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日置参考人 弁護士の
日置です。
私は、
弁護士になって二十五年になりますが、
近隣紛争に多くかかわってきました。それから、
建築関係の人の知り合いもふえたことから、いわゆる欠陥住宅問題に関しては、
施主側、
工務店側、
建築士側、さまざまな
立場でかかわってきました。いろいろな、党派を超えた議員さんや秘書の方から
近隣紛争等の相談を持ち込まれることもございます。
本日は、これらの
事件を手がけた
立場、経験から、
建築基準法を初めとする
日本の
建築の問題を述べさせていただきたいと思います。
まず、今回、
建築士という
資格者が不正
行為を行っております。有
資格の
専門家が故意に不正
行為をした場合、それを防止することは極めて困難だ、このことは
認識する必要があろうかと思います。そして、この背景として、
建築業界に、このような違法な
行為につながる規制を軽視する風潮、それから確認さえとれれば何をしてもいいんだという風潮、それが長年にわたり形成されてきた、このことを指摘する必要があろうかというふうに思います。
今回の問題の背景として、極めて公共性が強い、長期的視点から対応すべき都市計画あるいは
建築という問題、これを、経済に対する規制の問題からのみとらえ、規制緩和、民営化、自由競争、そういう流れに安易に乗せてきた政策の存在を指摘すべきであるというふうに考えます。
集団規定に関しましては、規制の緩和が次々となされてきました。これまで、自治体のみが確認を担当していたときには、自治体の
行政指導といったような形で法律の
問題点がある意味カバーされていたわけですが、これが、
民間確認
機関と分離されることによって、ある意味問題が表面化したということがあろうかというふうに思います。
これまで国会でも、たびたび、常識から乖離したような
建築の出現、いわゆる地下室マンションだとか、
一つの
建築物、たくさんの
建築物をつなげてしまうようなもの、あるいは天空率による斜線制限緩和がもたらした、さまざまな、常識から乖離した
建築物というのが
議論になっております。
いろいろな規制が緩和されますと、それを逆にシミュレーションして、最大限の床面積を持つ
建築計画を考え出すようなソフトというのが次々と開発されてきます。
建築家そして建設業界にとっては、これらを活用して最大限の床面積を
確保する、そのことが至上命題で、それをやれば、近隣には迷惑はかかるけれども最大限の経済的利益が得られる、そういうのが
現状でございます。
このような、
社会的には疑義があるとしても、最も利益を生むそういう計画、それをためらいなく選択される、そして、そういう事業者が経済的競争力を持つ。そうなると、良質な計画を検討している事業者あるいは
建築士というところが経済的にそちらに引きずられてしまう、そういう状態が形成されてきたというふうに思います。さまざまな問題ある
設計手法というのも、業界を代表するような大手ディベロッパーでさえ競って採用しているのが
現状です。
建築業界あるいは
建築士の方が
社会的な妥当性を考慮していては自由競争に勝てない、そういう状態がある中で、その中で、少し先を行って、法規を無視してでもばれなければいいんだ、確認さえとってしまえばいいんだ、そういう行動をとる者が出現する、これは紙一重ではないかというふうに思います。根本からそこの問題を変えない限り、問題の解消はできないのではないかというふうに思います。
なお、自由競争に任せておけば、質の悪い
設計者や事業者が淘汰されるのではないかという
意見もあります。確かに、自動車とか家電のようなものについて言いますと、大量
生産されて多くの数のモデルが市場に出回ります。自由競争に任せても市場の評判で淘汰がされるかもしれません。ところが、
建築というのは非常に個別性が強いものでございます。性能の検証、特に耐震強度の検証などについては地震が来ない限り判明いたしません。そういったものについて、市場原理によって淘汰がされるということは期待できないのではないかというふうに思います。
紛争を手がけた経験からいいますと、個人住宅のレベルであれば、現在の
建築基準法の
基準を厳密に遵守させれば、性能的な面においてはかなり問題は生じない形になろうかと思います。このレベルにおきましては、
基準法の定める
基準が実際にはなかなか守られていないというところに問題があろうかと思います。
中間検査や
完了検査が十分ではない、
完了検査は実際にはやらなくても通用してしまう、それから、手抜きや不十分な
工事であっても発覚しなければそれで通ってしまう、そういったところが放置されています。その意味では、
中間検査あるいは
完了検査を一〇〇%行うというようなことになると、この点はかなり改善されるのではないかというふうに思います。
