○
参考人(
島賀哲夫君) 前川製作所の
島賀でございます。このような場にお招きいただきまして、ありがとうございました。
私ども前川製作所は上場しておりませんので、ほとんど知らない方が多いと思いますけど、
会社のPRというよりも、むしろ経営の中で人についてどういうふうに考えてきたか、そういう昔からの創業以来の考え方がベースにあります。それで、今日のテーマである
高齢者の
雇用の問題について絞って
お話を進めていきたいと思います。
まず、経営の三資源と言われている人、物、金。最近の
企業によっては、金に余り執着して
社会的な問題を起こす
企業等、あるいは不動産を買って転売してそれでもうける
企業、まあそういう中で、私どもは物づくりに徹してきております。非常に地味な
企業体質でございます。その中で、特に人ということを重視して、経営の根幹に置いて進めてまいりました。(
資料映写)
二
ページは、まあこれは見てのとおり、ごらんのとおりでございます。約三千名弱の
企業でございますが、海外展開が非常に早かった関係で、海外ほとんどの重立った都市には工場及び
事業所も置いて、国際化が進んでいる
企業の
一つでございます。
次に、「マエカワの「
定年ゼロ」」と称しておりますけれども、
実態は
定年制はございます。六十歳で今までございました。これからも、先ほどの
大久保先生の
お話のように、
継続雇用を続けていくと、六十歳以降も。従来もそのとおりやってまいりました。
(3)のところに書いてございます深川
高齢者職業経験活用センターというのを平成九年に、財団法人を地域に開設をいたしまして、本社が江東区門前仲町のそばでございまして、昔は深川と言ったところでございますので、
一般にも門戸を開いていますが、なかなかそこへ登録するのは、私どもの
定年になった前川製作所グループの社員がそこへ登録して、今まで働いていた
職場、私どもは約八十社ぐらいの独立法人経営というのをやっておりまして、まあこれだけでも一時間、なぜそんな
やり方をやっているのか
お話しすることができるんですけど、
市場別、地域別に
企業をつくって、前川製作所群のようなグループのような経営を進めております。
したがって、今まで所属していた独立法人、前川グループの、そこと契約をして、まあこれ大体一年契約でございますけど、誕生日にカウンセリングをして、本人の
希望その他聞いて、リーダーは降りてもらう、その代わり
自分の今まで得意だった、例えばアイススケートリンクの設計でこの先やっていきたいとか、スキー場の人工降雪機、雪をつくる、この
仕事の現場監督を随分やってきたから、世界的にそういった
仕事をやっていきたいとか、
自分の得意の分野に、後ほども出てまいりますけど、集約化して、そこのグローバルな、まあ経営からやっていた人も一歩引いて、
自分の特技に特化して六十歳以降はやってもらうと。
まあ受入れの方も、是非その人に引き続きということですから、今までの
仕事の延長線のような感じで、六十になったから全然新しい
仕事をするということではございません。
現在、この財団には百二十一名の六十歳以上の人間が登録されております。そこから出向という形で前川製作所グループを主に、一部、他
企業にも行っておりますけど出向すると、これは恐らく、今のままいくと五年後には三百人ぐらいになるだろうというふうに思っております。したがって、今年からは六十二歳までの
継続雇用制を取り入れていますけれども、そういうこと関係なく今までのことをただ続けるだけということで、健康
状態で本人が辞めたいというケースがたまたまございます。これは非常に、先ほど来の先生方の
データよりはるかに少ない、過去に、年に例えば六十歳になった人が五十人いると、そこを
一つの、
自分の人生設計から辞めたいというのは
本当に数%にすぎません。ほとんど継続して、ただし
給料はそこで平均すると三割ぐらいダウンして、そして六十五歳までいって、六十五歳で年金が出るようになるとまた更に若干ダウンするということはやむを得ないことで、年金が出ますから、そういう仕組みでございます。
その二の「最初から「
定年ゼロ」」というところでございますけれども、ここに出ております、私にとっても大先輩の井上和平という開発をやっている技術屋がおります。これは平成十四年にNHKの「人間ドキュメント」に四十五分番組に取り上げていただきまして、ちょうど九十歳になったときでございまして、毎日
会社へ来て、電車
通勤で、そして
定年者の数人と井上
研究室というのを設けて、そこで電気関係の開発をやっております。
ただ、見ていますと、象牙の塔に入って、
研究室というと大学の
研究室のように象牙の塔のような密室でやるんじゃなくて、常にメーンの工場の茨城県の守谷工場に本人も出掛けていって若い
人たちとの交流が常にあります。また、向こうからも教えを請いに本社のそばにある井上
研究室へ足を運ぶというようなことで、非常に、一年一回、社長とカウンセリングをするんですけど、本人は恥ずかしいからもう辞めろと言われていると、家に帰ると奥さんからも、きっと邪魔になっているに違いないから、言われると。最近は息子さんが
