○山口(壯)
委員 民主党の山口壯です。
きょうは
小坂大臣とじっくり
議論をさせてい
ただきたいと思って、馳さんも適宜よろしく。きょうは、
政府委員の
方々、いてもらっても結構ですけれども、お二方と私は
議論をさせてい
ただきますので、よろしくお願いします。細かいことはそんなに聞きませんから、大きな話です。
私は、この間の
小坂大臣の
答弁、本当にとらわれのない心で非常に大きな視点からの
答弁があったと思うし、私は、非常にそこは大事だと思うんです。
きょうは、この間、
独立行政法人となった
国立大学、そういうものを、考え方が今回の話にもつながりますから、そういう意味で、きょうまた話を続けさせてい
ただければと思います。最後に、もちろん今回話題になっていることについても共通点を探っていきたいと思います。
今お手元に配らせてい
ただいている資料、二枚紙のものですけれども、いや、これは結構時間がかかったんですよ、ここまで調べるのには。本当に時間がかかった。これが本当に全貌かどうか、私は余りそこは自信がないかもしれない。でも、私が見た限りでは、こういう一つの姿があるわけです。全部を言っていると時間がありませんから、そういう意味では、一
部分部分ずっと
指摘をしていきます。その中で、
大臣、いろいろお感じになられることもあるかもしれない。
この仕組みについては、
大臣もこの間、必ずしもひょっとしたら正確に把握されていなかったかもしれないので、もう一度確認しますけれども、現職の
国家公務員は
理事になれないわけですから、一回退職をして、そして
役員出向という格好で行っているわけです。だけれども、これはそのまま退職、いわゆる一般のイメージでいう退職ではなくて、もう一回
文部科学省に戻るかもしれない、そういう
部分があるわけです。そのことを念頭に置いておいてください。したがって、退職か
役員出向かじゃないんです。退職して
役員出向をするんです。ここをよく押さえておいてください。
最初に、北海道大学に
遠藤啓さんという方がおられます。たまたま私の中高の先輩なんですよ。とてもいい人ですし、彼は非常によくできる方だと思います。東大の法学部を出てから、香川県の文化
行政課長をされたり、あるいは、OECD代表部で外務省にも来てもらったり、あるいは
大臣秘書官もされて、それから生涯学習
政策局の学習情報課長とか、あるいは文化庁においては総務課長とか文化部長とかされて、内閣府の官房審議官を経てから、この北海道大学に行かれているわけですね。年は、まだ若いですから、二十七年九月一日生まれですから、まだ五十三歳です。そういう意味では、この方がもう
文部科学省に戻ってこないというふうには私には思えません。そういうことをまず
大臣、一つ押さえておいてください。
それから、例えば、東北大学の徳重真光さんという方がおられます。この方なんかも文部省に昭和五十二年に入られてから、
学校健康教育課長とか、あるいは高等
学校課長とか、あるいは初等中等教育企画課長とか、ずっとされてから横浜
国立大学の
事務局長を経て、この東北大学の
理事になっておられるんです。年はこの方は六十三ですから、もう
文部科学省には戻ってこないかもしれません。しかし、
文部科学省の言ってみれば生え抜きの方がこうやって行っておられるわけですね。
独立行政法人となったのかどうか、ここにかかわってくるわけです。
あるいは、もう少し下がって、茨城大学の長谷川正文さんという人がおられますね。長谷川正文さんなんかも官房の総務課におられたり、あるいは会計課の契約専門官をやっておられたり、あるいは会計
調査官をされたり、あるいは会計課の経理班の主査をされたり、ずっと勤められているわけです。非常に
文部科学省の生え抜きの方ですよ。
あるいは、埼玉大学の原政敏さん。この方も会計の専門家ですね。会計課の第四予算班主査から第三予算班主査やって、第二予算班主査やって、会計課長補佐もされて、予算企画調整官もされて、この
国立少年自然の家の
理事から来ておられる。
この山根さん。この方なんか割と大物でしょうね。山根さんは、昭和五十四年に文部省入省、ああ私と同じ年に役所に入っているんだ。それで、山根さんは、その後、大学入試室長をされて、特殊教育課長あるいは私学助成課長、私学
行政課長、
スポーツ・
青少年局企画・体育課長と。年も私と同じようなものだから、まだ
文部科学省に絶対戻らないとは私は言えないと思うんですね。この方が今
理事として千葉大学に行っておられる。
東京大学の上杉道世さん。
事務局長の前は、内閣の審議官だったんですね。もちろん
文部科学省の方です。
それから、ずっと下って、金沢大学の本木章喜さん。この方も
文部科学省で活躍されていますね。本木章喜さん、生涯
スポーツ課長をされたり、あるいは
日本学術
会議に出向という形になるのか、
