○
加藤(紘)
委員 現在の段階ではそうだろうと思うし、なかなか
技術的に難しい話なんだろうと思います。
しかし、これから
通信と
放送の融合というのがいろいろ出てきて、
デジタル放送、
ワンセグ放送なんかがどんどん出てきているときに、
著作権と
放送・
通信の話は実に厄介なことになってきている。ある
意味では、
イタチごっこになってきているかもしれません。しかし、同時に、
ユビキタス技術というのがある
社会で、何らか、一回使ったごとに、一回聞いたごとに、コピーライトというものが保障される道みたいなものもきっとだれかが考えるんじゃないかなというような気がしますけれども、すぐ答えの出る話ではありません、真剣になって考えてもらいたいと思います。
と同時に、私は、この
金子勇氏を初め、最近、
日本の
ITにしても
バイオにしても、かなりいい
技術者、
学者がいるんだけれども、あるときにどこかでぼおんとこういう事件を浴びせかけられて萎縮しちゃう。例えば、
日本から
ハーバードに行った優秀な
女性バイオ学者が
向こうで
日本の
製薬会社と
情報交換したんじゃないかという
一事で逮捕されるとか、そういう
ケースがいろいろあります。ぜひ優秀な
科学者が萎縮しないような
社会を、配慮して、考えていただきたいというふうに旧
科技庁関係の人には申し上げておきたいと思います。
次に、きょうは
文教の問題について御
質問させていただきます。
私は
国会に来て三十三年ぐらいになるんですが、
文教委員会というところに足を踏み入れるのに常に戸惑いがあったんです。では、今何で
委員をやっているんだというと、私は、
科学技術特別委員の流れでこっちに来ておりまして、
自分が
文教委員なぞというところにおこがましくも立ち至ったというふうになかなか認められないところがあるんです。それは、小さいときの
インプリンティングがあります、トラウマがあります。
私の
父親は旧
内務省官僚でした。それから
文部省の
課長か何かになって、
課長直前かな、応召して、そして戦後は、
文部省に帰るというときに、
地元、
山形県
鶴岡市の
市長になれと。当時、まだ選挙じゃなくて指名だったんですね。何で、どうやってできたのかな、
地元の
有力者が
市長か何かを選ぶんですね。終戦直後二、三年はそういうのがあったみたいです。それで、いや、私は
文部省に帰ると。どっちかというと役人が好きなタイプでしたから。でも、
うちの
母親が、やはり
地域社会の中でいろいろやるのもおもしろいのよと言ったら、その妻の一言で
市長になっちゃったんですけれども。
それから七、八年して
衆議院議員になりました。私が中学生、一年のときです。ですから、それから十年
国会議員をやりましたから、私の中学、高校、大学、ずっと
うちの父は、当然のように
文教委員になったんです。そして、完全な
族議員でした。やっていることといえば、
日教組の
先生とのけんかばかりです。まあまあ、とにかく不毛な感じでしてね。私は、それからしばらくして、跡をとって
政治家になるわけですけれども、
文教委員にだけはなるまいとかたく決心いたしまして足を踏み入れないようにしているんですが。なぜか今度、
文教関係で
質疑に立ってみろという
理事さんの御
指示でございますので、やらせてもらいたいと思って、きょう立っているんですが、
文教政策は素人でございます。
どちらかというと、
文教の論文なんか一回も、
書類も読んだことのないという
人間が、きょうここに立っているんですが。言われてから二週間ほど、最近、
議論を読んでいるんですけれども、
文教関係の
学者さんの書く
書類というのはわかりにくいですね。何であんなに難しく書くのでしょう。よく読んでみると、結構、論旨が不明確だからわかりにくいというのがかなりありまして。いや、こういう
先生から教わった
先生が
子供に教えているというのは問題だななぞと思ったりしますが、これはちょっと余計なことで。
そういう中で、私は、今、
地域と
学校というのは最大のテーマになっているのではないかと思います。
自民党内のある
一つの場面を御
