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2006-02-22 第164回国会 参議院 経済・産業・雇用に関する調査会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十八年二月二十二日(水曜日)    午後一時開会     ─────────────   出席者は左のとおり。     会 長         広中和歌子君     理 事                 北岡 秀二君                 南野知惠子君                 松村 祥史君                 谷  博之君                 和田ひろ子君                 浜田 昌良君     委 員                 大野つや子君                 小池 正勝君                 小泉 昭男君                 佐藤 昭郎君                 西島 英利君                 野村 哲郎君                 松山 政司君                 吉村剛太郎君                 伊藤 基隆君                 池口 修次君                 大久保 勉君                 津田弥太郎君                 峰崎 直樹君                 井上 哲士君                 渕上 貞雄君    事務局側        第二特別調査室        長        富山 哲雄君    参考人        大阪大学社会経        済研究所教授   小野 善康君        株式会社野村資        本市場研究所シ        ニアフェロー   関  志雄君        同志社大学大学        院ビジネス研究        科教授      浜  矩子君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○経済産業雇用に関する調査  (「成熟社会における経済活性化と多様化する  雇用への対応」のうち、日本経済グローバル  化への対応について)     ─────────────
  2. 広中和歌子

    会長広中和歌子君) ただいまから経済産業雇用に関する調査会を開会いたします。  経済産業雇用に関する調査を議題とし、「成熟社会における経済活性化と多様化する雇用への対応」のうち、日本経済グローバル化への対応について参考人から意見聴取を行います。  本日は、お手元に配付の参考人名簿のとおり、大阪大学社会経済研究所教授小野善康さん、株式会社野村資本市場研究所シニアフェロー関志雄さん、同志社大学大学院ビジネス研究科教授浜矩子さんに御出席いただいております。  この際、参考人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。  御多用のところ本調査会に御出席をいただきまして、本当にありがとうございます。  本日は、本調査会が現在調査を進めております「成熟社会における経済活性化と多様化する雇用への対応」のうち、日本経済グローバル化への対応について忌憚のない御意見を述べていただき、調査参考にさせていただきたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。  次に、議事の進め方でございますが、まず小野参考人関参考人浜参考人の順にお一人二十分程度で御意見をお述べいただきました後、午後四時ごろまで各委員からの質疑にお答えいただきたいと思います。  なお、御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、まず小野参考人からお願いいたします。
  3. 小野善康

    参考人小野善康君) それでは、ただいま御紹介にあずかりました小野でございます。よろしくお願いいたします。  本日は、グローバル化国際競争力というタイトルでお話しさせていただきたいと思います。  それで、この分野、実は私が呼んでいただいたのは、経済理論の立場からどのように考えたらいいかということで私の意見を聴いてくださるんだろうと思って伺ったんですが、この分野は本当に最近、国際金融分野でも非常に進んでいる分野で、その意味では、今までの常識が成立しなくなりつつあるということがあるので、その点について私自身の最新の研究も含めて少し御紹介したいと思います。  グローバル化日本経済にどのような影響を与えるかということを考える前に、少し日本高度成長を振り返ってみましょう。そうすると、その当時の常識というのが今後グローバル化によって相当変わってくるということをお話ししたいと思うわけです。  さて、これまでの常識というのは、戦後何十年か高度成長を振り返ってみますと、そこにあったのは、日本人が貯蓄が大好きであると。すなわち、将来のことを考えて、将来自分はもっと豊かな生活をするんだというので一生懸命お金をためたというのが一方にあります。  もう一方は、そのお金が一杯あるということは、低い金利で、低い利子率産業界に流れていくということですから、企業はそのベネフィットを受けて、その便益を受けて大きく成長していったと。しかも、企業海外先進技術もどんどん入れたし、独自の発展もして、それでどんどん発展したというのがこれまでの理解だと思います。それはもうそのとおりだったと思います。  さて、そのもう一つ重要な点、一見重要じゃないように見えるんですが重要な点は、そういう資本がどんどん、日本人がどんどんためて資金企業に提供してどんどんたまっていくんですが、それは徐々に徐々にたまっていきながら、だんだんだんだん資本を一杯使う産業、すなわち重化学工業なり製造業なり、よりハイテク産業産業構造が移っていったわけです。それは、しかし日本人が一生懸命ためたお金がたまるスピードでだんだんずれていくわけですね。  そうすると、その労働移動もその意味ではもう着実にそういう旧来産業から先端の産業にスムーズに動いていくという状況が生まれて、本当は産業間で労働移動するときはいろいろな摩擦があるんですけれども、それは比較的スムーズにうまくいったと。すなわち、どんどんいい産業が出てきて、そこが人を欲しがって、人はどんどん吸収していきながら、だんだんに旧来産業は小さくなっていったという、そういうある意味非常に理想的な動きがあったんだと思います。  国民はそういう状況を理解していて、どういうふうに経済をとらえたかというと、そういう新たな産業がどんどん生まれてくる、それから日本企業がどんどん大きくなってくる、それを見ながら、あっ、それは自分たちがためた要するに言わば証拠であるというふうに見ながら経済成長していった。すなわち、企業成長こそ自分成長自分の豊かさのシンボルであったわけですね。  そういう状況が、今までの資本自由化グローバル化が比較的制限されていた時代、すなわち海外資本が自由に日本に入ってくるとか、あるいは逆に日本資本海外に自由に出ていくとか、そういうことが制限された時代には今のような、何でしょう、ディスクリプションはまあ正しいわけですけれども、グローバル化というのはそれが自由自在に資金世界を流れていくということですから、実はそのような常識に大きな変更が迫られるということになるわけです。  じゃ、どういう変更があるかというと、第一、一番重要なのは、日本人が一生懸命お金をためて豊かになっていくということと、日本企業発展していくということは全く別物になる。反対になるとは言いませんけれども、独立のことになるということが重要なわけです。これはちょっと考えればお分かりでしょうけれども、日本人のためた資金は別に日本企業に投資されるだけではないわけです。平気で海外にも投資される。しかも、より有利な方に投資してくれなければ困るわけで、我々が例えば投資信託なり何なりで投資するにしても、より有利な方に行ってくれればいいわけですから、別に日本資金に限る必要はない。そうすると、これ重要なことなんですが、資産を蓄積していくということと、日本国内資本が蓄積されて企業発展していくということは全く独立になるということ、これが重要な第一点です。  それから、二番目の点ですけれども、それは産業構造の激変が起こる可能性がある。  先ほども強調しました第二点ですが、徐々にその資本の蓄積のスピードを、徐々に徐々に新たな産業が育っていって、スムーズに労働移動が行われるという状況を御説明したんですけれども、世界じゅう資金がもうかるとなれば一気に入ってくるわけですから、大きな産業構造の変革が起こる可能性がある。そうすると、最近言われているデジタルデバイドのような言葉がありますけれども、新たな産業にぱっとなったときに労働がすぐに適応できるかという意味の問題も大きく出てくる可能性があると思います。  さて、この二点についてもう少し説明させていただきますけれども、ほんの少しの生産性の差が日本国内産業であったとすると、それは少しでも有利な方に投資したいというのが人情であるし、それから世界じゅうからもそれをねらっていますから、そちらにどっと資金が流れていく。それで、残った方の生産性が少しでも低い産業というのはどんどん資金が回収されていってしまうと。そうすると、今までは日本国内の小さな資金移動だけで済んでいたのが、世界じゅうに、出ていくときは一気に出るし、入るときは一気に入ることができるので、そのちょっとした生産性の差が産業構造に大きな影響を与える可能性がある。  このことは、実は政策意味では非常に重要でありまして、今までテンタティブというか、直感的にこの産業はちょっと救わなければいけないとか、この産業はまあきっといいだろうから少し助けてやろうとか、あるいは逆にちょっと税金取ってやろうとかいう、そういう皆さん方がなさる経済政策がその産業をつぶしてしまう、あるいはその産業だけを発展させてほかをつぶしてしまう。もっと言えば、海外との産業構造の、何ですかね、役割分担ですか、それすら影響する可能性もあるということがあるわけです。  ですから、目先にある産業を救うだけということではなくて、もっと大きな日本産業構造はどうなるんだということも含めて考えないと、気楽にやってはいけないということです。  さて、そういうふうに申し上げると、最近新聞等でもよく言われることですが、グローバル化時代では国内企業だけを相手にしちゃいけないんだと。海外企業海外ライバル企業が重要なんだということを強調されます。実は少し逆説的ですが、そうではないということをこれから申し上げたい。  グローバル化であればあるほど、実は為替調整がうまくいけばいくほど、本当のライバル国内企業なんです。そのことをお話しします。  それはどういうことかというと、例えばもう簡単のためにタオル産業コンピューター産業だけが日本にあったとしよう。それで、タオル産業世界の標準から比べて倍の効率を持っていたとしよう。それで、PCは、コンピューター産業は三倍の効率を持っていたとしよう。そうすると、両方とも海外よりはるかに効率がいいわけですから、両方とも世界に勝って、日本はじゃ両産業全部を握れるかという話になるんですが、実はそうはならないのがグローバル化世界。  どういうふうになるかというと、当然その両産業はコストで勝つわけですけれども、そうなると経常黒字が物すごくたまってくる、圧力が起こる。それが動き出した途端に円の調整が起こって円高になってしまう。つまり、日本は今これは円を安く評価し過ぎたんだという、すぐそういう反動が起こります。これは実はアジア危機なんかでも劇的に起こったんですが、それはちょっと横へ置いておきまして、そういう調整が起こる。それで、円高がどんどん進んだ途端に何が起こるかというと、今まで海外の倍の効率を持っていたタオル産業が負けてしまうわけです。すなわち、どの産業海外より強いんだけれども、より強い産業が残って、強いくせに相対的に弱い産業がつぶれるということが起こってくると。  これ、同じことは逆のことも言えまして、両産業とも海外よりも効率が悪いということがあったとすると、今までは両産業とも負けるという、こういう話だったんですけれども、それが、そうなると赤字になりますから、つまり世界競争で負けて経常収支赤字になりますから、今度は円安になってくるわけです。円安になってくるとどんどん価格競争力が上がってきますから、今度はより強い方が生き残るという形になる。  このように、こういう為替調整、それから資本調整が自由に行われる世界ではそういう調整が非常に素早く起こるので、みんな各産業海外とだといって一生懸命競争したとしても、国内の相対的な力関係で片方がつぶれてしまうということがあり得る。  例えばアメリカの例で、最近、自動車産業がちょっと危ないと言われていますが、あれはその自動車産業が本当に日本のトヨタと技術的に、まあある程度技術的な問題があるかもしれませんけど、そんなに劣っているわけじゃないと。にもかかわらず、アメリカ国内産業のステータスとして自動車産業が相対的に低くなったということを表しているという意味なんですね。  そういうように、大きな産業変化産業構造変化というのが資本の流入が自由になって為替調整が速くなるほど起こってくるというのが今までと相当違うことだと思います。  さて、今申し上げたようなことを考えると、資金流出入産業の大きな構造変化というのがもうしょっちゅう起こるので、日本人は何か資金が全部海外に出ていってしまってこれは大変だとか、それから海外から大量に資金が流入してくるとそれはもう買い取られてしまうとか、いろんな心配をするんですが、実は必ずしも、そういうことにおいて心配するのは各産業、各企業なんでありますけれども、国民生活とは直接関係がないということが次に出てくる。だから、最初、前半少し脅かしまして、企業の存亡とかいうのは簡単に変わってしまうような危険もあると言ったんですが、じゃ国民生活はどうかといったら、実はそれとは独立にあるということが次のインプリケーションとして出てきます。  その意味は、最初に申し上げましたけど、日本人が投資する先が別に日本国内でなくてもいいわけです。海外で有利なところでもいい。現実に昨年の経常収支を見ると、所得収支貿易収支を上回ってしまったと。所得収支というのは海外に投資した資金から得られる収益でありまして、それが物を作って売って稼ぐものよりも超えてしまったぐらい日本は今海外資産を持っている。  それで、これはちょっと話がそれますけど、これこそがいわゆる世の中でよく言われる国の借金という言葉対応する言葉で、実は国の借金というのはなくて、国は物すごい資産を持っているというのが日本現状であります。ちなみに、よく言われている国の借金というのは、あれは国ではなくて政府借金でありまして、政府と国は全く違うものでありますから、その議論の混乱がもういろんなところで起こるんですけれども、日本は絶対に破産するどころかすごい資産を持っているということを申し上げたいと思います。で、もちろん、国債がたまって政府のマネジメントが大変だということは間違いないわけですけど、だから問題ないとは言っていませんけれども、少なくとも国の借金政府借金というのは全然違うんだということを今ちょっと申し上げたい。  さて、ちょっと話は元に戻りますけれども、そういう状況になりますと、日本国内企業資金流出入で激しく影響を受けるとしたら日本人生活はどうなるかという話に戻ると、日本人はじゃどこに投資したらいいかというときに、グローバル化のときは有利なところに投資すればいい。日本国内でも投資してもいいし海外に投資してもいい。同じことは外国人にも言える。  それで、日本企業にじゃ投資した方がいいんじゃないかと、こう思われるかもしれないんですが、日本企業というのは御存じのとおり今やリーディングカンパニーのかなりが、半分近く外国人によって保有されている。すなわち、日本企業という名前をしているけれども、実は外国企業だと言ってもいいわけですね。ということは、日本人も同じことをやっているわけです。海外でそういうことをやっていると。  ということは、じゃ重要なのは何かといったら、企業を保護するとか、日本にある企業を一生懸命保護するということよりも、国民生活需要側を大切にするということがインプリケーションとして出てくる。  例えば、企業収益がプラスになるような、もう直截で言えば、例えば収益に比例して補助金を与えるというのは、そんな政策しませんけど、例えばやったとしよう。そういうことをやることによって企業が、日本国内企業が発達する、発展するからいいじゃないかと、こう思われるかもしれないけれども、実はそうやって得られた収益は、例えば五〇%外国人が持っていたら、その分は五〇%外国人に上げているのと一緒なわけですね。それで残りの五〇%分だけは日本人がもらうと。すなわち、払うのは日本人で、そのうち一部は外国に取られるということになっているわけです。ですから重要なのは、需要側、つまり国民生活が、つまり我々がいかにサービス、物を享受できるかという、その環境を整えることが重要なんだということです。  そのように申し上げると、じゃ、おまえは企業よりも消費者生活者が大切なんだから企業をいじめているんじゃないかと、こう思われるかもしれないので、その点について加えて言うと、実は、需要側を刺激するような政策というのは企業の物すごい応援団になるということをこれからお話ししようと。  それはどういうことかというと、我々が一生懸命物を買うという方向に動いたとする。そうすると経常収支は悪化してくるわけです。すなわち、中で一生懸命物を買うというのは何も国内の物だけを買うわけじゃない、海外からも物を買うというのがグローバル化時代です。特に安くて競争力のある品質のいい物は海外からどんどん入ってきて、それをどんどん買うことになる。そうすると経常収支悪くなる。経常収支が悪くなると円安になってくるわけです。先ほどとちょうど反対なメカニズムが働いて、円安になると、日本に存在している企業、これは実は日本企業でないかもしれないんですが、いずれにしても、日本円圏で存在している企業がすごい競争力を持ってくる。どんどん円安が進めば、金融政策なんかでやっても円安なんか進まないんですが、国民が一生懸命物を買うようなふうになってくると、実は円安が進んでくる。これこそが最も企業応援団になる、国際競争力を持ってくるということであります。  すなわち、ちょっとぐらいお金企業に直接渡すなんていうよりも、国際競争力を付けるような方がよっぽど企業にとってはコントリビューションがあるというふうに思います。  さて今、あと二、三分あるので、少しまとめさせていただくと、そういう今言ったように、申し上げたことは、グローバル化以前との比較をもう一回申し上げると、グローバル化以前というのは、日本企業発展というのが実は国民の豊かさの発展の全くバロメーターだった。だから、企業発展するように、なるべくそこに資金を投入してどんどん増えていくということが、正に日本企業日本人が持っていたので日本人資産が増えていくということになった。ところが、グローバル化以降というのは、別に日本人はそこだけに投資する必要はない、世界じゅうに投資する。それから、日本にある企業外国人も平気で持つ、そういう時代になっているわけです。そのときは国民生活を豊かにする、我々が物を一杯買ってサービスを一杯受けるという、そういう状況をつくるというと、それが経常収支を通して円安を導いて日本企業を強くすると、こういうふうになるわけです。  さて、最後に、そういうふうに申し上げると、あれ、よく為替価値というのはその国の経済の強さのバロメーターだというふうに言う人がいる。そうすると、円高日本経済買いだと、それから円安日本経済売りだというふうに思う、よくそういうことが書いてあります。実は正反対だという図を最後にお示しします。  皆さんにお配りしたレジュメの三ページ目だと思いますが、最初の図1です。その図1を御説明して終わりにしようと思いますが、これは一九八八年から二〇〇二年までのデータをプロットしたもので、横軸日米GDP実質GDP成長率の差、すなわち右に行くほど日本好況だという意味です。それから縦軸円ドルレート、すなわち円安だということですね、上に行くほど。そうすると、明らかにきれいに右上がりになっている。すなわち、日本好況であるほど円安で、円高になるほど不況になっているというふうに、ちょうど普通に考えると反対状況が起こっている。これが資本自由化、一九八〇年代の資本自由化完成以降に起こっている事実だと。このことが先ほど私が申し上げたことの一種の裏付けだと思います。  時間になりましたので、以上でやめさせていただきます。
  4. 広中和歌子

