっていく必要があると思います。それは、六者の発展形というか、五者というところからやっていってもいいのではないかと思いますが、この五者の案につきまして、アメリカの学者がOSCE、欧州安全保障協力機構を参考にしてはどうかという案を挙げておられますが、私は、あの枠組みは人権が真ん中に入っておりまして、なかなかアジアでの適用は難しいというふうに思いますので、北東アジアなりのフレームワークを考えていくことが重要なのではないかと思っております。  アメリカが東アジア共同体に対してどう思っているかというのは、これはアメリカにお聞きいただいた方がいいと思うんですが、私が最近アメリカ政府関係者と意見を交換した中で、去年来からの感じで印象に残りましたのは、二〇〇四年の十二月に東アジア・サミット、東アジア首脳会議が開催されるということが発表されたときにアメリカは非常に心配をしてました。アメリカを除いた東アジアの枠組みをつくるというのは愚弄である、何を考えているのかということを随分批判も、学者でありながら批判もされました。そのときに私が言われたのは、中国が外交力に非常にたけてきていると、中国中心の東アジア共同体ができることを非常に懸念するということを言われました。  ただ、この話というのは、昨年の夏ごろ、東アジア・サミットにインド、オーストラリア、ニュージーランドが参加することが決まった辺りから、中国中心ではなくてかなり大きなグループになるという印象をアメリカの特にワシントンDCの人たちが持つようになって、それほど声高ではなくなったように思いますけれども、しかしながら政府関係者は東アジアだけでグループをつくるということについて一定の懸念は持っているように思いますので、そこをどういうふうにするかというのは日本としてもよく考えていかなければいけませんが、やはり組合せではないかというふうに今のところは思っております。  以上でございます。
  25. 西田吉宏

    会長西田吉宏君) ありがとうございます。  以上で各会派一人一巡をいたしましたので、これより、午後四時ごろまでを目途に自由に質疑を行っていただきます。  質疑を希望される方は、挙手の上、私の指名を待って質疑を行っていただきたいと存じます。  それでは、質疑のある方は挙手をお願いいたします。  それでは、田村耕太郎君。
  26. 田村耕太郎

    田村耕太郎君 今日は貴重なお話をありがとうございました。  私、国際的なテロに関して納家先生に御質問させていただきたいと思うんですが、テロの議論ですね、やっぱり冷静にやるべきだと思います。もう冷静な議論、ありがとうございました。やっぱり過剰に怖がるだけでもう相手の思うつぼだと思うんですね。  私がお聞きしたいのは、国際的なテロの失敗率について研究があるかどうかということなんですけど、テロに関してよく、やる方が守る方よりずっと簡単だと、守る方がやる方よりずっと難しいという話をされるんですけど、僕はやる方もかなり大変だと思うんですね。簡単にはできないと思うんですよ、ああいうこと。  私、テロをタイトルというかテーマにした映画やドラマ、好んでよく見るんですけど、ああいうことを一個でも起こっちゃいけないという視点から、相手、やる側の立場に立ってシミュレーションをするわけですけど、映画やドラマを見ても、設定に非常に無理があって、こんなことできないだろうと。もし自分がやる側だったらどうやってやるかということを考えたら、例えばニューヨークのテロだって、あれ数千万ドルから数億ドル、計画の段階から掛かっていて、オペレーションにかかわった人間は数万人いるんじゃないかと言われているわけですね。  やっぱり自分が計画してやることを考えた場合、それは恐ろしいことですけど、やっぱりお金、技術、情報収集、連絡網、運搬ですね、ロジスティック、訓練、研修、この作業だけでも大変なのに、これをもう徹底した秘密保持、秘密管理をしながらやるということですね。これ、なかなかできないと思うんですね。ちょっとでも穴が空いたらなかなかできない。それは宗教的な理念や思想があるからそれだけのことをやられるのかもしれませんけど、私の直観でいくと、計画から実行に移るのはやっぱり千に一つぐらいじゃないかと。実際に実行して成功する、成功するというのは、政治的な目的を先進国、大国を相手に達成するのは十個に一個ぐらい、そのぐらいじゃないかなと思うわけです。  過剰に怖がらない、そしてちゃんとした対策を立てる上で、さっき言ったようなお金から技術から情報からロジスティックまで、どこに穴があったのかということを考える上でも非常に有効なことだと思うんですけど、テロの失敗率、防御率、まあ裏を返せば成功率というのはかなり低いと思うんですけど、こういう研究があるかどうか、これに関して伺いたいというのが一つと、さっき出たアルカイダの話ですね。アルカイダの総資産と総従業員というんでしょうか、まあ従業員じゃないんですけど、ネットワークの人員数というのがどれぐらい把握されているのかということに興味があります。  もう一つ、福島先生には、全くがらっと変わりまして、まあ外交で市民レベルとか地域間交流が大事で、韓国の、日韓交流というのはそれが下支えになって、国同士の外交の難しさを補っているんじゃないかという話があったんですけど、なぜ日中ではそれができないのか、どういうやり方があるのか。また、日中合作映画でも合作ドラマでも作って、ちょっとまたメロドラマっぽいやつを作ったらいけるのかとか、この話を韓国の人とやったときに、やっぱり台湾問題があるからじゃないかと。台湾というのは日本の味方だから、味方の敵は敵ということでなかなか難しいんじゃないかというようなことを韓国の人は言っていたんですけど、先生の考えで、なぜ日中は市民レベル、地域間レベルの交流が韓国に比べてうまくいかないのか、どういうことをやれば更にうまくいくような形になるのか、この二点についてお伺いしたいと思います。
  27. 納家政嗣

