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渡辺秀央君 おはようございます。
いよいよ
通常国会も終盤というか
最終段階、当
委員会としては本日の
質疑でこの
通常国会の
最後ということになるわけでありますが、今日は、二階
経済産業大臣以下新幹部の
皆さんが就任をされて、そしてこの
国会を通じてこの新しい、まあ言わば二十一
世紀の開いた扉の入口の
段階における
議論が
法律を通じて非常に活発に、かつ、より深く
議論されてきたと。そのことが言うならば、この
デフレ経済を
背景にしてきた、あるいはまた
金融情勢を
背景にしてきた
日本経済の
活性化、あるいはまた新しいこの二階新
経済成長戦略ができ上がった
背景の
一つかなという、また
エネルギーの
一つかなという
感じもいたしておりまして、ある
意味においてはこの
委員会の実りの多い
議論であったことに対して、
お互い御同慶であるし、かつまた意義深いことであったというふうに思っておる次第であります。
前提として、この
委員会に対して私はそういう
意味におけるある種の
満足感は得ておりますが、しかし、これは
経済産業政策個別の問題については、
与党、
野党ということは、これはもういわゆる
自民党、今は
圧倒的勢力ですが、かつての
均衡勢力であったにしても、あるいはまたどうであったにしても、私がかつて衆議院にいた当時からこの
経済産業政策というのは、言うならば
国民経済、特に
自由主義経済、
市場経済というものを支えていく上において
必要最小限度の合意ということを目指してやっていかなければならない。そういう
意味においては、
役所もかなりいろんな工夫をしてこの
経済産業政策、すなわち
商工業政策、あるいはまた
エネルギー政策、
中小企業政策、
特許政策、
貿易政策等々をやってきたと私は思っておるわけでありまして、今日もその脈絡は続いてきているなと、これも私としては非常に喜ばしいことだなと。
これは、
国民のために、
産業発展のために、
資源のない
我が国がいわゆる
経済活動を通じて
世界の中に臨している、それは正にこの
経済力、力である。この
経済力というものの
背景は、昔は
経済は一流、
政治は三流だなんと悪口を言われて、
官僚は特に超一級だなんというような話も昔はありました。しかし、私
たちは当時から、そういうものではないと。
自由主義経済というのは、やっぱりそういう総合的、総体的、もちろんそれに加えて
国民の勤勉さ等が加わって、そしてこの
資源のない
我が国が
世界一、二を誇る
経済力ということにつながっていることであるので、
お互いそれを意識しながらこの
経済産業政策を進めていくべきではないのかということで来たわけであります。
しかし、さはいうものの、この
国会最終盤に至って、私もいろんな
機会、
発言の
機会がなかったわけではありませんが、私の意図するところもありまして、今日までほとんど、昨年のこの
委員会における
発言以来、この院内においては
発言をする
機会を
自分から持たずにまいりました。今日はせっかく時間をいただきましたので、若干私の
考え方を冒頭にちょっと述べて、これは耳障りな点もあるかも分かりませんが、批判の材料にしていただきたいと思うわけであります。
それは、すなわち
小泉内閣五年間ということに対してのことです。これは、
与党だから、閣僚だから、あるいは
野党だからどうだからということではなくて、やっぱり
議会制民主主義における
内閣に対する
一つの見解、あるいはまた
政治家の一人として
考えていくべき
問題意識、分析ということは、これはあっていいことだろうと。しかしだけど、協力すべきものは協力する、さっきから言うように、ということだろうと思うので、私としては、実は相当いろんな、
教育の問題から憲法の問題から
安全保障からいろいろありますけれども、ここは
経済産業の分野ですから、ここで若干のことを、私が最近まとめた
数字、これは
皆さんだってすぐ分かる
数字ですが、
小泉政権の
発足前と現在との比較を幾つかの面で見てみますと、これ必ずしも、
小泉政治というのは、ある種における
成果は果たしていますが、しかし大きな溝はつくっている。陰がある。
これは私は、
地域間格差という
言葉は余り好きじゃないんです。これはもう
日本の
政治、私も十八年
自民党におって、当時の
政治に直接かかわってきた、
責任者もやってきた一人ですからそんな無
責任なことは言えないと思うんですが、しかしだけど、その
地域間格差などという
言葉で表現できないことがあるということを
政治は見逃してはいけないということだと思うんです。
一つは
モラルであろうと
思いますね。あるいはまた
一つは、この
数字の上で表れていますけれども、
言葉が走って
