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参考人(
福島安紀子君) ありがとうございます。福島でございます。よろしく
お願いいたします。
私は、
国際政治と
安全保障を専門にいたしておりまして、モダリティーとしては多国間協力を
研究しております。今日は、二十一世紀における新たな
日本外交、
脅威への
日本の
対応と
戦略ということを
中心にお話し申し上げるという御依頼をいただきましたので、次に申し上げる四点を申し述べさせていただきたいと思います。
一番最初に、既に
納家先生から
脅威についてお話がございましたが、
日本にとっての
脅威、潜在的
脅威とは何かということをまず最初に申し上げたいと思います。二番目に、そういう潜在的な
脅威に対して
日本がどのように
対応し、どのような
戦略を持つべきであるかということを申し上げます。三番目に、そのような
日本の
対応と
戦略において
日本の外交に求められているものは何かということを申し上げまして、最後に、二十一世紀におけるこういう
脅威に直面する
日本がどういう新しい外交を展開していけるかということを個人的な
意見として申し上げたいと思います。
すべてを申し上げることは時間内には無理でございますので、幾つかのものについては
問題提起をさせていただいて、御関心があれば、
質疑応答のところで更に申し添えることにさせていただきたいと思います。
まず最初に、
日本にとっての潜在的
脅威でございますが、
納家先生のお話の中にもありましたとおり、伝統的な
脅威と非伝統的な
脅威の両方に直面しているという複雑な
安全保障環境にあるというのが今の最大のチャレンジ、
課題だと思います。すなわち、
アジアの場合には
冷戦構造がまだ残っていまして、朝鮮半島で
戦争が起きる可能性もあれば、台湾海峡を挟んで有事というか
戦争が起きる可能性もあります。分析をする人の中には、もし
世界で第三次
世界大戦が発生することがあったとすれば、最初の砲声は北東
アジアに響くという予測をする人もあります。
そういう意味で、
戦争の蓋然性を伝統的
脅威と言えば、その
戦争の
脅威が危機になった場合にその被害を重篤にするのがやはり
大量破壊兵器の
拡散であり、通常
兵器の
拡散であると思います。それが私の呼ぶところの伝統的
脅威です。
これに対して、非伝統的
脅威というのは、何も
冷戦後生まれたものではなく、また九・一一以降生まれたものでもないと思いますが、むしろ九・一一以降、人の目に非常に付くようになったのが非伝統的
脅威ではないかと思います。
その中で、例えば
納家先生から
テロのお話がございましたが、先生のお話の中にもございましたように、
テロというのは何も九・一一以降生まれた新たな
脅威ではありません。ただ、新たに顕在化した、目立つようになった
脅威だと私は考えています。例えば、
国際連盟の時代に、これはほとんど暗殺が主体でしたけれども、
国際テロに対してどういう条約をつくるかという協議が行われたという記録がアーカイブに載っています。
このように、
テロ、あるいは海賊、難民、感染症、地震などを含む災害、
麻薬、
組織犯罪といった、今まではそれほど目立たなかったけれども、非常に
脅威の度合い、潜在的な
脅威の度合いが増している問題があります。
しかしながら、
戦争の
脅威、伝統的な
脅威と非伝統的な
脅威というのはどこかで境界線が引けるというものではないというのが現在の
脅威の複雑さの第二の点でもあると思います。
例えば、朝鮮半島の有事、
戦争が起きた場合に
北朝鮮から大量の難民が
日本に押し寄せてくるということも考えられるわけです。したがって、難民という非伝統的な
脅威、あるいは国内避難民という非伝統的な
脅威も伝統的な
脅威とつながっている
部分があります。あるいは、海賊による行為でも、今までは船舶を乗っ取るとか乗組員を人質に取る、あるいはその船舶の中の荷物を転売して利益を得るというところにとどまっていますけれども、これがもし例えばマラッカ海峡でオイルタンカーを襲撃するということになりますと、あの狭い海峡でタンカーが座礁するようなことがあれば、これは先ほど不安定の弧というお話がございましたが、
中東からの原油の、北東
アジア、無論、
日本を含む輸入のルートが途絶することになりますので、これもまた
脅威の度合いは非常に高いものがあると思います。また、
テロも、先ほど
納家先生のお話にございましたように、
大量破壊兵器を何らかの形で利用した
テロが行われれば、その被害の規模は計り知れないものがあります。
私は、二〇〇〇年から実は
テロの
研究を
アメリカと一緒にやっておりまして、二〇〇二年のときに、
生物兵器として例えば肺炎のウイルスが
テロリストによってばらまかれた場合に
日本と
アメリカでどういう影響が出るかということを、
アメリカの場合にはクリスマスイブに、
