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見城参考人 おはようございます。本日はお招きありがとうございます。
見城美枝子です。
私も
中央教育審議会の
義務教育特別部会を担当させていただきまして、
日本の
子供たちにとってどういう
義務教育がよろしいのか、いろいろと
審議に参加させていただきました。そういう中から、きょうは短い時間ですけれども、私の感じたこと、それから、信念として、
教育に対する思いといったことをお話しさせていただきます。
まず、私が
教育というのは大事であると本当に思いましたのは、いろいろな
場面で思ったんですけれども、
アフリカのタンザニアに取材に行きましたときに、
マサイ族の
少女のきらきらと輝く
ひとみを見たときなんです。
衝撃を受けました。
それは、国が大変疲弊して、貧しくて、そして、
マサイ族というのは遊牧民で、動いていきます。ところが、国の方針として、これからは
定住策をとるということで、
マサイの集落を定住させるということで、住宅をつくり、そこでの生活を始めたわけです。そのときに真っ先に国が始めましたのが
学校です、
学校をつくりました。
それまでの
子供たちは、
長老にすべてを教えてもらう。気候がどうだ、草の
状況がどうだ、そういうことで生活していける力を
長老から受けておりましたけれども、
学校をつくって一から勉強してもらいたいと。
最初は、
学校に
子供を送らなかったんです、働き手がなくなるということで。そこへ一週間ほど滞在したんですけれども、その中でわかりましたことは、給食を出すといったら、その途端に
子供を
学校に送ろうと。一日一食分が助かるというようなこともあって、
子供たちが
学校に来るようになりました。
そうしたら、
子供たちが一生懸命学ぶようになりまして、もちろん
教材などはございませんので、こういった板を見つけて、穴をあけて、ひもをどこかから見つけて、どこかに落ちていた鉛筆を縛りつけて、何としてもこれだけは確保するというようなことで、
教材がない中で、みんな一生懸命勉強していましたが、何に私が
衝撃を受けたかといいますと、
マサイの
長老が、
自分が一番かわいいと、この子は本当によくできる、勉強もできる、
学校も楽しくやっている子なんで
紹介したいと言って、一人の
少女を
紹介してくれました。
その
少女が私に、アルファベットで
自分の
名前が書けると言ったんです。さっと
英語で
名前を書きました。それは、
マサイの
人たちは
マサイ語で
情報交換しています。ところが、
学校に行くことで、
スワヒリ語という
アフリカ共通語を学びます。続いて、今度は
英語を学び始めたわけです。
そういうことで、
マサイの
長老は、今まで
自分が
情報発信だったんですが、これからは
アフリカ全土のこと、
情報、それから
世界はどうなっているかというのは、
教育を受けたその
子供たちから聞くことになると思います。ということは、その
教育を受けた
子供たちが
情報発信をするということで、
マサイの
長老にかわる
立場になっていくわけです。
ですから、それまで
ヒエラルキーが
長老を頂点としてできていて、福祉なども特別に
制度をつくらなくても、高齢になったらみんな
子供たちや若い人が世話をする、こういう
ヒエラルキーができていましたけれども、これは
社会学的にいっても多分崩れるかもしれない、
情報を握った者が
世界を握るということで、国を変えていくかもしれないという
衝撃を受けました。
そのときの
少女が、私に、書けると言って私を見たときのその
ひとみがきらきらと輝いて、私はぞくぞくっとしたんですね、
教育は重要だと。
日本にいますと、当然のように
義務教育を受けて、当然
大学を目指すとか、苦労とか、つまらない、苦しいということが、しなければならないというような、楽しいイメージの前に、何かそういったことが出てきますが、国が今から動き出すというときに、
教育ありきで始まったときに
学校に入った
少女、この
少女が与えてくれたその
ひとみの
輝きというのは、
教育の原点であり、
日本の
教育を考える上でも大変重要だと思います。というのは、
日本の
子供たちにそういった目の
輝きがあるかどうかということが問われているからです。
学習意欲が低下していると言われておりまして、では、
学校の