    参考人納家政嗣君) 御質問ありがとうございました。  結論から言いますと、私はテロの専門家ではないんですけれども、成功率とか失敗率というのはない、そういう研究はないと思いますね。要するに、我々が知ることができるのは、実際に事が起こった場合だけですから、それだけ見ているのでどのくらい失敗しているかというのは分かりませんけれども、アルカイーダのことを書いたものを幾つか読んでいますと、失敗は非常に多いですね。だから、千分の一とは言いませんけれども、私が数えた回数でいうと、三割成功していますね。成功というのは分からないんですよ。どれが成功なのか、何をねらってやったのかというのが分からないんです。  でも、例えばニューヨーク貿易センターの地下室の爆発というのは、あれはもしかするともっと大きいことを考えていたのかもしれないんですけれども、とにかくやったことはやったんですね。それから、アメリカのイージス艦のコールにもぶつけましたし、そういうのは、ジャカルタのオーストラリアの大使館とか、それからバリ島の事件二回ありましたし、ああいうのを加算していって、その間に失敗したのを数えると三割という数字はありました。だけど、どうなんですかね、もっと計画しているのかもしれませんし、ちょっとそこは何とも言いようがないということであります。  ただ、過剰にテロのことを心配する必要は本当にないと思いますね。成功率が高くないというだけではなくて、あれだけの大きなことをやるというのはすごい綿密な計画が要るわけで、国境措置を徹底してやっていけば確実に先細りになっていくというのは間違いないというふうに思います。これ、今世界じゅうにネットワークが広がったように見えるのは国境措置が弱いんですよ、とにかく税関から何から。だから、そこのところをきちんと手当てしていくということによって、例えば六〇年代、七〇年代にあったあのハイジャックですね、あれだってどんどんどんどん先細りにすることはできたわけです。  私は、アルカイーダというのはそんなに、まあすぐとは言いませんけれども、一つはアメリカのやり方ありますからね、あのやり方していくと広がっていくというのがある。アルカイーダそのものと、それからアルカイーダ系というのがあって、アルカイーダ系というのは反政府勢力なんです、各国の。これがみんなアルカイーダにつながっているというふうに見られるからどんどん広がっているように見えますけれども、アルカイーダそのものは先細っていきますし、それぞれの国のものはそれぞれの国で処理されていきますから、次第に収まっていくというふうに思いますね。  それからもう一つ、このアルカイーダについてという、まあ今お話ししたことに尽きるんですけれども、アルカイーダアルカイーダ系というのとは、横の連絡というのはほとんど人間関係も顔も分からないわけですね。ただ、要するに連絡が付くというだけのことで、お金のやり取りがあったりということで、全くそれぞれの組織が別物なのにつながっているというだけのことですから、そんなに実体はない、ほとんどが反政府運動。アメリカは反テロ戦争と言ったのでみんなくっ付いちゃったと。みんな、ロシアもチェチェンのことをテロリストだと言うようになっちゃったという、そういうイメージの膨らみがあるだろうと思います。
  28. 田村耕太郎