    会長広中和歌子君) どうもありがとうございました。  それでは、次に関参考人にお願いいたします。
  5. 関志雄

    参考人関志雄君) 野村資本市場研究所の関でございます。  この場をおかりして、中国の台頭の日本経済への影響について報告させていただきます。(資料映写)  まず、簡単に今の中国経済の実力を確認しておきたいと思います。  中国は十三億人を抱えている大国であって、七八年以降の四半世紀にわたって一〇%に近い高成長を遂げたということもありまして、昨年のGDP規模は二・二三兆ドル、中国は既にアメリカ日本、ドイツに次いで世界第四番目のGDP大国になっています。貿易に至っては、二〇〇四年以降、日本を抜いて世界第三位の地位を占めるようになっています。  しかし、その一方では、頭の数で割ってみると一人当たりGDPはまだ千七百ドル前後で、これは日本の二十分の一、五%程度にとどまっていると。その意味では、中国はいまだ発展途上国の域を超えていません。いろいろな経済発展の指標を比較してみても、現在の中国発展段階はおおむね一九六〇年代の半ばごろの日本、つまり日本中国経済格差は四十年程度残っていると見ています。最近、中国世界の工場と呼ばれるようになりましたけれども、しかし、中国の外資への依存度は非常に高く、しかも加工貿易が中心ですので、いわゆるメード・イン・チャイナ概念メード・バイ・チャイナという概念の間には非常にギャップが大きいということも理解していただきたいと思います。  これを念頭に、実は日本中国関係新聞、雑誌で書かれているように既に競合関係になっているとは見ていません。むしろ、当分の間、日中関係補完関係にあると見ています。その意味は、中国の強い分野においては日本は弱いと、しかし、そのもう一方では中国の弱い分野においては日本は依然として非常に強いということを意味します。  この点について、二つの角度から確認したいと思います。一つはいわゆる工程間分業ということで、このスマイルカーブに沿って、例えば一台のコンピューター生産過程念頭に置けば、川上の研究開発付加価値は非常に高くて、真ん中の組立て、これは労働集約型なんですが、非常に付加価値は低い。川下に行くと、ブランド又はマーケティング、アフターサービスになるとまた付加価値は上がっていきます。これはVという形になるんですが、まあ世の中スマイルカーブと呼んでいます。幸か不幸か、中国の強みはこのもうからないあごの部分に限られていると。中国ではほほ笑み曲線と呼ばれているんですが、ほほ笑み曲線中国にはほほ笑んでいないというのは現状なんですね。むしろ、付加価値の高い両端に関していえば、いまだ日本を始めとする先進国はまだきちんと押えていると。これは、ちょうど私が提示した補完関係の定義と沿っています。  または、角度を少し変えて、従来の製品間分業という形で見ても、ここで右に行くほどハイテク製品、左に行くほどローテク製品を並べてみて、縦の軸ではそれぞれの製品中国日本の輸出金額を書きます。このそれぞれの山の大きさはすべての品目の合計に当たりますので、ちょうど輸出規模に当たり、また、この山が右に偏っているほどハイテク製品が中心になっているということになります。注目すべきところは、この二つの山が重なっている部分は、Cと書いている部分ですね、大きいと見るのか小さいと見るのか、これは正に両国が競合している部分なんですね。日本から見て中国とどのくらい競合しているのかということを考えるときに、重なっているところのCを日本の輸出全体の規模のBで割ってみて、このパーセンテージが高ければ競合関係が高いということになりますし、この図のようにわずかであれば競合度が低く、むしろ補完関係にあるということになります。  実際、アメリカ貿易統計を細かく一万品目以上調べてみて得られた結果として、一九九〇年のときには、日本から見て中国との競合しているところはわずか全体の三・二%でした。この計算は、さっきの図に沿って言えばCをBで割って出てくる数字なんですね。その後、中国産業の高度化によって中国の山が右の方にシフトし、また輸出規模も大きくなってきているので、重なっている部分、言い換えれば競合している部分は増えています。二〇〇三年の数字では二一・九%になっている。これは高いと見るのか低いと見るのか。昔と比べたら明らかに競合度が強まっているんですが、しかし残りの八〇%は、まだ品目の分類も違うという意味では競合していないんですね。  または、御参考までに、ASEANの国々と中国とどのくらい競合しているのか同じような方法で調べてみると、例えばタイのように、二〇〇三年の時点では中国競争しなければならないものは輸出全体の中の七〇%も占めています。この意味で、タイを始めとするASEANの国々こそ中国とは競合関係にあるということになります。  残念ながら世の中は、計算もしないで日中関係競合関係にあるという大前提の下でいろいろな議論が展開されています。もちろん、それから得られる結論もほとんど間違っているということになります。  一つは、中国発デフレ論ということです。皆さん新聞、雑誌で読まれているのはここでいう悪いデフレの方でして、中国製品がどんどん安くなるということは、一部の日本企業世界のマーケットにおいて中国競争しなければならないので、中国に合わせて自分の産出価格も下げていかなければならない。ほかの条件が同じであればその分だけもうからなくなってしまうんですね。だから、これは正に悪いデフレであると。  部分的分析としてはこれは正しいんですが、しかし忘れてはいけないことは、多くの日本企業中国からアウトソーシングという形でいろいろな部品、中間財を調達しています。中国からの輸入が安くなるということは、彼らにとっては生産コストの低下につながりますので、ほかの条件が同じであれば、これは逆に利潤が増えるということを意味します。これは、例えばユニクロの立場に立ったら、消費者と全く同じように中国からの輸入が安くなるということは非常にすばらしいことであると。おかげさまで、店舗の数も増え、国内ではたくさんの雇用が創出されるわけなんですね。各論としては、中国競争しなければならないところでは中国発デフレは非常に困ることなんですが、中国と補完しているところではむしろ中国発デフレはすばらしいことであると。  じゃ、まとめて日本全体にとってプラスなのかマイナスなのかというと、結局どういう立場に、どちらの立場にある企業の方が多いのかということになりますが、既に確認しましたように、中国競争しなければならないところは頑張って日本産業全体の二割程度ですので、むしろ残りの八割は、どちらかというと、ユニクロ型の企業は既に主流になっているのではないかと思います。この意味で、全体的に見て中国発デフレは日本経済にとってはむしろ良いデフレであると。  残念ながら、これは理解されないせいなのか、日本中国に対して人民元の切上げを要求してきました。その一つの理由は、デフレが悪で、その中で特に中国発デフレは困ると、せめて中国発デフレを中国発インフレに変えたいと。その方法は何かといったら、やはり人民元が強くなれば中国製品はすべて円に換算すると高くなって、中国発デフレは中国発インフレに変わっていきます。  ここまでのロジックは正しいんですが、それは日本にとって幸せになるかどうかは別なんですね。日本経済新聞社の日本企業を対象とするアンケート調査の結果を見ても、人民元が強くなって助かると答える日本企業はわずか全体の一六・二%、逆に人民元が強くなったら困ると答える日本企業は三六・五%。もちろん、その中にはユニクロも入っています。このアンケート調査の結果は、間接的ではありますが、実は日中関係は競合度が低く、補完関係の方が強いという私の仮説を間接的に支持していると考えています。  この意味で、中国影響を考えるときに、インフレとかデフレとかいわゆる物価の絶対水準で考えるよりも、さきのように生産価格と投入価格の相対価格、国の単位で考えれば輸出価格と輸入価格の相対価格、つまり交易条件という形で見るべきではないかと思います。  中国は七八年以降、いわゆる対外開放とは何か、私の理解では改革・開放を通じて中国は自らの比較優位に沿った形で世界経済に組み込まれつつあると。世界経済に組み込まれるということは、貿易も増えているし直接投資も増えているというところは非常に分かりやすいんですが、比較優位に沿った形とは何かといったら、中国の比較優位は、実は皆さんが心配しているハイテク産業ではなく、むしろ労働集約産業にあるんですね。この三十年間にわたって中国労働集約型の製品をどんどん増やして、それから得られた収益を機械類、ハイテク製品日本を始めとする先進国から買うというような体系になってきています。  最近非常に印象的なのは、中国が買うものは何でも高くなり、中国が売るものは何でも安くなると言われるようになりましたが、これは正にその結果として、この比較優位に沿った形のグローバル化の結果として中国自身の交易条件がますます悪くなっているということを意味します。これは中国の台頭の世界経済への影響を考えるときのかぎを握ります。つまり、日本のように中国補完関係にある国では、中国の交易条件の悪化はちょうど日本の交易条件の改善に当たります。なぜならば、中国が輸出しているものは、ちょうど日本の輸入しているものの品目は全く対応しています。逆もそうなります。この意味では、交易条件の変化によって中国経済発展の果実は広く日本を始めとするほかの国々にも享受してもらっているということになります。  しかし、やや例外的なところもあります。一部の国々、例えばASEANのように、中国と同じような形で労働集約製品を輸出して先進国から機械、ハイテク製品を輸入しなければならないところでは、中国に釣られる形で彼らの交易条件も悪化するということになります。中国競合関係にあるこれらの国々にとって、中国の台頭は必ずしも望ましくないということになります。  実際、日本中国との貿易を調べてみて、日本の交易条件は、中国に対して統計の取れる九八年から約二〇%改善しています。これを金額に換算しますと、二〇〇五年の数字では、日本は大体一・六八兆円の外貨の節約に当たります。これは日本GDPの〇・三%強に当たります。つまり、中国から毎年日本に一・六八兆円の実質所得の移転がこの交易条件の変化によって発生しているわけなんです。  じゃ、中国の台頭に対して日本はどう対処をすべきなのかについて考えてみたいと思います。  結論は、もう既にここに書かれているんですが、日本は一生懸命に補助金とか輸入関税を導入することで古い産業を保護するのではなく、むしろその辺は積極的に海外に持っていき、その代わりに新しい産業の育成に力を入れるべきなんですね。この二十年間にわたって中国との競合度が高まってきたのは、日本が止まったままで、中国だけは後ろから追い上げてきた結果でもあります。今、日本に求められるのは、日本も先に行かなければならないということです。  古い産業海外に持っていくということになると、日本経済は空洞化しないのかという心配はあるんですが、数字を調べてみても、二〇〇四年の数字では日本の対中投資は年間まだ五千億円にも達していないと。五千億ドルならともかく、四千九百億円というのは日本の対外直接投資全体の一割強、日本GDPの〇・〇九%にすぎません。このくらいの対中投資で日本経済は空洞化するという理由にはならないと思います。むしろ衰退産業の順に沿って海外産業を移転していくということは、人間の体に例えれば一種の新陳代謝ですので、日本経済にとっても非常にすばらしいことである、あえてここでは良い直接投資と呼んでいます。  問題があるとしたら、むしろせっかく日本で作った方がコストも安く品質もいいにもかかわらず、何らかの理由で海外に行ってしまった場合に限るんじゃないかと。何らかの理由というのは、多くの場合は相手国の貿易障壁があるからなんですね。その典型例は自動車ではないかと思います。残念ながら、世の中の空洞化の理解は私とは全く逆に、古い産業を畳んで中国に持っていくとすぐ空洞化だと騒がれるんですが、今のように日産、トヨタ、本田は百万台単位で中国に投資しようとしても、だれもこれは空洞化の理由になるとは思っていないというのは非常に不思議ではないかと思います。今、日本に問われるのは、衰退産業を守るべきなのか、それともまだ国際競争力の強い産業を守るのかという点ではないかと思います。  ビジネスの立場に立ったら、中国の活力をどう生かすべきなのかに関しては、こういう分類は参考になるんじゃないかと。  まず、自分の持ってる製品又はサービスの生産優位は中国にあるのか、それとも日本にあるのか、どこで作った方が安いのかということを確認し、次に市場優位はどこにあるのか、中国で売れるのか、日本で売れるのか、それによって四つの組合せが考えられるんですが、中国で作った方が安くって中国で売れるならば中国での現地生産は正解になります。さきのユニクロのケースは、中国では安く作れるんだけれども、むしろ持ち帰って日本で売った方が売れるという状況になります。  本来であれば、自動車はこの三番目に当たります。市場としてはどんどん中国の方が大きくなるんですが、しかし、少なくとも現段階においてはまだ日本で作った方が品質も良く中国で作るよりは安くなっていると。本来であれば、仮に中国のマーケットがどんどん大きくなっても、中国のマーケットにアクセスするためには一番いい方法は、現地生産現地販売ではなく、日本で生産して中国向けに輸出するということではないかと思います。  これは日本の空洞化問題を考える上では非常に重要なんですね。同じ百万台のトヨタを中国の広州で作るのか、それとも名古屋の近辺で作るのかによってどのくらい日本国内雇用創出が違ってくるのか。何でも日本国内で作ると申し上げるつもりは全くありません。衰退産業はどんどん途上国に譲るべきだと思いますが、まだまだ国際競争力のある分野に関しては、やはり国内に残すべきではないかと。それでも日産、トヨタ、本田がビジネスの戦略として中国に行かざるを得ない本当の理由は、やはり中国の自動車に関しては輸入関税がWTO加盟したとはいえ依然として高いからなんですね。  皆さんは、もし産業を応援するならばどうしたらいいのかというと、やはり日本中国の間に自由貿易協定ができれば、自動車も含めてゼロ関税で中国向けに輸出できるようになれば、日産、トヨタ、本田三社はわざわざリスクを負って中国で生産するまでもなく日本で生産し、中国向けに年間百万台単位で輸出できるということになります。  私の処方せんは、端的に言えばFDIよりもFTA、直接投資ではなくむしろ自由貿易協定の方が正解ではないかと思います。もちろん、日中間でFTAを結ぶという話になりますと、いろんな産業調整は農業を始め国内でも行わなければなりませんし、また、今の日中関係は政治の面においては冷え込んでいるというのもネックになっていますので単純ではありませんが、日本にとっても中国にとっても非常に重要な課題ですので、あえてこの場をおかりして問題提起をさせていただきました。  御清聴ありがとうございました。
  6. 広中和歌子

