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天野参考人 おはようございます。
私は長らく
広告の世界に
関係をしている人間として、今度の
法案を拝見して、
意見広告の
部分にちょっと疑問というか申し上げたいことがありまして参上したんですけれども、その要旨は、朝日
新聞のコラムに書きましたものを
提出しましたので、ごらんいただければそれで尽きるんですが。
今回の
法案で、
マスコミは一切
規制しないというのは、僕は大変な御英断だというふうに思いますが、果たして
広告も全くそれと同じでいいのかどうかということについて多少疑問があります。それは、原則はもちろん
広告についても
意見広告も全く自由にやってよろしいというのが本来ではあるんですが、御
承知と思いますが、
新聞という
メディアはそれなりの
歴史もあるし、いろいろもめたこともありますし、そういう
歴史の中で何とか
一つの
関係ができ上がっている。ところが、
意見広告に関しては、
放送媒体というものとはまだ非常になじんでいないというか
関係が成熟していないというふうに僕は思っています。そういうところで、例えば全く自由に
意見広告をだれでも出せるんだということになると、ある種の
混乱が起きるのではないか。そのことが結果として、
国民の財産でもある、公器でもある
放送媒体というものが、
国民に
利益があるような形で機能しないんじゃないかなという心配がありますので、ちょっとその点について申し上げたいと思います。
なぜ
意見広告が
テレビという
メディアとなじまないか、少なくとも現状ではまだなじんでいないかという
理由はいろいろありますが、
一つは、
放送法というものの縛りの中でやらなければいけないというところが大きな問題です。それから、
歴史がまだ浅いということもあります。しかし、一番本質的な問題は、
新聞広告と違って、活字という一回抽象された
手段で
意見を言うのではなくて、
放送の場合はその人の肉声とか身ぶりとか表情とかそういうことを含めた非常に
アフェクティブな、インフォーマティブというよりは
アフェクティブな要素が非常に強くなる。それは
放送の利点でもあるんだけれども、そのことが
意見広告の場合には非常にいろいろな問題を含んでくるということがあると思うんですね。
これは仮の場合で非常に極端な例ですが、例えばこの問題について
意見広告をやろうとして、
SMAPをタレントとして起用しようかということは全く不可能なことではないと思うんですね。
SMAPを起用して、
SMAPが
承知するかしないかは全く別の問題ですが、そういう形で
意見広告をやるということだって方法としては
考えられる。
テレビの場合には、
反対する人、
賛成する人が個人的に出てきて淡々と
意見を述べるという
表現は普通は余りとらないので、どちらかといえば、コマーシャルとしての
効果を
考えれば、
テレビ本来の
効果を
考えれば、いろいろな
表現手段を使って
自分たちの
意見を表明しようとする。
意見を伝えようというよりは、
表現しようとすることが多くなると思うんですね。
そうなったときに、そんなことで改憲に
賛成であるか
反対であるかということの
立場が変わるはずないだろうと思うのは割合理性的というか知性的な人であって、実際にはそういうことで動くケースもかなりある。例えば今度の問題に関して言えば、
憲法の改定に
賛成であるという方、
信念としてそう思っていらっしゃる方が、仮の数字ですが四割いらしたとして、絶対
反対だという方がまた仮に四割いらしたとする、しかし、実際の最終的な結果を握るのは残りの二割で、この
浮動層という言葉がいいかどうかわかりませんが、そういうふうに、
信念としてこの問題についてはこうである、マルである、バツであるというふうに
考えていない人が、実は最終的にこれの成否を決定するかぎを握っているように思うんですね。
そういう人に関して言えば、その
人たちがいけないとか知的でないとかという
意味では全くありませんが、例えばそういう
SMAPを使った
広告に影響されないとは言い切れない。むしろその辺をねらっていろいろな
広告が出てくることになると、非常に大きな
混乱を招くんじゃないか。そのことが、
国民が本当にこの問題についてちゃんと
考えて、ちゃんと行動しよう、
投票しようというときの
判断にプラスになるのかマイナスになるのか。それでも
選挙に行って
投票率を上げればいいという
考え方もあるかもしれませんが、僕は、それは
テレビが
国民のための利器としてではなくて凶器みたいな形で作用してしまう危険が非常にあるんではないかなというふうに、
テレビ以下の、
放送そのものですが、
放送全体ですが、危惧しているんですね。
そういう点からいうと、この問題に関しては、まだ未成熟だから、
意見広告は
放送媒体になじまないから、今回に関してはそういう
部分が成熟するまで
意見広告は認めない、今回はさせないということも
一つの選択肢としてはあると思います。
でも、
委員の
皆さんがこれは大いに自由にやってもらおうというふうにお
考えになってお決めになったことの御
判断は、僕はそれはそれで正しいと思う。ただ、どこかでそういう公正な
ルールがつくられる、例えば
広告が一般の
報道と違うところは非常に一方的に
意見をお金で買えるというところですね、この
部分について
公平性が失われないような、法的な
規制というのじゃないけれども何か歯どめなり、あるいは
民放各社に対する
提言なり、そういうことをプラスしていただかないと、この辺が現実的には大変大きな
混乱が起こるのではないかなというふうに僕は
考えているんです。
その点をいろいろお
考えになられた上でこう決定されたんでしょうが、実は
広告というものの力は思っている以上に強いもので、これは特に悪用すれば
マインドコントロールの非常に強力な
手段になるものでもありますし、その辺についての緩い歯どめというか、あるいは
放送業者に対する
進言、
提言みたいなものをつけ加えていただいて、
業界を縛るというよりは、
業界がこの際きちっと公平な
意見広告の
ルールができるようにむしろプッシュしていただくようなことがあっていいのではないかなというふうに僕は思っております。
ただ、一方に今回に関しては
意見CMはやらない方がいいんじゃないかという声も
業界の中でもあることはあります。それは本当に
混乱を避けるためということですが。
混乱を避けるためにやめてしまうというのは余り望ましいことじゃないので、この際、ぜひそういう共通の
ルールができるような形での、何か
提言というのか
進言というのかわかりませんが、そういう一項を僕は入れていただきたいなというふうに思っているんです。
申し上げたいことは以上です。(
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