    田村耕太郎君 ありがとうございます。
  29. 福島安紀子

    参考人福島安紀子君) ありがとうございます。  とてもいい御質問をいただいたんですが、きちっとした答えはなかなかございませんけれども、私がソフトパワーとして草の根というか市民のレベルの交流が大切だということを一番申し上げたかったんで、そこの、草の根のレベルでの交流が行われることで、政治的ないろんな問題が起きたときにもしっかりと基礎の部分で信頼関係なり交流関係が維持されればいいという意味で申し上げました。  したがって、教育なんかもそうですが、今中国で日本語を勉強している人たくさんいるんですけれども、その勉強した人たち日本語を生かした職に就けないというような問題があります。こういうものを是正していきたいと思います。  それで、日韓と日中の合作の話でございますけれども、私もちゃんと全部見ているわけではないのである程度の知識の範囲内でしか申せませんが、やはり日韓の間の市民の交流が活発になってきたきっかけはサッカーのワールドカップだったと思うんですけれども、韓国のドラマが非常にピュアなもので、それが日本の私のような年代の人たちに受けたということがあるんだと思いますが、この韓流というのは日本だけではないということを一つ注目しておきたいと思います。  例えば、アメリカでも、西海岸にいる私の同僚などは韓流のドラマを見ておかないと、翌朝、秘書と話が合わないと、それぐらいやっぱりなぜか女の人に浸透しているんですね。中国の友達にも聞いてみたら、韓国のドラマ、余り映画とは言ってなかったんですけど、韓国のドラマが中国でもヒットしていると。もちろん「冬のソナタ」もそうで、小さな田舎でいろいろ手伝ってくれた若い、恐らく十八、九ぐらいの女性だと思うんですけど、その人に、あなたは海外旅行に行くチャンスがあったらどこへ行きたいですかと聞いたら、韓国に行きたいと、「冬のソナタ」のロケをやった春川に行きたいと言われたんです。これも結構浸透していると。  で、なぜかということを中国で聞いたんです。かつて、日本のドラマも放映されていたことがあった、「おしん」以外のトレンディドラマも放送されていたことがあったそうなんですけれども、その日本のドラマのセットに出てくるものは中国の普通の市民の生活では手の届かないもの、ちょっと余りにも先にあるもの、でも、韓国のドラマに出てくるセットとかいろんなロケをしているところというのは、まあ中国でももう少し頑張ればそうなるなということで親しみを覚える、だから韓流なんだということを言われました。  日中合作映画というのが全くないかどうか、中国でロケーションしている高倉健さんの映画なんかも最近出ていますので、少しはあるんだろうと思いますけれども、やはりそういうものができるようなサポートがなされることが必要だと思います。  もう一つの背景に、これは学問的に立証できないのでどうか分かりませんけど、やはり中国における一九九〇年代の半ばからの日本に関する教育というのもあるいは一つ影響している要素かもしれません。  でも、したがってきちっと先生の御質問にお答えすることはできませんけれども、やはりそういう文化面での交流というのが進むような方向性を促していかなければいけないと思いますし、その際には、やはり日本の企業もきちっとした矜持を持って、言うべきことは言いながら作っていくような努力をしていかなければいけないんじゃないかなというふうに思っております。  済みません、日中合作映画は余りよく知りません。  以上でございます。
  30. 田村耕太郎