制度をどうしたらいいかというのが今回の
中央教育審議会でも第一の問題でした。
子供たちが本当に勉強したい、学ぶ楽しさというものをどうしたらわかってくれるんだろうか、そして、どうしたら
先生が、
教師が、教える
立場として生きがいを持って教えられるのか、こういったことを
審議していこうという気持ちで私は
審議会に
出席いたしました。ところが、最初に出てきたのが国庫負担金をどうするかということで、三位一体改革が大きく先に出まして、なかなか内容まで到達できない
状況で、百時間余りを財源問題に費やすということになりました。
皆さんのお手元に、少しデータも入れさせていただいて、私のレジュメをお配りさせていただきましたが、中教審の議論と結論ということで申しますと、まず、データを出す、検証して
審議していくということを第一に考えました。つまり、憶測とか感情論でこういったことを
審議してはならないということで、エビデンスベースドということで、何もかも、疑問があったら、それはデータをとって検証していこうという形で
審議会は進められました。
世界、そしてアジアの中で
日本はどうあるべきかということがまず語られまして、それで、
ナショナルスタンダードとしての
義務教育の必要性ということを全員で確認いたしました。
国にとって
教育とは何かということでは、答申の中に「
教育を巡る様々な課題を克服し、国家戦略として
世界最高水準の
義務教育の
実現に取り組むことは、我々の
社会全体に課せられた次世代への
責任である。」という文言になりましたが、これは全員が、
日本の
子供たちの
教育として、何としても
ナショナルスタンダードを確立したい、そして最高水準を保つようにやるべきだということで一致いたしました。
このときに、ではどうしたらそういった最高水準がとれるのかということで、
教育の財源
保障の
制度の仕組み、これが問われたわけです。丸の三つ目ですけれども、
義務教育の法
整備をどう考えるかということでは、全額を一般財源化すればよろしいのではないかという、
地方分権としてこれはこうあるべきだという
意見から、実際には、では、四十
都道府県の財源不足というのはどうなのかということでデータをとりましたのが一と書いてあるこのデータでございます。
このように、
東京、それから
大阪、愛知、こういったところの、数少ないところを除いては、
地方がやはり財源的にかなり苦しい、みんなマイナスになってしまう、こういう中できちんとした
義務教育の財源を確保することができるのか。そうしますと、交付税で埋めるということが総務省の方から出ている、そういう御
意見が出ましたけれども、二番目のデータに載せさせていただきましたが、では、その交付税というのはどれだけ
保障されているのかという検証をいたしました。
その結果として、ごらんのように、簡単に言いますと、六年で五兆円が消えていく、これは減る一方である。やはりこのデータを見て、そういう中で
子供たちの
教育をどう確保できるのか、質の確保ができるのか、
教師の質の確保ができるのか、こういったことを任せることはできない、国がきちんと
義務教育を
保障すべきではないか。それと、三番目に、六割の市区町村が国庫負担
堅持の
意見書というのを出してきまして、結果として、やはり財源は国が
保障してほしいと六割の市町村からも出ております。
それから、では、
地方分権をこれで戻してしまうのか、改革は戻ってしまうのかということなんですが、すべて総額裁量性でそれぞれの
地方の独自の
教育をしていくべきではないか。
文部科学省は、発信すべきことは
ナショナルスタンダードとしての
教育のあるべき姿で、そのプロセスは各市町村の
学校がやっていくべきだ、担うべきだ。それをまた
文部科学省の方は受けて検証して、
日本の
教育が間違っていないか、そういう検証をして、また新たなるよりよい方向に持っていくべきだ、こういうふうに私は考えております。
私は、
地方に
教育のやり方を任せても、必要な予算が確保されなければそれはできないだろう、少なくとも二分の一の国庫負担というのは
堅持すべきだというのが私の考えです。それで、私は、実はもう全額国庫が負担すべきだと思っております。国の
子供たちを育てる
義務教育ですので、本来はそうあるべきだと思っております。
そして、二分の一で
堅持というところで、鳥居会長も、これはせめてもの良識であるというお考えを出されました。これは本当に