    会長広中和歌子君) ありがとうございました。  それでは、次に浜参考人にお願いいたします。
  7. 浜矩子

    参考人(浜矩子君) 浜矩子でございます。よろしくお願いいたします。  私の本日の話は、一枚の紙がお手元にあるかと思いますが、ごらんのとおり「世界日本の新たな地平 グローバル化の向こう側」というふうな題を付けてみてございます。このグローバル化の向こう側というふうに言っているのは、グローバル時代というものもそれなりに時間がたってまいりまして、グローバル化って何だという議論をしていた段階から、だんだんグローバル時代というものの姿は見えてきた。ある意味ではグローバル化のプロセスはもう一段落して、グローバル世界でどう展開していくかというのが問われる時代になった。そういう意味で、グローバル化の向こう側にどんな地平が見えてきているのかというようなところを展望してみたいというわけでこんなタイトル付けになっております。  そこで、では、このおおむね姿が見えてきたグローバル時代というものはどういう特徴を持っているのかというところで、まず、まずというかそこに書いてございますが、二つのことを言っております。ごらんのとおり、一に無極化の時代というふうに書きました。そして、二番目には綱引きの時代であると、こういうふうにグローバル時代というものを私としては特徴付けております。  そういう無極化の時代であり綱引きの時代であるグローバル時代というものに、じゃ日本はどう対応するのかということで、三番目に、日本はどうするということがそこに掲げてあるわけでございますが、じゃ無極化の時代とは何であるか、綱引きの時代とは何であるかという辺りをこれからちょっと、私が思いますところを申し上げていきたいというふうに思うんですが。  まず、この無極化の時代ということでございますが、グローバル時代ということが言われ始めてこの方、結構、グローバル時代というのはアメリカへの一極集中の時代であるというふうな認識のされ方がかなり広まったというふうに思うんですが、だから、したがってグローバル時代とはアメリカ独り勝ちの時代だよというような話になってきたわけでありますが、私は、これは実は大いなる誤解であるというふうに思っております。今のアメリカにこの広いグローバル世界、地球経済の一つの、たった一つの軸になる力は私はないというふうに思います。また、じゃアメリカに代わるものがあるかというと、それもないと。そういう意味で、無極時代というのが今の世の中を非常に、世界的な世の中を特徴付けているというふうに思うんでございます。  端的に申し上げて、そこの一の二番目に書いてありますけれども、今の世界というのは、要はバッテリー依存症候群であるというふうなことを私は考えています。アメリカにせよ日本にせよ、そして中国にせよ、いずれもまあ言ってみればバッテリーで動いているこのパソコンのようなものであると。今、正にこの関先生のは電源につながっていますが、要するに、だれも自分で独自の電源を持っていなくてバッテリーに依存して動いているという、そういう時代であるなということを非常に強く思います。  そして、アメリカ経済を動かしているバッテリー、そのバッテリーをじっと見ると、そこに何と書いてあるかというと、そこには大きくくっきりメード・イン・ジャパンと書いてある。メード・イン・ジャパン・マネーというふうに言った方がもっと正確かもしれません。今のアメリカ経済を動かしている基本的なエネルギーは日本からアメリカに向かって流れていく金のフローであると。さっきの小野先生のお話のように、本当に資金世界を回るわけでありますけれども、メード・イン・ジャパンの金がアメリカという名前のパソコンを動かしている。  じゃ、しからばそのアメリカに対してバッテリー役を果たしている日本、これは独自電源につながっているのかというと、そんなことはなくて、この日本を動かしているバッテリーをじっと見ると、そこにはくっきりはっきりメード・イン・チャイナと書いてあるという、正に今の関さんのお話のとおりでございます。中国経済との融合によって日本経済が非常に調子が良くなってきていると。正にメード・イン・チャイナのバッテリーで動く日本経済ということでありますが、じゃ中国はどうかというと、中国を動かしているバッテリーはやっぱりメード・イン世界という感じでございましょう。人、物、金のすべてが中国に吸収され、集中して、中国経済のすばらしい成長性を支え合っていると。  そういうわけで、まあ言ってみればこの今のグローバル時代というのはみんな、だれか、独自には供給できないものを人に依存するということで、言ってみれば弱者のもたれ合い的な無極構図がそこにあると、こういうことではないかということでございます。それが第一点でございますが。  次に、綱引きの時代ということでありますが、私は今のこのグローバル世界においてはいろんな形の相異なる力同士が引っ張りっこをしているというふうに思います。どういう綱引きかといいますと、そこに書きましたようにざっと四つほどの綱引きがあると、こう思っております。  綱引きその一、これはデフレ対インフレの綱引きということでありますが、今のグローバル世界においてはデフレ的な圧力も強い、しかしながらインフレ的な圧力も久々に強まっているということがございます。  これはどうしてそういうふうになっているのかというと、これが正に、先ほど関さんが御指摘のところで非常に上手におっしゃいましたけれども、中国が買うものはみんな高くなると、だけど中国が売るものはみんな安くなると。中国が買うもの、それは原油であったり鉄鉱であったり生産基礎素材であったりと、そういうところではどんどんインフレ圧力が高まっている。それに対して中国が売るもの、これはもう電子デバイスから、先ほどの競合の部分から競合しない部分から、いろいろあるわけですけれども、ここをどんどんどんどん中国が生産することによってそこにはデフレ圧力が働くと。まあ中国発デフレ要因とインフレ要因のせめぎ合いの中で我々は結構もみくちゃになると、こういうのがあるわけでございますね。それが綱引きその一です。  それに対して、だから綱引きその一はまあ言ってみればメード・イン・チャイナなわけでありますが、それに対して綱引きその二とその三、平等と格差の綱引き、均一化と多様化の綱引き、この二組の綱引き、これもグローバル経済を非常に特徴付けるものであると思いますが、この二組の綱引きをもたらしている要因は何かといえば、それは正に競争ということだと思います。グローバル経済グローバル化というのは非常に大いなるメガ競争世界津々浦々の人々に強いるわけでありますが、その結果として平等と格差が綱引きをし、均一化と多様化が綱引きをする、そういう構図になっているというふうに思います。  どういうことかといえば、この二組の綱引きはちなみに、今の日本経済において非常にはっきり出てきている綱引きでございますね。格差問題への対応というのが大きな政治課題にもなっているということは釈迦に説法でありますけれども、かつての日本においては、まあかつての日本世界で一番平等な社会であるというふうに言われていた。そして、護送船団方式、年功序列、終身雇用という形で落ちこぼれをつくらないという平等主義を保ってきたわけですが、しかしながら、この日本企業たちがデフレの十年から立ち直ってようやくグローバル競争に本格的に参画するということになっていると、もうなかなかやっぱり日本式平等を保ち続け切ることができないということで、人に格差を付けるということをせざるを得なくなってくると。こういう意味で今この平等を取るのか格差を取るのか、この問題はヨーロッパでも非常に大きなテーマになってきて、ヨーロッパ型のこの平等性の強い社会モデルを保っていくのか、そうではないのかと、アングロサクソン型に行くのかというようなことで彼らも頭を悩ませているわけでありますが、もっともっと言ってみれば過激な形でこの問題にこれから日本は取り組まなければいけないということになりつつあるという、正に雇用の多様化というようなこのテーマの中で、こういうことが出てきているという状況があるわけでございます。  それと同じようなコンテクストの中で、脈絡の中で、この均一化の力学と多様化の力学が非常に強く綱引きをしている。これもまたこのグローバル競争時代というものの大きな特徴であるというふうに思います。早い話が、グローバルスタンダードなぞという言われ方がするということは、世界標準に向かってすべての国々、産業、人々のパフォーマンスが収れんしていく、均一化していかなければいけないということがそこには表れてきているわけですが、それに対して、そういうものに反発する多様な独自性を保ちたいという力学も非常に働くわけであります。そのせめぎ合いというのはなかなか厳しいものがありますし、そしてまた、これもこれからの日本についてどうするのかということをこれも政策マターとしてお考えいただかなければいけないことかと思いますが、今の日本では非常に奇妙な現象が起こっているなと私は思います。それは、この競争が激しくなったということが、下手をすれば結果的にかえって日本経済社会の画一化、均一化を促すということになってしまいそうな感じがあるということです。  それはどういうことかといいますと、要するにこの競争が激しい時代になったと、格差を付けなくちゃいけないということに伴って、この成果主義というものが非常に日本の組織の中に定着をしてきております。一定の評価基準に従って人々にランク付けをするというやり方でありますが、この成果主義というのが、非常にそれこそ均一なスタンダードの、同じような成果主義のパターンというものを全国津々浦々の企業や組織や、まあ教育機関もそうですが、が適用し始めるということになると、みんな同じ尺度で測られているわけでありますから、優秀だと評価される人間、駄目だというふうにレッテルを張られる人間は日本じゅうでみんな同じになっちゃう、どこでも同じタイプの人が偉いと言われ、どこでも同じタイプの人が駄目だと言われるという、非常にまあ恐ろしい社会が下手をすればこの先にぶら下がっているのかもしれない、そういうところは最近私は非常に強く懸念を持つところでありますが、競争が激しくなれば多様な独自性が前面に出てくる、競争激化は多様な社会を生むというふうにまあ直観的には思うんですが、実はこの競争が均一化を生みそうなちょっと怖い感じというのを感じる今日このごろでございます。  というわけで、競争は平等と格差を、このせめぎ合いを相克させ、同じく均一化と多様化を相克させるということでありますが、それで綱引きその二、その三と参りました。  最後に綱引きその四ですが、これは融和対排除の綱引き。これはこのグローバル時代というものが持っている非常に大きな大問題であるというふうに私は思います。  融和と排除をせめぎ合わせる要因は何かといえば、これは融合ということでございます。フュージョンする、この相互浸透度が高まると。この融合という言葉は、これは正にグローバル化グローバル時代を一言で言い表すならば、それは正に融合ということだと思います。人、物、金が国境に制約されず世界じゅうを飛び回る。日本経済中国経済が非常に一体度を高める。これはみんな融合という言葉で言い表される現象でございますが、ところがこの融合というやつは、一見融合と融和というのは似ているような気がいたしますが、おのずと融合が融和につながるとは限りません。むしろ、仲があんまり親しくなかったときには見えないあらというものが、お互いにどんどん仲良しになってくればくるほど見えてくるということは世の中に多々ございます。企業同士でも、取引先という関係で付き合っている限りにはとても友好的に付き合えても、これが合併したということになると、途端にお互いに物を言わなくなって、いろんなシステム上の問題も出てきちゃったりするとかということがあるわけでございます。  人間のさがというのはそういうもので、例えば東西ドイツを見るとそれが一番典型的に出ていると思いますが、壁があった間は東ドイツと西ドイツの人々は本当にお互いに支え合う、西側に逃げて来る人は命を懸けて、この東側の逃げてくる人を命を懸けて西側の人は支えるということをやっていたわけですが、今や壁のない、壁なき統一ドイツとなってくるとどういうことが起こっているかというと、西ドイツ側の人たちはこの東ドイツの人たちのためにもう統一後十五年もたっているのにまだ補助金を出してあげなくちゃいけないのかと、あいつらのために我々が額に汗して稼ぎ出したものがみんな持っていかれるというふうに、東側の人たちはもう統一後十五年もたっているのにまだ西側の人たちは我々を二流市民扱いすると。もう今度壁を立ててもらうんだったら、もっと高くて、もっと厚くて壊れにくいやつにしてほしいというようなことを言うということになるわけです。  これはもう正に融合が融和ではなく排除の論理を生んでいる非常に端的な事例でございますが、こういうことがグローバル時代には大いに起こってくるでしょう。日本のこれからにとって、この問題にどう対応するかは非常に大きいと思います。  関さん御指摘のような、いい補完関係で融合が日中経済は進んでいくわけですが、ところがそのことが政治的に融和をもたらすと保証されているかどうかはちょっと非常に難しいところであるということは、皆様の方が私なぞよりもよく御存じのところでございます。とりわけ、中国、そしてその他の東アジア経済との間で相互浸透度、融合度が高まっていくことは間違いないことでございますので、そういう経済的な融合度の高まりが政治的排除の論理を生まないようにするという工夫、これは非常にこれから大きく問われていくところだろうというふうに思う次第でございます。  そういうことも含めて、じゃ日本はこれからどうするかというところでありますが、この綱引き問題に対する勘どころ、これは、外に向かっては融和、そして内に向かっては多様化であるというふうに私は思います。  外に向かっては、この融合が排除の方向ではなくて融和の方向に向かう、なかんずくアジア地域においてそういう方向に向かっていくことを目指すべしということであります。そういう意味で、この外に向かっての融和というのは、言い換えれば日本経済のアジア化だというふうに言ってもよろしいと思います。  それに対して、内に向かっては多様化。これは、やはりこの統一基準下の競争でどんどんどんどん画一化するという、そういうような社会に、やはり経済社会に活力はございませんので、ある意味では戦後の日本経済過程の中で意図的に抑圧していた日本の内なる多様性、地域間のこの多様な独自性、それぞれの地域の多様な独自性といったようなものが前面に出てくる格好に持っていくということ、それが一つ大きなキーポイントになっていくだろうと思います。そういう意味で、内に向かっての多様化は内に向かっての日本経済のローカル化というふうに言い換えてもよろしいかと思います。  日本経済の外に向かってのアジア化と内に向かってのローカル化、この二つを気合いを入れて推進していただくというのがこれからの政策の大きな課題であるというふうに思いますし、それともう一つ非常に重要な課題になってくると思われるのが、平等対格差の綱引きの中で、今までの日本の民間というのは、民ができることは民がやるという話はありますが、今までの日本の民間は、民がやるべきことをやっているのは、ずっと一生懸命やってきたことはもとよりですが、それと同時に官がやるべきことさえも民がやってきたという面が多分にあると思います。年功序列とか終身雇用とか護送船団方式とかすみ分けというのはみんなそうです。落ちこぼれをつくらない、落ちこぼれ対応、これこそ政策のテーマであり、公共福祉サービスのテーマであるわけですが、そういう官的、公的ものさえ今までの日本日本のこの中でやっていたと。小野さんが冒頭に言われていました余りグローバル化していないときの日本では民に官的役割をするゆとりがあったわけでありますけれども、それが今やなくなったというところで、そういう意味で今は非常にこの官の出番という部分が大きい。しかも、それを小さな政府を目指しながらこの官的サービスの充実を進めなければいけないということですから、これは非常に難しい課題でありますが、これを外へ向かってのアジア化と内に向かってのローカル化と同時に追求していただくということが、この日本経済グローバル化への対応の中のどうも勘どころなのではないかというふうに思う次第でございます。  どうもありがとうございました。
  8. 広中和歌子

    会長広中和歌子君) どうもありがとうございました。  これより参考人に対する質疑を行います。  本日の質疑はあらかじめ質疑者を定めずに行いますので、質疑を希望される方は、挙手の上、会長の指名を待って着席のまま御発言くださいますようお願い申し上げます。  なお、午後四時ごろに質疑を終了する予定となっておりますので、一回当たりの質問時間は三分以内でお願いいたします。また、できるだけ多くの委員が発言の機会を得られますよう質疑、答弁ともに簡潔に行っていただきますよう、皆様方の御協力をお願いいたします。  それでは、質疑のある方の挙手をお願いいたします。  小泉昭男さん。
  9. 小泉昭男

    ○小泉昭男君 小野先生、関先生、浜先生、大変こう私どもにはすべて理解できないような深い内容のお話でございまして、素人っぽい質問で大変恐縮でございますが、二、三教えていただきたいなと、こういうふうに思います。  最初に、小野先生。資料を拝見しただけではなかなか奥が深過ぎる部分があるんですけれども、端的に申し上げまして、これから日本の消費量、全体的な消費量はどうなっていくんだろうかと。また、日本は人口減少時代にもう入っているという、まあこういう認識でいるんですけれども、これから更にそれが加速していった場合の市場の行き先はどうなっていくんだろうかと。今、市場原理主義ということが声高に言われるような嫌いがございますけれども、この市場原理主義というのが日本に本当になじむのかどうか。この点を小野先生にちょっとお伺いしたいと、こういうふうに思います。  次に、関先生でございますけれども、これから世界の人口がどういうふうに変化していくか。ある意味では人口移動という形に言われるかもしれませんけれども、人口がその国々によって大分増減、変化が大きくなってくると思うんですね。  この中で、先ほどのお話では、自動車産業というのはやはり世界の中でかなり大きなウエートを占めているということを伺いました。最近のニュースでは、アメリカのあるメーカーが電気自動車をもう日本に売り込むんだという動きが出ているようでありまして、電気自動車がもし普及を始めるということになれば、ミッションもミッションオイルもエンジンオイルもエンジンももちろん要らなくなってしまう。自動車産業自体が、例えば大手の自動車産業が支えている部分、そのシェアは、その自動車全体の中のエンジンだとかそういう部分の二〇%程度と聞いていますけれども、これからこの自動車産業がそういうエンジンだとかそういうものの変化が来た場合に果たして経済の牽引力をそのまま維持できるのかどうか。こんなことが心配でございますので、日本が空洞化しないための方策として御意見を伺いたいと思います。  それから、浜先生、先ほどからのお話の中で、まあ綱引きの時代、私は綱引きというのはやはりタイミングだと思うんですね。これはもう経済もタイミングだと思っていますから、ただ力だけで引っ張り合ってもなかなか結論は出ない。こういう中で、今綱引きの一番材料になっているのはエネルギーの争奪作戦だと思うんですね。中国がどんどんエネルギーを必要としていること、日本が最低限確保しなきゃいけないもの、そういう中でどの辺のところが勘どころなのかということですね。それと、これから基準というものが、果たして今までの感覚の中で進めていかれるような基準でいいものかどうか、基準を決める基準をどういうふうに決めるのか、そんなことをちょっと思い当たりました。  それと、私は元来、持論でありますけれども、不公平は公平であり、不平等は平等だと思っています。これは、平等だと言いながら、茶わんを持てないような人に茶わんを持たせるようなことはしてはならないと思っているんですね。そういう意味日本経済を担当する各企業産業がこれからどういうふうな役割分担をしていくのか、これが大きなポイントだと思っておりますので、大ざっぱな質問で恐縮でございますが、手短に教えていただければと思います。  以上です。
  10. 広中和歌子

