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杉田分科員 おはようございます。私は、自民党の愛知県十四区選出の
杉田元司でございます。
きょうは、地球温暖化に絡めまして、
森林と
林業の
整備事業についてお伺いをさせていただきます。
愛知県、皆様方はイメージをどうお持ちになられておられるのか、いろいろなイメージがあると思うんですが、実は、工業出荷額におきましては、もう既に三十年近く全国の
都道府県の中でトップを走ってきました。これは、
地元のトヨタ自動車を初めとする輸送関連、あるいは自動車関連が、長い間の支えによって今日までこの愛知県を形づくってまいりました。また一方で、
農業という部門でも、全国の
農業粗生産額、出荷額が大体五番目に位置している、そんな
農業立県でもあります。
自動車と
農業、もう
一つ、愛知県には、
林業を支える山がございます。
私は、実は、生まれ育ちましたのが、太平洋に面する、むしろ
農業地帯で生まれ育ちました。愛知県の西が名古屋だとしますと、東の外れでありまして、静岡の県境に近い
地域であります。
この
地域は、愛知県が
農業全国五位と申し上げましたけれ
ども、さらにこの三河という
地域に限りますと、もう二十八年来、
農業粗生産額が全国一位を誇ってまいりました。
しかし、この地も、その前はいかがであったかと申しますと、貧農、大変貧しい農村地帯でありました。また、漁村も、これも収穫量の多いときもありますし、あるいは量が少ないときもあったりして、どちらかといえば貧しい漁村でありました。
そんな中で、この三河の
地域は、昭和四十三年に山から貴重な水をいただいた豊川用水が通水をいたしまして、それ以来、この
地域の
農業は、飛躍的な発展をするようになりました。米とかあるいは麦というものに頼らない、どちらかといえばハウスの栽培、野菜や果樹あるいは花卉といったものに特化した
農業、日本一を二十八年ほど続けてまいった。
私は、実はその農村地帯で生まれたわけでありますけれ
ども、今回、衆議院に立
候補させていただくときに、その地帯を離れまして、山の
地域からこの選挙では立
候補をさせていただくことになりました。
当時、私
どもは、一千万
農家と言われる
方々に囲まれて、非常に裕福な
農業地帯。そんな中で、あるとき、山の、北設楽郡と申しますけれ
ども、その一町長が私に申したことがあります。
上流と下流で、君
たちは下流域で大変豊かな
農業にはぐくまれ、そして優雅な営み、そして豊かな
生活を送っている。しかし、その陰で、我々の
生活の実態を君は知っているか。私
たちの
地域は、あなた
たちに水を供給するために山を切り開き、そしてダムをつくって、そして、何十年あるいは何百年とこの
地域に住んできた村民が、あなた
たちの水のために離村をし、あるいはふるさとを離れていかざるを得ない状況。そのことは、あなたが政治の中で仕事をしている限りは決して忘れてほしくない、そうした下流の
協力をぜひ上流の私
たちに与えてほしい。
そんなことを言われたことが大変印象的でありましたし、まさか、よもや私がその山を背景にした
地域で選挙に出させていただくとは思ってもおりませんでした。今、山々をこつこつと歩かせていただきながら、山村の、あるいは中山間
地域の置かれている状況、このことを、あのときああ話してくれた、かつての町長の言葉が、今、忘れることができません。
そして、この疲弊し切った山村を、何としてでももう一度、かつてのように人が
交流をする山づくりというものを目指し、心がけていかなければいけない。そのことが政治家としての第一歩の心構えになってまいりました。
折しも、昨年、たまたまでありますけれ
ども、愛知県におきましては、愛・地球博、
環境博覧会、万博が開催をされました。当時、経済産業
大臣であられました
中川現農水
大臣も、所管
大臣としてたびたび愛知にお越しをいただき、そのつぶさな状況を見ておられることと思います。
小泉総理も、開会式あるいは閉幕式にもお越しをいただき、そのときの御発言が印象的でありました。
環境と技術は両立できるものだ、このことを強く確信した、こんな発言をなされました。
世界は今、地球の温暖化、あるいは山々の
荒廃、そして、そうした自然を守り抜いていかなければならないという趨勢の中にあります。しかし、山の置かれた状況は、その趨勢とは裏腹に、大変苦しい状況に追い込まれております。
かつて、山の産業といえば、建設業そして
林業あるいは
農業でありました。しかし、小泉構造改革の中で、公共
事業等々の削減を含めて、今、山の建設業は大変疲れ切った状況の中にあります。そして、
林業も、もう昭和の三十年の初めから大変疲れ切っておりましたけれ
ども、それでも、
林業の減った分の収益は、建設業でその間働かせていただいて、そして生計を立ててまいったのが今日までの山村の状況であったと思っております。
そんな中で、これから
質問に入らせていただくわけですが、万博の、先ほど
環境と技術、このことは、象徴的なことがありました。
一つは、愛知が自動車産業の県であると申し上げましたように、トヨタのロボット館、これは長蛇の列ができるほど毎日のにぎわいがありました。もう一点、その技術と全く対峙する
環境、その部門で、
地域材を使った、国産材を使った、ちょうど昭和三十年代の日本の
一般的な木造家屋、これは平均的な木造家屋、トトロの家と申しまして、本当に手づくりの、いろりがあり、そしてまた丸テーブルが、円卓のテーブルがあり、そのトトロの家の木造住宅、そこもロボット館と同じように長蛇の列がなされました。昔を懐かしむ親
たちと同時に、子供
たちもそのトトロの家に行きたくて行きたくて、入場制限をかいくぐりたいぐらいに行きたくて、ということは、感じますところは、やはり、木のぬくもりや温かみや、そしてかつての日本の木造の住宅に対する、もう一度戻ってみたい、あるいはそこで
生活をしてみたいという気持ちが、この万博の二つのケースの中で端的にあらわされてきたのではないかと思っております。
そういう
意味合いから、今、日本の置かれているこの木材、そして木材のこれからの
考え方、そのことからまず御
質問をさせていただきたいと思います。この万博を通じまして、木材の意義あるいはそのことの認識、そして、これからどうこのことを伝え、PRをしていかれるのか、まずはお伺いをさせていただきたいと思います。