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中川国務大臣 中座いたしましたことをおわび申し上げます。
今、仲野
委員からも御
指摘ありましたように、御
地元の釧路、根室、私も中
選挙区時代、
地元でございましたし、今御
指摘のように、私の父親の代から大変縁の深い地域でございますから、とても別の
選挙区という意識ではございません。
そういう中で、私も二十数
年間議員をやらせていただいて、当時の最も私にとりまして心に重たい政治的な
課題というのは、道東の
農業をどうやって振興していくかということでございました。今から十年以上前は、特に根室管内、別海とか中標津とかいった地域は、
農業といえば
酪農、
畜産しかできない、しかも将来展望がない、借金も、ばらつきはありますけれども、一億を超えて、そして
生産もできない、おれたちのあすはどうなるんだという大変悲痛な声を当時の
地元の
皆さん方からよく聞いたものであります。本当に、この
畜産価格決定の時期というのは、私にとりましても、
地元に行くのがつらい、あるいは
地元の
皆さんの声を聞くのがつらいという時期もございました。
そういう時期から、ことしの
畜産物
価格は、本日
審議会で御
審議をいただくわけでございますけれども、諮問案は確かに加工用
限度数量が二万トンほど減っているわけでございます。そういう中で、前農水
委員会でも私は、できるだけ短い範囲での中期的な
需給見通しといいましょうか、そういうものをいい方向にするように
努力をしていきたい、これは何も当たるも八卦という次元の話ではございませんで、ある
程度私なりの
考え方、根拠に基づいて発言をさせていただいたわけでございます。
当時に比べまして、随分、私は
状況は改善しているんだろうと率直に思います。負債も減ってまいりました。それから、前にも答弁させていただきましたが、
チーズ等の
需要の伸びも
期待ができるという方向に行くべきだし、またそういうふうになっていくものというふうに私は
期待をしております。
昭和四十一年に制定されました不足払いの暫定措置法、これはあくまでも暫定措置法でございますけれども、四十年続いている。
北海道を中心にして
酪農という一つの大きな
農政の柱を立てていく上で、本当は
飲用乳の伸びというものと加工乳とバランスをとりながらやっていくわけでありますけれども、とりわけ加工乳、あるいは、特に
北海道の我々の道東のような地域はいわゆる条件不利地域でございますから、そこに対しての
政府としての施策が必要であるということで昭和四十一年からこの
制度が
導入され、いまだに暫定が四十年も続いているという
状況であるわけであります。
要は、搾ったものが
消費者にどんどん
消費される、何といっても
牛乳ですから、
牛乳の重要性を否定する人は私はいないというふうに思っております。ただ、
需要が思ったように伸びない、例えば、新しい飲料が出てくると
消費が減るとか、あるいは冷夏が続くと
消費が減るとか、そういった本来の
牛乳の重要性、貴重な
食料資源としての位置づけと違う要素で
需給が変動するというのは、
生産者の
皆さんあるいは我々、余り
地元同士の話みたいな話になると恐縮でございますけれども、関係、仲野議員を初め、大変御苦労をされているわけでありますので、
飲用乳、あるいはまたそういった伸びが
期待できる、また伸びをふやしていかなければならない、
農政上、
食料政策上、そういうふうに必要なものだというふうに認めているものについては、何とか
需要を拡大することによって、御
指摘のように、思い切って搾って、おいしい釧路や根室の
牛乳を
日本じゅうの
消費者に届けて、子供がすくすくと育つ、あるいはまたお年寄りの骨粗鬆症を防ぐといった多面的な
機能が、
牛乳の果たす
役割としてこれからますます私は重要になっていくと思います。
ことしは確かに
限度数量は若干減りましたけれども、しかし、将来に向かっての
生産意欲を刺激するような施策もとっておりますので、どうぞ総合的に判断をしていただき、来年、再来年、また数年後に向かっては、十数年前には踊り場という
議論も実はあったわけでございますけれども、ことしも、ことしのところは御
期待に百点沿える結果にはなっていないのかもしれませんけれども、ぜひ、来年、再来年以降に向けて、きちっとしたさらなる
需要の拡大、また
農業における
酪農、
畜産の位置づけというものをより確固たるものにしたいという決意で取り組んでおりますので、どうぞ、御
地元の
皆さんにもその趣旨を御
理解いただきますように、
中川がこう言っていたというふうにお伝えいただきまして、来年に向けて頑張っていただけるように、ひとつ仲野
委員の御
理解、御指導のほどもよろしくお願いいたしたいというふうに思います。