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国務大臣(谷垣禎一君) 今、
二之湯委員から、私、また
二之湯先生にとっても地元でございますけれども、綾部市の
中心市街地、西町商店街ですね、例を取られてお話しになりまして、誠に身につまされる思いで聞いていたんです。
確かに、今、
二之湯委員がおっしゃいますように、あの西町商店街というのは、綾部市、これ今、人口四万ぐらいですかね、の
中心市街地で、かつてはもう非常に寂れていたのを、いろいろな施策をうまく使って商店街は誠にきれいになりました。きれいになりましたけれども、やはり町全体のエネルギーをもう少し出しませんと、商店街はきれいになったけれども、なかなか、じゃそれが活性化につながってくるかというと、必ずしもそうは言えないと。
そこで、先ほど来のお話のように、今まで推し進めてまいりました簡素で効率的な
政府、そして
改革なくして成長なしということでやってまいりましたけれども、実は私、この間、タウンミーティングに出ましたら、ある若い方が非常にこれだと思うことをおっしゃいました。それは、
経済財政諮問会議の吉川
先生が、今の
日本の財政は
日本丸の底に穴が空いたようなものであるから、その穴を何とかふさがなければ
日本丸は沈没してしまうという話を一生懸命やっておられたんですね。そしたら若い方が手を挙げられまして、なるほど
日本丸沈んじゃいけないと、危ない状況にあるのはよく分かったと、それで穴をふさいでほしいと。だけど、もっと知りたいのは、この
日本丸はどっちへ向かっているんですかという
質問だったんですね。
私、それこそ今我々がやっております
改革のポイントをついた言葉で、先ほども
改革は目的でないという
議論がございましたけれども、私は正にそこをはっきりさせなければ元気が出てこない、そういうふうに思うわけでございます。
大きく言いますと、そうやって簡素で効率的な
政府をつくることによって出てきた余力を
民間の活力につながなければならないということだと思いますが、今まで官が果たしてきた役割というのは確かにございます。京都において役所、公務員が経済振興に果たしてきた役割というのは確かに私はあったと思います。綾部においても多分そういうところがあったと思います。
それを、私、きずなということを言っておりますのは、要するにそうやって官から民へ行った、じゃ民だと、公共には
関係ないと、おれの
利益を求めて邁進するんだというようなことではとても地域発展もあるいは家庭のきずなもあり得ないと。要するに、家庭だって
自分一人のことを考えていたら家庭は維持できないんで、配偶者のことも考えなければいけないし、子供のことも考えて
仕事をしなきゃいけないだろうと。それぞれのお
仕事だってそうだと思うんです。やっぱり綾部で御商売をなさっている方だって、
自分だけがもうかりゃいいわけじゃなくて、少しでもいい
仕事をして、いい商品を仕入れて、それを消費者に提供すればお客さんも喜んでくださると、そういうきずなの気持ちが根本になければ弱肉強食になってしまうと。
私は、そういうことで、やっぱり
民間におられる方々、役人とか我々政治家だけじゃなくて、
民間で
仕事をしておられる方々も、そういう
意味で
自分たちの地域社会を担うんだ、公を担うんだという気持ちがなければなかなかうまくいかないと、こういうことを申し上げているわけです。
じゃ、先ほどの綾部に戻って、何をやるかというと、実は簡単ではございません。まちづくり三法だけでなかなか解決できるとも思いません。先ほどからお話しのように、あの町は、あそこは昔からの養蚕地帯の
中心でございました。それから、丹後はその養蚕を本にして和装を、ちりめんを織って大いに栄えていた。そのちりめんが、和装が衰退してしまったから、あそこはもう本当に、三十年一日のごとくとおっしゃったけど、そういうふうになっているわけですね。ですから、産業構造の変化にも十分まだ、それに代わるものは何かというのも必ずしもできていないところがあると。
綾部の市長さん、なかなか工夫をされる方でして、一生懸命、今あそこには
委員もおっしゃったグンゼとか幾つか優秀な企業もございます。それから工業団地もございます。そういうものを何か連携させるような技術、科学技術を発展させるような仕組みができないかといろいろ今知恵を絞っておられる。
私は、要するに、それぞれの地域地域で
自分たちの町、地域の良いところは何なんだろうかと、それを少しでもみんなで発展させていくにはどうしたらいいのかと。そういう知恵を出さないと、今までのやはり均衡ある発展というわけにはなかなかいけない。それをやって、支えてきた財政力も今は必ずしもないわけですから、そうやってそれぞれの地域が
自分たちの良いところは何なんだろうか、それを更に発展させるためには何をしたらいいのか、こういうぎりぎり知恵を絞るということがなければ、なかなか
地方の明日は開いていけないと、こんな気持ちでおります。
私
自身の知恵も限られておりますけれども、また
二之湯委員と御一緒になってそういうところを打開していきたいと、こんなふうに思っております。