実質面が伴っていなかった。例えば国内総生産、GDPと言われているこの
数字を見ても、
発足時、
平成十三年四月当時は五百十五兆円でありました。現在が五百六兆円。結局、いまだに五年たっても九兆円ぐらいのまだ減であって、到達していないということであります。あれだけの犠牲と、今申し上げますけれども、それから、国及び地方の
長期債務残高は当時は六百四十六兆円、今日は七百七十五兆円、こういう
状態でありまして、百二十九兆円のいわゆる赤字が増えていると。これも何も、一
内閣の
責任だけではないことも承知しながら申し上げているんです。さらに、
完全失業率は、これは〇・四ポイント減ったようであります。しかし、
考えてみると、これも
数字に出てきていないニートとか何だとか言われる階層ができて、しかもまた、言うなら
完全雇用という
制度が崩壊してきているというような、生涯
保障というようなものもなくなってきている。
これは一体全体どういうことが言えるかなと。やっぱり
政治の
モラルから見ると、ここは、ああ、そういうもんかねということで見逃していいのかどうか。私は、私なりの
考えとしては、やっぱりこれは
与党にいようが
野党にいようが、
組合員であろうがなかろうが、
一般国民であろうが
経営者であろうが、やっぱり
国民ひとしく安定した
生活体系あるいは基盤の中で、この二十一
世紀の先人が
努力し残してくれた
世界最大、
最高と言っていい科学的高度な
文化生活を享受できるような、こういう環境というのを
政治は与えていく
責任があるだろうということを
考えると、依然としてこれではまだ
失業率は高いのではないかなという
感じがすることは私だけではないだろうというふうに思うんですね。
企業の
倒産件数も十九万から九万、これは十万件ほど減りました。これは、若干
経営が、
経営者が、何といいますか、大ざっぱな、ラフな
経営をしてきた
人たちがあの
バブル崩壊期における
デフレの
状態の中ではとてもやっていけない、こういうこともあったでしょう。しかし、これもなかなか容易でないことであり、いまだに
倒産件数も、減少したとは言いながらも、決して、決して少ないとは言えない
状態であることは
御存じのとおりです。
不良債権の
残高も、三十三兆円から十六兆円、十七兆円が減ったというだけであります。
公的資金の
注入額は、これ約五十二兆円だったわけですが、これもそんなに減っているわけではない。
全国銀行の
不良債権処理、
処分額なども九十六兆円ということになっており、
日経平均株価は、昨今は若干値下がりしたとはいいながら、しかし一万四千円台ということで来ているわけでありまして、ここは今本当に
底割れがあるのか、
与謝野大臣に言わせると
底割れはないという新聞の報道もありますが、私もなければいいがなというふうに思っているわけであります。
一番問題のもう
一つは、ゼロ
金利政策なんですね。これによって
中小企業助かったとか大
企業が助かったとか
デフレ脱却の糸口がつかめたとか、いろいろ言われていますけれども、しかしこのゼロ
金利政策ということほど
国民に与えた負担はないんですね、実際は。これは日銀の総裁が、あれは
予算委員会だったと思うんですが、私の間違いでなければ、詳しく調べる時間もないままで申し訳ないんですけれども、
平成五年から十四年の間ですから約十年間、これだけで百五十四兆円
国民に渡るべき
金利が渡っていないと。要するに、
国民からこれは国が言うならば使わせてもらったと、こういうことです。
長期債務残高百二十九兆円と百五十四兆円、二百八十兆円の金がこの五年間の間にこういう形になっているなと。加えて、
自殺者の問題は言うに及ばずということの昨今の
状態であったなと。
これは決して、私はマイナスだけを今若干申し上げたような嫌いもありますが、しかし
小泉政治の果たした役割というのは、私どもが昔携わったような
政治とは違って、かなりのいろんな
成果も上げている。これはマスメディアに対してのことでもありますし、あるいはまた有効にそれを活用していくという面においては、まあ今までの
内閣ではちょっと想像も付かないことであったと。あるいはまた、
行政改革等はまあまあ表立った
改革はできた、しかしこれもこれからであるなと、本当は。本当はこれからだと思うんですね。
郵政改革そのものにしても、あるいは
行政改革にしても、
特別委員会をつくってちょうちょうと
議論を深め、あるいはまた広めて
議論をし合って、それは一応通ったにしても、しかし問題は、これは中身の問題になっているわけですから、これとても容易ではないことであるというふうに
思いますね。
しかし、もう大体、これ時間が、これで演説していると一時間終わっちゃいますからやめますが、一番の問題は、私は、二階
大臣、前段のことはいいです、これは
