○石破
委員 両
大臣、御苦労さまであります。
閉中でございます。本来なら安保
委員会で申し上げるべきことかと思いますが、今、末松
委員からも
お話がありました北朝鮮のミサイルにつきまして所見を申し述べ、もし御見解があったらお述べをいただきたいと思います。
何のためにやろうとしているのかはだれにもわかりません。いろいろな推測はあります。国威発揚だという説あり、いやいや、持っているから、どこかの国買ってくれないかなと思ってやっているという説あり、あるいは、
アメリカまで届くミサイルを持っているのだということで、九八年のときと同じように、
アメリカを取引の場に出そうというような考えがあるとか、もういろいろなことがわかりますが、私は将軍様ではないのでわかりません。
ただ、あの国と
我が国は、恐らく物事の価値
判断がひっくり返って、百八十度逆なんだろうと思っているのですね。私は一度しか北朝鮮に行ってみたことはありませんが、要するに、あの国の国家目標というのはすべからく体制の維持、それが国家目標なのだということだと思います。
私
どもの国におきましては、これはほとんどの国がそうです、我が党にせよ
民主党にせよ、それはどの党もそうでしょうが、国家目標というのはそんな大げさな話じゃなくて、とどのつまりは一人一人の幸せだと思いますね。
国民が飢えに泣くことがなくて、望めば教育が受けられて、望めば
医療が受けられて、老後の保障というものがきちんとある。それを何とか達成しようと思ってやっているわけですが、かの国においては、
国民が飢えに泣こうが、教育を受けることができなかろうが、お医者さんにかかることができなかろうが、そんなことはどうだっていいのであって、いかにして体制を維持するかということが国家目標ですから、そのためには何だってやるということだと思っています。
同時に、北朝鮮は、自分の国の上をどこの国の衛星が何時何分に飛ぶかということは全部知っているはずですよね、知らなきゃおかしい。何が写っているかということも全部知っている。だから、時々にせものを見せたりすることも当然あり得るわけであります。だから、何が目標かわかりません。
ただ、私
どもがよく心しておかねばならぬのは、九八年のときに、あれは衛星なのかミサイルなのかという議論がありました。北朝鮮は、あれは衛星なのだ、衛星の打ち上げに成功したのだ、光明星一号と名づけたのだ、空から金日成様の歌が聞こえるであろうと言われて、一生懸命聞いたけれ
どもわからなくて、それはお前
たちの心が濁っているからだとか言われて、もうますますわからなくなるわけですが。
というような話で、衛星ならよくてミサイルならだめ、そんな話はないのであって、衛星もミサイルも原理は全く一緒ですから。ある一定の高度に達したときに、第一宇宙速度というのに達するとぐるぐると地球を回る衛星になるし、達さなければ物理の法則に従って落ちるということでありますが、ミサイルであればできるだけ遠くに飛ばしたいですから、それはもう四十五度の角度で打ち上げるということになるのでありましょう。九八年には、数カ月かかったと思いますが、結局は、我が方のいろいろな手段によって、これは衛星にあらずということを確認したわけであります。
いずれにせよ、シカゴ条約に従うにせよ何にせよ、
飛行機であれ船であれ航路
情報というものを出さなきゃいけませんし、そのことにも注意をしておかなければいけないと思っているのですが、これが衛星なのかミサイルなのか、仮にテポドンの非常に射程の長いものだとするならば、
日本の能力をもってしては把握は不可能なのかもしれない。
いずれにしても、ソビエトがスプートニクというのを打ち上げたときに、
アメリカ合衆国は、これは、ソビエトは
アメリカまで届く弾道弾を持ったねというふうにすぐ
判断をするわけですよね、原理は一緒ですから。だけれ
ども、向こうは衛星だと言い張るかもしれない。そこのところできちんと日米の対応が一致をしなければいけないということがあるのだろうと思っています。
もう
一つは、仮に、
アメリカまで届くミサイルを持ったので、やがて核を搭載できるかもしれないのだ、だから取引に応じなさいというようなことがあったとしても、間違ってもそんな取引には絶対に応じないということを明らかにしませんと、結局、核ミサイルを持った国は何でもできるということになってしまうわけですね。そこの点において、
政府内そして日米、そこの見解をきちんと統一しておいていただきたいというお願いが第一点です。
第二点は、先ほど末松議員もおっしゃいましたが、テポドンであれば、それはもう遠くまで届きます、高いですから。そんなものは、
日本に撃とうと思えば、テポドンなんて高級なものを使わなくたっていいのであって、それはノドンを撃てばいいわけですよね。
いずれにしても、まだパトリオットもイージスの迎撃システムもそろっていないわけであって、現時点において、仮に仮に、
我が国に対して何をやるかわかりませんから、そういうような危険が差し迫った、つまり、どの時点で
武力行使の三要件というものになるか、自衛権行使の三要件になるかというと、