日本の場合にはお正月休み明けに新幹線で、
アメリカの場合はニューヨークの郊外の電車にまかれた場合にどうなるかという机上の演習をいたしました。
その中で一番難しいと思いましたのは、例えば
核兵器であれば使われたときにすぐ分かります。あるいは
化学兵器、サリンの
地下鉄の
事件などを思い出してみますと、ああいうものがまかれると、多少時間は掛かっても恐らくその日のうちに、それは
化学兵器という
大量破壊兵器によって起こされた
事件だということが分かります。ところが、
生物兵器で例えばウイルスをまかれた場合に、それが単なる流行として発生した肺炎か、風邪なのか、インフルエンザなのか、あるいは
テロ行為なのかということを見極めることに相当の時間が掛かると。そのウイルスがどういう抗体に対して弱いかということを見極めるにも難しいという問題があることが分かりました。
私たちは、SARSや鳥インフルエンザで既に感染症の怖さは経験をしております。私が
安全保障の問題を勉強し始めたときには、こういう非伝統的な
脅威と呼ばれる感染症などまで
安全保障として考えることは、何でもかんでも
安全保障だといって警鐘を鳴らすことになって良くないということが言われましたけれども、今や非伝統的
脅威がいかに
脅威であるかということは理解されてきていると思います。したがって、第一点のポイントとしましては、伝統的
脅威と非伝統的
脅威の両方が存在し、これが混在していてつながりがあると、それに対する有効な対策を立てなければいけないということであろうと思います。
二番目に、それに対してどういう
対応と
戦略を
日本は立てたらいいかということでございますが、スペクトラムの片方に
戦争という伝統的な
脅威があると考えますと、それに対してはやはり
国家としての防衛、それから
日本の場合には、
日米同盟を使って
抑止をすると同時に、
脅威が危機に転じたときにそれに
対応するということが必要であることは言うまでもありません。しかしながら、そういう伝統的な
脅威を低減するという努力を外交によってなさなければならないことは申し上げるまでもないと思います。
その外交は、それぞれの国との二国間の外交の
部分と、それから複数の国である多国間の外交の両方があろうかと思います。すなわち、
地域での
安全保障あるいは
国際の
安全保障と、この中には国連も入りますが、そういうところで
日本に迫ってくる
脅威を低減するという努力が必要であります。また、逆のスペクトラムから申し上げると、非伝統的
脅威を低減するためには、この非伝統的
脅威が
国家主体に縛られないものであること、感染症などは別に国境で止まってくれるわけではありませんので、そういうものに対しては
地域安全保障あるいは
国際安全保障のフレームワークで考えていかなければならないと思います。
三番目に、それではこれに対して
日本外交はどういう
対応と
戦略を持つべきかということについて、三点申し上げたいと思います。
一つは、第二次
世界大戦後の
日本の外交というのは二つの変数を持った方程式を解こうという努力をしてきたというのが第一点。第二点は、
アジアにおける
日本の相対的な影響力あるいはステータスというものが変わってきているのではないか、それにこたえた
対応策が必要なのではないか。三番目が、バイとマルチの相関
関係とバランシングについて申し上げたいと思います。
第一点の「対米
関係と対
アジア関係の二元方程式の解」と書きましたのは、第二次
世界大戦が終わった後の
日本がこれから
世界で生きていく変数として、一つは対米
関係の改善と維持ということがあったと思います。それは何かというと、太平洋
戦争に突入したときの最大の原因は
アメリカとの
関係であったわけで、
戦争が終わった後は
アメリカとの
関係の是正と
戦争が残したものを解決するということが重要な命題であって、私は第二次
世界大戦後再び
戦争の戦火にまみえることのないように対米
関係を重視したという
部分の変数はかなりの
部分、解決をされてきたと思います。
ただ、今後の
米軍の再配備に向けては新たな問題の萌芽もございますし、
日米関係はもう良好だからコンスタント、定数、常数になったと考えてしまうことはできないと思いますけれども、二元方程式の、もしそれがXプラスYイコールZであるとすれば、Xの
部分はかなり解決されたと思います。しかし、プラスYの方、もう一つが対
アジア関係だと思います。特に、対
アジアとの和解の問題であると思いますが、これは二国間
関係においても多国間
関係においても、まだ上下変動する変数の状態のままではないかと思います。
今の第一の方、つまりX、対米
関係が良いということから、
日本は脱亜入米だというそしりを私は海外の会議に行くときに受けることが少なからずございます。また、あわせて、昨年二〇〇五年を取り上げて、日中
関係、日韓
関係の悪化を指摘されております。この