    会長広中和歌子君) それでは、小野参考人からお願いいたします。
  11. 小野善康

    参考人小野善康君) 一番最初の御質問は、日本資本市場がどうなのかということでしょうか。
  12. 小泉昭男

    ○小泉昭男君 そういうことです。
  13. 小野善康

    参考人小野善康君) その御質問は非常に大きな質問で、それをどういうふうにお答えするかということなんですが、こういうふうにとらえ、例えば株式市場がバブル期なんかに比べてどんどん小さくなっていて、ようやく今だんだん戻りつつあるというような視点で、世界資金がどうなるかというような、そういう視点でもし御質問をしてくださっているとすれば、私はどんどん良くなっていくと思います、実は。  それで、ちょっと今日の話とは外れるかもしれませんが、大きな経済循環というのを前から私は主張していまして、それが大体、アメリカ経済見ても日本経済見ても、いろいろな例外事項あるんですが、大体四十年ぐらいの周期で動いていると。それで、そもそも今回の不況が起こったときから、私は、十七年ぐらいしたらまた日本は良くなってくるぞと、それまでは幾ら騒いでも駄目だぞと言っていたんですが、まあそういう記事も書いたんですけど、実際にそうなっていると思って見ています。  だから、私は、まあ極論すればですね、十五年後に日本がまたバブル的な状況になって、ほら見ろ、日本世界一だと言っていてもちっとも驚かないというのは私の実は見方です。それは、経済の循環を楽観、資本市場に対する楽観が支配するかどうかで決まっていて、今回、まあこんな例を出していいかどうか分かりませんが、今ホリエモン事件というのが大騒ぎしていますけど、あれは言わばそういう資本市場に対するみんなの期待感が堀江さんという形を取って現れたんで、これは次のそのいわゆる資本市場のエクスパンションの先駆けじゃないかというふうに、まあいいかどうか別として思っています。  それから、二番目の人口減少についてですが、私は、人口減少が問題だということが大半で議論されて、当然のごとく言われていて、かつ政策もそうなっていますが、何で問題なのかちっとも分からないというのが気持ちであります。これは私の大学の同僚の経済学者と話していても、人口減少を問題にするというのはどういうことなんだろうと、さっぱり分からぬとみんな言っていまして、それはどういうことかというと、大国になって、おれは、日本という国は世界ですごい力を発揮するんだというような、そういう、何と言ったらいいんでしょう、オリンピック的な意味では問題かもしれない。だけど、個々の国民の福祉というか幸せというか、そういう意味でいえば、私は人口は多過ぎるぐらいだと。少なくなってきたパーキャピタルの幸せ度というのはかえって下がって効果は上がると思います。それで、下がっていく間の調整の問題がありますけれども、その調整だけの問題だろうというふうに思います。  以前、ある番組で面白かったのですが、何か南米移民かなんかの話で、それはコンテクストは全然別なんですが、そのとき日本は何と言っていたかというと、九千万人に人口なったと、こうなると日本人はあふれて海から落ちると、だから海外に行けといって日本政府はさんざん南米移住を進めたと。それが今や一億何千万もいて、足らぬ、足らぬと言っていると。こんなめちゃくちゃな話あるでしょうかというのが私の、つまり非常に政治的スローガンだけになっているという気がします。もっと言えば、年金制度という後付けの制度を維持するためだけに本質的な人口という問題を持ってきたと。これは本末転倒の典型だと思います。  それから三番目、市場原理主義に日本はなじむかという意味合いですが、十分になじむと思います。今まで私は、参議院でも呼んでいただいたことあるんですが、いわゆる市場原理主義でその構造改革を進めてどんどんやればいいというのにはずっと反対してきて、実は私は今でも反対なんですけど、何でじゃ、それで市場原理主義で十分なじむかというと、限られた意味で、つまり本当に働ける場を、働く場をもらった人たちが、あるいはもらった企業が、その市場というルールの場で戦えるかといったら、十分に戦えて、大いに戦っていただきたい。  問題は、そこからあふれた人たちをどうするかという問題です。先ほど、不平等と不公平というのは私に対する質問ではなかったんですが、非常に関係あるんでちょっとだけ申し上げると、市場原理を徹底する新古典派経済学でも、全員働けるという前提の上で市場原理を遂行するということなんですね。  だから、お金を、まず駄目になった人にお金を渡しましょう、補助金を渡しましょうじゃなくて、ちゃんと働ける場をつくって、その後は戦ってくださいと、そういう、その後の市場原理は大いにやっていただきたいというのが私の意見なんです。
  14. 広中和歌子

    会長広中和歌子君) ありがとうございました。  では、関参考人
  15. 関志雄

    参考人関志雄君) 私がいただいた質問は、日本自動車産業はこれからはどうなるのか、今のこのスクリーンにある図に沿ってコメントしたいと思います。  小泉さんの心配は、日本始め先進国の市場が、もう人口は増えないということを理由に、それ以上売れないんじゃないかということなんですね。ただ、今、世界全体で見ると、先進国だけではなく、中国を始め、最近BRICsと呼ばれる国々が非常に高成長を遂げているということで、世界全体から見ると、自動車市場は必ずしも低迷するとは限らないですね。  日本から見ると、どうしても一番近い中国への期待が大きいではないかと思います。そのときに、中国で自動車を売ろうと思うと、どういうわけか、今、日本の自動車メーカーの発想は、どうしても現地生産、現地販売にこだわっているようなんですね。さっきも申し上げましたように。本当の理由は公の場では皆さんおっしゃらないんですが、実は中国の輸入関税が高いからなんですね。WTO加盟前は一〇〇%のところ、その後下がってきたとはいえ、今年じゅう二五%まで下がり止まるということになっています。この壁を乗り越えるためにどうしても現地生産に切り替えざるを得ないというのが今の状況ではないかと思います。  しかし、中国の賃金水準は日本の二十分の一だからといって、何でも日本より安くつくれるわけではありません。これは正に、さっき小野先生が説明した比較優位の原則なんですね。実際、今の中国の自動車の小売販売価格はおおむね日本より三〇%ほど高くなっている。その理由は、関税が高いから守られて下げる必要ないということもさることながら、生産コストの面で見ても、依然として日本より高く付くということになっています。  なぜ賃金が安いのに日本より安くつくれないのかと聞かれるんですが、一つは、自動車は決して労働集約産業ではないので、賃金が安くても、インフラとかいろいろなほかの部分を合わせて考えれば高く付くんですね。もう一つは、規模の経済性、日本の場合は同じ屋根の下で五十万台作ったりするんですが、中国の場合は五万台もあれば既に最大手になるんですね。トヨタの場合は、ジャスト・イン・タイムといって、すべての部品メーカーをその周辺に、自分の周辺に固まってサプライチェーン管理は非常に厳密に行われているんですが、中国の場合は、まだ大半の部品は日本又はほかの国から輸入しなければならないということですので、トヨタでも中国での生産はジャスト・イン・タイムのシステムは機能しないという理由に、非常に高く付くというのが現状ではないかと。  アメリカのマーケットにおいても、今はGMの経営が非常に困難になっているとかいうことも分かるように、実は日本の自動車メーカーの国際競争力は現段階においては依然として非常に強いということですね。日本はどういう産業を大事にしなければならないのかと、さっき申し上げましたように、決して衰退産業ではなく、やはり自分の得意分野を大事にしておくべきではないかと。五年、十年のタイムスパンで考えても、中国自動車産業日本競争できるとは私はとても思いません。  最近、中国も一部自動車を輸出するとかしたいとか、そういう議論は新聞で書かれているんですが、必ずしもそんな単純ではないですね。まあ、生産コストがまだ同じ品質であれば割高になっているということに加えて、先進国のマーケットに入ろうと思うと、安全基準、環境基準など、アフターサービス、まだ乗り越えなければならないというハードルは非常に大きいと。国際市場において中国の自動車と競争しなければならないというのは、五年、十年のタイムスパンで考えたら来ないだろうと。  中国自身の事情に立って考えれば、将来的にもし日本と同じように同じ屋根の下で五十万台作るようになれば、ひょっとしたらそういう日は来るかもしれません。しかし、その場合、また小野先生の理論のとおり、自動車だけ年間数百万台輸出するということになると、中国の通貨である人民元は必ず七〇年代以降の円と同じように高くなります。そうなると、これまで国際競争力を持つ労働集約産業は駄目になります。国際的に競争できなくなります。これは、正に比較優位の原理というのは、すべての業種において同時に国際競争力を持つことはできないと。  日本は非常に幸せに、七〇年代のときには既に完全雇用状況になって、自動車が強くなったらそのまま産業が高度化しましたけれども、中国はいまだ農村部では一億五千万人の労働力が余っていると。もし、自動車だけ独り勝ちという状況になれば、いかにこの広い、たくさんの労働者、余っている労働者に仕事を与えるという仕事はますます難しくなっていると。これは正に中国経済が今直面している大きいジレンマ、産業の高度化と雇用の矛盾というのも一つの大きいジレンマではないかと言っています。御参考まで。
  16. 広中和歌子

    会長広中和歌子君) ありがとうございました。  では、浜参考人、お願いします。
  17. 浜矩子

    参考人(浜矩子君) ありがとうございます。  私には三つ質問をちょうだいしましたが、まずエネルギーのお話からまいりますと、エネルギー争奪の綱引きはどうなのかということですが、この分野というのは、私は、ここについてはともかく綱引きを回避する、争奪戦とならないというところが正に勘どころであるというふうに思いますね。  ちなみに、EU、統合欧州というのがありますが、私は特にあのEUがうまくいっているというふうには思いませんけれども、ぐっとさかのぼって、なぜ欧州統合を彼らが目指したかというと、これはドイツ、フランスが戦争を二度と再びしないためでありますけれども、そのための手段として彼らが第一歩のところで選んだのが石炭と鉄鋼というこの資源を、そして基礎素材を共同管理するというところから欧州諸国の、当時は六か国ですが、の共同管理の下に置くというところからこの恒久和平のための統合欧州というのを目指したわけでありまして、それは裏を返せば、こういうエネルギーとか基礎資材とかいったようなところで争奪戦をやると、これは容易に血で血を洗う戦争になっちゃうということであるわけでございますので、ここをどう、そういう形ではない、それこそエネルギーの共同管理、例えば共通エネルギー政策というようなものを、今盛んに議論されている東アジア共同体というようなものの一つの核にするというようなことを考えてみたらどんなもんだろうかなというようなことを、まあ私としてはちょっと今の御質問を受けて非常に強く思ったところでございます。それが第一点ですね。  次に、この基準を決めるための基準という非常に面白い御質問をいただきましたが、御質問の趣旨を正しく理解しているかどうかというところはありますが、私は、今のこのグローバル時代という時代は、実は基準を決めるための基準を決められない時代なんではないかなというふうに思っております。  正に、多様なものがひしめき合う、そしてだれもがみんなバッテリー依存症でありますから、これが統一基準だよというふうに自信を持って言えるような存在がない。みんな言ってみればドングリの背比べで、みんなどこかに弱さを持つ者がもたれ合っている、弱者の共済組合みたいな世界でございますから、なかなか統一基準というものが出てきにくい。  その中で、どうやってうまく融合し、融和していくかと、こういう知恵が非常に求められる世界であって、昨日の統一基準はもう今日は通用しないということにもなるような状況に当面していかなければいけないと、こういうことなんではなかろうかなと思います。  それから、不平等は平等、平等は不平等と、これも本当におっしゃるとおりであると思います。  悪平等を強いるということは物すごく不平等をもたらすというような面、これがこの格差の時代には非常に鮮烈な形で表面に出てくることになると思いますが、この問題を回避するときのやっぱり勘どころというのは、これは事前保護というスタイルで物事をやっていくのか、事後救済という形で対応をするのかという多分問題に還元することができるんじゃないかなと思います。  この、日本のこれまでの経済社会の在り方というのは、非常に事前保護だったわけですね。みんなを平等にするということのために、言わば救済を必要とする弱者が出ないように事前に保護の網を掛けるというやり方で、そのことが結果的に結構あしき平等を生んでいたりしたということだと思いますが、それをこれからは、そして民が官的役割をしていたというのは正に事前保護だったと思いますが、それができなくなって落ちこぼれるものが出てくるときには、それらをどうやって事後的に救済するかと、ここのところにきちんと意識を集中していくということで、要するに不平等は避けられない、そして落ちこぼれてくるものも避けられない、それを落ちこぼれたところできちんと支えると、そういう政策の事後救済的な役割がきちんとするということ、脱事前保護、そして事後救済を元の方向にかじを切り替えるということで、御指摘のような、これもまた一つの綱引きでありますけれども、ここを回避してくる知恵が出てくるんじゃないのかなというふうに思います。
  18. 小泉昭男

    ○小泉昭男君 ありがとうございます。
  19. 広中和歌子

    会長広中和歌子君) ありがとうございます。  次、井上哲士さん、お願いします。
  20. 井上哲士

    ○井上哲士君 日本共産党の井上哲士です。  会長、理事の皆さんの御配慮で早めにさしていただきましてありがとうございます。  三人の参考人に大変興味深いお話を伺いました。  まず、小野参考人にお伺いをいたします。  国民生活を豊かにして需要を刺激することが円安をつくり出し、日本経済を強くしていくというお話、大変興味深くお聞きをいたしました。今、この間の日本経済運営のやり方を見ておりますと、むしろ自動車産業など特定の強い競争力を持つところをより応援をする。そうすれば、やがて中小企業国民にもその成果が滴り落ちてくるということではなかったかと思うんですね。ですから、そのためにはリストラなども大いに応援をするというやり方が行われたと思います。  私どもは、そういう形をすれば、逆に国民雇用や暮らしが悪化をすれば需要も狭くなって不況という悪循環に陥るんじゃないかということも指摘をしてきたんですが、小野先生のレジュメを見ますと、このリストラと国際競争力ということも項目にあるんですが、先ほど時間の関係でこの点お話がなかったようですので、今のような問題意識でこの辺の話をもう少ししていただいたらどうかということが、まず小野参考人です。  それから、関参考人なんですけれども、今日のお話には直接なかったんですが、事前にいただいた資料などで、いわゆる格差、中国における格差是正ということが大変中国政府の今一大関心事だということも書いてあります。  私ども見ていますと、中国の確かに格差の拡大というのは大変大きいわけですが、底上げはしつつ、全体の、上はもっと先に行っているという格差の広がりかなと思うんですね。日本など今見ていますと、上は更に上、そして厳しいところが更にもっと下がるという、そういう上下の拡大みたいなのが起きているんじゃないかと私ども思うんですが、まあ、中国日本経済発展の水準の違いなどもあると思うんですが、両国で起きているこの格差問題の共通点と違いをどのように見ていらっしゃるのか。そして、中国におけるこの格差是正ということが中国経済日本との経済関係においてどういう影響を今後及ぼすとお考えか。この点お聞きをしたいと思います。  以上です。
  21. 広中和歌子

    会長広中和歌子君) まず、小野参考人
  22. 小野善康

    参考人小野善康君) 御質問ありがとうございます。  今のポイントであるリストラと不況ですね、それとの関係、国際経済のコンテクストでどうかということについてお答えしますけれども、リストラはどういう効果を導き出したかというと、先ほどお見せしたグラフでも明らかなんですが、円高をつくっているわけですね。それは簡単でありまして、リストラというのは結局少ない人数で効率良くつくるということですから、当然世界マーケットで同じ交換レートだったら勝ってくるわけですけれども、そうすると黒字がたまってくる。実際に黒字がたまってきたわけです。それで円高がどんどん進行した。円高が進行すると、そうすると、結局日本経済、実はリストラした分だけ負けてしまう。リストラした分だけ円高が進行して、実はせっかくコストを下げたのに、その分は国際マーケットでは同じ値段になってしまう。それで終わりならばリストラしても一緒じゃないかで終わるんですが、それだけじゃないと。なぜかというと、リストラをするということは失業が増えるということです。だから、失業が増えるから今まで以上に国民が輸入しなくなっちゃうので、先ほど言った黒字か赤字かという意味で言えば、黒字がまだ残っていると。すなわち、今までよりも少ない人数しか雇わないわけですから、黒字がまだ残っちゃうと。そうすると、もっと円高が進む。実際にリストラすればするほど、どんどん円高が進んだというのは歴史が示しているわけです。  そのように、企業としては当然海外との戦いで負けるので、現在の円レートだったら、じゃリストラして勝たなきゃというのは自然な反応なんですけれども、やればやるほど円高になっちゃう。実際、企業の不満としては、一生懸命やっているのに円高がひどいからというのが出るんだけど、それは実は自分でつくり出した円高だということなんですね。  一番企業にとって理想的なのは、ほかの企業は一切リストラしない、自分だけリストラする、これが最高です。こうやると、円高は行かないで、自分だけコストが下がるんで勝つわけです。それは、まああえて言えば日産のゴーン改革がそういうものだったと言ってもいいかもしれない。つまり、一生懸命、ほかのことは考えないで自分企業のリストラをすればいいんですね。だけど、これを日本じゅうでやるシナリオだと円高が進む。現にそれが起こったというのが、小泉改革と円高と不況がひどくなった、その三点セットだったと思います。  じゃ、最近はどうかといったら、株価は回復してきた。株価が回復してきたから、皆さん豊かになって物を買うようになってきた。それが円安、現に持ってきているわけです、今百十七円まで行ってますね。それで、また勝ってくるわけです。そうすると、おれは努力したから勝ったんだと企業は思っているんだけど、実はそういう背景にあるマーケットがそういうメカニズムで動いている、そういうことになると思います。  一点だけ加えたいのは、国民の需要を増やすと私簡単に言ったんですが、これは大変なことです。それで、単に貧しい人にお金を回したら、じゃ需要は増えるか。そんな単純なものじゃない。なぜかといえば、お金回すとすると、どっかから取ってこなきゃいけないわけですから。百万円渡すためには百万円取ってくるから、百万円もらった人が増やせば、百万円取られた人は減らすわけですね。合計すれば絶対に変わらない。  だから、その意味では、単にお金を回すだけじゃどうしようもないわけです。それだから、何か新しいものをやっぱりつくるようなものということがあるんで、まあ、具体的には私は環境関係だと思うんですけど、まあ今はちょっと御質問の範囲から外れるので、ここでやめておきます。
  23. 関志雄

