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櫻井新君 おはようございます。
提案された
案件については賛成でありますが、私、今日は、
前回に引き続いて十五分やれというので、この間きっと長くしゃべり過ぎて、またしゃべれば困ると思って抑えられたんだろうと思いますが、要領よくやるつもりですので、どうぞ
大臣、ひとつよろしく頼みます。
前回は、モルディブのことについて聞いたり、あるいは
額賀さんに、
国境線をどう
本気で守るか、それでなければ自衛隊の士気も上がらぬぞという話をしたつもりでありますが、今回は、たまたま今日の
マスコミ報道でも、昨日
総理が
海外視察を終わってこられて、
海外経済協力会議というのを開いて積極的に
環境問題について取り組もうというような
お話をされたそうで、私も実はここのところ三回続けて
ベトナム、
インド、それから
バングラと三か国を訪問してきたので、そのいずれも
環境問題をしっかりやらなきゃならぬと、こう思っておりましたので、そのことについて触れたいと思っております。
実は、今朝書類を整理をしておりましたら、二〇〇三年の十二月の九日に、これは
日経新聞かな、
FTAの、
上中下だったのか上下だったか分かりませんが、「
FTA 試される
日本」という
議題で論説が載っておったんでありますが、その中に、私と
野呂田さんは
守旧派で、谷津君ともう一人の人が、まあ名誉のために名前は伏せておきますが、この
人たちが
改革派で
総理のところへ行って進言したら、そうか、そんなに貴重なことを今日は大変いい勉強をした、分かった、どんどんやれやれと、こう言ったそうなんです。それは、要するに
FTAでどんどん相手が欲しがっている国に
輸出をせいと、こういうことなんですが。
私は、おととしの十二月から昨年夏までにかけて三回
インドの
ナート大臣とこの
WTO交渉のことで話をしたんだ。それは、
基本は、こんなに私
どもが
自由化、
自由化、
グローバル化ということでやっているけれ
ども、結果的にはこの
地球を壊す手伝いをしているようなもんだわいと、もう
タイタニック号の上でばか騒ぎをしているのと同じじゃねえのかという話をしたら、
ナート大臣も全くそうだと、おれは
アメリカの言うことなんか聞かれないと、こういう話なんだ。
だって、あんたは
日本を外して
アメリカと五か国協議やったじゃないかと、こう言ったら、いや、そういうつもりはなかったんだけど、たまたま来いと言うからジュネーブへ行ってみたら、そこに
日本がいなかっただけだなんてうまいこと言っていましたがね。
そういう中で、彼はなぜ
アメリカの言うことを聞かれないかというと、私と同じ
考えで、何百
町歩もやっている
農家と、
日本も、私は
ベトナムへ行ってみてもそうだし、
インドもそうだ、それから
アジアはほとんどがそうだと思うんですが、
平均農家反別は、一人が耕す
面積しかやっていないから一
町歩前後なんですよ。分かりやすく言えば、私らの田舎でいう五反百姓なんだな。そういうことですから、それが
本気に
競争すれば、一体何人が
農業をやめれば対抗できるようになるかというと、ほとんど全
農家がやめるぐらいにしなきゃならぬな。百戸でも二百戸でも
一つに合わせてやっと彼らの
町歩数に合うかどうかと。そんなことをやってたら、はみ出した人を何で食べさせるかというようなことが実は
ナートさんの意見なんだ。
で、そうだな、
インドも六割は農民だろうなって言ったら、
櫻井さん、六割じゃねえわいと、六億五千万人だと言うんだ。言い直すんだよ。うん、そうだ、おまえのところは十一億もいるからなというような話で、そんなことできっこないと。
だから、
WTOはと言っていますが、今
WTOを進めようとしているけれ
ども、四割もそうやって
競争をしてつくった
食料を無駄に使っている、
目的どおりに消化していないんだ。だとすれば、この辺で
WTOの在り方も、
地球全体、我々はどんなに頑張ったって
地球と共生するしかないんですから。去年も今年も、私の地域は
豪雪地ですが、まだ雪消えませんからね、ツバメも巣を作れないほど田んぼの上に雪が一杯なんだ。そういう
状況が続いておる。あの
地震から始まってずうっと
異常気象が続いているわけですから、それは明らかに我々人間が過剰な
エネルギー消費をした結果なんですから。そういう視点に立つと、まあ
総理がこう言っているのも、
環境と言ってくれるのは有り難いけれ
ども、グローバリズムなんという
発想がそもそも間違いなんで、それぞれの国に合った生き様というものをすべきだったと思う。
私は、
日本は戦後、敗戦の中で外地に行った人が六百万人も帰ってきて、そして食べられなくなって
餓死者まで出たね、あの当時。それで、
買い出し列車なんかガラスを割ってそこから乗り込むほどの騒ぎだったんですが、そういう中からわずか四十年ぐらいで
食料は十分余るほどの国になった。別に世銀や
アメリカから金もらったんでも何でもない、
日本の知恵で働き出したんですから。今は世界じゅうの国へ行って、
日本の戦後のまねをすれと、こう言って、それぞれの国の
自然条件に合った生き方を開発して、人から金をもらうよりも自ら
努力をして立ち上がってくれという話をして歩いているんです。
そういう中で、実は
ベトナムに行きましたら、
ベトナムは全くそれと同じようなことをやっておりまして、さっきも話したように、ほとんどが一
町歩前後、一
町歩足らずと言った方がいいんでしょう、
平均面積。それを
ベトナム政府としては、大
規模化なんてことはやらないで、それはそれでみんなやって生きてくれと。しかしそれだけでは
ベトナムがこれから発展、
復興はできないから、
農外収入をどうするかと、このことに専念をしてくれと。
こう言っていた中で、
一つは、びっくりしたんですが、ハノイから
北西部の方に行ったところで、行ってみましたら、竹やぶばっかりなんだな、山が。竹が非常に多いところなんですよ。で、その竹で実は
割りばしを作っているんですよ。もう十歳ぐらいの子供から始まって、みんな村挙げてその
竹加工の
工場へ行って、
割りばし加工の
工場へ行って、そこ見てきました。そしたら、いろんな
機械も、まあ近代的な
流れ作業の
機械も仕入れてやっておりましたが、大方は
手作業です。そして、みんなが働いているんですが、
輸出先はどこだって言ったら、ほとんど
日本ですと、一部
台湾ですと、こういう話だ。そう言われれば、はしを使うのは
日本と
台湾が
中心なのかなと思って聞いておりました。いずれにしても、それが非常に、教育から始まって戦後の
ベトナム復興の大きな糧になっているそうです。
それからもう
一つ、今日はあなたに特にお願いしたい第一点は、
日本に
環境権を買っていただいて、
ベトナムの戦争で荒廃して、爆撃でやられて、全く
北朝鮮みたいになったんでしょう、そういうところをこれから国挙げて植樹をして
植林をしていきたいと、こういうことなんで、
環境権を買ってもやらなければならない
企業が
日本にはたくさんあるから、そこで買ってくれと私は正式に依頼を受けた。
そこで、これを、そういう
企業を
外務省にも御相談申し上げたり
環境省にも御相談申し上げて、昨日は
炭谷事務次官にも会ってきました。そして、そういう方々に
是非あっせんをしていただいて、中継ぎをして、
ベトナムが
日本の戦後のような
考え方で自ら立ち上がって、あの国を人の世話にならぬでやろうとしていることについて積極的に協力していただきたいと思っておりますが、まず一点目、
ベトナムのことについて、
外務大臣、今、私の話を聞いてお答えをいただければ有り難いと思います。