    田村耕太郎君 ありがとうございました。
  31. 西田吉宏

    会長西田吉宏君) どうもありがとうございました。  次に、富岡由紀夫君。
  32. 富岡由紀夫

    富岡由紀夫君 民主党の富岡由紀夫と申します。  今日は大変ためになる、参考になるお話をいただきましてありがとうございます。いただいたお話に関連して、お二方にそれぞれ質問をさせていただきたいと思います。  まず、納家参考人に質問させていただきます。  納家参考人からは、いわゆる西側諸国というか、で考えて、民主化とか自由主義経済、市場経済、これを全世界に当てはめようというのはちょっと無理があるというようなお話をいただきまして、私も非常に今興味深く聞かしていただきましたけれども、これはさっき、イスラム社会においては民主化というのはイスラムの保守勢力の考え方とは相入れないものがあるとか、自由主義経済にそれをそのまま導入すると、そういったあふれた人たちがまた部族意識に基づいて、何というんですか、反政府勢力になったりいろんな問題があるということだったんですけれども、こういった国が、さっきお話があった部族の問題もありましたけれども、イスラム社会だけじゃなくて、そういった開発途上国というか発展途上国、開発途上国の中にもそういった民主化、いわゆる西側諸国の自由主義経済若しくは民主化が導入できない国がどのぐらいあるのかということを、もし分かる範囲で教えていただければというふうに思っています。  で、具体的にそれがどういうふうに、先ほどイスラム社会の難しい点をお話しいただきましたけれども、部族のそういった国家意識のない、部族意識だけの国の中ではどういったことが問題になるのか。民主化とか自由主義化が導入できない、どういうところがネックになっているのか、ちょっと教えていただきたいというふうに思っております。  それで、もう一方、その点と、現状と、じゃ、国の在り方というのは、どういう国が地球規模で見た場合いいのかと。それぞれ、今言ったように、いろんな文化とか宗教とか歴史、経緯があって、多分一律にはできないんだというふうに思っているんですけれども、そういった状況のままで、じゃ、かといって見ていていいのかという問題もあろうかと思うんですね。やっぱりある程度、国連なりそういった中で、日本もこれからの国際貢献の中で、まあそういう部族の問題があってなかなか手を入れられないという問題はありますけれども、やっぱり一方では独裁政権下で圧制に苦しめられている国民も、その国の国民もいるわけですから、そういったところにやっぱり日本もある程度いろんな、できる限りのことは貢献しないといけないという中で、ただ、こういう状況だからもうそれは放置するだけしか手はないのか、それともある程度手当てがあるのか。これからの国連の活動の中で、そういった多様化している状況の中で、どういった地球レベルで国家というか社会を目指していくべきなのか。その辺のところを、非常にちょっと大きなお話ですけれども、一応せっかくいただいたお話の関連でお伺いさせていただければというふうに思っております。  それと、福島参考人に是非お伺いしたいのは、今、ちょっとこれはあれなんで大変失礼な質問になるかもしれませんけれども、納家参考人から今はそういったお話ありました。民主化、いわゆる民主主義とか自由主義経済で画一的にできないというお話あったんですけれども、福島参考人もやっぱり同じお考えなのか、同じ見方なのか、ちょっとその辺のところを御参考までにお伺いできればと思っております。  あと、福島参考人にオリジナルで聞きたい問題といたしまして、先ほど東アジア共同体構想、そういった対話とか協議をしていくべきだと。で、ソフトパワーを生かしていくと、日本のそういった経験とかそういうのも踏まえて役割を果たしていくべきだというお話あったんですけれども、一方で、協議していく中ですぐに解決できればいいんですけれども、東シナ海のいろんな鉱物資源の開発の問題とか尖閣諸島の問題とか竹島の問題とか、もうこれは時間、猶予を置けない現実的な問題もあります。こういったところを、まあ東アジア共同体構想というのは一つで、それは大変大切なんですけれども、現実の問題として、これらの問題について日本は今喫緊の課題としてどういうふうに対処すべきか、したらいいのか。まあ一つのこれは、何というんですか、解答はないと思うんですけれども、福島参考人のお考えをお伺いできればというふうに思っております。  以上です。
  33. 納家政嗣