    参考人関志雄君) 中国日本の所得格差の問題の比較について、私の考え方を述べさせていただきます。  ある程度の格差はいいことなんですね。みんなやる気が出てくると。改革・開放前の計画経済時代中国は、いわゆる頑張っても頑張らなくても給料は一緒であったと。だから、みんな頑張らなかったんですね。経済発展も非常に低迷して、挫折した時期ありました。その後は、逆に効率を優先という形で、そのおかげで中国は毎年一〇%に近い成長を遂げてきたわけなんですね。ただ、格差もある程度を超えると、幾ら頑張ってもお金持ちにならない、この格差は小さくならないということになると、今度はあきらめが出てきていろいろな問題が発生すると。中国はもう既にこういう臨界点に来ているんじゃないのかなと思います。  日本と比べて、中国人はある意味では、こういう言い方にはちょっと語弊あるんですが、最も社会主義に似合わない人種なんですね。ある意味では、格差には非常に寛容度が高いと。日本は逆なんですね。実際、今、下流社会とか、日本国内で格差の問題はいろいろ議論されているんですが、地域の観点から比較して、中国の一番豊かな上海と一番遅れている貴州省の一人当たりGDPは十対一です、十対一。日本の東京と沖縄と比較したら二対一なんですね。だから、まだけた外れるくらいほど中国の方が深刻な問題になっていると。  その意味で、胡錦濤、温家宝政権になってから、調和の取れた社会だとか、全面的な小康社会の建設とか、正にトウ小平が今まで提唱してきた先富論、先に豊かになれるところはどんどんなっていいような政策を改めて、公平をも重視するような形に変わってきています。  そのときに参考になる国はどこかといったら、私は間違いなく、まあ言い方またおかしいんですが、唯一成功した社会主義国である日本の経験ではないかと思います。  そのところは私は常に、地域格差という観点から、三つの政策が重要じゃないかと考えています。  一つ目は、国内版FTA、自由貿易協定。中国は国が大きいので、省と省の間にはまだ人、物、金の流れは十分ではないと。いろいろな制約を受けているんですね。特に戸籍の問題もあって、農村部で生まれたら自由に上海に出稼ぎに行けるわけではない。これを改めなければならない。これ調べてみると、日本は明治憲法の中では既にこの労働力の移動が保証されるということになっています。その辺は日本中国より百年以上進んでいるということになります。  二番目は、国内版の雁行形態といって、雁行形態は本来、日本の古い産業を東南アジアの国々に持っていき、中国に持っていくというのが雁行形態なんですが、国内版という意味は、上海でやっていけなくなった産業は、できるだけベトナムとかインドネシアには持っていかないで中国の内陸部に持っていくべきではないかと。この産業の分散によって、しかも比較優位に沿った形の分散なんですが、工業化が全国規模に広がっていくと。  三番目は、国内版のODAといって、海外から援助をもらうんじゃなくて、豊かになった上海とか沿海地域から援助をもらうべきではないかと。これは正に日本の地方交付税という制度なんですね。この辺は中国にとって非常に参考になるんじゃないのかなと。  この格差の問題がもしうまく解決できなかったら何が問題が起こるかといったら、言うまでもなく、中国経済中国社会、中国の政治全体が不安定化になるというリスクはあります。中国日本にとって永遠の隣人ですので、中国が不安になれば日本にとってもマイナスの影響は出てくるでしょうと。  マクロ経済の面でいうと、地域格差が大きいゆえに、一部のぜいたく製品だけは非常に売れているんだけれども、全体で見ると中国の消費が農村部も含めて考えれば低迷しているんですね。低迷しているから、作ったものはどんどん海外に輸出しなければならない、いろいろな形で貿易摩擦が起こっていると。だから、外需依存型成長から内需依存型成長に切り替えるためには、この地域格差の是正がその前提条件になっていると。
  24. 広中和歌子

    会長広中和歌子君) ありがとうございました。  それでは、次の質問者、伊藤基隆さん。
  25. 伊藤基隆

    ○伊藤基隆君 民主党・新緑風会の伊藤基隆です。  三人の参考人皆さんには大変ありがとうございました、非常に明快な分析と予見をお聞かせいただきまして。  質問は、やや部分的なところから総括的な話に迫りたいと思いますが、まず、三人の参考人の方々にグローバルスタンダードについてお伺いしたいと思います。  我が国では、アメリカの制度や仕組み、規格等を安易にグローバルスタンダードとして受け止める傾向があるように思います。グローバルスタンダードではなくてアメリカンスタンダードではないかと思います。  グローバルスタンダードを獲得するためのハリウッドの映像ソフト業界を巻き込んだ次世代DVDの規格争い、アメリカンスタンダードを押し付けられてはたまらないと日本が強く反発していますが、米国産牛肉輸入再開問題は分かりやすい例ではないかというふうに思っています。  昨年の郵政民営化法案の審議の中で明らかになったことですが、宮澤内閣当時の日米包括協議以来この十年余りの間、アメリカ日本に対して規制改革と競争政策アメリカ政府の年次要望書に基づいて具体的な規制緩和、構造改革を求めてまいりました。金融、保険の規制緩和要求が郵政事業の民営化に発展するわけですが、競争政策や手続の透明性を求める中から、他の分野でも独占禁止法や商法の改正、会計基準や司法改革に至るまで、果てはパブリックコメントを求めるというような政策決定の方法までアメリカへの制度改革を求められ、この多くを日本が受け入れて実施するようになっているのが現状であります。  グローバル化グローバルスタンダードはコインの裏表の関係であると思いますが、グローバルスタンダードをどのようにとらえるべきか、お考えをお聞かせいただきたいと思います。  実は、我が調査会が前回の検討したテーマは、経済的格差の拡大の問題でありました。アメリカはクリントン政権の末期、一九九七年だったと思いますが、政府経済報告で、アメリカ社会が経済的格差が拡大しているということを言いまして、クリントンは、我が国はかつて国が豊かになるときは国民全体が豊かになったけれども、今や国が豊かになってもより豊かな者とより貧しき者に二極分化していると、で、経済政策の転換を示唆したんですが、その後、実際やろうと思ったかどうか分かりませんけれども選挙で、大統領選挙で負けているわけです。  ただ、クリントンは政権の前期において、というかITに、IT関係におけるアメリカンスタンダードをグローバルスタンダード化しようとしたと。特に、対日本的にそのことが強かったんじゃないかと思いますし、その後期、第二期目においては、金融システムのアメリカンスタンダードのグローバルスタンダード化を図ったんではないかと。  したがって、グローバル化ということも、グローバルスタンダードということを考えるときに、アメリカがデタント以来の世界に対する戦略的な立場からそのことを、アメリカをより世界の中で強くするためにやってきたんではないかというふうに私は思っています。  そこで、そのグローバルスタンダードをどのようにとらえるべきか、お考えをお聞かせいただきたいわけですが、特に浜参考人には、文化面でも非常に独自な、独自性を主張していると思われるEU諸国ではどのようにとらえられているんだろうか。また、関参考人には、中国ではどうだろうかと。日本の受け止め方とは異なった部分があるのではないかと思いますが、これを含めて伺いたいと思います。  また、関さんが、日中、日本中国関係について述べられまして、それは非常に明快な分析で私もよく分かったんですが、中米という視点も同じくとらえるべきじゃないかというふうに思うのはこのグローバルスタンダード化の問題であります。  さらに、小野参考人に、資本蓄積と資産蓄積についてお伺いいたします。  前段の、いただきました資料などをいろいろ読みましたが、お話をお伺いしても、GDPは伸びないとしても、海外で上げる所得を含めたGNPが伸びれば国民は豊かになる、投資のための資産が重要ということであろうかというふうに思います。  先日、財務省が発表した昨年二〇〇五年の国際収支速報によりますと、直接投資や証券投資に伴う利子や配当金などの所得収支の黒字が物の取引である貿易収支の黒字を初めて上回りました。投資が主流となって豊かさを求める時代変化しつつあるということだと思います。  ただ、投資による豊かさは広く国民に行き渡るものではなくて、所得、資産の、先ほどテーマ、前回のテーマだった経済的格差を拡大する方向に働くのではないかと危惧するところであります。所得の再配分問題がより重要になってくるのではないかと考えるところです。所得収支拡大の傾向が強まるとすれば、将来の所得の再配分の在り方についてどのようにお考えになっておりましょうか。  さらに、関参考人にお伺いします。  今、今日、中国日本との関係についての分析をお伺いしましたが、中国経済を論じる上で重要なことは、一中華人民共和国だけを見るのではなくて、まあ一というほど、もう大変大きな国ですが、そういうことでなくて、香港、台湾、それにシンガポールやその他の地域の華僑経済も含めた中国語を共通語とする大中華圏、グレーターチャイナという視点を忘れてはいけないという意見があります。  昨年、貿易量は日中貿易日米貿易を上回りました。また、米中貿易と米日貿易も逆転した現状から将来を見据えれば、大中華圏が確実な成長を遂げ、アジア地域でやがては日本と肩を並べるまでに経済力を持つことも容易に推定できるところであります。  東アジアやASEAN、東南アジア諸国への中国影響力が強まる中で、中国とこれらの諸国との経済的な連携協力関係はどのようになるとお考えでしょうか。また、こうしたアジア地域の大きな変化の中で我が国がどう対応すべきか、お考えでしょうか。  さらに、先ほどスマイルカーブのお話や、さらには工場か市場かということをお伺いしましたが、中国に多くの日本企業が進出しております。大企業はともかく、中小企業の中には思うような結果を得られずに撤退する例も多いと聞いております。日中双方に問題があるとは思いますが、日本の進出企業側、中国の投資環境等、お気付きの解決すべき点あるいは取り組むべき問題点がありましたらお述べいただきたいと思います。  以上です。
  26. 広中和歌子

    会長広中和歌子君) どうもありがとうございました。  それじゃ、浜参考人からお願いいたします。
  27. 浜矩子

    参考人(浜矩子君) グローバルスタンダード問題ということですが、それと、EUにおいてこの問題がどうとらえられているかという二段構えの御質問だったかと思います。  まず、私としてこの問題をどうとらえるかというところから申し上げていきたいと思いますが、グローバル時代あるいはグローバル化は、すなわちグローバルスタンダードへの収れんを意味する。そういう意味で、グローバル化グローバルスタンダードとはコインの裏表という御指摘もありましたけれども、これを必ずしもコインの裏表ととらえる必要はない、あるいは、そうとらえてしまうと、言ってみればアメリカの術中にはまるということではないのかなとは私は思います。  グローバル化というのはグローバルスタンダードへの収れんであるどころか、むしろ非常に多様化の方向に物事を持っていくというふうに受け止めるのが私は正統的なところだというふうに思うんですね。グローバル化は、すなわちローカルスタンダード華やかなりし時代グローバル時代とはローカルスタンダード華やかなりし時代、もっと言えばマイスタンダード華やかなりし時代というのが今日的なとらえ方じゃないかなと思います。  先ほど無極化の時代だというふうに申し上げたのもそういうところであって、だれかがスタンダードを握る、だれかが世界に対して我こそは電源なりというふうに言える時代、これが直近ではパクス・アメリカーナの時代というのがそういう時代であり、パクス・ブリタニカ、パクス・ロマーナというふうに時代はさかのぼっていくわけですが、グローバル時代だということは、このパクス何がしという形で世界統一標準を制するものが存在しないということこそグローバル化という言葉の本質的な意味じゃないかというふうに思うんですね。  まあ早い話が、グローバル時代とは大競争時代であると、これは異論を差し挟む余地のないところだと思います。要するに、東西の陣営に分かれて引きこもっているということではないわけですから、メガ競争時代になっていることは間違いない。そうすると、競争がメガ競争である、競争が激しいということは何を意味するかといえば、これは、人が作っているのと同じものを作っていたのでは生き残れないと、それが競争が激しいということの意味であるというふうに思います。人が作っているのと同じものを作る、人が提供しているのと同じサービスを提供する、人が考えているのと同じことを考える、人が従っているのと同じスタンダードに従っていると、これでは大競争に勝ち抜いて生き残っていけるはずはないわけでありまして、したがって、グローバルスタンダードなるものに従おうとしなければしないほどグローバル時代には合致した生き方ができると、むしろこういうことじゃないのかなと私は思っています。  だから、それと真っ向から逆らうようなやり方をアメリカがする、まあだからパクス・アメリカーナ時代の幻想がまだ残っているのがこのアメリカアメリカが一番まあ時代後れの存在というふうな感じで考えてもよろしいのではなかろうかと、まあ夢よもう一度ということかもしれませんけれども。  そういう意味では、グローバルスタンダードが、ちなみに申し上げれば、このグローバルスタンダードというか、アメリカンスタンダードがすなわちグローバルスタンダードであった時代というのは過去において存在し、そしてその時代はもう大分前に終わっているというのが私は歴史認識として正しいと思います。  アメリカンスタンダードがグローバルスタンダードである時代、これはいつ始まっていつ終わったかというと、これは一九四七年の三月に始まって一九七一年の八月に終わったというふうに言ってよろしいと思います。一九四七年三月とは何の日であるかというと、これはIMFが業務を開始した日でございます。そして一九七一年八月、もっと正確に言えば一九七一年八月十五日でありますけれども、これはいわゆるニクソン・ショックの日、ドルが通貨の世界グローバルスタンダードでなくなった日、これがニクソン・ショックの日でございます。  この間は、その一九四七年三月から一九七一年八月までは、非常に本質的な意味合いにおいて、通貨関係という意味合いにおいてドルというアメリカンスタンダードがグローバルスタンダードであったというふうに言ってもよかったと思いますが、その時代はもう終わって久しいということであり、したがって、そういうような脈絡においても、グローバル化とはグローバルスタンダードへの収れんを意味しないし、いわんやアメリカンスタンダードへの収れんを意味するわけではないと、この辺が私としての基本認識でございます。  じゃ、ヨーロッパがこの辺をどう考えているかということでございますが、まあ端的に言えば、ここはもうすごく足並み千々に乱れ、思いも千々に乱れという感じだろうと思いますね。  雑駁に分ければ、グローバルスタンダード至上主義の一派、それからユーロピアンスタンダード構築すべし一派、そしてグローバルでもないヨーロッパでもない、コミュニティースタンダードを大事に抱き留めていこうとしている一派と、大体その三種類のタイプの人々に今のヨーロッパは大別されているというふうに言ってよろしいかと思いますね。  まあ、そこもまた非常に雑駁に言えば、グローバルスタンダード至上主義というのは、一にイギリス、そして二にポルトガル、三にスペインといったようなところぐらいですかね、アイルランドもまあそこに入れてもよろしいかというふうに思います。  ユーロピアンスタンダード構築すべしの急先鋒がフランスであり、しようがないからそれにドイツも付き合っていて、その辺の周辺諸国もしようがないから面従腹背的にそれに従っている。だけど、その面従腹背をしている例えばデンマークとかオランダとかベルギーとかルクセンブルグなぞの本音はやっぱりコミュニティースタンダードであるというふうに思います。  それはまあナショナルスタンダードというところもあるんですが、どっちかというと、そうですね、これはコミュニティースタンダードというのは地域共同体という意味でのコミュニティースタンダードなんですけれども、まあ民族スタンダードというふうに言ってもいいかもしれないと思いますね。イタリアとかベルギーとか、典型的にはイタリア、ベルギー、スペイン、まあドイツもそうですけれども、いろんな背景を持つ民族が無理やり一つの国民国家に押し込められているという側面がヨーロッパには多々あるわけで、本当のスタンダード、本当のマイスタンダードとはすなわち民族スタンダードでありコミュニティースタンダードであるという気持ちが非常に強い人たちは多いと思います。そういう気持ちというのが、かの欧州憲法条約というものの批准を拒否するというような行動に出てくるわけでありまして、どっちかといえば、そこが一番本質的にヨーロッパ的なところかもしれません。  この一番保守的なヨーロッパ的なところからどんどんどんどん遠ざかっていくがゆえに、このEUというもの、統合欧州というものは非常に困難な状況に当面しているということだと思うんですね。まあヨーロッパの魂を忘れれば忘れるほど統合欧州に近づくみたいな感じの、非常に複雑な力学がそこに働いている。その中でグローバルスタンダードなるものをめぐる評価や判断や考え方も非常に分かれていると、こういう構図かなというふうに思います。
  28. 広中和歌子