状況を見てみますと、
戦争が終わって六十年、世代も交代し、月日もたっているにもかかわらず、
冷戦構造というある意味で安定していた構造を脱却し、
冷戦という氷河が解けた段階で歴史問題が再び先鋭化しているように思います。
その見るデータをこのレジュメの三ページ目に持ってきておりますけれども、図1は
日本、中国、韓国、ASEANの
関係について示した図でございまして、これはヨーロッパにユーロバロメーターというのがあるのを御案内かと思いますけれども、これは欧州
委員会の統計局がやっているデータでございますが、それを
参考にして
アジアバロメーターというのが二〇〇三年から
日本の学者を
中心に
調査されております。まだ二〇〇三年からでございますから時系列で申し上げることもできませんし、また
各国のサンプルが八百人ということですので統計的に有意なデータというわけにはまいりませんけれども、ちょうど二〇〇四年がASEANプラス3、日中韓を対象に意識
調査が行われておりましたので、その中の設問で、あなたは○○という国から自分の国が良い影響を受けていると思いますか、悪い影響を受けていると思いますかという設問がございましたので、そこから良い影響マイナス悪い影響のネットの影響を取ってみました。
これを見ますと、
日本の場合には韓国に対しては比較的良い影響、中国に対してはややマイナス、米国に対してはややマイナスと。これはちょうど
イラク戦争が終わった後の平和構築がなかなかうまくいっていない、
戦争に勝つ
戦略は良かったけれども、平和を構築する
戦略が不十分だという
認識が広がっていた時期であったこともあり、こういう結果になっています。これ二〇〇四年の十月に行った
調査でございますので、竹島、独島問題が発生する前のデータでございます。
中国については、韓国についてはかなり良い影響と、
日本に対してはこの段階でもマイナスの影響、
アメリカに対しては辛うじてプラス。韓国は
日本に対してやや良いと、中国に対してまあまあ良いと、
アメリカに対してもまあある程度は良いという結果が出ております。これに対してASEANは、韓国、
日本、中国、米国のいずれに対しても良い影響が上回るという結果が出ておりまして、特に
日本に対する影響が良いという結果が出ております。
これは、正に日中韓とASEANの間のFTAの交渉の
状況を反映していることが大変興味深く思いました。また、この日中韓の
関係の難しさを表していると思いますが、私の同僚の中には、
東南アジアの
人たちはどちらかというと明るい性格なので、こういう
調査のときにはポジティブな結果が出ると。北東
アジアの人はどうもしかめっ面をして難しいことを考えるからこういう結果は仕方がないのだと半分混ぜっ返されたことがございます。このデータそのもので何かが言えるわけではありませんが、やはり日中韓の間の信頼の回復ということが必要だということが示唆されているのではないかと思います。
図二は、中国に対する
日本の人の親近感を内閣府
調査から見たもので、これで申し上げたいのは、別に対中
関係、対中親近感というのがずっと悪いわけではなくて、日中国交回復が行われたときにはかなり親しみを感ずるという数字が高かったと。その後、変遷があって、現在は六割が親しみを感じない、三割が親しみを感じるという結果になっていると。
図三に、同じ
人たちに現在の日中
関係についてどう思うかということを問うてみた結果を引用しておきましたけれども、これは親近感の乖離よりも二国間
関係の良い悪いのデータの乖離が広いということが注目されます。
また、図の四と図五は韓国に対する同じデータを取ったもので、韓国の場合には、親しみを感じるという割合が減ってはおりますけれども、まだ親しみを感じないという割合を上回っていることを指摘しておきたいと思います。
日韓
関係については、しかしながら良好ではないというのが良好だというのを上回っておりますが、これは「冬のソナタ」やペ・ヨンジュンブームだけではなくて、やっぱり韓流を通じて市民の間の交流が出てきたことで、そういう市民のレベルの日韓
関係、交流
関係というのは、
政治の
関係にある程度影響はされるけれども、反転するまでには行っていないということは今後考えるべき材料を提供しているのではないかと思います。
したがって、こういう面を見ますと、
日本外交においては、
アジアの中の
日本をどうするかと、どういうふうにしていくかということと、バイに対してマルチの巧妙なバランシングが必要であるということが言えると思います。
それでは、
アジアにおける戦後の
日本の相対的ポジションの変化とそれへの
対応について時間がございませんので簡単に申し上げますと、
日本は戦後ゼロから復興をしてきて、ある意味で中国、韓国を上回って相対的な影響力が高まったわけでございますけれども、そのときには、マルチの枠組みの中で
日本はただ乗りをしていると、フリーライダーだと、もっと貢献せよということを言われて、ODAを