定年で家でぶらぶらしていて、私が出ていくのは非常にこっけいだと。大変遠慮深いんで、もう律儀な方で、毎年誕生日間際になると辞表を持ってくるんですけれども、慰留して、
あと一年頼みますと、健康なんですから、頭ぼけていないんですからというようなことをやっております。
象徴的で、九十四歳の方はこの方だけですけれども、八十代、七十代も、工場を含めて事務所の中にもおります。
次の「支えているしくみやきめごと」ということで、
幾つかあるんですが、そのうちの象徴的なものをここにうたってございます。
①の「タイトル」、「
仕事」、「給与」が分離ということは読んでいただくとおりでございますが、必ず独立法人の社長は一番タイトルの、社内のタイトルの上の人がなるというのが
一般的でございます。例えば、取締役を退任して子
会社の社長になるというのが
一般大
企業で行われていますけど、私どもは、みんなをまとめる力がある人だったら課長でも、肩書は、タイトルは社長で実際の社内での序列というかタイトルは課長だと、対外的には社長を名のると、それがタイトルである部長である、あるいは理事を使うというちょっと変わったこともやっております。
②のところで言っているのは、これは昭和五十一年で当時の社長で今名誉
会長の前川正雄、今ちょっと海外に住んで海外本社的な役割をしております前川正雄が社長のころ、若い何人かの役員とディスカッションして作った「マエカワは五五才をこう考える」という小冊子がございまして、社員に全部配りました。
ここで言っているのは、右の四角い中に書いてございますように、二十代から四十代というのは力がある。力と技との比較、五十代から、右のⅡのところですね、五十代から七十代、力に対して技だ、動に対して静だ、
変化に対して安定だ、攻撃に対して守りだ、成長に対して成熟だ、変革に対しては伝統だと。こんなような図も書いて、
企業としての、五十五歳、当時
定年でございましたけど、これに対する人間観を文章にして配りました。この静の立場、動の立場、いわゆる青と壮と、まあ今でいえば老も含めて、これが調和して今日の私どもの
企業の活力になっております。
次へ行きまして、「共創とマエカワ」というのは、まあ社内用語的なんですけど、前川では長く、一人ではできることはもうたかが知れている、いろんな異質な人間が集まって独立法人をつくって、そして全体を分かりながら
自分自身の個を磨いていくんだというような共創の理念がございました。これは最近では、お客様との関係もそういう関係に持っていく。前川と同じ土俵で、お客様は常に上にいるんじゃない、同じ土俵で、レベルで話し合うことによって、前川と付き合っているといろんなヒントをもらえると。まあ技術的な問題だけじゃなく、経営に対してもあるいはこういった体質に対してもいろんな共創関係に、まあ共同体と言う方が分かりやすいかもしれませんが、こういった考え方は
企業にも根差しておりまして、最近ではお得意様だけでなくて、新しく工場を造った広島の工場などは、東広島市と地元の地域おこし的なプロジェクトも発足しておりますし、また農業とも組んで農業ロボット的なものの開発なども、県の支援もいただき、進めております。
次に、「人の成長と集団形成について」、まあ前川はこう考えるという文章が
幾つか出ておりますけど、ここで象徴的に、二十代は失敗を恐れずにどんどんやりたいことをやらせろと、また、やりたくなかったら手挙げて次の
職場にあるいは次の独立法人に移れというのは、もうかなり自由度を持ってやらせます。三十代になったら、
自分はどの
市場に対するどういう役割、私どもはエンジニアリングが主でございますから、製造をやるのか、あるいはプラントの設計をやるのか施工をするのか、あるいはメンテサービスで新しい顧客に提案をしていくのか、こんなことを大体、志を立てなさいと。それをさらに四十代で
仕事の方向性を固めなさい。五十代に、ちょっと方向転換して新しいことをやってみたいという気持ちがあれば、新しい独立法人をつくってもいいじゃないか、前川グループの中でベンチャービジネスをつくってもいい。みんなが新たな好きなことを始めるという
意味じゃなくて、ここではもう
一つの言葉は書いてございませんけど、志の完成ということも申しております。
自分がやってきた
仕事の方向を、こういった業種のこういう設計を更にやりたいんだという志の完成も考えなさいと言っているのが五十代でございます。六十代になると、先ほど申し上げたような、集団のリーダーは降りてもらう、まあ取締役は別としてですね、本体の。
自分の好きな
仕事、得意な分野を少し狭めて、そしてそれを更に深めてくださいと、で、
自分の世界の完成度を上げてくださいということを言っております。
「期待される資質、人間像」というのは、これは実は評価そのものでございます。
年一回の給与あるいは、ボーナスとうちは言わないで配当と言っておりますけれども、社員に対する配当の評価、これを、一、全体性、二、関係性、三、技能技術、この
三つで一から五までのスコアを付けまして、そしてこの人は何%昇給するというようなことを、まあ上司がやるというより周りの