    会長広中和歌子君) どうもありがとうございました。  関参考人、お願いします。
  29. 関志雄

    参考人関志雄君) グローバルスタンダードについては、恐らく三つの要素がありまして、一つは経路依存、できてしまったものはなかなか変えられない。そのものは相当、まあ使い勝手いいといいますか、優れていると。三番目は、ある程度の規模の経済性が働くと。    〔会長退席、理事和田ひろ子君着席〕  この三つの中である程度中国は満足できるのは、この規模の経済性、国の人口が大きくてまあGDPもそれなりに大きくなっていると、政府の力で何かグローバルスタンダードを自分でつくろうと思うと、必ず成功するとは限らないと。むしろ、日本の経験を見れば、失敗例の方が多かったように思います。  つまり、国内スタンダードで終わってしまって外から見るとむしろ残されてしまうというリスクもありますので、その辺は中国はいろいろ考えているんだけれども、積極的にグローバルスタンダードの戦略を持っているかと聞かれると、現段階ではないのではないかと思います。  中国アメリカ関係について、日中関係と同じように、やはり先進国と途上国の関係という意味では補完関係にあると。だから、貿易を通じて又は直接投資を通じて、アメリカも相当な利益を得られているんじゃないかと思います。  昨年の中国の通商大臣の有名な言葉なんですが、アメリカのジャンボ機一機を買うためには中国は八億枚のシャツを輸出しなければならないということになっています。いかに中国の交易条件が悪いのかということが分かるかと思います。また、中国からアメリカへの輸出の相当の部分、恐らく半分以上は外国資本、中でもアメリカ資本の手によって行われているということもありまして、中国アメリカに対して大きい貿易黒字を出しているからといって、中国は得してアメリカは損しているという話にはならないと。これも、十分理解されているでしょうし、中国に進出している企業アメリカの国会とかでむしろ中国側の立場に立って発言したりするということもありますので、日中関係はこの貿易摩擦によって悪化するという心配はそんな要らないのではないのかなと思います。  中国と周辺の地域、特にグレーターチャイナに関しては、中でもやはり台湾との関係はそのかぎになるかと思います。日本のマスコミの報道を見ると、大陸と台湾の関係は常に非常に緊張していていつでも戦争起こっておかしくないような報道が非常に多いんですが、その原因は、やはり統一か独立かという形で、この二分の方で両岸関係を見ているからではないかと思います。真ん中の線を越えるとすぐ中国側は武力を行使すると。実はそうではなく、統一、現状維持、独立という三分の方で見なければならないんですね。その真ん中の現状維持というところは非常に幅が大きいということを考えれば、当分そのままの状況は維持されるんじゃないのかなと。  将来的にいずれ統一するということであれば、前提条件としては二つあります。一つは経済面の、特に生活水準における両岸の収れん。中国生活水準上がっていき台湾とは大して変わらなくなる段階になれば、そういう可能性は高くなっていく。マルクスの言葉をかりると、経済基礎が上部構造を決めるということもあって、中国経済発展すれば体制にも影響が出てきて、恐らく中国の民主化はもう十年、二十年のタイムスパンで考えれば避けて通れない道でもあります。この政治と経済の両面の収れんが実現できれば、台湾との平和統一の可能性は出てきます。その段階では、そのときにおいて、中国経済の面では立派な資本主義の国になり、政治の面では立派な法治国家、民主国家になれば、台湾と一緒になっても日本の脅威にはならないと私は確信しています。  最後に、中国の投資環境に関しては、日本企業から私もいろいろな苦情を伺っています。その中で、特に強調されるのはやはり信用にかかわるものが非常に多いですね。一つは知的所有権が余り尊重されないと。コピーの製品が多い、技術も勝手に流出されたりするとか、売掛金の回収も困難であると。いつでもやはり法律の面ではまだ不備があったり、またその執行の段階においては不十分であるというところに掛かっているんじゃないのかなと思います。  幸いにも、中国では中央集権型ではなく今非常に分散型の国になっていて、しかも地域と地域の間の競争が激しくなって、みんな外国企業に対してうちに来てくださいと。最初であればうちは税金取りませんよとか非常に税制の面だけ優遇して、次の段階ではインフラを用意するというような競争が多かったんですが、ここまで来ると、外国企業が求めているものはむしろこういうソフトの面のインフラなんですね。信用の問題、法治の問題改善しなければもう行かないよという状況になっていますので、少なくとも外資に来てほしいところでは一生懸命にこういうインフラの整備にも力を入れていると。少し時間は掛かるんですが、特にWTO加盟してから少しずついい方向に行っているんじゃないかなと思います。
  30. 和田ひろ子

    ○理事(和田ひろ子君) ありがとうございます。  小野参考人、お願いします。
  31. 小野善康

    参考人小野善康君) まず、私に下さった質問についてお答えします。  それは資産資本との関係についてですけれども、グローバル化海外にどんどん投資できるようになるというお話をして、そのもうかるところに投資した方がいいじゃないかということを申し上げて、その点について格差が広がるんではないかという御懸念だったと思うんですが、その点についてお答えしますと、まず第一ですね、海外に投資するのは特別な人かといったら全くそうじゃないということを申し上げたい。    〔理事和田ひろ子君退席、会長着席〕  それで、自分が、例えば私は海外には投資しているかといったら投資してませんが、しかし、例えば私が銀行にお金を入れた、定期預金を入れたと、そうするとその銀行が海外に投資しているかもしれない、あるいはその銀行自身はやらなくてもほかの銀行が投資しているということから、お互いがどっちが収益率が高いかということをだれかが見て、結局高い方にどんどん流れていくという形ですべての収益がどんどん調整されていくわけです。ですから、直接自分海外投資をするとか自分の投資した先が海外投資しているというのとは全く関係なく、より大きなチャンスが得ればすべてすべからく国民で貯蓄をしている人には行き渡ると、その点が重要な点であります。  それからさらに、株なんかをする、株式投資とかをするのは非常に限られた人間かというと、今回のそれこそ先ほど申し上げたホリエモン事件でもありますけど、本当に数十万しか持たない学生まで投資しているというような時代でありまして、その意味ではその投資する人が特殊かどうかということは決してそうではないということを申し上げたい。  それから三点目に、バブル期ですね、あれだけ多くの人が投資して、正にあのときこそ投資する人と格差が広がるんじゃないかと、こう言ってたんですが、あのときは日本はすばらしいと言って誇っていて、それがなくなったら今は格差が広がると、こう言っている。だから、つまり申し上げたいのは、そういうチャンスが広がれば広がるほど、逆に国民生活が豊かになるということを申し上げたいわけです。  それから次は、グローバルスタンダードについてということで私の立場から申し上げますと、いわゆる発想とか考え方とか、まあ卑近な言い方、ちょっと変な言い方で恐縮ですけれども、魂とかそういう意味でのグローバルスタンダードと、それから製品とか市場制度という言わば規格としてのグローバルスタンダード、この二つは完全に区別しなきゃいけないと思う。  それで、先ほど関さんがおっしゃっていたのも全くそのとおりだと思うんですけど、規格統一という意味でいったら、そのネットワークエクスターナリティーというか、つまり共通の規格という場をつくることによって、ばらばら各国だけでやっていたのが非常に取引もうまくいくし、製品の規模の経済もうまく利用できるしというふうになってきますから、それはなるべく進めた方がいい。それで、多くの場合、昔、ビデオでベータとVHSの戦いみたいなのがありましたけど、あれも、あれは日本国内の両企業でやっていたからまだいいんですが、たまたま例えばアメリカがVHSで日本企業がベータだと、これはグローバルスタンダードの押し付けだと多分言うんだと思うんですね。そういうようなこと、それは規格統一の問題であって、それはうまく話を決めて、私は一歩日本が引いてでもなるべく規格統一した方がいいと。その意味ではグローバルスタンダードに従った方がいい。日本は非常にそういう場を与えられた後で改良するのは得意ですから、大いにそういうのをつくってほしい。  もう一点の魂の面で申し上げると、魂の面まで売るのはとんでもないと。どんどん正しい考え方を発言するのは逆にグローバル化した社会では許されることだと思います。それがオリジナリティーを発揮することだと思う。  それで、昨年面白い経験したんですが、昨年ある経済学会で呼ばれましてお話をさせていただいたんですが、それは国際学会で日本でもやられたんですが、面白いことにその経済学会でいろんな国、六か国か何かが来たんですが、アメリカ人が一人もいなかった。つまり、そういうグローバル化もあるわけですね。そのアメリカ的な経済学はもちろん吸収しているんですが、全然違った発想でやっぱり議論していて、私がアメリカ人を相手にセミナーやるときに非常に注意するようなことについてはすんなり受け入れてくれて、逆にアメリカ人に説明するときはすんなり受け入れていることに一生懸命質問が来たというように、非常に多様化しているのを、考え方の上では正々堂々と戦う場ができていると思う。  だから、その意味で、何でもかんでもアメリカの方向を向いているという、余り言うと語弊がありますけれども、そういう政策をしているような国がどこかにありますけれども、そういうのは私はどこかおかしいんじゃないかというふうに実は思っています。
  32. 広中和歌子

    会長広中和歌子君) ありがとうございました。  それでは、浜田昌良さん。
  33. 浜田昌良

    ○浜田昌良君 公明党の浜田昌良でございます。  本日は三人の参考人の先生方の貴重なお話、ありがとうございました。  まず、小野先生にお伺いしたいと思います。  御説明では、グローバル経済下においては企業を大切にするよりも国民、つまり需要側を大切にすべしと。そうすれば経常収支も悪化し円安に向かい、結果として多くの国内企業応援団になるというお話がございました。それでは、その需要喚起策としてどのような策が一番効果的であるかということで、ペーパーでは環境規制も例に挙げておられますが、そのほかございましたら御例示をいただきたいと思います。それだけでございます。  次に、関先生にお伺いしたいと思います。  二点ございまして、一点目は非常に面白い例だと思いましたのは、このアジア各国と中国との競合度のデータでございまして、日本は二〇〇三年時点で二一・九%と。そういう意味では、韓国の四〇%台、ASEANの六〇%台に比べて低いという、補完関係にあると言えるんですが、よく見ると、一九九〇年代では三・二%と、この十年間で二〇ポイント上がっているわけですね。そういう意味では、二〇一〇年、二〇二〇年になると韓国とかASEANのような競合関係にならないのかどうなのか、その点について一点お伺いしたいと思っております。  もう一点は、全くこの資料とは関係ないんですが、中国の一人っ子政策についてお伺いしたいと思います。この一人っ子政策がいわゆる生産年齢人口の減少とか少子高齢化を通じて中国経済に対して影響を及ぼすのかどうなのかについて、もし御存じであればお伺いしたいと思います。  最後に、浜先生にお伺いしたいと思います。  御説明で、日本はどうするというところで、外に向かってはアジア化であると、内に向かってはローカル化であるという御提言をいただきました。ところが、この二つのベクトルというのが政策的に共存できるのかなと考えているわけです。つまり、アジア化をするということは、先ほど関先生の方からお話もございましたように、どんどんいわゆる生産性の低い部分をアジアに移していくと。そうなりますと、地方の産業については追い付けない部分も出てくると。そういう中で、ローカル化をどういうふうに進めるのかと。どういうことをポイントとしてこの二つの政策を共存させるのかについてお話をいただければと思っております。  以上でございます。
  34. 広中和歌子

    会長広中和歌子君) ありがとうございます。  じゃ、まず、小野参考人、お願いいたします。
  35. 小野善康

    参考人小野善康君) 企業よりも国民生活というか需要側をということを申し上げて、その点について御質問をいただいたと思いますが、正確に御理解いただいていることはよく分かったんですが、一つ強調させていただきたいのは、企業は別に気にしないで家計だけ大事にしろと言っているわけじゃなくて、需要側を大切にすることが企業にとって非常にいいことなんだという、そういうニュアンスで申し上げたんですが、もちろん、そのように今御説明くださったんで、もう一度強調させていただきたいということです。  それで、その上で申し上げたいのは、環境のことを今言ってくださったんで少しそれについて説明させていただくと、環境規制をちゃんとしろというふうに私は申し上げているんですが、それがしかも企業を助けると、ここまで言っているんですが、多くの場合、多くの企業はそれは負荷になるから嫌だという反応が出てくる。それは負荷になるから嫌だという反応が出てくるのは、昔からの固定為替レートというか、為替レートが変わらないことが頭に染み付いているからそういう反応をする。すなわち、国際マーケットで円ドルレートが全く変わらないときに更に環境分のコストが加われば当然世界で負けるから嫌だと、こういう発想だと思うんですが、もう既にいろいろお見せしたとおり、そういうふうにやれば円安が進むわけですね。円安が進んで、それで更に環境マーケットというのが出てくると。そういうことから雇用も促進されると。それが更に輸入圧力を生んで、実際に経常収支赤字にならないで黒字が下がってきてもそれは円安という形でまた調整されていると。そういう形で企業応援団になる。  だから、マーケットをつくり、かつ円安も生み出して、二重にいいという意味で私は是非環境をやるべきだと。さらに今世紀の、まあ大きく言えばそれこそ地球全体のベネフィットにもつながると。もっと言えば、もう今世紀の戦略産業にもなるんじゃないかというように、もういいことずくめだと思うんですが、すぐ目先で、しかも為替のことだけを考えて各企業反対する。  先ほどリストラのことで申し上げましたけど、ある企業だけを取り上げて、その企業に環境規制をやれと言ったら、また同じように円レートは変わらないでその企業だけ負荷が行くんですが、日本国じゅう公平に全部やれば先ほどのようなメカニズムが働くはずだと、そういうことを申し上げたかったわけです。  それで、ほかにどのようなことがあるかと言われるとなかなか難しいんで、私自身技術的な知識がないので何とも言えませんが、重要な特質だけを申し上げるんですが、それは既にある製品を単に交換するような技術進歩だったら意味がない。それは要するに、単に今まであったところが駄目になって新たに変わったという、変わっただけの問題なんです。そうじゃなくて、今までの需要をなるべく損なわないで新たに何か欲しいものをつくっていくと、それが重要だと思うんですね。その意味で、私は環境が一番いいんじゃないかというふうに申し上げているわけです。  それからもう一つ、そういう小さな、済みません、小さなと言うと恐縮ですが、そういう政策面で実際に為替レートまで変えるような大きな影響のある政策というのはかなり大きなものでないと困ると。その意味ではなかなか難しいと思います。なかなか難しいんですが、幸せなことは、景気はどんどん今良くなってきていると思うので、今後、私は、円安が広い意味で非常に、何というか、トレンドという意味では進んできて、どんどん良くなってくると思いますので、そういうのを邪魔しないような政策を是非していっていただきたい。すなわち、どんどん首を切って、もっと、何ですか、血を出さなきゃ駄目だみたいな話を今やられるとまた元に戻ってしまう危険があるというのが私の意見です。
  36. 広中和歌子