審議会の良識でここにとどまることができたと思います。それが三分の一に負担率を下げられてしまったということは、
教育の質をどう保証するのか。
これは非常に問題ではないかと思って、四、五、六の資料の方に、これは県立を見てくれという御
意見がある
委員から出ました。県立高校は県がきちんと運営している、だから、県に任せてくれれば小中
学校は
義務教育できるということだったんですが、四と五の比較でわかりますように、四の方に、これだけたくさん
義務教育の小中
学校が分布されておりますが、県立の方はわずかです。そういった少ない県立高校、そして授業料を徴収している、そういうことでの違いを踏まえずにこういった議論は成り立たないと私は思って、これは資料を出して検証していただきました。
そして、主要国の中でも大変少ない
教育投資であるということは、その次の方のデータを見ていただくとわかるんですが、六番目のデータに「初等中等
教育への公財政支出 対GDP比」というのが出ております。これはもう
皆さんも何度もごらんになっていると思いますけれども、OECDの平均が三・五%というときに
日本は二・七%と、低いということで、このあたりの低さをもう少し国がしっかりと
保障すべきではないか、
教育費にかけるべきだ。そして、
イギリス等はこの四月から全額国庫負担ということになっていきます。こういったことも参考にしていただければと思います。
官から民へという動きは大変すばらしい。そして、今後の少子で高齢のこういった縮む
社会を国が支えていくときに、官から民へ、できることは民へというのは大変いいお考えである。これは国民としても賛成ですが、公ということはどうなのか。官から民だけれども、公、そして国が担うべきことは国が担ってほしい、その
一つは
教育であると私は信念を持っております。
それで、
教師の問題等いろいろ出ておりますけれども、レジュメの二枚目ですが、
義務教育の質に大事なのはすぐれた
教員であるということで、
教員の質が悪ければ、被害を受けるのは声なき声の
子供たちです。そして、
教員をいろいろな形で教職員の
大学院を設けて新たに養成していくとか、いろいろな策が今出ておりますけれども、私は
自分が
大学で教えておりまして、その教える
立場で申し上げますと、
自分が学んだ、
自分が教えられたことまでしか教えられないんです。ですから、
教員がより学ぶ、
教員の養成ということは重要だと思います。どう逆立ちしても
自分が学んだところまでしか教えられません。そこから先は憶測であり、危ういことであると思います。ですから、
教員になる方々は、本当に学んで学んで学び続けていただいて、学んだものを生徒たちに教えていく。
自分が教えられたことが多ければ多いほど、
子供たちに教えることができると思います。そのことを
一つ。
それから、よりよい
教師としての人材を生み出すためにはエントリーが大切だと思いますので、これからは、人柄がわかるような就職のあり方、募集のあり方も、エントリーのやり方にも
一つ工夫が要るんではないか。
それから最後に、私の願いは朝食です。
ここに、朝食をとらない
子供たちの成績が悪いという、少し成績が落ちてしまうというのを八番目につけさせていただきましたが、このデータでわかりますように、
子供たちはやはり朝食を食べてくると落ちつきます。そういうことで、五%の
子供がほとんど朝食を食べない、わずかだとこれはいえない問題で、きょう食べない
子供のために、その子をほうっておきますと、すぐ六年生になって、六年間食べずに中学へ行くということになります。ですから、私は
学校で、おむすび一個でもいいんですが、朝の十時に例えばちょっとした、大人なら小腹がすいたということになりますが、
子供にとっては生きる力です。そういった朝食を出してほしい。そうしたら、どこがお金を出すんだと早速
審議会でも
意見が出ました。
そのように、すべて、
子供のためを思ってこうしてほしいと言いますと、財源ということになります。この朝食
一つとっても、いかに国が
保障した財源が必要かということを実感いたしますので、私たちは、
子供たちのやる気を起こす、そういった
学校づくりのためにも、財源をしっかり国が
保障して、
子供たちの目が輝く
教育を行ってほしい、そう願っております。
どうもありがとうございました。(拍手)