我が国に対する急迫不正の武力攻撃があったことですが、それは被害が生じてからでは遅い、おそれの
段階では早過ぎる、どこがスタートなのかといえば、それは着手したときであるというのが
政府の見解であると思っています。
そういうような認識を前提に置いて、仮に、撃ちました、いついつどこに落ちますということがわかったときに
政府として何をすべきかということは、やはり考えておいた方がいいのだろうと思いますね。着弾するまでに何分かはあるわけで、撃ち落とせないとしても、地下があるところは地下に隠れるというのですか、そして堅牢な建物が近くにあるときは堅牢な建物の中に入る、それだけで被害は相当に小さくなるはずなのですね。
だとすれば、それは
国民保護法制等々できちんとしてあることですが、それが条文上きちんとしてあったとしても、実際にそれが行えるかどうかは別の問題。そういう訓練をやるとすると、すわ、また戦争準備かとか言う人がいるけれ
ども、そういうことに対しては万全を期しておくということもあるいは必要なことではないか、いや、むしろ絶対に必要なことだと私は思っておりますので、以上、見解を申し述べておきたいと思います。御答弁は要りません。
イラクの
お話でございますが、先ほど来聞いておりますと、またクラシックな議論といいますか、
戦闘地域かどうかというような
お話がございまして、伝統的なと言っても古典的なと言っても結構ですが、これは、
日本がやってはいけないことは何か、何のために、
自衛隊が
活動を行うのは、現に戦闘が行われておらず、また
活動の期間を通じて戦闘が行われると認められない
地域というふうにわざわざ法律に書いたのかということであります。
それは、憲法九条というものをきちんと守って行動しますよということを担保するためにわざわざ特措法に書いているということを、どうも誤解なさっておられる方がたくさんおられる。
理解したくないのかもしれないが、そこのところはきちんとしておかないといけないと思います。
すなわち、憲法第九条第一項に何と書いてあるか。「
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」というのが憲法九条一項ですよね。これをきちんと守りますということが、
自衛隊が
活動するのは、現に戦闘が行われておらず、また
活動の期間を通じて戦闘が行われると認められない
地域でなければいけないということなので、憲法九条をきちんと担保するためにつくった概念であるということをよく御
理解いただきたいと思っております。危ないから
戦闘地域だと言うのは、そこの仕組みが全然
理解できていないからそんな話をするのであって、危なくても非
戦闘地域というのは存在するということをよく認識しておかなければいけない。
ここから先は寿限無寿限無みたいな話になりますが、もう一回確認をしておきたいと思います。
つまり、
戦闘行為とは何ですか。これは定義の話ですから、法律は定義に基づいてやっていますので、定義を勝手に考えて議論されると議論そのものが崩れますから、そこのところはきちんと立法府の人間としてわきまえるべきことだと私は思います。
戦闘行為とは何か。それは、「国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為」、これが
戦闘行為なのです。だから、歌舞伎町でやくざが撃ち合っておったとしても、それは大変に危険な
地域ではあるだろう、しかしながら、あれを称して
戦闘地域と言うか。それは違うんですよね。危険かどうかというものはこの際
関係がない。「国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為」、これが
戦闘行為であります。
それでは、国際的な武力紛争とは何ですかということであります。ここが憲法九条一項と関連をするところ。国際的な武力紛争とは何か。国または国に準ずる
組織の間において生ずる一国の国内問題にとどまらない武力を用いた争い、これが国際的な武力紛争ですね。
つまり、アクターは国または国に準ずる
組織だということであって、それが野盗、野党じゃないですよ、野盗のたぐいであるとかあるいは強盗のたぐいであるとか
テロ、ゲリラ
組織であるとか、それが国または国に準ずる
組織ということにならない限り、そこで行われていることは国際的な武力紛争が行われているとは法的には評価をされない。そうであるとすれば憲法九条一項には抵触をしないという論理を展開しておるのであって、それが違うのだということであるならば、憲法九条一項が禁止している行為は何かということをちゃんと議論していただかないと困るんです。憲法九条一項が禁止しておる行為は、
我が国は、国権の発動たる戦争と、国際紛争を解決する手段としての武力の行使または武力による威嚇、これを禁止しているのであって、それは絶対にやってはいけないということなんですね。
今
サマワで行われていることは何なんだ、あれをやっちゃいかぬということであるならば、そこにおいて国際紛争が行われているんだ、あそこでやっているのは国または国に準ずる