中心に黒字還流、貢献をしてきたわけでございますが、
冷戦終結後は
湾岸戦争で人的な貢献をしなかったことを批判をされて、今や
日本はPKOを派遣するようになっているわけであります。
一方、中国は、なかなか難しい時期を経ながらも、平和的な台頭と自ら名付けるような成長を遂げてきております。
私が外で参加するプロジェクトの中で言われますのは、
日本に対して
アジアのリーダーであることを八〇年代そして九〇年代の初めまで期待したんだけれども、思うようなリーダーシップを発揮してくれなかったと。それにはがっかりした。その空隙を埋めてきたのが中国で、中国に対しては、恐怖感も残るけれども中国自身がリーダーシップを発揮するので、それを受け入れようとしているというふうに言われます。
その中で、韓国は、
アジア、特に北東
アジアのバランサーを目指すという一つの行き方を選んでいるということが言えます。中国を頂点とするユニポーラー、単極構造への警戒感というのはもちろんございますし、
アメリカもそれを警戒しているということが、例えば昨年の東
アジア・サミットに向けてのプロセスの中でも出てきたのではないでしょうか。
したがって、雁行形態のトップにいる
日本というところから、実際のGDPなどではまだまだ
アジアのトップにいるわけではありますけれども、相対的な影響力の変化ということをきちっと見据えながら、どういう
対応と
戦略を展開していくかを考えないと、
脅威に対して有効な反応ができないのではないかと思います。
それを痛感させられたのがEUによる対中武器禁輸措置解除の議論でございます。
これは、御案内のとおり、三年ぐらい前から、シラクさんあるいはドイツの前のシュレーダーさんを
中心に、中国はもうこれだけ成長してきたし平和も大切にしているんだから我々と同じような国になったんで、天安門
事件のときに導入をした対中武器禁輸措置というのはもう解除するべきときが来たという議論があって、それに対して、
日本や
アメリカが今の
戦略環境においてそれを解除することの影響というのを説いたわけですが、なかなか納得できない中で、中国における対日デモの
状況それから反
国家分裂法の成立をもって、いったんはこの解除論が収まってはおります。
しかし、このヨーロッパの動きというのは、ヨーロッパにあるチャイナ・フィーバーというものを如実に表したと思います。そして、
研究者の間でジャパン・パッシングというか、
日本よりは中国を勉強した方が自分のキャリアの将来につながるという傾向が出てきております。そういうことをよく肝に銘じた上で、
日本の対
アジア戦略というものを考えていかなければならないのではないかと思います。
日本とすれば、悪化した二国間
関係を改善して
戦争の記憶をする世代が少なくなっているのに、歴史問題が先鋭化しているということについてはよく考えて
対応をしていかなければならないと思います。
もちろん、中国は国内問題のスケープゴートとして
日本を使っている、靖国カードを使っている、使い過ぎたという気持ちも出てきておりますが、
日本の方も謝罪疲れというところもあります。ここを、突破口を模索して、私は謝罪するというよりは、中国、韓国と和解するということが大切だと思っております。歴史問題は解決をするというのは、少なくとも私が生きている間にそれを実現するのは非常に難しいように思います。日中、日韓あるいは三か国間の歴史問題は、マネージしていくという知恵を出していかなければいけない段階ではないかと思います。そのためには勇気と努力が必要だと思います。日中韓ともに極端なナショナリズムを助長してプラスになることはないのではないかと思っております。
そういう意味で、私は、
日本はソフトパワーとして、これはジョセフ・ナイの言うソフトパワーと少し違うんですけれども、軍事力も
戦争のためではなく、自分の防衛と
地域の安定、
国際の平和と安定のためには使うという軍事力を持ち、あとは経済力、技術力、情報力、文化力を総合したソフトパワーとして志を同じくする
国々と連立をして問題に取り組むということが必要なのではないかと思っております。この二元方程式のうちに欠けていた対
アジア戦略の
部分を埋めて、矛盾にゆがんでいる方程式を機能する方程式に変貌させることが大切だと思っております。
時間がございませんので急いで。
バイとマルチというのは、私はこれは相関
関係があって、どっちか一つを選ぶということではないと思います。少なくとも朝鮮半島問題と台湾問題が解決するまでは、
日本にとって
アメリカとの同盟
関係は極めて重要であります。それをある意味で
地域化していくような方向性も重要でありましょう。また、
アメリカの良き同盟国として必要な場合には発言をしていくということも必要だと思います。今、
日本を取り巻いている伝統的な
脅威に対して
対応していくために、この二国間