紹介しますと、今から二年ぐらい前ですが、
PISAテストの成績が悪かったという問題がありましたね。我々の
文教部会で大変な
議論になって、そのときに、
総合学習だとか週休二日制だとか詰め込みだとかといういろいろな、ここでも行われている
議論があって、そこで私が、
歴代の
初中局長がいたものですから、一体こういう問題がいろいろ
議論されているけれども、
歴代の
初中局長さんが今ここに三人ほどおられるけれどもと、その
部会のときにね、いろいろ見解を話していただきたいと申したら、いろいろな方がおっしゃいました。
一番若い
初中局長さんがきょうおられる
銭谷さんだったように思いますが、その
先輩の
先輩の
人たちがいろいろおっしゃったけれども、
最後に、事務次官をされた方が、結局、我々、
教育の場では、
文教の場ではみんな頑張っているんですが、
地域コミュニティーがそれをちゃんと受け取ってくれないから悪いんですという種類のことをおっしゃって、私は、それはないだろう、
文教政策の
責任者として、
学校の方は頑張っているけれども
地域社会が悪いからだみたいな話は、それは
責任逃れじゃないかなぞと思って、ちょっとむむっと思ったんですが。当時、我が方の
文教部会長は
遠藤利明議員でした。さすがに彼も、今の言い方はないでしょうというようなことを言いました。多分、ちょっと表現が悪かったんでしょう。そのときには、やはり
文教の方が責任あるのになと私は思いました。
しかし、それから一年ほどして、私はあるところで
日教組の
委員長に会いました。森越さんとおっしゃる
岩手出身の
先生で、絵画の
先生でした。プライベートな場所であったというせいもあって、こっちもゆったりとして話をしていましたし、
向こうもプライベートにしゃべったからなんですが、そのとき彼が、
加藤先生ね、結局、
地域がだめだと
学校はどんなに我々が頑張ってもいい
学校になりません、いい
地域には我々がちょっと努力しただけですばらしい
学校が生まれるんですと言いました。そのときに、私は彼の
言葉がすうっと胸に入っちゃいまして、ああ、こんなに
日教組の
先生に心を許して、
うちのおやじは怒っているかななぞと思ったりもしましたけれども、すうっと入りました。やはり、
地域コミュニティーというのと
学校というのは強烈な
関係があるんじゃないかなというふうに思ったんです。
ちょっと長くなりましたけれども、もう
一つ、最近の例を申し上げます。
私の
山形県
鶴岡市というところの一年中の一番のメーンの
祭りは、
天神祭りといいます。
武者祭り。昔、学問の
神様菅原道真が
京都から追い払われて太宰府に行った、それを
人々が悲しんで、でも、それを見送りするのを見られるとお上に怒られるから、すげがさをかぶって顔を隠して、そして別れの杯を
人々に振る舞ったという、ちょっと変わった
祭りなんですが、最近、それだけでは売れないものですから、
地元の各
小学校にパレードさせるわけです、マーチングさせるわけです。
みんな、よさこい
ソーラン風とか
ストリートダンス系のいろいろな
ダンスをやるんですが、去年のその
祭りに、市内の
小学校十幾つかが参加したんですが、「NO MORE
CRY」という
音楽なんですが、僕は知りません、
D—51グループのミュージックだといいますが、要すれば、テレビの
子供番組でよく使われる、出てくる、乗りのいい、
リズムのいい
音楽なんですが、その
音楽で、あろうことか、四つの
小学校が同じ曲でマーチングをやったんですよ。ところが、その中の
一つの
学校、
鶴岡市立第五
小学校というんですが、実に感動的だったんです。ほかの
地域とぐっと差をつけた。六年生全員八十六名、
母親二十名、教職員六名、
父親一名。これが、激しい激しい、動きの物すごく大きい、さっき言いましたように、よさこいの動作の大きさと
ストリートダンスの
ステップの緻密さと両方まぜたような踊りをやりまして、感動的でしたね。
それで、私は、なぜその
小学校がそれをうまくできたんだということを、それから後、私の
地元ですから、私の金城湯池ですから、
後援会の
