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達増委員 先人は、
政治というものをきちんと憲法のもとに置き、また、政府は
法律に基づかなければ、勝手に、ほしいままに事を起こしてはならないということのために、幾多の先人が犠牲になり近代民主主義というのをつくってきていますので、そこは確認しながら前に進む必要があると
思いますし、その辺の
議論から
教育基本問題調査会のようなことを
国会でやる必要があるのかもしれないなと今
思いつつ、さらに
質問を続けますけれども、国を愛する態度、この態度の問題について伺います。
実は、態度という
言葉は、
教育法制上かなり厳密な意味を持って使われております。先ほどからの
質問、答弁を聞いていますと、態度も心も同じようなものだというような抽象的な答弁、そういうやりとりが続いていたので、ちょっとこれはまずいなと思って確認をさせていただきますけれども、まず、この態度という
言葉が端的に出てくるのは、学習指導要領の中で使われております。各教科の目標の中に態度という
言葉が使われているんですね。
例えば、中
学校国語の目標、「国語を適切に表現し正確に理解する
能力を育成し、」云々「国語に対する
認識を深め国語を尊重する態度を育てる。」国語科の目標の中に態度を育てるという
言葉が出てきます。数学、「数量、図形などに関する基礎的な概念や原理・法則の理解を深め、」云々「それらを進んで活用する態度を育てる。」。理科、「自然に対する関心を高め、」云々「科学的に調べる
能力と態度を育てるとともに」云々。外国語、「外国語を通じて、言語や文化に対する理解を深め、積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り、」云々。
ですから、
教育法制上、態度を育てるというのは既に学習指導要領の中にも使われておりまして、恐らく、推測すると、それを参考にして今回の政府の
教育基本法改正案は、第二条、目標の中で、
愛国心についても、国を愛する態度を育てるというふうに書いてきているんじゃないかと思うんですけれども、これが
教育現場を拘束しないはずがないんですね。
さらに、この態度という
言葉は、クラスの、毎日、授業のチャイムが鳴った瞬間から鳴り終わるまで、いや、
家庭にいるときすらも、
生徒に対して、これは束縛と言っちゃうとあれなので指導と言っておきましょうか、今の
学校教育法制上、
生徒は、この態度という
言葉から離れられないような仕組みになっております。
それは、観点別評価というものが一九八七年の
教育課程
審議会で答申がありまして、小中
学校の学習指導要領、八九年制定のものに取り入れられ、小
学校では九二年、中
学校では九三年から施行されて、今も続いている観点別評価というものなんですが、これは、すべての教科を、一、関心・意欲・態度、二、思考・判断、三、技能・表現、四、知識・理解、大体こういう四つの観点で評価するというやり方であります。
授業や学習内容に対する態度というのは昔からチェックされてはいたんでしょうが、昔は知識・理解というのがメーンだったわけですね。ところが、八七年の答申以降、知識・理解というのは四分の一の評価の対象でしかなく、一方、関心・意欲・態度というものが評価の四分の一を占めるようになってきている。
このことについては、
教育の専門家からいろいろ批判が出ております。例えば、この十年間、
子供たちの関心・意欲・態度を重視する指導に偏り、知識・理解を軽視した結果、学力低下というようなことが起きているという指摘があったり、さらに深刻な指摘もございます。これまでも小中
学校で観点別評価を行っている県は多く、教室で手を挙げる回数で点数が決まるなど、その弊害が指摘されていました。事実、文部省が観点別評価の内申書への導入を全国拡大した一九九四年を境に中
学校での
生徒間暴力
事件が二倍に増加するなど、
生徒に与える過大なストレスが問題視されています。
ですから、態度問題と言っていいと思うんですけれども、実は、今の
教育界において態度問題というのは非常に深刻な問題なんですね。
まず、これは
文部科学大臣に伺いますけれども、こういう関心・意欲・態度を学力評価の柱の
一つとする観点別評価が、
生徒にストレスを与え、校内暴力の増大などを招いたという批判がありますが、どう
考えますか。