組織だ、こう言ってもらわないと、だめだという
お話に相ならないのであります。
あるいは、国際紛争の定義を全部変えるということであればそれは話は別ですが、それは今までの国際法の常識とは大きく逸脱するものであって、そういう前提に基づいて議論をする限り、ちっとも
お話は前に進まない。危険だから
戦闘地域だろうとかなんとか言っている間に、ちっとも次の事態になっていかないわけですね。次に議論が進行していかないんです。
私
たちは、最後の一人が無事に帰ってきたときに、ああ、よかったねというふうに言いたい。私は
派遣したときの
防衛庁長官でありましたけれ
ども、本当に、
派遣したときに、ずっと在任中もそうです、恐らく額賀
大臣もそうだろうと思います、寝られない夜はたくさんあります。今でも、うなされて目が覚めることだってあります。どうやってこれを安全に完了するかということをいつも考えてきた。当然のことであります。
それで、何のために出したのかということです。これは、国家の命によって自衛官をあえて危険な
地域に
派遣している、そういうものであります。何のために出したのか。
それは、まず第一に、
我が国は石油が全然出ない。一〇〇%輸入である、そのうちの大部分を
イラクを含む中東
地域から輸入している。
イラクが大混乱に陥り、
治安も維持できず、
イラクの混乱がだんだん中東に波及していく、そうすると、それは
我が国の国益を大きく損なうことになるであろう。
イラクの安定のために
我が国としてできることはしなきゃいかぬということが第一であります。
第二は、戦争の是非とかなんとかそういうことに
関係なく、
国連決議が何と言っているか。戦争が終わった後、軍事、非軍事を問わず、
イラクの
復興に加盟国は力を尽くせということが
国連決議で決まっている。
国連で枢要な地位を占めたいと言いながら、全会一致で決まったことには参加しない。そういって、何が枢要な地位を占めるか、
国際社会で発言力を強めるか。そんなことがあるはずはないのであって、
国連の決議にきちんと従うということが二番目でしょう。
三番目は、
イラク人って本当に
日本の助けを待ち望んでいるわけですよね。何度海外の機関を使って世論
調査をやっても、一番来てほしい国はどこですか、それは
日本ですというのが一番ですよ。東ティモールの大統領も言っていたけれ
ども、
日本の
自衛隊はほかの国の軍隊と違う、人を見下さない、
現地の人を見下さない、ともに笑って、ともに泣いて、ともに汗をする、そういう
組織が本当にあるんだ、
日本の
自衛隊は本当にそんな
組織なんだということを、
自衛隊が展開したティモールも、そしてまた今の
イラクの
人たちも言っているわけですね。
長官がよくおっしゃるように、世界で一番暑い国で水が出ないというのはどういうことなのか、世界で一番暑い国で病院が機能しないというのはどれほどつらいことなのか。そして、子供
たちが学校に行こうと思っても行けない
状況、道路が完全に破壊されている
状況、それを何とかしてくれというふうに、そして
日本人に来てくれと言っている
人たちがいるときに、行きませんというようなことが本当にあっていいんですかということであります。
そして第四点は、これは日米安全保障条約に基づいて行っているわけではありませんが、唯一の同盟国たる
アメリカが一番苦難をしているときに、
日本は何もしません、
人道復興支援もしません、そんなことで本当に日米の信頼
関係は保たれるかということだと私は思っています。
その四つの目的を果たし得るのは、
我が国において
自衛隊しかないのだ、その四つの、
我が国の国益、国際的な
責任、
イラクの人々の願いにこたえる、それをやるために、できる
組織は
自衛隊しかないのだ、だから
自衛隊が行くのだということであって、これに反対するということであるならば、それは、危険も冒しません、でも利益も欲しいです、そんないいかげんな話があってたまるかと私は思っておるのであります。(拍手)
私は、これを立派に果たしつつある自衛官諸官に心から敬意を表したいし、一人残らず無事に帰ってくるそのときまで、よかったねということは絶対に言ってはならないのだと思っております。
そこで、
長官にお尋ねをいたしたいのでありますけれ
ども、今回なぜ引くのかということです。それは、目的を達したから引くのだということだと思っています。
つまり、一種の国内における災害
派遣と一緒で、緊急性と非代替性と公共性、これがなければ国内においてだって軽々に
自衛隊を動かしてはいけませんよね。ましてや海外においてもそうなのであります。やはり、その緊急性というものが、
自衛隊の
活動によって、水がないとか学校が壊れているとか、そういう
状況が解消されたのだ。そして、他方、
治安も、
ムサンナ県においては権限が
移譲されるというようなことにもなった。両々相まって、今回撤退するのが一番いい時期であるということで私は考えておりますが、それでよろしいでしょうか。