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国務大臣(
麻生太郎君)
日本の場合は、やっぱり旧
憲法から新
憲法に変わった段階で軍というものに対する
考え方は大幅に変わったんだと思っております。少なくとも戦前の場合は、統帥権の問題、
御存じかと思いますんで、統帥権の問題からいって、いわゆる
国会はこの統帥権に干渉することはできないという解釈の下、戦線が
拡大していったという例をもとにしていろいろ反省のされているところもあろうと思いますが、
憲法が新しく変わった。
戦争が終わりました六十年前、五十年前、あのころの話ですと、
日本の経済力も大したことなく、冷戦構造というものもあって、当時の
状況としてはいろいろ
日本というものの
存在はそんな大きな問題ではなかった。しかし、今現在では世界のGDPの一二%を占めるほどの大きさになり、そして冷戦構造が終わって、極めて不安定な
状況というものが醸成されつつある中にあって、
日本の経済のために必要な化石燃料、主に
石油を中近東から輸入、
日本の全輸入量の約九〇%は中近東ということになってくると、この中近東
地域の安定というものは、
日本という国の経済的繁栄若しくは安定のためには極めて重要と、そういう情勢になってきたときに起きたのが多分湾岸戦争だと記憶します。
結果として、あのときは戦争後に掃海艇を
日本は初めて派遣をすることになります。六杯、佐世保、呉、横須賀からそれぞれ二杯ずつ送ったと記憶します。その結果、極めて高い
評価を得た。スイーパー、掃海の能力は極めて高かったがゆえに、これが一点と、そのときの将兵の士気、練度も高く国際的な
評価を受けた、これが多分この派遣に関する最初だったかなと思っております。
その以前に、
御存じのように湾岸戦争のときに百三十億ドル前後の総額を寄与しておりますけれ
ども、
評価はほとんどゼロに近いということになりました。それがやっぱり
考えようによって、当時新聞に出ましたけれ
ども、自分の息子が戦地に行くのに百万円払ったら戦地に行かなくて済むぞと言ったら百万円しゃにむに集めて命救おうとしている
行為とどこが違うと、かなり痛烈な批判が書いてあった記憶がありますけれ
ども、そういうように金さえ払えばいいのかという話が随分いろいろなところから出るようになったのが、一九九〇年から今日までこの十五年間の大きな国民の意識の変化だと存じます。
それがあって、今回
インド洋の給油などなど、いろいろ海外において後方
支援というのを主たる任務としてやっていると思いますが、結果としてこれの
評価は極めて高いということになって、
日本もいわゆる今の混沌とした
状況になりつつある
イラクにおいて、またアフガニスタンなどにおいて、
日本の貢献というものが極めて高い
評価を得つつあるということだと存じます。
問題は、そこにおいて
日本は自国を直接攻撃されていないにもかかわらずそこで
武力闘争に巻き込まれると、撃たれりゃ別の話ですよ、こちらの方から積極的に仕掛けるべきではない等々、幾つかの歯止めが掛かっているんだと思いますが、何といっても一番大事なのは、いわゆる文民統制というものがきちんと、少なくともこの六十年間、
自衛隊できて以来五十数年間、間違いなくこれまでできてきているということであって、この点につきましては、勝手に最前線においてどんどんどんどん戦線が
拡大していったという旧軍、昔の軍のときとは少し
状況が違う。少しどころが大分違っておりますし、
憲法自体も違っておりますし、国民の意識も違うし、いろいろな
意味で私
どもはそういった反省の上に基づいて、意識というものももちろんのこと、まあ意識なんてどうでも変わり得るものではありますけれ
ども、したがって、法律においてもきちんとした形でその点が担保されているというように
認識をいたしております。