○円より子君 国会では超党派の国
会議員連盟、これは尊厳死の法制化についてなんですが、こうした国
会議員連盟もできておりまして、私もそのメンバーであるんですが、今
大臣がおっしゃったように、本当にこの法制化の勉強をしておりますと様々に難しい問題があって、おっしゃったとおり、法制化がいいのかガイドラインがいいのか本当に迷うところでございます。そして、医学界だけではなくて、多分宗教界や様々な
方々の御
意見を聞きながらやらなければいけないことでしょうし、国民の間でも
議論の分かれるところだと思いますが、各省連携して是非早めに進めていただきたいということを要望させていただきます。
それでは次に、今日の本題に入りたいと思いますけれ
ども、まず、今回の
三位一体の
改革、これを見てまいりまして、
一体地方分権
改革っていうのは何だったのかと思うことがございます。
ちょうど一九九三年に国会が
地方分権の推進に関する決議を作りました。このときは自民党政権が野に下って細川政権ができたときでありました。私は実は、生活者主権それから
地方主権、これで国民がゆとりと豊かさを実感できる社会をつくれるのではないか、そう思いまして日本新党結党のメンバーになった人間の一人でございますが、そのときから考えまして、本当に
三位一体で財源の、取りあえずは財政面での分権
改革とも言うべき
三位一体改革は決着したとも言われておりますけれ
ども、本当にこの日本の国民がゆとりと豊かさを今実感できているかというと、決してそうではないと思うんですね。逆に、不安と格差を実感しているような社会になっていはしまいか、そう思いますと、この間の
地方分権の
改革というのは何だったのかという気がするんです。
成長重視の、成長優先の
政策から、生活重視、生活優先の
政策へと転換することがこの
改革の
目的だったと私は思っておりまして、そういう
意味で言いますと、どうも国と
地方のせめぎ合いみたいな中で、国の方は
地方の行政が機能しないんじゃないかみたいなことが随分あったように思うんですが、実は日本では、これは二年前に大原謙一郎さんという方が朝日に投稿された原稿なんですけれ
ども、今まで全国各地でいろんなビジネスが、新しいビジネスが生まれてくる。それは本当に、日本というのは
地方が新しい事業を生み出す母体になってきたというふうに書いておられます。
例えば、クラレは岡山県倉敷の生まれで、地元の繊維産業の伝統と天領だった江戸時代に培われた企業家マインドの、それが創業の背景にあったと。また帝人は、山形県米沢市、これはもう皆様御存じのように、上杉鷹山の藩政
改革で知られるこの町の歴史がはぐくんだ事業風土と無縁ではありませんし、マツダは広島、ダイハツは大阪、ホンダとスズキは浜松ですよね。そして、今もう貿易で一躍世界の雄になっておりますトヨタは愛知県豊田市。
このように、日本では長い間、
地域の歴史の中で豊かな文化が育ってきて、それが様々に日本をダイナミックな国にし、そして人々がゆとりと豊かさを感じられるような社会になっていた。途中からどんどんどんどん中央集権の中で、経済の統計などでも常に東京中心になってしまうような状況がありましたし、
地方でせっかく芽が出てもそれがまた東京の方に吸い取られてしまうという、ちょっと残念な状況が長い間ありましたけれ
ども、
地方というのは単なる生産基地ではありませんから、こうした
地方にしっかりと財源そして
裁量の
自由度、こうしたものを渡していくことが、本来の国民の豊かさ、ゆとり、そうした社会、生活につながるのではないか。
私もそう思い、私が国
会議員になったのはひとえにその辺に掛かっているところなんでございますけれ
ども、残念ながら、今回の
三位一体、集大成だとしたらまだまだこれから第二段階を迎えなきゃいけないと思うんですが、
川崎大臣は今までの
地方分権の決議をした一九九三年の大きなそのときに目指した
目的が今回の
三位一体で達成されたとお思いでしょうか。まず、それをお聞きしたいと思います。