○阿部(知)
委員 私がこういう
指摘をさせていただきますのは、例えばこういう記事をメディアで読むと、ああ、どうせ助からない、末期だから人工呼吸器もほどほどにしてほしいかなという気持ちを抱く
国民も少なからずあると思います。しかし、
国民にどんな情報が伝えられているかというと、例えば御高齢な
皆さんでも、いろいろな疾患があって、人工呼吸器が有効に救命に寄与する場合も多うございます。ですから、何も必ずターミナルでもありませんし、人工呼吸器そのものの意味も、もっともっと私は、医者が一生懸命やっている、その現実も含めて、
患者さんたちあるいは市民、住民が知った上で選択してほしい。
この事案については、例えば御家族がどうであったか、御本人がどうであったかもまるで見えない中で、いろいろな証言も二転三転しておりますから、なかなか難しいと思いますが、少なくとも
厚生労働省として、今後、人工呼吸器の使用実態、例えば私が短い時間留学しておりましたアメリカのミネソタにあるメイヨークリニックというところでは、
地域の御高齢者たちを支える拠点としていろいろな診療をやっておりましたが、御高齢者であっても平均的に、年齢的にいえば七十八歳の方にもきちんと管を入れ、また抜くことができるんだ、抜いて治って帰っていくんだよということをきっちりと市民にも伝えておりました。そうした中で、初めて両方の情報を得て
患者さんは選べるんだと思うのです。
私は、この事案がすぐさま、例えば末期の
患者さんの安楽死問題というふうに展開していくのであれば、余りにもそれは実態とかけ離れていくのではないかという懸念を抱きますので、呼吸器というのは確かに、私たちが現在
医療の中で手にした非常にもろ刃の剣でございます。人間は息を吸っているのに機械は押し入れる、非常に非生理的なものですが、しかし、それも使いこなし救命に役立て、その方御自身の命を長らえていただくためにやってきたものでございます。
私は、今回の事件の病院の院長が、外科の先生の外科部長の見解と、自分は内科の医者だから、ちょっと違って、心臓がとまるまで自分は頑張るけれどもな、こうぽつっとおっしゃっているあたりに、やはり
医療現場の戸惑いや悩みや、しかし一生懸命やりたいという意思といいますか、そういうものを感じるものでありますから、くれぐれも、情報がきちんとされない中での枠づくりやあるいはミスリーディングのないように、
大臣にはよろしく、重要な
国民の命の問題ですから
お願い申し上げたい。
と申しますのは、たまたま昨日ですか、杏林大学というところで割りばしがのどに刺さって亡くなった坊やの判決がございました。これもごらんになったのが耳鼻科医で、では脳外科医にコンサルトすればよかったじゃないのと親御さんたちは思っておられます。判決は、この耳鼻科医に責めを問うものではなかった。ただ、十分な
医療としてやれたかどうかは問題が残るということはあったが、死亡を阻止できたかどうかわからないということであります。
やはり、一人の
患者になり、一人の幼子を抱えた親にとっては、その病院に行って本当に耳鼻科の病気なのか、あるいは脳まで刺さって脳外科にやってもらえて亡くなったら、何もこんな悲しみはなかったかもしれません。見逃されたのではないか、ちゃんと受けられなかったんじゃないかと、この現場の
対応、現場の受け皿はどうだったかというあたりが、一番親として、どんなにかせつないかと私は思いますので、この件もあわせて
大臣にはお伝えして、よろしく
お願い申し上げたいと思います。
では、きょうの本来の事案であります
ハローワークの問題について伺わせていただきますが、この間、小泉改革が世で言う格差を生んだか生まないかという論議が盛んでございますが、私自身は、明らかに、労働というところにおいては、正規、非正規という働き方の格差を生み、それが賃金格差を生み、生涯格差を生んでおるという認識に立っておるものであります。
そこで
大臣にお伺いいたしますが、例えば、この間、有効
求人倍率は上がってきたじゃないか、小泉改革の最後として上がってきたじゃないかという御
指摘がよくなされますが、この有効
求人倍率にいたしましても、例えば正社員の有効
求人倍率をとると、一番新しいデータ、ことし一月で〇・六七となってございます。一方、パートでは一・四七と。いわゆる
求職、求める人と職を比べた場合に、正規では明らかに職が少ない、
求人が少ない、パートでは逆に職が出てきているという状態ですが、
大臣は、果たしてこれで本当に、多様な労働あるいは選べる労働というふうに以前から小泉首相はおっしゃるわけですが、そういう実態になっているかどうかという御認識を、一点、伺います。