さて、これらの問題を考えてみますと、やはり最終的には、
建築確認という現在の
建築基準法の
制度、これ自体が本当にいいのかというところに問題の本質はあるのではないかというふうに思います。
幾つか
問題点がございますが、
一つは、
建築確認の対象というのが限定された
法令に限られているということでございます。地方分権の時代と言われていますが、
まちづくり条例だとか地域の
建築物の紛争予防条例等と
建築確認というものはリンクしておりません。近隣住民あるいは
行政がさまざまな
問題点があると考えても、
基準法の対象
法令に含まれていない問題については、確認の対象とならず確認がおりてしまいます。
それから、
基準法の中で非常に細かい
数値的
規定等は設けられております。ところが、例えば、高さの
基準となる地面の定義、あるいは
建築物単位で規制が行われているにもかかわらず、
建築物が
一つかどうかというような根本的なところについて明確な定義がございません。これが、ある意味、
民間の確認
機関等において極限まで拡大された解釈がなされて、それが通用しているという問題がございます。
それから、都市計画と
建築が矛盾するかどうかという
チェックもなされておりません。
あわせまして、今、確認という
制度上の限界から、その手続に住民参加あるいは情報公開それから事前手続、こういったものがほとんどございません。これが近隣との紛争も引き起こすという問題につながっております。
ちなみに、
建築確認に関する具体的な資料というのは事前に周辺の住民等が入手することができませんし、
建築審査会に行っても確実に出されるという保証がございません。訴訟になるとようやく釈明処分によって出すということが可能になりましたが、その
段階になると、今度は
建物が完成してしまって訴えの利益がなくなるということで、ほとんど確認の内容について公開の場で
審査されるという機会が保証されておりません。そういうことで、地域の実情に合わないものであっても確認が出て、どんどん
建築が進んでしまうという問題がございます。
それから、
民間の確認というシステムですが、今述べたように、
建築というのは非常に公共的な
立場、特に
集団規定に関しては公共的な視点からの
チェックが必要でございます。ところが、
民間の確認
機関というものは、確認を申請する者からの申請料に依存して経営が成り立っております。申請を拒否するということは、その事案において料金が入らないというだけではなくて、次からの顧客を失うということにつながりかねません。どうしても、顧客である建て主の
立場、建設会社の
立場に立って、なるべく建てる方向での解釈をするという形になります。
しかも、特定の自治体だけが確認していた場合と違って、複数の
機関が併存して確認を出すことができるとなると、競争原理によって、最も緩やかな解釈を行う、そういう確認
機関の判断
基準が通用してしまうという形の問題に行き着くということで、これがますます問題を悪化させてきたかというふうに思います。
最近、地方独自の規制を行うという自治体もふえてきました。今度は、それぞれの自治体が独自の規制を行った場合に、たくさん、
全国を管轄するような確認
機関が適切にそれぞれの地方のルールを判別できるのかというような問題も生じてきます。少なくとも
集団規定に関しては、自治体が地域特性に応じた最終判断を行うべきであるというふうに考えます。
それから、
建築士の
制度です。倫理的な問題が追求されていますが、今述べたように、経済的に倫理を追求したような
建築士が成り立たない、そういう経済的、
社会的
体制のもとでは、
建築士に倫理を求めるということはできないというふうに思います。倫理を求めるのであれば、それが成り立つような、
建築士が尊重されるようなシステム、それを構築することが必要だというふうに考えます。
最終的にこういった問題を解決するためには、基本的には、確認という形で最低限の
基準さえ満たせば建てられるということではなく、
規模に応じて許可
制度を導入する、
建築士が
責任を持って、地域を踏まえ、環境を踏まえ、いい
設計を行った場合に初めて
建築が認められる、そういう
制度にして、
建築士が誇りを持って仕事ができる、いい
設計を行った事業者が
建築を行うことができる、そういった
制度にしていくことが必要かというふうに思います。
今回の法の
改正ですが、それ自体は
一つのプラス方向が多いと思いますが、基本的には、今言ったような根本的な
社会的背景、これを変えていかなければ問題は解決しないというふうに思います。そういう意味では、改革のスタートということで、
問題点の改革に当たっていただきたいというふうに思います。(
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