○郡
分科員 今
お答えになられました共同及び交流学習、これは特別支援教育のことをおっしゃっているんだと思うんですけれ
ども、私が伺ったのはそういうことではございませんで、一緒に学ぶのだと。区別されている、振り分けられているのを時々交流させるということではありません。ともに学ぶということについてお伺いしているわけでございます。
私の
地元宮城のことを
お話しさせていただきたいと
思います。
宮城は、共生社会の第一歩を国に先んじて取り組んでいるというふうに言っていいだろうと
思います。状況を既に
大臣も御存じのことと
思いますけれ
ども、
基本理念、障害の有無によらず、すべての
子供が地域の小中学校で学ぶ教育を
子供や
保護者の希望を尊重して展開するというふうに掲げております。そして、
平成十七年度からは、ともに学ぶ学習システム
整備モデル
事業、これに一億二千万円を投じまして、十九校に二十三人の補助員を配置いたしました。さらに、十カ年
計画を策定しております、障害児教育将来
構想というものでございます。ともに学ぶ、そういう地域を県下全体に広げていこう、そういう将来
構想でございます。さかのぼって、
平成十一年、重い障害を持った
子供さんたちも通常の学級に通学させるモデル
事業を開始いたしました。そして、その実績を積み上げてきたわけでございます。
きょう御紹介いたしますのは、こちらの写真、御両親の了解を得てお示しするものでございます。
宮城県の登米市石越町に住んでいる中村繭ちゃんといいます。十三歳。ちょっと前の写真なんですけれ
ども、彼女は、話すこともできません、歩くこともできません、寝返りを打つこともできません、さらに、医療的なケアが必要な重度のお子さんです。彼女が
地元の小学校に入学を決意いたしまして、これがその小学校入学当時の写真でございます。何とほほ笑ましいでしょうか。お隣の女の子が、しゃべれないんですけれ
ども、繭ちゃんに何か話しかけていて、声が聞こえてくる
ような、大変ほほ笑ましい写真でございます。
お母さんは、当時、この周りのお子さんたちに繭ちゃんのことをどういうふうに説明したらわかってもらえるんだろうと、いろいろな本を読んで、
子供たちに障害を
理解させるために説明するのに準備をされたそうです。ところが、教室に入って、お子さんたちの繭ちゃんに対する質問は何だったと
思いますか。繭ちゃん、お誕生日はいつですか、繭ちゃん、おうちはどこですかという質問だったそうです。つまり、どんなに重い障害を持っていても、
子供たちは当たり前の仲よしの一人として迎えてくれたんだとお母さんはおっしゃっていました。
障害に対してマイナスイメージを持っているのは、障害を持つ人とともに暮らしてこなかった私たち大人の責任である。大人は、そう育ってこなかったからマイナスイメージを持ってしまっているのかもしれない。
子供たちの反応に大変感動したとおっしゃっています。
これはまた
子供たちと一緒の写真です。見てください、とてもいい笑顔をしています。私も、実は先週の土曜日、久しぶりに繭ちゃんに会いに参りました。大変発育をしているので、感動いたしました。自己表現もできなかったのですけれ
ども、目でしっかりと意思表示をする。そしてまた、うれしいことには笑顔を見せる、嫌なことにはぶうっと言う。そしてまた、お母さんの
お話では、数に対して大変興味を持って、数学の勉強にも意欲的に取り組んでいるということでございます。
本人、繭ちゃんの発育、成長ぶりもさることながら、この周りの
子供たち、これも大変いい顔をして繭ちゃんの周りを囲んでいますけれ
ども、大変成長しております。皆さん、この
子供たちは、繭ちゃんがかわいそうだから手助けをしてやるという
思いやりではないんですね。繭ちゃんが障害によって困難なことを解決するのは、自分たち、友達である自分たちの必然である、そういう
思いやりなんです。この違い、おわかりになりますでしょうか。自分たちの必然で繭ちゃんの障害の困難を解決していくんだ、こういうことを学び取っているんです。大変すばらしいことだと
思います。
ぜひ
大臣、副
大臣、宮城でこの状況をごらんいただきたいと
思いますが、いかがでしょうか。