文部科学省の所管の中ですよ、総務部長をされて、そしてこういうところに今行っておられる。
福井大学の飯田和郎さん。この方も
国立科学博物館の庶務課長をされたり、あるいは文部省に来られて国際企画課の課長補佐、あるいは国際学術課の監理官、あるいは
国立天文台に行かれては
管理部長をされたり、
文部科学省の本当に生え抜きの方ですよ。
そして、名古屋大学の豊田三郎さん。遠山
大臣がおられたときに、後ろにいつもおられた秘書官だったんですね、たしか。私も覚えていますよ。あの温厚な顔をされている立派な秘書官だったんです。豊田さん
あたりは、文化庁の、これは宗務課長と読むんでしょうか、ここから現在名古屋大学に行っておられますけれども、
文科大臣の秘書官をされたりして、年もまだ若いですから、
文部科学省にこの方は戻らないんですかね。よく考えてみてください。
あるいは、ずっと下がって滋賀大学の斉藤和信さん。この方も文部省の留学生課の課長補佐をされたり、会計課の主査をされたり、会計室長されたり、そこから行っておられるわけです。
京都大学に来ると、また大物の方が出てくるんですね、本間政雄さんとか木谷さんとか。本間政雄さん、名古屋大学の法学部を出られて、四十六年に文部省に入省か。私より少しシニアですね。フランス大使館にも来てもらったりして、後、生涯
スポーツ課長、専門教育課長、国際企画課長、高等
学校課長、官房審議官、そこから横浜
国立大学に行って、そして今の京都大学に行っておられる。そしてその後、大学評価・学位授与機構国際連携センター長兼教授で行っておられる。文部省との強い関係ってすごいですね。
独立行政法人なのか何なのか、よくわからない。
そして、この木谷さんが今京都大学に行っておられるんですけれども、木谷雅人さん。この方、昭和五十一年に京大の法学部を出られて、大体私と同じぐらいですね、そうしたら。外務省の寿府代にも来てもらったり、留学生課長、医学教育課長、企画課長、高等教育企画課長、文化財部長を文化庁でされて、それから高等教育局の審議官、官房審議官、そして京都大学に行っておられる。
文部科学省の言ってみれば超目玉の
人事ですよ、きっと。
そして、大阪教育大学の中岡司さんと椎広行さんも
文部科学省の枢要の
ポストをされていますね。中岡さんは
学校健康教育課長、椎さんも
民間教育
事業振興室長をされていますね。お年的にも、お二方とももう
文部科学省に戻らないんですかね。どうでしょう。
あるいは、和歌山大学にちょっと下って、
坂本邦夫さん。この
坂本邦夫さん
あたりは、この方も
国立民族学博物館の
管理部長をされて、総合地球環境学研究所の
管理部長をされて、それから和歌山大学に行かれて、そこから今に至っておられる。
文部科学省との
人事は本当に密接にあるんです。
そして、鳥取大学の三宅保信さんと高木さん。三宅さんは、
文部科学省の学術研究助成課企画室長から鳥取大学の
事務局長に来られているわけですね。大学
業務に精通しておられるということでとられているんでしょう。しかし、本当に密接に関連しています。高木さんは国際
理解教育専門官としてやっておられた。
広島大学の、これは興さんと読まれるんでしょうか、直孝さん。この方は科技庁入庁なんですね。科技庁に入られて、すごく立派な
役職を、官房長も歴任され、原子力局長も歴任されている。この人は
社会連携担当なんですね、広島大学では。どういうことなのかなと。工藤敏夫さんという方も行っておられて、この方は文部省に五十二年入省で入られて、その後、教育大学室長、生涯
スポーツ課長、総合研究課長、研究技術課長、量子放射線研究課長をずっと歴任されてから行っておられる。年的には私と余り変わらないはずですね、五十二年入省だから。五十三、四、五ぐらいでしょう。
文部科学省にもう帰ってこないんですかね。退職という格好で行かれたんですか。あるいは、工藤敏夫さんと今申し上げましたけれども、工藤敏夫さんは鹿屋体育大学の
理事をされてからこちらの広島大学に来ておられるんです。鹿屋体育大学は下から四つ目ですけれども。
こういう格好でずっとつながるわけですね。全部言っていたら切りがありませんから。私が言わんとしていることはほぼ明らかになっていると思います。仕組みとしては、退職という形をとって、そして
役員出向の形で
理事になるわけです。こういうのを本当の意味で退職と言うんですか。偽装退職みたいなものですよ。
こういうことについて、
大臣、どうですか。今までは、確かに
文部科学省の、いろいろな意味で、連絡も密な、様子を知っておられる方がいたら心強いなということで大学の方もこういう人材は欲しかったと思うんです。そして、
独立行政法人ということになった以上は、この独立ということを本当に実のある独立にしていくためには、むしろ変えていく方向が望ましいとかえって私は思いますけれども、
大臣、いかがでしょうか。