システムや、そこの
地域の若い
お母さんたちと、土日、帰ったときに
一緒に
すし屋で飲んで食べたりしながら、ありとあらゆる角度から取材してみたんです。そうしたら、
一つはっきりしていることは、五月二十五日のその
祭りを目指して、三、四カ月、
総合学習の時間を全部その
練習に使っているんですね、六年生は。それから、そのときには
父兄も行く。でも、
父兄とて、とても日中はそんなに行けませんから、夜七時から九時まで何回か
練習する。そのとき、
父兄が来れない
子供たちが夜帰るわけですから、その送迎はだれがやるかということをまた担当して、事故が起こらないようにする。いや、実に綿密にやっているんですね。
そして、
練習が終わると
子供と
父兄が
一緒に帰る。家に帰ると
子供に
お母さんが
ステップの踏み方を聞くらしいんですね。どうせ
お母さんの方が
運動神経鈍くなっていますし、物覚えが悪いですから、四十前ぐらいですからね。そうすると、娘や
息子たちは、
地元の
言葉で言うと「でってでって」というんですけれども、しょうがねえなこの
お母さん、
お母さんこうだよとかいって、
優越感を持って
子供が
お母さんに
ステップを教える。また間違えた、とかやっている。
それで、
父兄にしてみれば、二、三年して振り返って、あれは至福のときでしたと。
子供と私が
一緒になって、
子供に教えられて、そして
一緒の
リズムで体を動かして、あんな幸せなときはないと言っていました。
これはどうしてそんなにうまくいくのか。
一体PTAが主体なのか
学校が中心なのか。
市役所から声がかかってきたときにはどっちに声がかかってきたんですかと聞くと、どっちだったんだろうなというようなことを言うんですけれども、彼らにしてみれば、
学校に声がかかってきたか
地域に声がかかってきたかは
関係ないと思う。だって、
一緒にやっているんだから、
関係ない。常に
PTAの代表と
学年主任の
先生と二人で
市役所に行っていろいろな
指示を受けてきましたみたいなことなんですよね。ですから、
コミュニティーというものが本当にうまくいくと、なかなかすばらしい
教育効果を示すことになるんだろうと私は思うんです。
その点で考えますと、過去五、六年、
文教政策は
コミュニティーとどうやって結びつけるかということで悩みに悩んできて、あるときには
学校評議員制度というのをやりました。その後、
学校運営協議会の
法案がここに出てきて、私も何となく
審議に参加しましたけれども、賛成と立候補もしたし、でも、激しい
法案だなと思いました。すごい
法案だったなと思いました。だって、
学校運営協議会のメンバーが人事に文句を言えるという仕組みですから、すさまじい
法案なんですね。
それで、この
法案についての議事録をここ一週間ほど丹念に私は読んでみました。
その中で、いろいろな
議論があるんですけれども、例えば、ちょっとお名前を出して失礼なんですけれども、その後どうなっていますかということを、この間、予算
委員会の第四分科会で永岡
先生が聞いているんですね。まだ当選間もないから遠慮っぽくおっしゃっているけれども、大丈夫ですか、これは本当に、どんどんどんどん
地域の
人たちが強引に入っていくような
関係にはなりませんかという感じの、いろいろな心配されている表現もちらっと見るんですけれども。二年前の
審議で、民主党の笠さんがおっしゃったのもかなり心配されているんですね。これは
学校評価制度から連続したバージョンアップですね、こういうふうにおっしゃっているんだけれども、本当にこれはその後のバージョンアップなんだろうかと。
というのは、どうもこの
学校評議員制度というのと運営協議会というのは何かどこかで断絶しているような感じが経緯的にもするんですけれども。最近、
学校運営協議会というのは余り伸びていないですよね。一方、評議員制度というのが逆に伸びている。だから、ウィンドウズ二〇〇〇というバージョンアップができたと思ったら、逆にウィンドウズ98がどんどんシェアが伸びてきたみたいな話じゃないかなと思うんですが、最近、両方の伸びぐあいの実情はどうですか。