国務大臣であられるんだから、この私の言ったこと、イエスかノーは言っちゃいけないし、また言えることでもない。しかし、このことについてはあなたはどう思うかちょっと聞いておきたい。事前のあれがなくて申し訳ない、三十項目ぐらい僕がちょっと口述でこういうこととこういうことをやってみたいと言って
秘書たちに記録させた中にこれは入っていなかったように思うんですけど、実はこの
行政改革で一番問題なのは、
役人、
通産省の
諸君たちがいる前で言うわけじゃないけれども、
日本の
官僚諸君が非常に萎縮しているということなんですね。その中でこれをまとめたことに僕は敬意を表するんです。これは二階
大臣の非常な
努力だったと思う。相当ハッパ掛けたんだろうと思う。かつての
経済産業省、これは私はこの場でも言ったこともあるし、あるいは
自由党時代、たった十分間の
質問時間内でも言ったこともある。しかし、これはやっぱり
日本は
官僚社会ではない、
官僚国家でもないが、しかし実際
行政の
事務は
官僚がやっていくわけですね。これ
政治家は選挙を経て入れ替わりになることもあるわけですから、
官僚の
諸君がしっかりしてもらわないとやっぱり
日本の国は安定しない、安心できない、これは
一つだと思うんです。一党に支配されるかされないかは、それは別問題としても。
そういう
意味においては、昨今の、これは
機会があったらお調べになってください。いわゆる、まあ
東大が、
東大の
諸君、卒業した
諸君に申し訳ないんだけど、必ずしも私は超A、超特だとは思っていません。しかしながら、
一つのバロメーターとして、
東大卒業生の
官僚に向いていく志向がどんどん減っているんですね。これは一体何だろうかと。世の中が変わってきたからだろうかということで片付けていいのかなと。
御案内のとおり、
アメリカでは
大統領研修員計画というのがある。イギリスでは
ファーストストリーム採用試験というのもある。ドイツでは
高級職のラウフバーンという、これはまあかなり古いあれのようですが、フランスはもう言わずと知れたENAというのがある。
中国では、あなたも
御存じのとおり、私ですら知っているんだ、
中国共産党大学院という超エリートの
教育をしている。みんなどこの国でも競ってその国の
最高の若い
人たちを集めた、
国家の将来図、
国家に対する将来の使命、あるいはまた
責任感というのを、
国民に対する奉仕の精神を植え付けているわけですな。これは
民主主義国家であっても
独裁国家であっても同じ。
そういう点を
考えると、この
行政改革一点張りで来た
小泉内閣のこの陰の部分という面は、私は、いや、この五年間にプラスまだその前もあるんですよ、約この十年間というのは、あなた一回資料を取り寄せて見てごらんなさい、これは本当に普通の
国家観を持った
政治家なら背中が寒くなりますよ、本当に。そういう
意味では、これで一体
国際政治の舞台で
資源のない
我が国が本当にやり合えるのかと。
かつて、生意気なようですが、私が
内閣にいたころに、この
通産省の
諸君たちの先輩、当時は一〇%
公共事業削減、五%の
一般経費削減を
中曽根内閣でやったんですね。今のこんな問題じゃない。要するに海外出張できないんです、
役人の
諸君が。ところが、当時、今から十八年、二十年前は
日本が行かないと
国際会議ができなかった。
アメリカじゃないんですよ。
日本が行かなければ
国際会議は開かれない。行かなきゃならない、行く金がないと。副
長官、どうしたらいいですかと。
ツアーで行けなんて言って大笑いしたことがあるんです。実際
ツアーで行ったんです、当時の
人たちは。聞いてみれば分かります。そうやって苦労してきたんですが、現実に今は
日本が参加しなくても
国際会議なんかは幾らでもできる、あるいはまた
日本に代わるべきアジアの
勢力が、
中国を中心として、インドも始めとしてどんどんでき上がってきていると。
こういうことを
考えたときに、人の力というのを、人という問題に対する
資源ということは、これは
法律以前の問題として、
政治家はこれは絶えず
人づくりという問題については
考えていかなきゃならぬことではないかなと思うんです。
そういう
意味においては、まだ若い
大臣は、これからの
日本の国を背負っていかれる立場から、こういう問題について、
役人が萎縮し、若い学生が
役人なんて、キャリアになんかなるのばかばかしい、それより
法務試験だ、
司法試験だ、独立で金もうけした方がいい、あるいは外国の
企業へ行った方がいい、こういうことでは私はいささか
日本の将来に憂いを感ずるのであります。
この点についての、
最後のところだけで結構なんですが、前のところの批評は結構ですけど、これは
お互いにもう
評価は違うんですからいいんですが、この
官僚、人事院、
公務員の問題について、あなた、どんなふうにお
考えになっていますか。