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北神委員 ぜひそういった取り組みを進めていただきたいというふうに思いますし、できればそういう指標を、ある程度、もちろんいろいろな仮定を置かなければならないと思うんですけれども、地区別にそういう指標というものもあれば、市町村にとっても物すごい参考になると思うんですよね、ここだったら非常に固定資産税。というのは、結局、郊外に行くと固定資産税の税収というのは恐らく取れないというふうに私は直観的に思うんですね、数字がなかなかわからないからそういったことは検証できないんですが。今回の法案も、ある
意味では、市町村にとって非常に財政的に厳しい、余り郊外に無秩序に流出してしまうと、そういうところにも上下水道とか敷かないといけない、そういうところにも道路整備をしないといけない、大変なことになるというふうに思うんですよね。
そういった視点も多分背後にあるんじゃないかというふうに推測するわけでございますが、そういったことをはっきりさせるためにも、ぜひそういったことを検討していただきたいというふうに思います。
もちろん私も郊外をおろそかにすることはよくないというふうに思います。郊外も郊外で尊重しないといけないと思いますが、
先ほどお話がございましたように、文化的な側面、共同体的な側面、あるいは、さっき申し上げたようなコスト的な面でいっても、
中心市街地というのがやはり
一つの重要なまちづくりの拠点になるというふうに思うわけでございます。
これは、もともとは商店街を
活性化するという話で来たというふうに思うんですね。ただ、結局は商店街の補助だけではなかなか成果が上がらないということで、よりいいまちづくりをやらなければならない。そして、それは、究極はやはり共同体の復活を図らなければならないということだというふうに思うんです。これは、矮小化しようと思えば矮小化できる話で、商店街を
活性化するためにちょこっと施設を呼び寄せて、多少人がふえたらいいな、あるいは通行人がふえたらいいな、そういったことももちろん
一つの方向性だというふうに思うんですが、私はそれは非常にもったいないなと。
というのは、この話は、そもそも大店法の規制緩和、アメリカの、はっきり言えば
外交的な、通商政策的な圧力のもとで行われてきた話だというふうに思いますし、そういった中で、いわば自由化の
一つの流れとして大店法の規制緩和というものが行われて、その結果、
中心市街地の小規模の店舗というものがだんだん廃れてきた、商店街も廃れてきた。何よりも大事なのは、商店街をいわば中核とするような
中心市街地の共同体というものが崩れつつある、あるいは崩壊しつつある、それが私は非常に大事だというふうに思っております。
そういった
意味で、この自由化の中で、自由化というのはしょせん裸の資本の論理であるわけでございますから、そこには価値観とか人情とか、あるいは思想とか道徳とかコミュニティーとか、そういったものはないわけですよね。この資本の論理によってそういったものが破壊されていっているのが、ある
意味ではこの
中心市街地の象徴的な問題だというふうに私はとらえているわけです。これは大げさと言われれば大げさかもしれませんが、私は、これは戦略的に考えることは非常に大事なことだというふうに思っております。
やや歴史的な話になるかもしれませんが、そもそも一九三〇年代、大分前、昭和初期ですね、このときにも
世界的な自由化路線というものがありました。その結果というか、その
状況の中で大恐慌という事態が生じたわけでございますが、実は、そのときに各国がそれぞれ、
自分たちの
経済秩序のみならず、
自分たちの文化とか
生活様式、考え方、価値観、こういったものを守る、守らなければならない、そういった事態に直面したというふうに私は見ているんですね。
その際に、ある国は国家共産主義をとってみたり、これは裸の資本に対する防衛なんですよ、ある国は国家社会主義、ナチズムとかそういった形態をとった。そして、アングロサクソンの国家はケインズ政策という、ある
意味ではこれも国家管理主義的な
経済政策というものをとって、それぞれが裸の自由主義路線に対して防衛対策をとったというふうにとらえるわけでございます。
我が国においては、やや国家社会主義に近いところで、統制
経済的な方法をとったというふうに思うんですね。これはまさに、
経済産業省の親の親である商工省の岸信介大先生、この人が象徴するような革新官僚
たちがこういった統制
経済のシステムというものを戦時
経済という要請の中でつくろうとした。
そういった中で、皮肉なことに、戦時
経済の要請でつくろうとしたわけでございますが、実際に完成を見たのが戦後であるわけですね。田中角栄のシステムだというふうによく言われるんですけれども、それは私は間違いだと思って、岸信介が最後に業界団体とかそういうものを全部整備して、今のいわば自民党の、小泉さんの前ぐらいの政治を支えてきた仕組みというのをつくったのが、私は、岸信介さんとかそういった
経済産業省的な発想だというふうに思うんです。
今の小泉さんがやろうとしている構造改革、あるいはアメリカの相当な影響力のもとで行われているこの自由化路線の中で、まさに野口悠紀雄先生なんかが言うのは、いわゆる四〇年体制ですか、この統制
経済の仕組みというものがだんだんと突き崩されてきていると。そういった中で、共同体の崩壊とかそういったものが生じているわけでございます。
私は、もちろん自由化路線、部分的にはこれは必要だというふうに思いますし、ある程度合わせていかなければならない。効率性のことも
先ほど申し上げたように考えていかなければならないけれども、国の政治というものはそんなものが最終目的ではなくて、やはり
国民の生命財産のみならず、私
たちの
生活のあり方とか文化とか感性とか、そういったところまで守るというのが私は政治の役割だというふうに思っているわけでございます。
そういった中で、やや壮大な話になるんですが、まちづくりの話というのは、私はそういう
観点でとらえなければならないというふうに思っているわけですね。むしろとらえた方がいいんじゃないかと。
この裸の資本の論理の中で、
地域的な弱者とか
経済的な弱者とか、そういった
人たちをどうやって救うのか。あるいは、共同体の中で、それこそ教育の、しつけの問題とか、そういったものがだんだんとひずみが入ってきている、そういったことをどうやって救っていくのか、救済していくのか、守っていくのか。私
たちの文化をどうやって防衛していくのかということがこのまちづくりの
一つの
観点だというふうに思うわけでございます。
したがって、今審議している法案は、これはこれでいいというふうに私も思うんですが、今後求められていることは、この方向性というものをより明確に力強く
推進していくことではないかというふうに思っているわけでございます。
そういった点について、
経済産業大臣としてではなくて、むしろ一
政治家として、県議も経験されて
地域や地方を知り尽くされている二階さんの、私が今申し上げたようなことに対する見解というものをお伺いしたいというふうに思いますが、いかがでしょうか。