    参考人納家政嗣君) 御質問ありがとうございました。非常に大きな問題で、何と、どうお答えしていいか分からないというところもありますが。  西側、特にアメリカが唱えている非常に自由主義的なリベラルデモクラシーというのを世界に定着させるというのは不可能だというのは、これはもうはっきりしているだろうと思いますね。  例えば、一つの例はアフガニスタンイラクのケースでありますけれども、アフガニスタンの場合には伝統的なロヤジルガという、何か部族長の会議というのがもう伝統的にあって、一回まずそれを、ボン合意をやった後にそれを開いたんですね。それを国会の代わりにやって、そこでまず憲法や何かの枠組みというのをある程度つくって、人を決めて、そこから選挙へ入って、で、政権をつくるというやり方をした。  イラクの場合にも、多分何かはあったはずなのですが、独裁政権が長くてそういうものがもう、伝統的なものはない。アメリカは要するに政権をつぶしてしまって、バース党を解体してしまって追放しちゃったと。軍も解体してしまった。で、降伏もないという状態で、何にもない権力の真っさらな状態になってしまったわけですね。  ですから、例えば伝統的なそういうふうな部族社会の物事の決め方というか、そういうシステムをある程度生かしながら民主化とか自由主義という価値を入れていくということは可能だと思うんですよ。  これは、私は、先進国であっても別に、何というか、完全な自由主義とか民主主義というのが定着している国というのはほとんどない。例えば日本の場合だって、人間関係でいったら、これは相当にあれでしょう、何か個人主義の弱い社会だろうと思いますね。系列だの談合だのって昔からずっと言われてきましたけれども、人間関係でつながって、その上に民主主義とか市場経済が乗っかっているという、こういう組合せなんですよね。どの社会でもそうなんだと思います。  途上国の場合には、個人主義的な市場経済とか民主主義を取り入れるには余りにもその人間関係部分でやっているところが多いから、それが入ってくると壊れてしまうという問題があるんだと思います。ですから、私は、組合せの問題で、途上国の場合には民主主義も自由主義も全然駄目だというのではなくて、その国の、何というのかな、元々あった物事の決め方とか経済の在り方とかいうふうなものに合わせた民主化とか自由主義化というのを進めていくということは可能だと思いますね。それを国際社会として考えていかなきゃいけない。  ちなみに、どのくらいそういう国があるんだということをおっしゃいましたけれども、これは例えば、数はよく分かりません。例えば、破綻国家予備軍というのは幾つあるんだというふうなことを計数化してやった研究がありますけれども、これだと六十か国も上がっているんですね。その中にはロシアまで入っています。ロシアの民主主義というのは定着していないという考え方になります。だけど、あそこまで破綻国家だと言うのはちょっと私は言い過ぎで、一つの目安としては、例えばアフリカでは一九九〇年段階で一党独裁とかそういう非民主的な国家が三十八あった。それを選挙をやって、そのうち二回目の選挙ができなかった国というのは二十あるんです、ほぼ二十あるんです。ですから、これらの国がずっと内戦を続けて、今内戦はだんだんだんだん国連の努力や何かで減ってきましたけれども、これらの国々というのが大体あれじゃないでしょうか、なかなか民主主義とか何かを定着させる以前の問題を抱えている国というふうに考えていいのではないかというふうに思っています。  ただ、これが増えていると。例えば、アフリカだけであったものが中東にまでそういう国が出てきてくると。しばらくはなくなりませんけれども、サウジアラビアなんというのは石油が出なくなったら非常に危ないですね、あの国は。それから、中央アジア、みんな独立しましたけれども、これは新しい途上国として非常に危ない状態にありますね。これ、これからですね、本当に国家のシステムとしてやれるかどうかというのが問われるのは。ですから、数が多分まだもう少し増えていく今は段階にあるのではないかというふうに思います。  それから、地球規模でどういう国家ということなんですけれども、国家が非常に多様であるということについて、やっぱりアメリカは寛容じゃないんですよね。自分が持っているシステムを世界じゅうに広げないと何とも我慢できないというところがあって、これが問題を大きくしているところがあると思います。基本的には相当の、それぞれの国の文化とか社会の在り方というものに対して寛容になって、ただし国際社会全体として最低限のこのくらいの人権は守りましょうとか、民主化の努力はしましょうとかいうふうなことを決めて、それぞれの国に実行できるように促していくということではないかと思いますね。それは、先進国から見たらとても我慢できないというような状況はまだまだかなりの国に残ると思います。  しかし、先ほども申し上げましたけれども、国連の中に例えば平和構築委員会というふうなものをつくって、そこで、壊れていく国家に手当てをするというシステムというか制度を国際社会の中に組み込んだ、そういう国際社会にしていかなきゃいけないということですね。それは、私は、相当に寛容なものであって、そこから徐々に徐々に底上げしていく、つまり飢餓で死んじゃうとか、そういうふうなことが最低限起こらないくらいのところまで引き上げていくというのが今の目標ではないかというふうに考えております。
  34. 福島安紀子