    会長広中和歌子君) ありがとうございました。  それでは、関参考人
  37. 関志雄

    参考人関志雄君) これから中国との競合度はどういうふうに変わっていくのか。今までの数字だけ見れば、大体五年一遍、この数字が倍になるということですので、二〇〇〇年の数字を基準にすると二〇〇五年には三二%、二〇一〇年には六四%で、非常に恐ろしい数字になります。  ただ、何でこういう数字がどんどん上がってきているのかということをもう少し確認しますと、結局、今までは中国貿易規模が大きくなった分だけ重なる部分が増えている部分と、中国が古い産業を切り捨てながら新しい産業を育成していくという形でこの中国の山が右の方にどんどんシフトしていくというのは、いわゆる中国産業の高度化、この相乗効果なんですね。  もう一方では、残念ながら、失われた十年の日本においては日本の山がそのままほとんど止まっているというのも問題なんですね。つまり、富士山が止まったままであればいずれヒマラヤの裏に隠れてしまうということで、本当にそう起こったら、計算上は日本から見て中国との競合度は一〇〇%になってしまいます。そうなるかどうかは、中国がどのくらい頑張るだけではなく、日本はいつまでも止まったまま待ってくれるかどうかというところにも懸かっていると思います。  ここで提示したモデルは正に従来言われる雁行形態そのものなんですよね。その前提条件は、いわゆる垂直分業、先進国ハイテク製品に特化し、途上国はローテク製品に特化するという形になっています。ただ、ヨーロッパの国々を見ると、ヨーロッパでは全く雁行形態という言葉は聞いたこともありません。なぜならば、国と国の発展段階は非常に近いということもあって、基本貿易は垂直型ではなく水平型になっています。その前提は、やはり発展段階は近い、しかもお互いに相当先進国のレベルに達しているということになります。じゃ、アジアにおいても垂直分業から水平分業に変わっていくとよく言われるんですが、本当にヨーロッパ並みな形になるのはもう少し二十年、三十年先のことではないのかなと。その場合は、似ているような製品を作っていても、必ずしも競合関係という形で議論しなくてもいいような状況は来るだろうと思います。  一人っ子政策に関しては、御存じのように中国は一九八〇年ごろからこの政策を徹底させて、そのまま行くと大体二〇二〇年のころから生産年齢の人口が絶対数で減っていくこと、これは国連とかの推計で読み取れることなんですね。つまり中国も高齢化社会、後れながらも高齢化社会を迎えるということになります。高齢化社会になると何が起こるのかというのは、日本の今の現状を見ればすぐ分かることで、労働力が減ることと、貯蓄率も下がっていくということですので、いわゆる中国の潜在成長力、成長性は、成長率は下がっていくということになります。これまで二十数年間にわたって一〇%に近い高成長は、恐らくそれを境目にこの高度成長期は終わると見ていいんじゃないかなと思います。良く言えば、これからの十五年間は中国にとって経済発展の黄金期になるかもしれませんが、悪く言えば経済発展のラストチャンスになるとも言えます。中国ではこういう言い方をしています。中国は唯一、先進国にならないうちに高齢化社会を迎える国になるということです。  じゃ、まだ十五年もあるからこれから一人っ子政策を緩和すればいいんじゃないかという議論もあるんですが、恐らく役に立たないだろうと。もし緩和すれば、後れている地域、農村部だけは人口はどんどん増えていくんですが、ある程度発達した、上海とか沿海地域の都市部では、日本が既に経験しているような少子化、別に国が一人っ子政策を取っているわけではありませんが、もう自発的に余り積極的に子供をつくらないというような状況になっていますので、一人っ子政策を緩和すると、頭の数は増えるかもしれませんが、労働力の質全体がむしろ落ちてしまうというリスクもあります。これはまた中国が直面しているもう一つのジレンマだと思います。
  38. 広中和歌子

    会長広中和歌子君) ありがとうございました。  浜参考人
  39. 浜矩子

    参考人(浜矩子君) ローカル化とアジア化の関係ということでございますけれども、私は、基本的にはこのローカル化なくしてアジア化なしと、こういう規定関係がそこにはあるんだというふうに思うんですね。内にあって、この多様な独自性、独創性というものが前面に出ているという状態をベースにして、外との融合関係を強めていくということになると、これは非常に発展性のある展開になっていくというふうに思います。  ですけれども、その内なる多様化、このローカル化というのが進まない形でアジア化していくというと、これは非常におっしゃるような形で、それこそ痛みがこの地域に集中する、特定の地域に集中するというような状況をもたらすかもしれないということがありますので、この場合、アジア化とローカル化は車の両輪ではありますが、ローカル化という部分、これが決定的な重要性を持ってくるというふうに私は思っております。  考えてみれば、戦後の日本経済過程の中で一番欠けていたところがこのローカル化という部分、多様性という部分でございます。  戦後の日本の社会経済システムというのを一言で表現すれば、これは集権的管理のメカニズムであったというふうに思いますね。非常に強い中央集権的な力をもって、いわゆる生産資源、これは、まあ今流に言えば人、物、金ということになるわけですが、そういうものを徹底的に管理し、そして中央で一元的に、中央発で一元的に配分していくと、そういう中で交付税なぞも大きな役割を果たしたわけでありますけれども。  そういう集権的管理のやり方というもの、これがこの戦後の焼け跡経済世界で一番リッチな経済に、たかだか戦後五十年、半世紀の間に仕立て上げるには非常に有効なメカニズムであったというふうに思いますが、それだけに今の、もう焼け跡時代は去って、過ぎ去って久しい日本経済にずっとこの集権的管理を当てはめ続けるということは、ある意味では自殺行為に等しいんではないかというふうに思って、この集権的管理に代わるものとして、集権に代わるものは分権、管理に代わるものは競争ということになりますが。  そういう意味で、集権的管理の世界から競争的分権の世界、この独創、独自性を持つ日本の中の地域社会、地域共同体というものが、それぞれあたかも都市国家のように、非常に豊かな独創性を持つ都市国家群によって構成される日本というものに日本経済を解体、再編できれば、そこから大きなエネルギーが出てくるし、そういう日本経済であれば、外に向かってアジア化していっても、そのことによって自らの中が痛むというふうには決してなっていかないだろうと、そういうふうな因果関係でこの辺を考えています。  この点とのかかわりでもう一言二言申し上げたいことがございますが、一つは空洞化というようなこと、それから特定地域、特定産業に痛みが集中するという問題が出てくると、必ずやそういうところには、やっぱりそういうところは保護をしなければいけないということで、これが保護貿易につながったりするわけでありますけれども、そういうこと、そういう誘惑というのは非常に大きいものがあるわけですが、それについて一つ是非とも申し上げたいと思うことが一つありますが、それはどういうことかというと、それはすなわち保護は救済につながらずということでございます。  特定地域を救済せんとして特別な保護措置が講じられるということは多々その事例があります。一番そういうことがたくさん行われたのが戦後のアメリカで、これは特に日本とのかかわりのコンテクストの中ですけれども、戦後の日米関係というのは日米通商摩擦の歴史、戦後の日米関係史は日米通商摩擦の歴史であったと、つい最近までは、と言ってもよろしいかもしれません。  もうアメリカ産業は、次々と戦後日本の、日本からの輸出にやられて、このままでは空洞化するということで保護措置を求めたわけですね。最初が繊維産業、そしてその次が鉄鋼業、そしてその次は自動車産業、そして次にはエレクトロニクス産業ということで、次々にアメリカの花形産業日本の輸出攻勢に見舞われて保護措置を要求すると。  その保護要求というものがかなえられた事例というのは多々あるわけですね。繊維についても鉄鋼についても自動車にしても、アメリカ側の輸入数量規制であったり課徴金政策であったり日本の輸出自主規制政策であったりしたわけでありますが、そうやって保護をしてもらったということによって保護の対象となった産業企業が救済された事例は実は一つもないということがございます。むしろ、保護された途端に自力更生力を失って、かえって保護されたことが致命傷になって状況が非常に悪化するということはございましたけれども、保護されたということが国際競争力の強化とか産業活力の復元につながった事例は一個もないということがありますので、これは、この誘惑に陥ることはむしろ自ら非常に危機を招くことであるというところは、これは歴史が我々に与えている非常に貴重な教訓として銘すべきところであるというふうに思います。それが一つ申し上げたいことでございます。  あとは、ローカル化とアジア化ということとの、このローカル化をベースにしてアジア化を進めるというこの関係が非常に重要だということは、実は、かのサッチャー改革というのがありますけれども、このサッチャー改革をじっくり見てみると非常にその辺がはっきりと見えてくるというところがございます。元祖痛みを伴う構造改革みたいなふうに位置付けられているサッチャー改革ですが、このサッチャー改革というのは、その眼目は、最も本質的なところはどこにあったかというと、私はこれはイギリス経済の対外的な開放ということ、そこに勘どころがあったと思うんですね。非常に閉鎖的であったイギリスの資本市場あるいは製造業というものを外に向かって大きく開いた、なかんずく特に製造業については日本に対してということが言えると思うんですね。  今、私は日本経済のアジア化ということを申し上げていますが、実はサッチャー改革というのは、特に製造業に焦点を当ててみれば、サッチャー改革とはすなわちイギリス経済日本化であったというふうに言ってもよろしい面が多分にあると思います。日本の非常に競争力の強いメーカーを一生懸命誘致して、その日本的経営の在り方、生産管理の在り方というものをイギリスの製造業の土壌に移植するということによって、もう死に体になっていたイギリスの製造業を復活させたと。サッチャー改革によってイギリスの製造業は強くなったと言うけど、要するにイギリスの製造業って日本製造業のことじゃないのというふうに言われるぐらい、まあ言ってみればイギリス経済日本化が進んだということがございます。そういう意味では、外に対して門戸を開放するというのは非常に自らの力を付けるということに結構つながっていくというのは、サッチャー改革が残した非常にプラスの教訓だと思います。  しかしながら、その反面で、サッチャー改革に伴う非常に、これだけはサッチャー改革のまねをしてはいけないという反面教師的な教訓がございますが、それがこのローカルつぶしというところなんですね。  このサッチャー改革というのは、サッチャーさんという怖いおばさんのもう圧倒的なリーダーシップの下に、もうそれこそサッチャー・スタンダードのごり押し的押し付けでがんがんやっていったわけでございます。それは、そういう迫力という意味では効果があったんですが、全国津々浦々に一律のサッチャー・スタンダードを当てはめたということによって、地域経済というものがほとんど壊滅的な打撃を受けてしまったということがございます。そのことが結局今のイギリス経済の異様なこの一極集中ぶりと二極化現象というものにつながっていて、そのことがイギリスの経済運営、政策運営をも非常に難しくしているということがございます。  ですから、ここのところだけはまねをしてはいけないということで、そういう意味も含めて、今までの日本経済に一番欠けていた、空白部分であったローカル化、多様化というものをベースにしながら外に向かっての門戸開放を進めていくというと、これはまあ結構鬼に金棒の構図になるのではないかと、そんなふうにとらえております。
  40. 広中和歌子

    会長広中和歌子君) ありがとうございました。  では、渕上貞雄さん。
  41. 渕上貞雄

    ○渕上貞雄君 社民党の渕上でございます。  三人の参考人の方々、大変御苦労さまでございます。  同じ質問になると思いますけれども、日本経済グローバル化、すなわち国際競争時代における我が国の日本的な経営の特徴でありました年功序列、終身雇用、この面について、必ずしも私は悪いとは思いませんし、グローバル化社会にあっても残していいシステムではないか。ある程度変化は求めなきゃならないと思いますけれども、そういう雇用の面から見て、年功序列、終身雇用という問題について、三人の先生方、どのように評価されておるのか、御意見をお伺いしたいと思います。
  42. 広中和歌子

    会長広中和歌子君) それでは、まず関参考人、お願いします。
  43. 関志雄

    参考人関志雄君) 年功序列、終身雇用という、特に中国との絡みでちょっとコメントさせていただきます。  日本企業がこれをもって中国で実施しようと思うと、私の見たところでは大体うまくいかないですね。その一つの理由は、さっきも触れましたが、中国は、やはり社会主義に非常に似合わないという面もあって、若い人を中心にむしろ実力主義、アメリカの能力主義、アメリカ型の人事制度の方が受けられるんじゃないのかなと。特に、中国人から見た年功序列、終身雇用は、残念ながら昔の中国の国有企業に見えてしまうという面もあります。  もちろん、日本の経験を振り返ってみると、自動車のようにやはりいわゆるオン・ザ・ジョブの訓練が必要である場合、時間掛けて技術を身に付けなければならない職種に関しては終身雇用は非常に重要なんですが、今の技術のパラダイムがどんどんモジュール化とかいろんな形で変わってきて、本当に終身雇用でなければならないという業種がどんどん減っていく傾向ではないのかなと。むしろ、世の中変化が非常に速いんですので、労働力も含めて資源の再編はもう少し頻繁に行われなければならないという状況の下では、業種によってあんまりこだわる必要はないんじゃないのかなと思います。
  44. 広中和歌子

    会長広中和歌子君) ありがとうございました。  それでは、小野参考人
  45. 小野善康

    参考人小野善康君) 私はこの点については専門ではないんですが、済みませんが、私の立場でお話しさせていただこうと思うんですけど、まず終身雇用についてですが、終身雇用というのは労働者保護になっているというふうに理解されていると思うんですけど、私は、既に雇われている人にとっての保護であって、雇われない人にとってみたら全く保護になってないと、つまり一種の既得権になっているという気がします。ですから、全員が働けるような社会になれば終身雇用でいいんですが、逆に言うと終身雇用にする必要もなくなると、なぜかといえば職が一杯あるからということになると思います。  ただ、一つ気になるのは、それは少し年功序列との関連があると思いますけど、それは競争か、それともいわゆる年齢という別の基準を入れて競争というのを少し抑えて安定をということだと思うんですね。その意味でいうと、競争競争とやると経営がうまくいくというのが一時はやったんですが、どうも最近の企業はそうでもないと、そればっかりやってると非常に短期的な行動をしかねないということも出てきていると思うんですね。だから、その意味でいうと、年功序列が一概に駄目だとは言えないと。  しかし、原則的に、結局申し上げたいのは、やはりだれでも働けるという環境をやっぱりつくってあげなきゃ駄目だと。一企業の範囲ではだれでも働けるなんという責任までは負えないと思いますので、やっぱりそれこそ政策の介入するところだと思います。そこが入ってくれば、ある程度競争とかいうのを入れても、それがそのまんま不安とか、それから言わば落後者がそれこそ腐ってしまうというか、うまい表現じゃないかもしれませんが、そういうことはなくなると、そこが重要だと思います。
  46. 広中和歌子

    会長広中和歌子君) ありがとうございました。  浜参考人
  47. 浜矩子

    参考人(浜矩子君) 私も、渕上さんが言われるように、年功序列、終身雇用というのは非常にすばらしいシステムであるということは間違いないというふうに思います。ですから、これを、こういうのがあるからうだつが上がらないんだというふうに言うのは基本的に間違っていると思います。しかしながら、それを言った上で考えれば、やっぱりグローバル競争という環境の中に置かれているという状況の下では、やっぱりこれを従来のような形で維持していくということは基本的に難しいんだろうなというふうに思います。  やっぱりこの年功序列、終身雇用というようなやり方は、これは非常にある意味では閉鎖経済体系の中でしか成り立たないという面がやっぱり強いんだというふうに思いますね。この一定の、要するに戦後の日本というのは、閉ざされた大国として非常に自己完結的に今までの富を蓄積してきたわけですけれども、その閉ざされた大国という状態を維持していられる限りにおいては幾らでも年功序列も終身雇用も維持可能だったというふうに思います。だけど今は、再び鎖国をしない限り、それこそ、やっぱりこれを維持していくには非常に限界があるんだと、これは客観的な事実としてそういうふうに受け止めざるを得ないんだろうなというふうに思います。  ですから、これを維持できなくなった部分、先ほど来申し上げていますように、従来にないような形で政策に求められる対応が大きくなっていくと。この官の部分、公的な部分が担わなければいけない部分というのが非常に今大きくなってきているということだろうと、こういうふうに思います。  それが全体観のところでありますが、実は、そして、そういう落ちこぼれていく部分をどう吸収していくか。まあ準年功序列、準終身雇用、そういったものに近いような状況を多少なりとも維持していくという意味合いでも、実は私はこのローカル化というところが非常に重要な役割を果たすと思うんですね。  グローバル時代という、グローバルなこういう非常に開放経済体系の中で生き長らえる力がある経済というのはどういう経済かというと、これは開かれた小国経済である。小さいんだけれども外に向かって開かれている、こういう国民経済あるいは共同体というのは、こういう、競争が非常に激しくて人や物や金の流動性が高いというこの状況に対しては非常に抵抗力があるんですね。開かれた小国に向いている経済環境であるということは、裏を返せば閉ざされた大国には全く向いてないということであるわけですから、ここはやっぱり日本はこの閉ざされた大国のまんまでは非常に駄目だということになる。  その年功序列、終身雇用が閉ざされた大国向きの雇用形態であったという限りにおいては、これを維持していくことは難しいということになるんですが、例えばこの日本の地域共同体、地域社会というものが、地域経済というものが、それぞれがあたかも開かれた小国であるように、北海道や九州や鹿児島や京都や、どこでもいいんですけれども、そういったものたちがそれぞれ開かれた小宇宙化して、妍を競い合い、お互いに人のやり取りを活発にやるというような、そういう感じになってくると、結果的に結構雇用も維持され、それなりに年功も何とか尊重していくことができるという状態ができてくるという面はあると思います。  そういった形で非常にしたたかに生きている開かれた小国の事例というのは正にヨーロッパにたくさんあるわけでありまして、例えばルクセンブルグという国がございますけれども、あれはもう国と、ああいうのを国と言うかという、まあそういう言い方をすると語弊がありますけど、まあ立派な国で、国家でありますが、非常に非常に小さい、正に超小国でありますが、その小国であるルクセンブルグが何でこのルクセンブルグのまんまでいられるか。周辺のドイツやフランスやその他の国々に吸収されてしまわないのは、その開放度が勝負なんですね。  非常にこのルクセンブルグというのは世界的に使い勝手のいい場所だということになっております。国際会議を開くにしても、物理的なインフラも非常に整備されているし、人、人的資源という意味でのソフトも非常に対応力がある。ルクセンブルグ人はみんな大体五か国語ぐらい外国語をしゃべりますし、非常にいろんなことに柔軟に対応してくれる。  ちなみに、法人税も、外資だったらゼロにしてあげますよというような大胆な政策を取って、極めて強い開放度を保つということによって豊かな経済を形成していると。ルクセンブルグの一人当たり国民所得のレベルというのはEU平均の二倍でございます。非常に世界的なランキングとしても三位ぐらいの中に常に入るリッチさでありますけれども、当然ながら、だから豊かな雇用機会も人々に与えることができているわけですが、それは正にこの開かれた小国であるからでありまして、そういうところを、日本もこの大きい日本の中に開かれた小国がたくさん存在するというような格好になると、この雇用問題についても新しい対応の在り方というのが考えられるようになるんじゃないのかなと思います。
  48. 広中和歌子

