○佐々木(隆)
委員 農林水産省のホームページに「「いただきます」が言えた日」という、あれは何というんでしょうか、絵本というのか、そういうのがありますね。
あれも私見せていただいたんですが、いま一つリアリティーがないんですよね。それは、主人公は卓也君といいましたか、結局、異次元の世界に行って、そして、しかも食料危機が来るとか洪水が来るとか、こういう話でありがたいという気持ちになったと。あれを見て子供たちが
本当にそう思うのかなと、極めてバーチャルな世界のようなイメージを私は持ってしまったんですね。私は子供の気持ちになり切れませんので、ここはわかりませんけれども、どうもリアリティーに欠けるのではないかというふうに思いました。
実は、これはある小学校で
本当にあったと言われている話なんですが、参観日の日に
先生が、給食の時間に、給食の前ですから、子供たちに向かって、いただきますということを言いましょうと。お米やあるいはきょう食卓に並んでいるものをつくってくれた人たちに感謝をして、いただきますと言いましょうねと言って、いただきますと言って給食を食べた。給食が終わって、あるお母さんが、私は汗の対価は支払っていますというふうに
先生に言ったというんですね。
これはどっちが間違っているのか、どっちが正しいのかというのは非常に難しいんですが、このお母さんが言っていることは決して間違いじゃないんですね。農家や漁師の皆さん方が苦労して収穫してこられたものについて私はお金という対価を払っていますというふうに言ったというのは、これは決してお母さんも間違っているわけではないと思うんです。
私は宗教家ではありませんけれども、本来、いただきますという言葉は仏教から来ている言葉だというふうに聞いております。いただきますの
本当の
意味は、汗をいただくのではなくて、命いただきますという
意味、食材の命をいただいて私の命つなぎますという
意味の言葉だというふうに聞いているわけであります。
そういった
意味では、先ほどのホームページに戻りますけれども、あのホームページから、命いただきますという感覚というものは伝わってこないんですね。だから、どちらかというと汗の方に重きが置かれていて、あれから
本当に子供たちがそういうものを感じていくだろうか。
なぜそのことを言うかというと、今、食材に命のない食べ物がたくさんふえてきているときに、
本当に命のある食べ物、あるいは、先ほど体験というお話がありましたけれども、どういうふうに命というのははぐくまれていくのか、そして、その命を壊さないようにどのように加工されてきているのかということを子供たちは体験しなければ
意味がないと思うんですね。栄養バランスの話を無駄だと言うわけではありませんけれども、一番大切なところは、子供たちが、命を育てている現場に出向いていって、体験をして、そこの大切さを知って、そして、いただきますという気持ちにならなければいけない。農業がまさに命の産業と言われているのは、そこにゆえんがあるのではないかというふうに私は思っております。
確かに、今、一人で食べる孤食とか、そういったことも多いというようなこともあったり、食のマナーあるいは風習、文化というものが壊れてきているというようなことも言われております。
先日のテレビで、
大臣もそのことについていろいろ論議をされておられたのを、私は同調しながら聞いてございましたけれども、そういった
意味で、食育というものを、一府三省の中で命の産業を預かっているのは
農水省だけですから、ほかは、人間の命を預かっているところもありますけれども、そういった
意味で、命の産業としての
農水省として、食育にぜひとも相当な決意を持って取り組んでいただきたいなということで、
大臣の御所見をお伺いしたいというふうに思います。