    参考人福島安紀子君) ありがとうございます。  富岡先生から御質問のあった最初の民主主義を広げられるかという点については、私は納家先生と全く同じ意見でございます。つまり、ある国が考えている民主主義を、移行期にあるような国、あるいは破綻から何とか復興に移ろうとしている国にその状態のままで押し付けてもこれは根が生えるはずがないと思います。やはり、それぞれの国には歴史も伝統もあって、その国なりのやり方というのも尊重しながら、その国が能力を持つように支援していくという姿勢が大事だと思います。  納家先生からも中央アジアのお話が出ましたが、実は中央アジアの仕事をしております。これで見ていて強く感じますのは、一九九一年にソ連の崩壊後、独立国家になった中央アジア各国というのは、これからは西側諸国からたくさんの支援が来て発展できるものと期待をして、できるだけモスクワとの距離を持とうという努力をしてきたわけですけれども、なかなか思うような支援が得られない中で、九・一一の事件が起きて、アメリカが軍の基地を中央アジアの幾つかの国にも置きたいといったときにも協力をしたと。協力をすることによってアメリカからの支援も期待したんだけれども、中央アジア人たちの言葉をかりると、思うような支援は得られなかったと。特に、最近のアメリカは、民主化するのであれば支援すると、民主化しない国に対しては支援をしないという姿勢を取ると。あるいは、民主化支援といっても、ヨーロッパがやってくれることは選挙支援だけだと。つまり、選挙を実施できるようには協力をしてくれると、選挙が終わった後に今回の選挙が民主的であったか民主的でなかったかという評価は発表してくれると、でもそこまでだと。  つまり、例えば欧州安全保障協力機構、OSCEの選挙監視が有名ですけれども、その選挙監視の結果、今回の選挙は民主的ではなかったと言われたために、カラー革命が起きて国内が不安定になったというような経験もあることから、余り民主化と言われることについては、自らの国内政治の不安定の原因になるのではないかという受け止め方も一部には出てきているということを想起しておきたいと思います。  その結果、私が見るところでは、中央アジア諸国はロシア回帰をしている、ロシアと再び非常に接近をしているように思います。それは、やはり距離を持ちたいと思ったけれども、外から思うような支援が来ない以上、昔のつながりのあるロシアと付き合っていかなければならないという気持ちが中央アジア諸国に出ている。あるいは、経済面では中国が中央アジアに非常に接近をしていて、カザフスタンの石油会社を買ったりというような動きがあって、消費財もかなり入っている中で、上海協力機構を通じて中国の中央アジアに対する接近もここ二年ぐらい非常に目立つような状況にあります。上海協力機構は人権問題とか民主化を言わないという整理が中央アジア人たちの頭の中にあります。  そういうことを考えるときに、もちろん究極的に民主化をしなければ国は成り立っていかないわけですけれども、そのプロセスにおいては、その段階段階で必要な支援というものを考えていかなければいけないのじゃないかと思っております。  それから、先生の二番目の御質問の領土問題、島の問題は、これはもう非常に難しくて、どう対応したらいいか、対処したらいいかというのに、これという知恵は持ち合わせておりません。  ただ、やはり尖閣にいたしましても今の石油、ガスの鉱区の問題にしましても、やはりトウ小平がこういう問題は先の世代に解決してもらおうと言ったのは一つの知恵であったと思います。事がここまでに至った以上は、やはりリーズナブルな共同生産という道を模索していかなければいけないと思いますし、それに当たっては、中国も理にかなった共同生産の提案をしてくれる必要があると思います。  ただ、遠い将来、北方領土問題が解決するような段階になれば、この島の問題については、私は、ICJ、国際司法裁判所で結論を出してもらうというのが法的であり、お互いに恨みの残らない解決策ではないかと思っております。ただ、この時点でそれができるかといえば、政治的にはかなり難しいというふうに考えております。  したがって、今、東アジアの海の中には、海の呼び方でももめているところがありますので、オホーツク海から黄海、東シナ海、南シナ海、場合によってはアラフラ海からタスマン海まで全部を東アジア海というふうに呼んで協力を考えるような方向性も日本として出していってはどうかと思います。これは、ブローデルの「地中海」という本があるんですけれども、そこからヒントを得たものなんですが。先生の御指摘のとおり、争いの海であるという現実はあります。その現実を分かった上で、協力の海というか豊かな海ということを学者としては言ってまいりたいというふうに思っております。  以上でございます。
  35. 西田吉宏

    会長西田吉宏君) どうもありがとうございます。  他に発言はございませんか。──予定の時刻までまだ少しございますが、他に発言もないようでございますので、それでは、本日の質疑はこの程度といたします。  一言ごあいさつを申し上げます。  納家参考人及び福島参考人におかれましては、長時間にわたりまして大変貴重な御意見をお述べをいただき、おかげさまで大変有意義な調査を行うことができました。お二方のますますの御活躍を祈念申し上げまして、本日のお礼とさせていただきます。本日はありがとうございました。(拍手)  本日はこれにて散会いたします。    午後三時三十八分散会