    会長広中和歌子君) ありがとうございました。  この際、私よりお願い申し上げます。  できるだけ多くの委員が発言の機会を得られますよう質疑、答弁とも簡潔に行っていただきますよう、改めて皆様方の御協力をお願い申し上げます。  では、野村哲郎さん。
  49. 野村哲郎

    野村哲郎君 自由民主党の野村哲郎でございます。  今日は本当に大変私ども示唆に富んだお話をお伺いしました。ありがとうございました。  小野先生にお話をお伺いしたいんですが、時間の関係で、先ほど小野先生、レジュメを見さしていただいておったんですが、多分お話をここは飛ばされたんだろうというふうに思います。といいますのが、関先生が非常に中国の資料を一杯作っておられるものですから大変気になりまして、といいますのが、要は日中のその補完関係、良いデフレの効果が大きいと、こういうことで関先生整理されております。やはり、これには元とのその為替レート、やはりここが大きな影響があるんだろうと思いますが、先生どういうふうに見られて、今日のレジュメの中で、二ページの下から二段目に中国の躍進と人民元の動向を整理されておりますが、少し、先生の方からのコメントがありましたら、お話をお伺いしたいと思います。  それから関先生には、一番最後に出されております日中FTAの勧め、これについてお伺いをいたしたいと思います。  日本、今もうフィリピンなりタイ、あるいはマレーシア、ASEAN諸国とのこのFTAを今進めておるわけでありますが、特に先生がここの中で整理されている、基幹産業日本は守って衰退産業中国に譲る、当然産業調整が必要になってくるわけですが、関先生がお考えになっている衰退産業中国に譲れと、どの分野を先生指しておられるのか、私見で結構でございますので、まあ多分農業だとかいろいろ出てくるだろうと思いますけれども、関先生のお考えで結構でございますから、中国に譲ってくれという産業はどの分野なのか、お話をお伺いできれば有り難いなと思っておるところでございます。  それから、最後に浜先生にお願い申し上げたいと思いますが、先生の、さあこれから日本はどうするんだという中で、非常に私ども興味をというか共感を覚えながらお話を伺っておったんですけれども、特に私ども地方議員にとって、先生がこの一番最後に整理されております、内に向かってはやっぱりローカル化だよ、こういう整理をしていただいておりまして、大変有り難い、心強いと思っているところです。  ただ、やはりいろんな切り口があるだろうと思うんですけれども、都市とやっぱり地方の格差、雇用であったりあるいはインフラであったりいろんな、賃金でもそうなんですが、政策として、新たな役割を政策が担いなさいと。じゃ、そのローカル化に向かっての政策というのはどこを切り口にしていけばいいのか、これはまあ財政もあると思いますけれども、浜先生のお考えていらっしゃるようなローカルに向けて、私どもに示唆をいただければ有り難いなと思います。  以上であります。
  50. 広中和歌子

    会長広中和歌子君) それでは、小野参考人
  51. 小野善康

    参考人小野善康君) このレジュメで書かしていただいたのは、何を申し上げたかったかというと、通貨が安くなるということは、その国の経済にとっては非常にいいんだということを先ほど申し上げたんで、そういう例が一杯あるものですから、典型的な例として中国があるんじゃないかと思って書かしていただいたわけです。  それで、中国について言うと、八〇年代の終わり、九〇年代の初めごろと今と比べたら、もう圧倒的に中国経済発展しているし、技術力も上がっているし、品質も上がっているし、その中国製品が、今までは、まあ安くて、安いから買うんだというのが、もうだんだんそういうことではなくなってきていると。もう、それも事実でありまして、もうその意味では非常に敬意を表しているわけですが、ただ、普通の常識でいうと、そういう場合には元は高くなっているはずだろうと。つまり、強くなったんだから高くなるだろうと、こういうふうに理解されるかもしれない。それで、まあ面白い例なのでこのグラフを書かしていただいたわけです。  ごらんいただければお分かりのように、八〇年代の終わりのころに比べて元は三分の一近くになっているわけです、対円に対して。ということは、もし同じクオリティーで、日本中国に負けるんだ、次の世紀は何とかだという、ああいう議論、私は全く反対でありまして、中国は大いに発展していただくことが日本の便益にもなると思っているんですけれども。  まあそのことはさておいて、中国があんなに頑張っているのに日本はだらしないじゃないか、リストラが大変だというような議論がすぐ出てくるんですが、もう本当に機械的に考えましても、三分の一近くに元がなっているとすれば、全く同じように、バブル期というか日本経済が最も輝いたと言われたころと同じように中国製品に対抗するためには、日本効率化して、三倍効率化しなきゃ対抗できないということを表しているわけですね。  だから、その意味でいうと、中国に、要するに日本の技術力は駄目じゃないかとか、次は脅威だとかいうこと自身が余り意味がないという、この点が一点あります。  それで、中国は固定でドルペッグしているわけですね。これは円ペッグしているわけじゃなくて、ドルペッグしていると、もうこれは関さんに伺った方がよろしいんですが。その意味では日本にとっては、中国は妙な言い方ですがアメリカの一部なんです。別に支配関係とか政治的な意味で言っているんじゃないんです。経済的な意味でドル元対円になっているわけです。それでドル元とその円との経常収支という関係になっていて、それが黒字か赤字かで結局調整が起こると。だから、その意味でいうと、もし中国元が日本円に対してペッグされたら、それはもう裸で戦うということになるんですけど、まあ、そういう形で調整されている。  現に円高になったというのは、対ドルに対しても円高になっていますから、それで日本アメリカにも負けていると同時に、中国にも負けている。特に、中国は対ドルレートも、ドルレートで下げていますから、更に中国によく負けるようになったと。その意味では、ある意味当然だと思います。  それで、どの産業を残すかとかいうたぐいの話で、先ほど関さんが非常にうまく説明されていたんですが、私は、どの産業を残すとか何とかという政策的なことよりも、もう自然に得意な方が残って、一番最初に申し上げましたけれども、こういうグローバル化時代はもう政策的に何しろかにしろというよりも、自然に得意なところが残って、駄目なところはもう排除されちゃうと。それを変に保護したりすることによって自然の形から外れるようなふうにする方がよっぽど害があるということを最初に申し上げたわけですけど、そういう点をお話ししたくて、この図及びこの六番目のポイントを出させていただきました。  それで、一つだけ加えさせていただくと、私は、先ほどから関さんおっしゃったのは、中国は、こういう安いことによって日本も便益受けているじゃないかと、というよりも日本は便益受けている、こんなに安く渡していると。だから、こんなに日本は得だということをおっしゃっていて、それはそうなんですけど、それは同じ産業、同じマーケット規模だと、今のは変わらないということで議論されている議論で、もし元が変われば、日本のマーケットはやっぱり増えるわけですね。だから、そういうことを今考えないで計算されている。もっと言うと、中国はそんなに損なことを何でわざわざ自ら進んで固定して自分が損するような政策をやる、そんなばかなことはあり得ないわけで、それはやはり自らのマーケットが大きくなるからそういうことを対アメリカに対してやったと思うんですね。その点はやっぱりはっきりしなきゃいけない。  それで、中国は、ですから、もしそこもそういうことであるなら、やっぱり私はもうここまで強くなってきたんだから徐々に変動相場に行くべきじゃないかと。その調整を信じていえば、中国の実力はこの程度だということが正しければ、たとえ変動相場になっても今のまんまの人民元になるだろうし、そうでないとすれば、やっぱりそれは人為的に安くしているんじゃないかというふうに言われても仕方ないんじゃないか。しかし、我々が文句言うということよりは、やっぱりアメリカが言うのは割と自然じゃないかと。それは対米で、米ドルでペッグしているからであるということを申し上げたいと思います。  済みません、長くなって。もう一つだけ申し上げると、ちなみにその中国から輸入すると、輸入産業は得だけど輸出産業は損だという形で、いろいろ、ある意味じゃ垂直じゃないかと、こうおっしゃったんですが、結局日本というのはどういう国かといったら、海外から何かを買ってきて付加価値を付けてそれで輸出していると、こういう国ですから、その付加価値分が安くなれば、中国が安いとしてもどうせ安いまんまで、付加価値分が安くなればやっぱり世界で戦えると。たとえ中国の元製品が高くなっても、付加価値分、日本の方が安くなれば、その元製品世界じゅうで、中国の元製品は別に日本だけに売っているわけじゃない、世界じゅうで売っているわけですから、それは同じ値段で、日本経由になるとより安く売れるという形でやっぱり強くなるわけです。ですから、垂直な関係だから元が安くてもいい、そうでないからということはないと思います。  以上です。
  52. 広中和歌子

    会長広中和歌子君) それでは、関参考人
  53. 関志雄

    参考人関志雄君) どういう産業なのかという答えは全く小野先生と同じです。マーケットに任せばいいんですが、問題はまだ関税とかいろいろ残っているところはなくすべきではないかと。残念ながら、今日本では聖域になっているんですが、農業はその一つではないかと思います。  ついでに、さっきの人民元についても一言付け加えさせていただきます。  私の見方は、残念ながら中国でも日本でも批判されています。なぜならば、私は人民元は切り上げるべきだというスタンスを取って、ただ、これは日本のためではなく、中国自身のためであると考えています。  日本のためにはならないという説明は既にしましたが、むしろ、無理して安い為替レートを維持しようとする場合は、中国にとっていろいろな弊害が生じているんですね。目で見えるのが対米貿易黒字によっていろいろな貿易摩擦が起こっていること。また、中央銀行としては、余っているドルをどんどん吸い上げなければならないので、マネーサプライの管理が非常に難しくなっている。難しく言えば、金融政策独立性が非常に制約されているという面もあったかと思います。むしろ、自分の実力に見合った形で通貨上がっていけば、中国消費者の購買力は高くなった分だけ、よく円高メリットでも議論されることですが、中国の内需が盛り上がっていくんですね。その分だけ海外に無理して輸出しなくて済むと。  また、余計に外貨準備をためていかなくても済むということですから、外貨準備は今八千億ドルを超えているんですが、アメリカの国債を買っているというのは非常にばかばかしい状況なんですね。非常に貧しい中国が非常に豊かなアメリカに千億ドル単位でお金を貸しているというのはどういうことなんですかと。公平の話の前に、これは効率の問題でもあるんですね。これはなぜ中国国内でもう少し有効に利用できないのかという問題もあったかと思います。必要のないドルはそれ以上ためておく必要はないと。その一番いい方法は、人民元は需要と供給の関係に合わせて決めるということではないかと思います。
  54. 広中和歌子

    会長広中和歌子君) 浜参考人、お願いします。
  55. 浜矩子

    参考人(浜矩子君) それでは、ローカル化に向かっての政策ということでございますが、私は決め手が多分二つあると思っておりまして、それは、一に金融であり、二に通貨というところではないかというふうに思います。  どういうことかということですが、金融ですけれども、これもある意味ではサッチャー改革を反面教師としての発想ですが、このサッチャー改革によって地域が壊滅的な打撃を受けたことの一番大きな要因は、地域金融機関というものがほとんど存在しない状態をサッチャー改革の下の金融ビッグバンというものがつくり出してしまったというところがございます。非常にロンドンの金融資本市場にはどんどん金が集まるということになりましたが、その影にあって、中小金融機関、地域金融機関というものがもう本当になくなってしまうと。今イギリスには事実上地域金融機関というものはないというふうに言ってよろしいと思いますけれども、そういう状況をつくり出すことによってローカルな部分に資金が回っていかない。ローカルな経済の中で資金が循環するということがない状態をつくってしまった、ここがやっぱりイギリス経済に非常に大きなゆがみを与える結果になったというふうに思います。  そういう意味で、地域金融というものをきちんと生かしていくという、そのための政策対応というのは非常に重要であるというふうに私は思います。  今の金融行政の方向は、御承知のように、金融コングロマリット化という方向に向かっていくという格好で、非常に地域、中小金融機関も機械的に全部ひっくるめて大再編という格好になっていく。そして、この地域の部分についても、大手の金融機関がワンストップショップというようなことで手を出していくという格好になっていますが、これは非常に要注意の状況であるというふうに思います。金融のパイプをきちんと確保するということは、やっぱりローカル化ということとのかかわりで欠かせないということだと思いますね。  これは、非常に、当面する具体的なところでありますが、それよりはややちょっと、言ってみれば荒唐無稽ではありますが、非常に重要だと、やっぱりなかんずく、と思いますのが通貨ということで、皆さん御承知のとおり、地域通貨という概念がございます。地域の中で物々交換にちょっと近いような形で取引を行う。エコマネーとかいろんな形で、湯布院にはyufuという名前の地域通貨がある、宝塚にはZUKAという名前の地域通貨があるようでございますけれども、そういう、要は、これはサービスに対して一定の架空の価値を与えることによって、その価値を交換するという格好で取引をするというか、要するに円という通貨を使わない経済活動のネットワークをつくるということでありますけれども、そうやって言ってみれば内部循環的な経済構造をつくり上げるということ、これは一つなかなか面白い展開だろうなというふうに思います。地域通貨で賃金も払うとか、そういうようなことができるようになれば、別にその外の世界で円で賃金が支払われる職に就かなくてもその中で生きていけるということになるわけで、こういうことをあんまり言うと財務省にはきっととても嫌われるんだというふうに思いますけれども、そういう、そこまで行かずとも地域通貨的な概念を導入してくるということでローカル経済を活性化するということは一つあると思います。  ちなみに、直接的に地域通貨を物すごくプロモートしているというわけではないんですが、イギリスのスコットランド地方というのがございます。御承知のとおりですが。このスコットランド地方は、スコットランドとしていつでも単独、独自でユーロ経済圏に入るということを言っております。御承知のとおり、EUの中で現在では十二か国がユーロという単一通貨を使っていますが、イギリスは国としてユーロ圏に入ってません。これに対してスコットランドは非常に不満を持っておりますし、かつ、スコットランドという地域としての独自性を間違いないものにするために、イギリスという国が嫌でもスコットランドという地域はいつでもユーロ圏に入ってやるわいと言って豪語しております。  そのための準備というわけでもないんでしょうけれども、スコットランドは一応スコットランド・ポンドという、これを言ってみれば地域通貨と言ってもよろしいでしょうね。ただし、これはもう流通性があるわけでは、まあ流通はしていますけれども、イギリス・ポンドと事実上一体、等価交換関係にあって、そのスコットランド・ポンドでイギリスの国を出て商売ができるわけではないんですが、かつスコットランドの中でしか使えませんから正に地域通貨なんですけど、このスコットランド・ポンドというものを非常に、余り使い勝手が、使いでがない割には彼らは非常に大事にしておりまして、そして、スコットランド・ポンドというものの英国ポンドに対する為替レートというのを一生懸命計算して発表するということをやっております。そういうものを発表する、計算するということによって、スコットランド経済としてどれぐらいの競争力があるのかということがすぐ分かるような状態をつくるということでスコットランドという経済圏としての力のベースを底上げしようとしているわけですね。  ですから、日本の地域、地方でもどこかで独自通貨の対円レートというのを毎日発表するところが出てこないかなと思って、私はそれを待ちわびているということでございます。
  56. 広中和歌子

    会長広中和歌子君) ありがとうございました。  他に御発言もなければ、以上で参考人に対する質疑を終了させていただきます。  小野参考人関参考人浜参考人におかれましては、御多用の中、本調査会に御出席をいただき、誠にありがとうございました。  本日お述べいただきました貴重な御意見は今後の調査参考にさせていただきたく存じます。本調査会を代表して厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。(拍手)  次回は来る三月一日午後一時に開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後三時五十四分散会