意見を聞いて上司がスコアを付けるということで、我が社ではこの三点を非常に大事に、経理をやろうと
営業をやろうと、物づくり以外でも技能技術というのはございますし、関係性、
自分一人で何もできない複雑な
社会になってまいりましたので、いろんな異質な
知恵をかりて、そして
仕事をチームでやっていくんだと。それから、一で言っている全体性というのは、
自分は
営業だけだ、設計だけだ、そういう時代ではもうない、やはり設計するときには製造する立場を考えなきゃいけない、
営業するときには設計の立場あるいは製造の立場を考える、全体を考えながら
自分の得意の分野を極めようというようなことを言っているのがここでございます。
次に、八
ページの「カウンセリング」、六の「カウンセリング」でございます。これはこの言葉のとおり、誕生日ごとに財団でやるケースもありますし、その集団のリーダーとのカウンセリングを必ずやっております。
あなたは更にこういうところを変えてほしいんだと、そうしたら更にみんなから感謝されるし、みんなといい
仕事ができる。まあ例えばそんなようなことを「
高齢者カウンセリングのポイント」というところに書くと同時に、本人も、
あと何年で七十になりますと、だからもうちょっと今の
仕事をやらせてくれと、じゃ、そうだったらこういう点をちょっと変えてくれるといいなというようなカウンセリングを、もう
本当に裸のカウンセリングをしております。
七番に「永く
仕事を続けるには」ということでございますが、先ほどの出てきた井上和平、今年九十四歳でも毎日欠かさず
会社に来て、そして全然老いを感じさせません。だから、時々病気はしたことはありますけど、本人も言っておりますし、お
手元の別冊の
資料にもちょっと出てきていますが、マスコミでもかなり取り上げられ、またこの人のことを書いた本も、NHKのプロデューサーが書いた本も出ております。
常にやはり知的な興味が失っていないという感じがいたします。歯車のような
仕事を、ただ機械と向き合って回すだけの
仕事じゃなくて、心のある、
自分自身のやはり関心を持ったことをやっている、続けている、それが
自分は楽しいんだと、
給料じゃありません、
本当に
給料は申し訳ないくらいしか払っておりませんけど、それによって
自分の孫に何か買ってやる喜びもあるんだとよくおっしゃっています。
一般的には
定年になるとがたっときちゃう人もいるんですが、我が社においては余りそれは見当たりません。それが当たり前というふうに仕組みがなっている関係で、ここ二、三年前から
高齢者を大事にし始めた
企業ではございませんで、もう数十年前から、現名誉
会長の前川正雄が社長のころから私
たち若い役員とディスカッションしてこういった下地をつくり、現在も、若返ってまいった経営者
たちもそのエキスを受け継いでくれて、それが
企業体質及び
企業文化になっているわけでございます。
ここには書いてございませんが、六十歳過ぎの
方々とも、私もそうですけど、
仕事をしていまして、やはり
高齢の方はまじめです。もうハングリーなころに、終戦直後の貧しい生活を耐え抜いてきていますから、出勤時間も正確に参りますし、物の考え方も非常に、
会社に対する考え方も忠誠心といいますか、これも最近の若者と違って、そういった先輩
たちが
一緒になって
仕事をしているということを若者に見せるということが私どもの
企業の活力にもつながっているんじゃないかというふうに思っております。
また、ここには書いてございませんが、ここ数年の不況の
日本でございまして、その間に、現在でもまだ、まあこの四月からは変えたと思いますけど、大
企業、一部上場している
企業の中に、五十五歳になると、部長以上、いわゆる管理職という、部長以上の管理職は辞めなければいけない、部長以上の上級管理職の
定年を五十五歳に置いているという
企業がかなりありました。まあこの四月で改善はしていると思いますけど。そういうところの方を逆に私どもは中途
採用を意図的にしてまいりました。ひところは東大卒などなかなか採れないという時代もありましたけど、そういうのはほとんど、東大に限りませんけど、東大、京大、あるいは早稲田、慶応というような一流大学の人を、なぜこんなもったいない人をこの
企業は手放すんだろうと思うような
人たちを意図的に面接をして受け入れてきました。そうした
方々は六十になれば
定年ですから
給料はダウンして、それでも私
たちが持ってない
知恵なり、あるいは特殊な分野の
知識なり技術なり持って、私どもの
企業がすそ野が広がっているということの一助になっております。
これ、年間十名を超える中途
採用、それも五十代、六十代、自動車
会社を辞めたと、それも役員を辞めたというような人まで中にはいます。私
たちが
市場、食料とかそういうのが、食品関係が主でございますので、自動車の
市場をやってきた人が食品工場を見ると、よだれが出るくらいまだ、ロボットを入れなきゃいけない、自動化するところ、無駄が多い。そういう
知恵を異業種から入った
人たちが食品のプロセス、フードプロセスの自動化に寄与していただいている現状でございます。
以上、時間になりましたので、このぐらいにさせていただきます。