関係なしということは考えられないと思います。しかしながら、台湾問題、
北朝鮮問題が解決した先に何をやるかということについてはマルチで、
アジアで何ができるかということを考えていく必要があると思っております。
例えば、東
アジア共同体構想でございますが、経済については実際に貿易でも投資でも
地域化が進んでいて域内の
活動が非常に増えておりますから、これは自然に経済
共同体の方に発展していくでしょうし、発展させていかなければならないと思います。
では、その先に東
アジア共同体というものがつくれるかと言われると、これは大変な
課題だと思います。いわゆる
共同体という、私が学生時代に学んだ
共同体というのは、価値観を同じくして同じビジョンを共有してこその
共同体でございました。今、
アジアで考えられる
共同体というのは、そこまで行くのには相当の時間が掛かりますので、むしろ実践的な分野で利害を共有できるところから協力していく、いわゆる機能的協力を積み重ねていくというのが必要だと思いますし、そこは正に非伝統的な
脅威について機能的な協力を重ねていくということが重要だと思います。それをしていくということは
アメリカにとってもマイナスではありませんで、
アジアがそういう協力を重ねていくことで平和で安定すれば、これは
アメリカにとってもプラスであり、
アジアにとってのピースキーパーの
役割を果たすものだろうと思っております。
また、
アメリカとの同盟
関係においては、韓国や豪州といった同じ同盟国との協力も必要ですし、
アメリカがうまくいってない、例えば中央
アジアとか
アフガニスタンで、
日本が
日本らしい能力を発揮して相乗効果を果たすというようなマルチの方向性も考えていかなければならないと思います。
日本のマルチ、多国間協力についての姿勢というのは一貫して協力的であるんですけれども、外から見ると、必ずしも
日本は多国間協力に積極的ではないということを少なくとも私は言われます。それはなぜかなと考えるときに、
日本からマルチに関して発信するメッセージが時に混乱しているという面があるのではないかと。もう一つは、
日本は大変謙虚な国民性ですので、余り自分が、自分がリーダーシップを発揮してと言わないで、謙虚に背後からしっかり支えてるというところがあって、そこが理解されないのではないかと思います。
日本らしい謙虚さは保ちつつも、必要なときにははっきりと自分の考えを述べてマルチを推進し、バイとのバランスを取っていくということが必要だと思います。
第四点の二十一世紀における新たな
日本外交については、私の時間は二時四分までということでございますので、あと二分でポイントだけ申し上げますと、第一点としては、先ほど申し上げましたソフトパワーとしての安心して一緒にやれる国
日本というのを目指したいと考えます。中国が台頭してきておりますけれども、一定の危惧あるいは恐怖感というものがASEANの中にも見られます。そういうのを念頭に置きつつ、
日本が
日本らしい魅力のあるソフトパワーとなっていくことが重要だと思います。
二番目は、そこに
すき間外交と書いておきましたけれども、軍備管理、不
拡散が
すき間かと言われると、これは
すき間ではないんですけれども、
日本は不
拡散については大変な努力を重ねてきています。これは恥じることはなくて、むしろこれだけやってるんだということを主張をして、
日本らしい不
拡散の努力をしていくべきだと思います。中央
アジアについても
地域的に申しますと、オリジナルシン、原罪のない
地域で、
日本の協力というのはまだまだ可能性があると思います。これは中央
アジアと言うのがいいのか中央
ユーラシアと言うのがいいのか、表現についてはまだ考える必要があると思っております。
最後に、私は海洋
アジア協力、海の協力というのを是非推進したいと思っております。
私の資料の一番最後に地図を付けておきましたけれども、これは通常の地図が北が上であるのに対してこれは東が上になっておりますけれども、不安定の弧と言われている三日月が、この東
アジアの海をなぞってみますとやはり三日月でありまして、この三日月を豊饒の海というか、競争の海ではなくて協力の海にしていくという発想が必要だと思います。これに対して、東西文明の方は言わば草原の道ということになろうかと思います。
これにつきましては、一年間、東
アジア諸国のハイスクールの教科書の歴史、国語、地理の本で、それぞれの国が海を、そして
アジアを子供たちにどう教えているかという分析をいたしました。その中から、やはり教科書というのはナショナルアイデンティティーを教えるものですから、極めてナショナリスティックな
部分もございましたけれども、海というものの
広がりを教える可能性というものも見いだすことができました。何らかの形での海の協力というのを今後考えていきたいと思います。
時間でございますので、これで終わらせていただきます。
ありがとうございました。