○篠原
議員 小麦についてのお尋ねでございます。お許しいただきまして、この点は少しじっくり答
えさせていただきたいと思います。
小麦については、私がつらつら思うに、余り熱心にしてこなかったのではないかと思うんです。
大臣の地元は
小麦の
生産地でございます。実需がないんだとあきらめてかかっている節があるんですよね。
ちょっと具体的な例を申し上げますと、例えば美瑛町という、
日本で一番美しい村、美しい村サミットとか何かNPO法人をつくられたという話も聞きますが、そこに行ったときの実話でちょっとお話しいたしますと、本州から来たお姉さんたちが、きれいな景色にうっとりしてパンを食べているわけです、さすが北海道でできた
小麦でつくったパンはおいしいわねと。そのパンは北海道でできた
小麦でつくったのかというと、違うんです。パン屋さんに聞いたら、胸が痛むと言うけれども、北海道パンと書いてあるんです。北海道産
小麦と書いていないから不当表示じゃないと言い張っていましたけれども。全然つくっていないわけです。北海道の
小麦を使っていない。
それから、帯広に
農業青年との勉強会に参りました。私は、
地産地消の大切さを説きました。そうしたら、終わってから一杯飲んだときに、篠原さん、
地産地消と言うけれども、うちでつくったものは、芋も大正金時も
大豆もみんな食べておる、しかし、
小麦はつくるんだけれども、生まれてからこの方、一回も自分のつくった
小麦を食べたことがないと言うんです。どうしてですかと言ったら、製粉工場がみんななくなっちゃっているんです。全部輸入
小麦になったので、製粉工場はみんな海岸にしかない。そして、江別に、西山製粉でしたか、そこに行っちゃって、どこか本州に行っちゃって帯広に戻ってこないというんです。こういうことをしていてはだめですね。
それで、先ほど御
質問ありましたけれども、学校給食にしても、きらら三九七、一生懸命地元で
消費しようというので、週三回、学校給食でやっている。しかし、道東では、帯広とか網走では米はできないわけです。そうしたら、北海道の米を食べてやっているんだから、二回のパン給食は道東でつくった
小麦のパン給食にしろと言っていいはずなんです。しかし、そういうことをしていないんです。米ばかりに行っているんですね。こんなことだらけなんですね。
それから、今、
西川局長から喜多方ラーメンの話が出ました。喜多方ラーメンは、あれはちょうど
小麦に向いていたんです。
小麦は、降雨量が五百ミリ、冷涼な地が原産地です。ですから、福島とか栃木とか長野の盆地みたいなところがちょうどぴったりなんです。そこで、ラーメンに向いているいい
小麦があったから喜多方ラーメンというのはできたのに、ところが、ずっともう輸入
小麦になっちゃって、喜多方の人たちはあっさりあきらめて、よく言われる遺伝資源が消滅しちゃったわけです。これは、讃岐の人はしぶとくて、ずっとつくっていた人がいるから、讃岐にはちゃんとその
小麦が残っているんですけれども。
それで、喜多方ラーメンは、あれは言ってみればインチキ喜多方ラーメンでして、喜多方の
小麦を一粒たりとも使っていないわけです。ですから、白井市長は、八年前になられた市長は、これはいかぬということで、喜多方でできた
小麦で喜多方ラーメンにしようということで、喜多方の
小麦でつくったのが本物喜多方ラーメン、あとはインチキ喜多方ラーメンと売り出すべきだというふうに、原産地表示をきちんとしてやっていくというぐあいに。私は、こういうことを考えていかなければならないんじゃないかと。
それで、今、八十六万トンなんという情けない
目標しか
政府は立てていないわけですよ。それは、本当はもっとつくりたいという願望があるんだろうと思います。しかし、実需がないという、これは誤解ですね。本当は、あったらみんな使うんです。ですから、もっと意欲的にぜひ取り組んでいただきたいと思います。
今、企業の方はもう先行しています。山崎パンは、皆さん余り食べておらないかもしれませんけれども、一〇〇%
国産の
小麦の食パンというのを売り出して、飛ぶように売れているんです。やはり
国産志向というのは非常に多いわけです。ですから、ちょっとした努力で幾らでも
国産の
小麦というのは広まっていくんじゃないかと思います。
これは粉文化についてですけれども、今度は、
菜種あるいは
大豆ですね。油文化というのは、
大豆から油を絞っておりませんでした。それに対して、
菜種は、
日本全国真っ黄色だったわけです。仲野
委員が本
会議で、
菜種をごらんください、見てください、地元の横浜町、いっぱいつくっていると。あれは全国津々浦々で見られたわけです。ぱっと消えてしまった。これも輸入の
菜種です。
ぜひ皆さんも見ていただきたいんですが、第一
議員会館の土手に、私が去年の秋こっそりまいた
菜種がちょこちょこ生えております。私は、国会の周りを真っ黄色にしたいと思っておりまして、一生懸命事務方と折衝したんですが、やらせてくれと言ったら断られましたけれども、夜中に秘書と二人でまきました。その成果がちゃんと出ておりますけれども。なぜそこまでこだわっているかというと、循環の代表ですね、
菜種は。
それで、みんな油屋というのがあったんです。油屋さんというのは、どこの町、村にもあったんです。
菜種を絞って、少々お金持ちでちょっと意地悪で、意地悪じゃなかったかもしれませんけれども、そういうのがあって、必ず
地産地消を実践していたんです。
そういう過去の我々の生活をちょっと考えて、あるいは
生産の仕方を考えたりしたら、私は、幾らでも
日本にある粉文化、油文化を復活できるのではないかと思っております。
〔
委員長退席、
二田委員長代理着席〕